朝色小夜曲   作:芦野

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chapter2

1

真央は変わらないね、と私は周りの人によく言われる。

その言葉の真意は分からないけれど、そのままの意味で受け取るとしたらあまり嬉しくはない。

私は小さい頃から怖がりなうえに引っ込み思案でいつもママの後ろに隠れているような子だった。

そんな自分を変えたくて、私は色んなことを自分なりに頑張ってきた。

 自分を変えたいという漠然とした願いを持った理由、それは百合がいたからだ。

……本人の前では絶対言えないけど、私はずっと百合の隣にいたい。ただそれだけなんだ。

 

──こうも暑いと外に出るのが余計に嫌になる。セミの鳴き声はどうしてこうも暑さを感じさせるのか。

家から出ないでもいい夏休みが待ち遠しい。

昼まで寝ていてもまだ眠気に押し潰されそうになる。再び眠りに落ちそうになったときに、チャイムが鳴った。

「んぅ……」

 連絡や予定のない来訪者は、だいたい応対するとろくなことにならない。

 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。

 いい加減居留守を使っていることぐらい分かっても良さそうなものなのに、鳴り止む気配はない。

 我慢の限界が訪れて嫌々玄関に向かいドアを開けた。

「あっ、やっと出てきた」

「何の用」

「用がなかったら来ちゃいけない?」

 来訪者の正体は真央だった。

「とりあえず中入れて、外暑くて溶けそう」

 何しに来たんだ。でも入れないと玄関先でごねられることになるだろうなあ……。

「……入れば」

「ありがと、お邪魔しまーす」

「ふー涼しい」

「で、何しに来たの?」

 ソファーに我が物顔で寝転がる真央にわたしは尋ねた。

「ちょっと、ね」

「まあ、別にいいけど」

 言いたくないならわざわざ聞く必要も無い。

「ねえ、百合」

 真央がわたしの隣に座ってきた。

「百合って誰かに告白されたことある?」

「……急に何?」

「実は私ね、昨日後輩の子に告白されちゃって」

「へぇ」

 気のないような返事をしながらも、内心驚いていた。真央が告白されたことではなくて、そのことをわざわざわたしに伝えてきたことが不思議だった。

「百合は、どう思う?」

「どう思うって言われても」

「何とも思わない?」

 どういうつもりで聞いてきてるのか、質問の狙いがいまいち読めない。

「その相手のことわたし知らないし」

「優しくて、かわいくて、それにすっごくいい子だよ。」

「それって、男?女?」

「女の子」

「……へぇ」

 なんとなくそんな感じがしていたけれど、やっぱりそうなのか。

「女の子同士って、ありだと思う?」

「別に好きになった人なら、ありだと思うけど。どうしてわたしにそんなこと聞くの?」

「ただ聞きたくなっただけ、ありがと」

「付き合うの?その子と」

「何?嫉妬してるの?」

 いたずらっぽい笑みを真央は浮かべる。

「どうしてわたしが嫉妬する必要があるの」

「なーんだ残念。嫉妬してくれないんだ」

 本当に残念そうな口調で真央は言う。

「あっそういえば文化祭のグループ、百合は劇の方に入ったんだよね?」

「そうだけど」

 それがどうかしたのだろうか。

「実は私も劇のグループに入ることになったの。劇の方の人手が足りないって相談されて」

「ふーん」

 確かに劇のグループは人数が足りないとか言ってたような気がする。

「まあ、正確には両方のグループを兼任するってことなんだけどね、展示の方は余裕もって出来そうだし。ところで百合って何の担当になったの?」

「大道具」

「えーもったいないよー。どうして出ないの?」

「真央は出るの?」

「驚かないで聞いて……実は私、お姫様役やることになったの」

「ふーん」

 驚くほどのことではない。真央だったら適任だと思う。

「え?それだけ?もっと……こう、すごいなーとか感想はないの?」

 ずいっと、真央がわたしに迫ってくる。

「……前から思ってたんだけどそれ、わざと?」

 わたしとは違う真央のボリューム満点な胸元を見せつけられると、正直悲しくなる。

「何が?」

「何でもない」

 そう言ってわたしはソファーに寝転がった。

「もう、また寝るつもり?」

「眠い……膝貸して」

「ちょっと……もうしょうがないなあ」

 頭を太ももに乗せると、真央は一瞬怒ったような声を出したけれど、それ以上は何も言わなかった。

 やっぱり肉付きのいい太ももは枕として申し分ない。わたしはあっという間に眠りに落ちていた。

 辺り一面に咲きほこっている向日葵。明るい黄色に包まれた世界にわたしは歩いていた。

 太陽の光が照りつけているのに、暑いとは感じない。ここは、きっと夢の中だろう。

 そう思いながらもしばらく歩いていると、遠くに人が立っているのが見えてきた。

 何をしているのだろう?

