ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.89「走ることについてわたしの語ること」

***

 

 

 

 あとちょっと――

 

 眉間に皺を寄せる。苦しい表情。

 

 わたしは走っていた。後ろでくくった髪を揺らして。

 

 半袖のスポーツTシャツに、フィット感のあるスキニーのパンツ。目には日射しに眩まないよう、サングラス。

 

 朝のネオ・ヴェネツィアの海沿いの長い道。ランニングするには好適で、わたし以外にも、走っている人がいる。

 

 片道1キロ半という距離の直線を、二往復すると、合計で6キロになる。

 

 毎週、休みの日には、走るようにしている。

 

 何のためにかって、要は、シェイプアップとか、ダイエットとか、そういう理由で。

 

 アリシアさんっていう憧れのひとがいて、わたしは常々アリシアさんに一歩でも近付けるよう、努力してるんだけど、この毎週するランニングも、そのひとつっていうわけ。

 

 今、一往復と片道を終えて、ラストスパート。残り1キロ半。精神を研ぎ澄まし、指ををピシッと揃え、両手を前後に振る。顎は引いて、なるべく遠くを見遣る。

 

 今、真夏だ。気温は30度オーバーで、湿度は70パーセントくらい。

 

 そういうコンディションでランニングすると、とても消耗する。太陽はカンカン照りで、立っているだけで滝の汗が噴き出てくるわけで、そういう中で走るというのは、あまり勧められるものではない。消耗が著しく、走り終えた後の疲労感と虚脱感が凄まじい。口で荒く呼吸して、俯いて見下ろす地面には、大玉の汗粒が次々に落ちていく。

 

 毎シーズン欠かさずやっているが、やっぱりこの時期になると、走るひとの数がめっきり減る。みんな、程々がよくて、くたびれたくないのだろう。

 

 だけど、わたしは、暑いからとやめてしまうのが、どうしてか納得出来なくて、無茶だと内心で分かってはいても、習慣を中断するということが受け入れられず、執念を燃やして走りに行ってしまうのだった。

 

 スタートラインにしている建物の横までくると、そこがゴールラインなので、わたしは走ることをやめ、からだのストレスにならないよう、ゆっくりと、走行から歩行へと切り替え、サングラスを外し、しばらくクールダウンで歩くことにした。

 

 海岸線の手摺のワイヤーロープにかけておいたタオルを取り、止まらないダクダクの汗を拭いては、水筒に入れてきたスポーツドリンクを口にし、ランニングで費やした水分を補給する。

 

 風が吹く。

 

 海沿いだから、風の通りがいい。

 

 だけど、真夏だから、風が吹いたところで、熱風で、涼感に乏しく、有難みがあまりないのが悲しいところだ。

 

 

 

 ――藍華ちゃん、細いね。

 

 そう、灯里に言われた。

 

 ちゃんとご飯、食べてる?

 

 心配がる様子で、わたしをじっと見つめる。――わたしって、それほど細いんだろうか。

 

 だいじょうぶ、ちゃんと食べてるよ。

 

 わたしは安心させようと答える。

 

 お腹いっぱい?

 

 うん、お腹いっぱい。

 

 だったら、いいんだけど――。

 

 

 

 ランニングしてるんだ、とは、その時言わなかった。

 

 タイミングがたまたまなかっただけで、隠そうという意図はなかった。

 

 ひょっとして、わたしは走る必要などないのだろうか? 灯里が言ってくれるように、すでに細いのであれば、わざわざそれ以上を目指す意味などないのでは?

 

 だけど、こうして長く継続してしまうと、やめてしまう気持ち悪さがある。確かにしんどいし、全身汗だくになっちゃうけど、健康にいいし、体型維持に繋がるし……

 

 わたしは歩いて、とっくり考える。ギラギラと照る太陽が、広い海いっぱいに射し、その光輝はまばゆいほどだ。

 

 ひょっとして――

 

 わたしはアリシアさんを思い浮かべる。その麗しい容姿、麗しい人柄、麗しい所作をまざまざと、いくぶん美化しがちになっているわたしの記憶に見る。

 

 すると、劣等感とは違うんだろうけど、いかに自分がアリシアさんに対して、あるいはアリシアさんと比較して、不足しているかということを思い知るのだった。

 

 よしんばプロポーションが同等であるにしろ、他のところがまるきり届いていない。

 

 どうして走ることに固執するんだか……

 

 恒例の習慣になっているから? 健康にいいから?

 

 何にせよ、わたしは改めて、アリシアさんとの歴然たる格差を悟り、更に努力しなきゃと気を引き締め、拳を握って青空に黙然と宣誓するのであった。

 

 

 

 帰り道。ショーウィンドウのあるお店の前を通りかかると、わたしは、ガラスに映る自分を見て、コンパクトでは確かめ切れなかった髪の乱れを直した。

 

 その時、自分のほっそりした腕や脚を見、確かに細いけど、何か違う気がした。スレンダーだし、スリムなんだろうけど、美容っていう分類の細さとは違うようで……

 

 アッ、と、わたしは気付く。

 

 この細さは、スポーツ選手の細さなんだ。脂肪が削げて、とにかく直線的で。

 

 プッ、とわたしは、自身に噴き出す。

 

 やれやれ、まだまだだなぁ。

 

 真夏の空には、綿菓子そっくりの雲がどっかりと、美味しそうに浮かんでいるのだった。

 

 

 

(終)

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