ARIA The Extension 作:Yuki_Mar12
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あとちょっと――
眉間に皺を寄せる。苦しい表情。
わたしは走っていた。後ろでくくった髪を揺らして。
半袖のスポーツTシャツに、フィット感のあるスキニーのパンツ。目には日射しに眩まないよう、サングラス。
朝のネオ・ヴェネツィアの海沿いの長い道。ランニングするには好適で、わたし以外にも、走っている人がいる。
片道1キロ半という距離の直線を、二往復すると、合計で6キロになる。
毎週、休みの日には、走るようにしている。
何のためにかって、要は、シェイプアップとか、ダイエットとか、そういう理由で。
アリシアさんっていう憧れのひとがいて、わたしは常々アリシアさんに一歩でも近付けるよう、努力してるんだけど、この毎週するランニングも、そのひとつっていうわけ。
今、一往復と片道を終えて、ラストスパート。残り1キロ半。精神を研ぎ澄まし、指ををピシッと揃え、両手を前後に振る。顎は引いて、なるべく遠くを見遣る。
今、真夏だ。気温は30度オーバーで、湿度は70パーセントくらい。
そういうコンディションでランニングすると、とても消耗する。太陽はカンカン照りで、立っているだけで滝の汗が噴き出てくるわけで、そういう中で走るというのは、あまり勧められるものではない。消耗が著しく、走り終えた後の疲労感と虚脱感が凄まじい。口で荒く呼吸して、俯いて見下ろす地面には、大玉の汗粒が次々に落ちていく。
毎シーズン欠かさずやっているが、やっぱりこの時期になると、走るひとの数がめっきり減る。みんな、程々がよくて、くたびれたくないのだろう。
だけど、わたしは、暑いからとやめてしまうのが、どうしてか納得出来なくて、無茶だと内心で分かってはいても、習慣を中断するということが受け入れられず、執念を燃やして走りに行ってしまうのだった。
スタートラインにしている建物の横までくると、そこがゴールラインなので、わたしは走ることをやめ、からだのストレスにならないよう、ゆっくりと、走行から歩行へと切り替え、サングラスを外し、しばらくクールダウンで歩くことにした。
海岸線の手摺のワイヤーロープにかけておいたタオルを取り、止まらないダクダクの汗を拭いては、水筒に入れてきたスポーツドリンクを口にし、ランニングで費やした水分を補給する。
風が吹く。
海沿いだから、風の通りがいい。
だけど、真夏だから、風が吹いたところで、熱風で、涼感に乏しく、有難みがあまりないのが悲しいところだ。
――藍華ちゃん、細いね。
そう、灯里に言われた。
ちゃんとご飯、食べてる?
心配がる様子で、わたしをじっと見つめる。――わたしって、それほど細いんだろうか。
だいじょうぶ、ちゃんと食べてるよ。
わたしは安心させようと答える。
お腹いっぱい?
うん、お腹いっぱい。
だったら、いいんだけど――。
ランニングしてるんだ、とは、その時言わなかった。
タイミングがたまたまなかっただけで、隠そうという意図はなかった。
ひょっとして、わたしは走る必要などないのだろうか? 灯里が言ってくれるように、すでに細いのであれば、わざわざそれ以上を目指す意味などないのでは?
だけど、こうして長く継続してしまうと、やめてしまう気持ち悪さがある。確かにしんどいし、全身汗だくになっちゃうけど、健康にいいし、体型維持に繋がるし……
わたしは歩いて、とっくり考える。ギラギラと照る太陽が、広い海いっぱいに射し、その光輝はまばゆいほどだ。
ひょっとして――
わたしはアリシアさんを思い浮かべる。その麗しい容姿、麗しい人柄、麗しい所作をまざまざと、いくぶん美化しがちになっているわたしの記憶に見る。
すると、劣等感とは違うんだろうけど、いかに自分がアリシアさんに対して、あるいはアリシアさんと比較して、不足しているかということを思い知るのだった。
よしんばプロポーションが同等であるにしろ、他のところがまるきり届いていない。
どうして走ることに固執するんだか……
恒例の習慣になっているから? 健康にいいから?
何にせよ、わたしは改めて、アリシアさんとの歴然たる格差を悟り、更に努力しなきゃと気を引き締め、拳を握って青空に黙然と宣誓するのであった。
帰り道。ショーウィンドウのあるお店の前を通りかかると、わたしは、ガラスに映る自分を見て、コンパクトでは確かめ切れなかった髪の乱れを直した。
その時、自分のほっそりした腕や脚を見、確かに細いけど、何か違う気がした。スレンダーだし、スリムなんだろうけど、美容っていう分類の細さとは違うようで……
アッ、と、わたしは気付く。
この細さは、スポーツ選手の細さなんだ。脂肪が削げて、とにかく直線的で。
プッ、とわたしは、自身に噴き出す。
やれやれ、まだまだだなぁ。
真夏の空には、綿菓子そっくりの雲がどっかりと、美味しそうに浮かんでいるのだった。
(終)