 麦わら帽子に真っ白なワンピース。顔はよく見えないけれど、きっと若い女性だろう。

 歩みを一歩一歩進めるたびに、少しずつその女性との距離が縮まってゆく。もう少しで顔が見えそう……そう思ったときだった。

 強い風が突然吹いて、わたしは目を反射的に閉じてしまう。

 風が収まり目を開けると、女性が立っていた場所で向日葵の花びらが渦をまいて空に舞い上がっていた。

 女性の姿はもうどこにもない。だけど、まるで花びらは女性を運んでいくようにどこでもどこでも空に舞い上がっていって、最後には完全に見えなくなってしまった。

 一面の向日葵の中、女性が立っていたところだけ花が消えて土が見えている。待っていれば、そこに再び向日葵が咲くような気がして、私は立ったままずっと茶色の地面を見つめていた。

 太陽はやがて沈み、再び太陽が昇る。何度も何度も繰り返し繰り返し朝が来て夜が来る。

 1000回、いや1500回ぐらい朝と夜が訪れても、そこから向日葵の花が咲くことはなかった。

 わたしの頬を涙が伝う。悔しいのだろうか、悲しいのだろうか、その理由は分からないのに涙が止まらない。拭っても、拭ってもすぐに溢れてしまう。

「これ、使って」

 突然横から聞いたことのある声がした。それと同時にハンカチが差し出される。

 受け取って目元を押さえると、嘘みたいに涙が止まった。

「ありがとう」

 お礼をいって、ハンカチを差し出してくれた人の顔を見ようとしたところで突然現実に引き戻された。

「んぅ……」

 見知らぬ天井……ではなくこちらを覗き込んでいた真央と目が合う。

「おはよ。百合結構長い時間寝てたね」

 時計を見ると、どうやら1時間ぐらいわたしは眠っていたようだ。

「そんなに私の膝、気持ちよかった?」

「なんだか居心地が良かった」

「私も百合の寝顔久しぶりに見れて良かった。やっぱり百合の寝顔は、可愛いなあって思ったよ」

「……何それ」

 自分のことを可愛いだなんて思ったことは産まれてから1度もないけれど、まるで普段は可愛くないと言われた気がして、少しムッとしてしまう。

「嘘だって冗談冗談。百合はいっつも可愛いよ」

「はいはい」

 取ってつけたような言葉に思わずため息が出る。

「あれ?雨降ってきた」

 外を見ると確かに雨が降り出してきていた。

「天気予報で雨降るって言ってなかったのに、ママ達大丈夫かなあ」

 雨は弱まるどころか徐々に強さを増していく。

「どうしよ、帰れないよこれじゃ」

「傘持ってけば」

「そうじゃなくて、雷とか鳴りそうで怖いのに一瞬でも外出たくないよぉ……」

 真央は子供の頃から雷とか地震とかが本当に苦手だったのだけれど、まさか今もここまでだとは思ってなかった。

「さっきまであんなに太陽出てたのにどうしてこんな天気になるの……もうやだ」

 小さな子のように駄々をこねる真央を見てると、何度か一緒に雨宿りをしたことを思い出す。

「きゃああああああ!?」

 遠くに雷が落ちて、しばらくしてからゴロゴロと音が鳴る。

「大丈夫?」

「大丈夫じゃないよぉ……」

 真央は目に涙をためて、訴えるような視線をわたしに向けてくる。お化け屋敷とかジェットコースターとかは平気なのに、雷はどうしてそんなに怖がるのか不思議だ。

「ひゃあっ!」

 再び雷が落ちる。さっきよりもかなり近いところに落ちたのだろう、かなり大きな音が響いた。

「うぅ……」

 流石に見てて心配になる。高校生にもなってここまでビクビクしていて大丈夫なのだろうか。

「何よ呆れたみたいな顔してさあ、私が本当に雷ダメなの知ってるくせに……」

「呆れてるっていうか、変わってないなあって」

「……それって呆れてるってことじゃん」

「真央のそういうところ、すごいと思うよ。わたしには出来なかったから」

 わたしの言葉に真央は困ったような表情になった。

「そういうところってどういうところ?」

「何だろ、わたしにもよく分からないけど、真央には変わらない良さがあるよ」

「う、うーん。喜んで……いいの?」

「まあでも」

 おもむろに視線を顔から下に移す。

「変わった部分もあるけどね」

「?」

 真央はもう少し周りの視線に敏感になった方がいいとわたしは思った。

「あ……雨、収まってきたかな?」

「そろそろ帰ったら、また帰れなくなるよ」

「うーん本当はまだ居たいけど……今日は帰るね。ありがと」

 玄関まで、真央を見送りに出る。

「傘、そこのから、適当に持っていけば」

「ありがと、1本借りてくね」

 それじゃあ、と小走りで真央は家に帰っていった。

「ふう」

 ソファーに寝転がるとさっきまで寝てたのに波のような眠気がやってくる。眠りに落ちる前に、なぜか少しだけわたしは人肌が恋しくなった。

 

 2

「だるい……」

 ただでさえ暑いのにこれから1日ずっとスポーツをさせられる。体育大会と球技大会は運動が好きではない人種にとっては嫌がらせ以外の何物でもない。

 体育館の隅で扇風機に当たっていないと熱気で倒れてしまいそうだ。

「百合〜そろそろはじまるから行くよ、ほら」

 真央に連行されて渋々ドッジボールに参加する。

 飛び交うボールは女子のものとは思えないほどの気迫に満ちていて、正直少し怖かった。

「それっ!」

 ボールが真央の手に渡るたびに見ている生徒達が歓声が上げる。その歓声は真央のプレーだけではなく大胆に揺れる胸元に向けられたものであることに間違いはない。これだから男は……と思わず呆れてしまう。まあ、わたしもアレを見てしまう気持ちは分からないでもないけれど。

