ARIA The Extension   作:Yuki_Mar12

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Page.94「残光」

***

 

 

 

 夏が訪れ、過ぎていく。

 

 

 

 涼しく過ごしよかった気候が、高気温と多湿と熾烈なる日照で激しいものとなり、人々がダルさや鬱陶しさと共に、それ等に拮抗する一抹の興奮を覚え、始まりや活気などの象徴である太陽が思うさま、その光輝を放ってしまうと、季節は、何となくしゅんとし、衰えのきざしを示し始める。

 

 夏恒例の夜光鈴市がネオ・ヴェネツィアで開かれ、多くの客をその幻想的で美しい淡い光で呼び寄せ、盛況の内に終わると、その後数日間に、夜気が涼しさを帯び始める。要するに、イベントと夏の終わりは、時期がおおよそ被っているのだ。だから、夜光鈴市に来る人々は、たいていの者が、心の内で、季節の終焉を予覚し、ようやく過ごしよくなるのだという期待と共に、ちょっとした名残惜しさを抱く。

 

 仮に夏が永遠に続けば、世界は干からびて砂漠と化してしまうだろう。もっとも、季節が永続しないことなど、ヒトが空を飛行できないのと同じくらい、誰でも明晰に分かっているわけで、そういう風に実際に願うことはしない。――ただ、名残惜しく感じさせるものがある夏の背中に、悠久に続く、夏から夏へと一直線に貫く変わらない愛着を見て取るのだ。

 

 

 

 

 

 

 ゴンドラの清掃を終えて、汗だくになると思いきや、案外それほどでもないことにARIAカンパニーの水無灯里は驚いた。

 

 涼しい風が吹く。その風は、すっかり熱気も湿気もなく、今日明るい間ずっとあったはずの夏の気配を完全に排しており、少なくとも今日あった分の夏は完全に運び去られてしまったようだ。

 

 風に揺られて、テラスに吊るした夜光鈴がチロチロと寂しげになる。

 

 日脚の短くなった晩夏の薄暗い夕暮れに、夜光鈴は弱弱しい光を放ち、その儚い寿命を偲ばせる。

 

 灯里はその微光に追い打ちをされたように、何か切ないものを胸中に感じ、嫉妬や失恋の時にある、キュッと締め付ける痛みじみたものを覚えた。日脚が短くなり、秋が自分の出番だと夏を追い出そうとし、夜光鈴の命脈が尽きようとしている。

 

 晴れた夕空には、口が思わず開くほど見上げた山のごとき高い入道雲はなく、せいぜい丘ほどの低い雲が群れて並んでいるばかりだった。

 

 拭くまでもない軽い汗を額や胸などに浮かべ、灯里は茫然と、桟橋の突端に立ち尽くし、虚ろなる瞳で、季節の潮目をじっと見つめていた。

 

 

 

「今日は涼しいわね」

 

 ふと声がしたと思うと、灯里は後ろを振り返り、見上げた。

 

 ARIAカンパニーのカウンターより、灯里の先輩であるアリシアが、前のめりの姿勢で、両腕を組んでいた。カウンターは桟橋のちょうど一階分ほど上にあるのだった。

 

「はひ」

 

 灯里は返事すると、桟橋よりスロープを上がって、おもむろにアリシアのそばまで向かい、憂いに満ちた苦笑いを浮かべた。

 

「そろそろ夏とはお別れみたいです」

 

 その面持ちは、何か大切にしていたものを失くしてしまって、そして諦めた時のように、悲哀と憐憫を誘うものだった。 

 

「あらあら」

 

 アリシアは同情と共にそう短く答えた。

 

 灯里は彼女のそばの壁に背を持たせ、両手を軽くお腹の下の辺で握り合わせた。しゅんと俯き気味で、何か言いたいけれど、敢えて封じているようだった。

 

「灯里ちゃん」、とアリシア。

 

「はひ」

 

「春って、出会いと別れの季節ってよく言うじゃない?」

 

「そうですね」

 

「でも、考えてみれば、あらゆる季節がそうなのかもね」

 

「あらゆる季節が……」

 

「確かにひとの移動は春がいちばん多いかも知れないけど、季節だって移ろうんだもの。こうやって夏とお別れして、そして、秋によろしくって挨拶する。その後は、冬にも、春にも。で、また夏がやってくれば、久しぶり、なんて言うのね」

 

「ハハ」

 

 アリシアと灯里は、和やかに笑い合った。

 

 暮れなずむ淡い夕日は、二人を、水平線の上からやさしく見守っていた。その様はまるで、彼女等の会話が終わるまで待ってくれているようだった。

 

「灯里ちゃんは、夏が好きなのね」

 

「さぁ、どうでしょう?」

 

「まぁ、ずいぶん寂しそうにしてるのに」

 

「ハハ。何だか照れくさいですね」

 

「今夏はたっぷり満喫できた?」

 

 ――そう問われ、灯里はしばらく考えた。

 

「満喫、できたと思います」

 

「自分の思い出には、自信を持ちなさいね」

 

「はひ」

 

 風がまた吹く。揺れて透き通った音を鳴らす夜光鈴が、陰の中でぼんやりと頼りなさげに光る。

 

 アリシアは愛おしそうにその様を眺めると、「そろそろ寿命ね」、と言った。

 

「今晩、海へ(かえ)しましょうか」

 

「そうね」

 

 終わりを迎えようとするその光は、人知れず流れる涙の一滴のように、本当に淡かった。

 

 二人は暗くなるまで尚、夕焼けを眺めると、完全に店じまいした。

 

 

 

 水平線の下にすっかり沈んだ太陽は、まだ空に残光を投げていた。だが、夜光鈴は、すっかり暗くなっていた。

 

 大勢の思い出を飲み込んで、夏は、また長い旅路へと出る。

 

 輝ける時期が再び巡ってくるまで。

 

 

 

(終)

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