「百合!ボール!」

 真央の声で我に返る。間一髪でボールをなんとか受け止めた。

「ふう」

 ボールを外野に投げて短く息を吐く。それからもボールを相手にぶつけたり、避けたり、とにかく動き回った。

「すごい活躍だったよ百合!」

「そんなことない。わたし達のクラスの方がメンバーに恵まれただけでしょ」

 試合は連戦連勝だった。特にわたしが頑張ったわけではないのだけれど、真央にやけに褒められて妙な気分になる。

「も〜またそんなこと言って〜百合はもっと自分の成果を誇っていいんだよ。というか誇るべき」

「はいはい」

「あっ、そろそろバスケ始まるみたい。百合も行く?」

「パス」

「そう、分かった。熱中症とかならないように気をつけてね」

 さっきまであれだけ動いていたのに、真央は走って応援に向かった。真央はいったいどこからその元気が湧いてくるのだろうか。

 体育館を出て、外で顔を洗う。水の冷たさがとても気持ちいい。

「お疲れ様、貴女の活躍見てたわ」

 蛇口から水を飲んでいると、生徒会長様から声をかけられた。

「わたしよりも真央の方が活躍してたと思うけど」

「貴女のことしか見てなかったから気づかなかったわ」

「……またわたしのことからかってます?」

「うふふ、さあどうでしょう」

 この暑い中でも椿原は涼しげな顔をしている。

「ところで今、時間あるかしら?」

「?」

「貴女に手伝ってもらいたいことがあるの」

 そう言って椿原はにっこりと笑う。その笑顔で今までも多くの人を手玉に取ってきたことはわたしでも簡単に分かった。

「……で、手伝って欲しいことって何ですか」

 連れて行かれたのは保健室だった。

「奥のベッドに座っていて。準備してきますから」

「はあ」

 準備っていったい何を準備するのだろう。ベッドに座ってしばらく待っていると椿原が戻ってきた。

「お待たせしました。じゃあさっそく始めましょう」

「始めるって何を?」

「うふふ、ちょっとしたアンケートです」

「アンケート?」

 手伝うってアンケートの回答だったのか。

「ええ、学校が公式に回答を集めるものではなく、わたくし個人が選んだ生徒に直接聞いて回ってるものです」

「はあ」

「プライベートなことも質問させてもらうので答えにくいものは無理に回答を求めたりはしないので」

 答えて頂けますか?と言って、椿原はわたしを見つめて来た。

「別にいいですけど……あんまり時間をかけるのはまずくないですか?」

「確かにあまり時間をかけてしまうと、球技大会を抜けていることがバレてしまいますからね。安心してください、質問は3問だけですし、yesかnoで答えて貰えればいいので」

「はあ」

 たった3問のアンケートで何を調べるつもりなのかよく分からないけれど、ここまで来てしまったからにはとりあえず付き合うか。

「あまり考えずに答えて下さいね。では、質問1です。貴女は自分の容姿を他人から見て魅力的だと感じますか?」

 ケータイを取り出しながら椿原は聞いて来た。

「no」

 迷うことなくわたしは答えた。

「……なるほど、では次の質問です。貴女は今片想いをしいる人がいますか?」

「no」

「なるほど」

 椿原はケータイを操作している。yesかnoかのメモでもとっているのだろう。

「あの、この質問ってどういう意図で聞いてるんですか?」

「そうですね……学生生活の調査、といったところでしょうか」

「調査ねえ……」

 それにしては質問の内容がどこかおかしな気がするが。

「では、最後の質問です。貴女の目にはわたくし、椿原花恋は魅力的に映りますか?」

「え?」

「あら?よく聞き取れませんでしたか?」

「いやいやそうじゃなくて……それって本当にアンケートの質問ですか?」

「ええ、そうですよ」

「……」

「さあ、答えて下さい」

「ちょちょちょっと……」

 蠱惑的な笑みを浮かべ、椿原はわたしに迫ってくる。距離を取ろうと後ずさりして気づいた。

 仕切りのカーテンは閉じられ、背後の窓も鍵がかけられている。……もしかしてこれ、逃げられないのでは?

「今度は逃がさないから」

「ひゃあっ!?」

 肩を掴まれてなす術もなく、わたしはベッドに押し倒される。

「こういうことされるの嫌?」

 嫌ではないけれど、それどころじゃない。

「いや……その、冗談……ですよね?」

「にぶいのね、本当」

 心底呆れたといったような表情を椿原は浮かべる。

「まあ、いいわ。貴女がにぶいからこそチャンスが巡って来たのだし」

「……っ!?」

 身動きの取れないわたしを熱のこもった視線で椿原は見つめてくる。

 近づく顔と顔、いや唇と唇がこのままだと触れそうな──

 がらりという突然の物音で飛びかかっていた意識が引き戻された。

 入口の方から足音が近づいて来て、閉じられていたカーテンが壊れそうな勢いで開かれる。

「なっ……ななな何してるの!」

 現れたのは真央だった。

「あら、桜井さん。どうされたのですか?」

「はぁ……はぁ……いいから早く離れなさいよ。2人ともそこに正座、今すぐ」

 ベッドの上に並んで座らさせられる。

「……」

「……」

「……」

「で、いったい何をしてたの?」

 気まずい沈黙が流れた後に、尋問するような口調で真央はわたしと椿原に質問して来た。

「いや、その……」

 どう答えればいいかわたしが戸惑っていると、椿原が笑顔を浮かべてこう答えた。

「わたくしが朝倉さんにアンケートの回答をお願いしたんです」

「アンケート?そんなのあったっけ?」

「わたくし個人がお願いしてるものですから、学校のものとは違います」

「ふうん。で、どうして百合にあんなことする必要があるわけ?」

「あら、どうしてそんなことを聞くんです?」

「どうしてって、そんなのベッドに押し倒されてるの見たからにきまってるじゃない」

「説明する必要はないですわ。だって桜井さんの想像通りだろうと思いますから」

「……椿原さん、あなたねえ」

 真央は椿原に今にも掴みかかりそうな顔で、椿原を睨んでいる。

「百合さんではなく桜井さんがどうしてそこまでムキになるんです?」

「……それは」

 真央が口ごもったところで午後3時のチャイムが鳴った。

「あら、もうこんな時間ですか、わたくしはこれで失礼致します。お2人も早く体育館に戻った方がいいですよ」

「ちょっと!まだ話は……」

まだ何か言いたげな真央を振り切るように、椿原は保健室から出ていってしまった。

「……」

 無言で立ちすくむ真央にどう声をかければいいか分からず、わたしはベッドの上に座ったままだった。

「ねえ百合」

「な、何」

 真央はゆっくりと近づいてきてわたしの手を掴んできた。

「ちょ──」

 そのまま引っ張られて保健室を出る。

「……」

「ねえ」

「……」

「ちょっと」

 ……どうしたものか。

「あのさ、どうしてそんなに機嫌悪いの?」

「分かんない。どうしてこんなにモヤモヤしてるんだろ私」

 吐き捨てるように言って、真央は掴んでいたわたしの手をようやく離した。

「早く戻ろ」

「うん」

 どこか違和感を覚えながらもわたしはそれ以上何も聞かずに真央と体育館に戻った。

 まだ熱気の残る中、クラスごとに並ばされて話を聞かされる。それから教室に戻ると、黒板にでかでかと流れ解散と書かれていたので、わたしはそのまま教室を出た。

家の近くまで来たときに、突然ケータイが鳴り出す。どうせ真央だろうと思って画面を見て、思わず足が止まった。

「もしもし」

自分でも声が震えているのが分かる。

「はい……。分かりました」

用を伝えるとなんの躊躇もなく、電話は切られた。

「はあ……」

たった数秒話しただけなのに、さっき運動したときと同じぐらい全身に汗をかいていた。

制服をソファーに脱ぎ捨てて、シャワーを浴びる。

冷たい水で汗を流しても、まだ電話のことが頭から離れなかった。

もう向こうから電話がかかってくることはないと思っていたのに、どうしてなんだろう。

嬉しい気持ちよりも、疑問に思う気持ちの方が強くわたしの心を支配していた。

 

3

私だけではなく、学生にとって期末テストという言葉は聞くだけできっと憂鬱な気分になる。

「ふわあ……」

いつもより30分早く起きて、今日あるテストの復習を軽くする。

「真央ーご飯できたよ〜」

「はーい!」

返事をして下の階に降りる。

テーブルにはトーストとスクランブルエッグとサラダが並べられていた。

「いただきまーす」

トーストにかじりついて、テレビをつける。朝から流れるニュースはどれも見ていて気分の良くなるものではなかった。

「ふう。ごちそうさまー」

朝ごはんを食べ終えて、身支度を整える。

「よし」

スイッチが入るというほど大げさなものではないけれど、髪を二つ結びにすると何だか気分が引き締まる。

「うん」

制服を着てからもう一度鏡の前に立つ。改めて見ると髪を結んだリボンがいつもよりも決まっている気がした。

「気をつけてね」

「うん」

「あっそうだ、今日は午前で学校終わりなんでしょ?帰りに百合ちゃんを誘ってお昼食べてきたら?」

ママにお金を手渡される。

「ありがと。じゃあ行ってきます」

家の外に出てから深呼吸をすると少しだけ勇気が湧いてきた。

百合の家のチャイムを押す。一回、二回、三回目でようやく百合が出て来た。

「おはよ、学校行こ」

「……待ってて」

いつも以上に朝の百合は不機嫌そうで、その表情を見るといつも起こしに来たことを後悔してしまう。

15分ぐらいして百合が制服に着替えて出てきた。

「あれ、どうしたのそれ」

「別に、気が向いたからつけただけ」

百合の前髪に鮮やかなオレンジのヘアピンが飾られていた。ヘアピンの上にガラスで作られた太陽が乗っている、すごく印象に残るデザインだ。

「ふうん……」

最近買ったのかな?もしかしたら誰かから貰ったものなのかな?とか色々想像が膨らむ。結局駅に着くまで、私はずっとそのヘアピンが気になっていた。

「そういえば今日から期末だけど、百合はどう?」

「どうって」

「勉強はした?」

「日本史はやる前に適当に教科書読めばいいし、数学も公式見直して、美術も普通にしてればいいじゃない」

どうせそうだろうなと思いながら聞いたら、予想通りの返答だった。しかもこんな感じでそれなりに勉強している私よりも、百合はテストでいい点数を取るんだ。

「羨ましいな〜百合はいっつもそんなに余裕で」

「ふわぁ……それよりもちょっと肩貸して」

そう言って百合は私の方にもたれかかって来る。

「もう……着くまでだからね」

「うん」

それから学校の最寄り駅に着くまでの間、百合は眠っていた。その寝顔は思わず頭を撫でたくなるほど愛おしくて……でもそんなことをしたら、きっと百合は目を覚ましてしまうだろうから。

「んぅ……」

「あ、起きた?もう着くよ」

学校の最寄り駅に着くと、同じ制服の生徒達が一斉に降りて行く。

「ねえ百合、今日テスト最後の日だけどさ、終わった後何か用事ある?」

「ないけど」

「じゃあさ、終わった後どこか行こうよ」

「……どこに」

「うーん百合はどこか行きたいとこある?」

「帰って寝たい」

「もーまたそんなこと言って」

校門が近づく度にどんどん人が増えて、そのたびに百合の表情が曇ってゆく。

「ああもうやだ……帰りたくなってきた」

「……いっそ帰っちゃう?」

私が一番言わないはずの言葉が外に出た。

「熱でもあるんじゃないの」

怪訝そうな顔で百合は私を見つめる。

「冗談じゃないって言ったら、どうする?」

ああ、ダメだ。私がこんなこと言ったらいけないのに……。

「えいっ」

「え……」

突然百合に体を寄せられたと思ったら額に手が当てられていた。

「なんか、顔も赤いし本当に熱あるんじゃないの」

「な、ないから!もう!」

顔を見られるのが恥ずかしくて、歩くペースを早くする。百合からときどきこんなふうに不意打ちをされるたびに、風に葉が揺らされるように私の中の何かがざわめく。

教室でテストを受ける。あれだけ勉強したのに、私はどこか上の空で、また百合に点数で負けてしまいそうな気がした。

最後の科目の美術が終わり、教室中が安堵や諦めのこもったため息で埋め尽くされる。

「桜井さんテストどうだった〜?」

「うーん、あんまり自信ないかなあ」

「またそんなこと言って〜いっつもいい点数取るじゃん」

そんなことないよ、と愛想笑いを返しつつ私の目は百合がどこにいるか探していた。

「あっ……」

思わず声が漏れる。百合に話しかけているのは生徒会長だった。

嫌だ。やっぱりあの人と百合が話しているのを見てるとどうしてかムカムカしてくる。

「ねえ、百合」

生徒会長が教室から出ていくのを見計らって、百合の肩をつついた。

「何?」

「決まったよ」

「何が?」

百合は怪訝そうな顔をする。

「どこ行きたいか、そういえば百合を連れていきたいなあっていいお店があったの」

言ってからしまった、と思う。そんなお店知らないのについ嘘をついてしまった。

「ふうん」

「だから、行こ?私が奢るからさ」

「いや、そういうことじゃなくて」

百合が珍しく瞬きをして私を見る。

「ね、お願い」

「いいけど」

「じゃ早速行こ」

まさか百合がここまで簡単に折れるとは……ど、どうしよう。

電車の中でママに助けを求めると、お叱りの言葉と一緒にいくつかのお店の名前を写真つきで教えてくれた。

「あ、次の駅で降りよ。ここから歩いて行くのが一番近いみたいだし」

「みたいって、行ったことないの」

いつもはにぶいくせにこういうときだけ妙に鋭い。

「うん、写真で見たことあるってだけだしね」

「はぁ……まあいいんだけど」

駅からしばらく歩いて、大きな通りから中に入る。閑静な住宅街と言うべきだろう場所を地図アプリは示していた。

「あ、あそこだ」

やがて目の前に一軒の喫茶店が見えた。純喫茶サファイア。いかにもって感じの店名で、心が踊る。

「いまどき純喫茶なんて珍しい」

「でしょ?どうかな」

「まさかここまで来てやっぱりやめるとかいうつもり?」

勘弁して、というような百合の視線を受けて扉を開ける。

「そうだよね、入ろっか」

チリーンと軽やかな鈴の音が鳴った。それと同時にコーヒーの香ばしい香り。

「おや、学生さんかな?そこのテーブルにどうぞ」

マスターらしい人が笑顔で迎えてくれた。促されたテーブル席に向かい合って座る。

薄暗い店内にジャズが流れていて、とても落ち着く雰囲気。私達以外にも何人かの常連客らしき人がいた。

ただ一ついわゆる純喫茶のイメージと違うのは、マスターが女性だということ。20代後半ぐらいの、落ち着いた雰囲気の美人なお姉さんだった。

「真央」

「?」

「この店すっごくいいね」

「……それはどうも」

百合はものすごくいい笑顔をしながら店内を見回している。喜んでくれてよかったと思いながら、私もあまりみたことのないような表情にどこか複雑な気分になった。

「うーん」

気を取り直してメニューに目を通す。とりあえずコーヒーは頼むとしてあとはどうしようかな。

「ねえ、百合は何にする?」

「アイスココアとミックスサンド」

「うーんじゃあ私はアイスコーヒーと何にしようかなあ迷っちゃう」

「あっどうぞどうぞゆっくり考えてねー」

お姉さんがお絞りと水を運んで来た。

「何かオススメとかありますか?」

私の質問に少し考えこんでお姉さんはこう答えた。

「うーんそうだなあ、やっぱりナポリタンとかオムライスとかが定番かな」

「あの、お姉さんはどれが一番好きですか?」

「あ、でもあたしはミックスジュースが一番好きかも、あははごめんねー参考にならない答えで」

「へぇーそうなんですか。……じゃあ私はアイスコーヒーとナポリタンで」

「はいはーい。そっちのお客様は注文決まった?」

「わたしはミックスジュースとオムライスでお願いします」

「飲み物はすぐ持って来るか、食事が終わった後かどちらにしますか?」

百合と顔を見合わせる。

「じゃあ後でお願いします」

百合も無言で頷く。

「はいはーい」

にっこり笑ってお姉さんは引っ込んで行った。中に注文を伝えてるからもう一人厨房にいるみたい。……それよりも私は気になったことがあった。

「珍しいね、百合が決めた注文変えるなんて」

「そう?」

そうだ。百合は店員の人に勧められたからといって自分が決めた注文を変えるようなことはなかったはず。

「まあ、気が向いたからかな」

百合は私が感じた疑問に答えるように一口水を飲んでから続けた。もしかしたら、不服そうな顔をしてしまっていたのかもしれない。

「そういえば百合」

微妙な空気を変えようと、話題を変える。

「テストどうだった?」

「んー別に普通」

「ってことはまた私の負けか〜」

わざと少しおどけてみせた。

「そんなことより、結局どうなったのあれ」

「あれって?」

「告白されたって話」

「……うん断ったんだ。きっぱりと」

「そうなんだ」

どうして、とか、なんで?とかの言葉をどこかで期待していた私にとって百合のその言葉は冷たく響いた。

「ほら、変に気がある素振りをして期待させちゃったらきっと辛いだろうしね。ダメならダメだって、はっきりごめんなさいって言わないときっと余計に辛い思いをさせちゃうだろうなって思って」

私は思わずテーブルの下の右手を握りしめていた。

「……」

百合は何も言わずにまた水を一口飲む。グラスの中の氷がからんと音をたてた。

「……前から聞こうと思ってたんだけど百合はさ、誰かに告白されたことある?」

今度は私が百合に質問をする。

「なくはないけど」

予想通りといえば予想通りの答え。だけど私は違う答えを心のどこかで求めていた。

「どんな人?」

「あんまり覚えてない」

「ええっ?」

「あんまり興味ない人だったから記憶に残ってない」

平然と百合は言う。その口ぶりからすると本当に記憶にないようだ。

「お待たせしましたー」

「うわあ美味しそう」

運ばれて来たナポリタンとオムライスはどちらもすごく美味しそうで、私1人で両方食べてしまいたくなってしまうほどだった。

「飲み物が欲しくなったらまた声をかけてくださいね」

「はい」

「……本当美味しそうに食べるね」

「そう?」

頬杖をついて、ナポリタンを食べる私を百合はじっと見つめてくる。

「そんなにまじまじと私を見てないで早く食べたら?」

「うん」

そう返答をしても百合は左手でずっとスプーンをもてあそんで、オムライスには手をつけずにいる。考えごとでもしているのかどこか上の空だ。

「食べないなら貰っちゃうよ?」

「半分食べる?わたしにはこれ少し多いし」

「え?本当に?」

「はい」

百合はスプーンでオムライスを半分に分けて、私の方に皿を渡してきた。

「あ、ありがと」

「何かを食べてるときの真央って本当幸せそうで見てて飽きないし、いっそフードファイターにでもなったら?」

「もう、からかわないでよ」

「いやいや、わたし真央以上に食べる人知らないし」

百合は少し意地の悪い笑みを浮かべて、ようやく食べ始めた。

「……私のことそんなふうに思ってるんだ〜」

「少し」

「もう!」

最近また少し制服がキツくなってきたことを思い出して私は少しブルーな気分になった。

「ふう」

アイスコーヒーを飲みながら少し店内のジャズに耳を傾ける。音楽は全くと言っていいほど詳しくない私でもどこか聞いたことがあるような気がした。

百合はまた頬杖をついてカウンターの奥を眺めている。その横顔は私がいくら背伸びしても届かないほど綺麗で、同じ女の子として羨ましくなってしまう。

「百合は進路どうするの?」

私はミックスジュースを飲む百合に今日一番聞きたかったことを聞いた。

「真央はどうするの」

「私は一応進学しようかなあって」

「そう」

百合は長いため息をつく。

「百合もやっぱり進学するの?」

「どうだろ」

空になったグラスを見つめながら百合はそれ以上何も言おうとしなかった。

「……そろそろ帰ろっか」

「うん、じゃあ私が誘ったんだしここは私が……」

「いいよ、ここ気に入ったしわたしが出す」

そう言って百合は私の返答を待たずに伝票を持っていってしまった。

「あっ待ってわたしも」

「いいから」

「でも……」

「ね?」

結局百合の視線に負けて私は先にお店を出た。

「行こっか」

「うん……」

来た道を戻って再び電車に乗る。あっという間に私達が降りる駅に着いてしまった。

「あっつい……」

そう言って百合は制服のリボンを外して胸元を扇子であおぎだした。

「何?」

私の視線に気づいたのか、百合が私を見てくる。

「別に何もないよ」

「真央の方が立派なもの持ってるのにわたしの見てもしょうがないでしょ」

百合は悪い笑顔で今度は私の胸元をまじまじと見てきた。

「も、もうやめてよ」

「しっかし何食べたらこんなになるの?」

「きゃあっ!?」

揉まれたというか、わしづかみされたという方が正確なほどの強さでかなり痛かった。

「あ、ごめんつい」

「ついって……」

真顔で言われると余計に変な気分になってしまう。

「あれ、2人でデート?」

後ろから晴海さんが走って来た。この暑さなのにランニングしていたみたいで、正直びっくりした。

「暑苦しい、寄るな」

しっしっと、百合は追い払うような仕草をする。

「もう、またそんなこと言って」

百合はなぜかいつも晴海さんに辛辣で、何かあったのだろうかと気になってしまう。

「……どうやらお邪魔みたいだしボクはランニングに戻るね、じゃあ!」

そう言って晴海さんは屈伸をしてから、走り去っていった。

「ちょっとそこのコンビニ寄っていい?」

「別にいいけど」

百合がコンビニに寄るみたいなので、私もとりあえずついていくことにした。

「いらっしゃいませー」

少し眠そうな店員の人の声がする。中には誰もお客さんはいないみたいだった。

「……!」

「どうかしたの?」

「何も」

「?」

百合が一瞬目を見開いた。まるで何か探し物を見つけたようなその反応が気になってしまう。

「どうかしたの?」

「ううん何も」

「そう」

怪しい。絶対に何かある。

「よっと」

「えっ、そんなに……?」

「またいちいち買いに外出るの面倒だし」

「いや……そうじゃなくて」

百合はカゴの中にサイダーやコーラを次々に入れていく。そんなにたくさん買うのだったら大きいペットボトルに入った方を買えばいいのでは?と思ってしまった。

「大きいと飲みきる前に炭酸抜けちゃうし」

なるほど、そういうこと。

「ココアは普通に大きいパックで買うし……真央は何か買わないの?」

「うーんどうしよう」

どうしても割高に感じてしまうからあまりコンビニで買い物をしたくないのだけれど……。

真琴(まこと)さんに何か買って帰れば?そこにあるロールケーキとか」

真琴というのは私のママの名前だ。

「そうだね、ママロールケーキ好きだし」

百合も買い物が済んだみたいなので、一緒にレジに向かう。

「先に払ったら?」

「うん」

百合に促されて会計をする。

「390円になります。……はい、10円のお釣りになります。ありがとうございましたー」

店内の人は、モデルさんみたいにスタイルが良くて、ポニーテールがすごく似合っている女性だった。

先に外に出て百合を待っていると、さっきまで考えていたことの理由に気がついた。

「あっ……」

店内を覗く。ここからでも百合が店内の人をじっと見ていることが分かった。わざわざ家の近くじゃなくてここを選んだのも、もしかして……。

「お待たせ」

「帰ろっか」

動揺を百合に悟られないようにわざとらしいぐらいの笑顔を作った。

「ふぅ……やっぱり買いすぎた、重い……」

「家の近くで買えば良かったんじゃない?」

「そういえば確かに」

私が気づくことに百合が気づいてないはずがない。どうやら私の予想は正しかったみたいだ。

家に着くまでの間、ずっとモヤモヤした気分が晴れなかった。

「やっと着いた……」

頬を汗が伝うほど、百合は汗をかいていた。

「大丈夫?」

「後で湿布貼るから多分大丈夫。……じゃあね」

「あっ……」

家に入ろうとする百合を呼び止めようとして言葉を飲み込んだ。

「ただいま……」

「おかえり〜あれ?何かあったの?」

「何かあったってわけじゃないんだけど……」

ママに今日あったことを簡単に話した。

「……なるほどね」

「今日だけじゃなくて、最近ずっとこんな気持ちになるの……私どうしちゃったんだろうって」

「ねえ、真央」

ママが珍しく真面目な顔をする。

「一番大事なのは自分で考えて選ぶこと。後で後悔だけはしないようにね」

「ママ……」

「大丈夫」

ママに頭を撫でられる。

「真央が考えて決めたことだったらママは何だって応援するから、だから心配しないで自分の気持ちに正直に……ね」

今度は少し痛いぐらいにぎゅっと抱きしめられる。

「ありがと、元気出てきたかも」

「うん、やっぱり女の子は笑顔でいるのが一番」

──夜、ベッドの中で色々なことを考えた。

今までのこと、そしてこれから私がどうしたいのか。

自分の気持ちに向き合うって、言葉で言うことは簡単だけど実際にやってみると難しい。

「え……もうこんな時間?」

ふとケータイを見ると0時を回っていた。

「うーん」

いつもはこんな時間まで起きていたら、眠気に耐えられないはずなのに、むしろ頭が冴えて眠れそうにない。

「はぁ……」

今日何度目かのため息が出る。どうしたいかは心の中で答えは出た。だけど、どうすればいいかはいくら考えても分からない。

「どうしたらいいんだろう……」

結局答えが出ることはなく、私は朝になるまで眠れなかった。

 

4

テストが終わり、夏休みはもう目の前。今から学校にわざわざ行かなくていい日が待ち遠しい。

「ねえ、百合一緒に帰ろ」

「別にいいけど」

帰ろうと教室を出たところで真央に声をかけられた。

生徒達の波をすり抜けて、下駄箱で靴を変える。

「あっ……」

橘さんがわたしに気づいて気まずそうな表情をした。

「行こっ」

「ちょっと……」

黙って立っていると、真央にスカートの裾を引っ張られた。そのまま何も言わずに校舎の外に出る。

「ねーどこか寄って帰ろ」

そう言って真央は腕を組んできた。柔らかい感触と体温を感じて、思わず

「近いし、暑いからとりあえず離れて」

「むー、いいじゃん別に」

「それに……」

「それに?」

「いや、やっぱりいい」

どこからかものすごく視線を感じて気味が悪い。

「ねえ、百合」

顔だけを真央の方に向ける。

「今日さ、どこ行く?」

どこでもいい、と言いかけて思いついた。

「行きたいところあるんだけどいい?」

「うん、もちろん!」

良かった。真央はどこか行きたい場所があったわけではないみたいだ。

電車に乗って、学校と家の途中の駅で降りる。ここはあまり大きくないけれど商店街があって、色々な店があるのだ。

「結構歩くけど、大丈夫?」

「大丈夫。ところでどんなお店に行くの?」

「雑貨屋って感じかな」

「へー」

意外だ、という反応を真央はした。

「ここ」

目当ての店は商店街のメインアーケードから一本外に出た路地にある。

「看板とか店名とか出てないけど、入って大丈夫なの?」

「うん、今日はやってるはずだよ」

不安げな真央を導くように、わたしはドアを押し開けた。同時に、チリンチリンとガラスの音が響く。

「おっ百合久しぶり〜」

奥から店主の女性が出てくる。

「どうも」

「おっそっちの子ははじめましてかな?もしかして彼女さん?」

相変わらずの軽口にわたしは少し安心した。

「違いますよ。えっとこれが例の真央です」

「あー!この子が真央ちゃんか、結構カワイイしおっぱいも噂通りだねぇ」

「あ……あの」

珍しく真央があたふたしている。流石に何の説明もせずに連れてきたのはまずかったかもしれない。

「えーと、この店の店主の和沙(かずさ)さん」

「おっす、百合とは一応5年前ぐらいからの知り合いで、まー常連さんの1人って感じかな」

「えっと、桜井真央です。その……よろしくお願いします」

「あーいいのいいの堅苦しいのはダメダメ、どうぞごゆっくり〜」

そう言うといつも通りに中に引っ込んでしまった。

「すごい人……だね」

「まあ、いつもあんな感じだから、気にしないで。とりあえず商品を見よ」

「う、うん」

相変わらず狭いスペースの中に所狭しと色んなものが置いてある。

壁掛け時計、ガラス細工、クッション、オルゴールと色んな小物や雑貨があって、どれも色使いが綺麗だ。わたしは見ていて飽きないけど、真央はどうだろう。

「どう?何か気に入ったものあった?」

「うん。すごいねここ」

真央はキラキラと目を輝かせてぬいぐるみを手に取っている。どうやら気に入ってくれたみたいだ。

「あ、これ」

ふと、置かれていたリボンが気になった。

色々な色の中から淡いピンクのものがわたしの目を引く。

「それってリボン?」

「そう」

これ、とさっきのリボンを真央に見せる。

「似合うんじゃない」

「本当?」

「つけてみよ」

「えっ、自分でやるからいいよ」

「いいから」

髪を結んでいたリボンを片方外して新しいリボンを結ぶ。うん、やっぱりよく似合ってる。

「少しリボンにしては長めだけど、それが逆に良いかも、自分でも見てみたら」

手鏡を差し出すと真央は少し恥ずかしそうな顔をした。

「わあ……このリボンかわいい」

「でしょ、やっぱり似合うよそれ」

「じゃあ、これ買おうかな。百合は何か買うの?」

「これ買おうかなって」

リボンの隣にあったヘアピンを手に取った。

「じゃあそろそろ行こっか?すみませんー」

奥に声をかける。

「はいはーい。あっありがとね〜」

小さな紙袋に入れて手渡された。

「また来てね〜」

和紗さんは外に出るまで手を振って見送ってくれた。

「ふう、じゃあ帰ろっか」

「そうだね」

アーケードを戻って駅に向かう。

「そういえば、今年はどうなの?」

「?」

電車の中で真央が唐突に聞いてきた。

「その……誕生日だよ百合の」

「……!」

このタイミングで真央が話を切り出して来るとは思っていなくて、胸がズキッと痛む。

「今年も去年みたいに……」

「ごめん」

真央の言葉を遮って声を絞り出した。

「気持ちは素直に嬉しいけど、ごめん。今はそういう気分にはなれない」

出来るだけ強い言葉にならないように、だけどはっきと自分の気持ちを伝えられるように言葉を選ぶ。

「……そっか」

真央の表情に思わず罪悪感がこみ上げてくる。

「気分が変わったら、また教えて」

「うん」

あの電話がなかったら、と呟きそうになってこらえた。

未だに信じられない。

「百合、今年のあなたの誕生日開けておきなさい」

まさか、向こうから電話が直接かかってくるなんて想像もしてなかった。

「迎えをやるから家で待ってなさい」

紛れもなくお母さんの声だった。わたしが聴き間違えるはずがない。

気が向いたから、なんとなく電話をかけてきたのだろうか。

それとも……。

「百合!」

真央の声で我に返る。

「降りるよ」

「あっ……うん」

あえて考えないようにしていた。だけど、1度考え始めると頭の中が支配されたように、聞こえるはずのない電話の声がすぐそこで響いて来る。

改札を抜けて、駅の外に出ると熱気が顔にかかって、汗が止まらない。外の暑さがますますわたしの心の平静を奪ってゆく。

「さっきからぼーっとしてるけど大丈夫?顔も赤いし」

少しでも気を抜いたら意識が飛んでしまいそうで、頷き返すので精一杯だった。

「じゃあね」

「うん」

家の前まで来てようやく少し落ち着いて来た。真央と別れて家に入る。

真っ先にシャワーを浴びたくなって、わたしは制服を玄関に脱ぎ捨ててお風呂場に駆け込んだ。

「はぁ……」

冷たいシャワーを浴びて体を冷やすと少し楽になってきた。水がわたしの不安を流してくれたのだろうか。

冷蔵庫から水を取り出して、エアコンの電源を入れる。

「ふう」

ペットボトルから水を直接飲む。体の中に冷たい感覚が広がると、生き返った心地がした。

テレビの電源をつけたところでケータイが鳴る音が遠くから聞こえてくる。ああ、そういえば制服を玄関に脱ぎ捨てたままだった。

急いで玄関に戻ってケータイを開く。電話をかけてきたのは真央だった。

「もしもし百合?」

さっき別れたばかりなのにどうかしたのだろうか。

「どうかしたの」

制服をもってリビングに戻りながらわたしは尋ねた。

「いや……さっき顔赤かったしもしかしたら倒れたりしてないかなって心配になってきちゃって」

「何それ」

「でも……大丈夫そうで本当に良かった……」

不安そうだった真央の声が、いつものトーンに戻る。

「大げさ、そんなに虚弱じゃないよ」

「ごめん。迷惑……だったよね」

「いや、わざわざそこまで心配してくれてありがと、わたしは大丈夫」

真央と話しながら、制服をハンガーにかけてソファーに再び座る。

「明日も朝一緒に学校行こ?」

「別にいいけど」

「良かった。断られたらどうしようかと思った。じゃあ、おやすみまた明日ね」

「うん」

電話を切って、ソファーに寝転ぶ。

明日は早く起きよう。そう思ってわたしはまぶたを閉じた。

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