朝色小夜曲   作:芦野

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このchapterはchapter1~6の続きです。未読の方はぜひそちらを先に読んでいただくよう、お願いします。


chapter7

1

夏休みが終わり、校内は目前に迫った文化祭に向けて色めき立っている。

わたしのクラスでもそれは例外ではなく、始業式があった日から毎日のように遅くまで、多くの生徒が学校に残って準備に勤しんでいるらしい。まあ、わたしはその多くの生徒の中には入っていないのだけど。

今日は文化祭本番が3日後に迫った金曜日。だけど今日もわたしは、授業が終わるといつも通りさっさと教室を出た。

「疲れた……」

朝起きて授業を受けた。ただそれだけなのに、体が重い。

9月になっても照りつける日差しと、まだ、体が朝起きるリズムになっていないのがきっと原因だろう。

朝の番組気象予報士が言うには、まだ1週間はこの暑さが続くらしい。

「……そうだ」

久々にあのポニーテールのお姉さんがいるコンビニで、アイスとかを買って帰ろう。

少し遠回りになるけど、その価値はあるし。

そんなことを考えながら、わたしは電車に揺られていた。

扇子で顔と胸元を仰ぎながら、わたしは例のコンビニに入っていった。

「あっ」

いた。陳列の作業をしているあの人、間違いない。

「いらっしゃいませー」

思わず会釈を返した。マニュアル通りの言葉なのに、嬉しい気分になる。

クーラーがよく効いた店内で、ゆっくりと買って帰るものを選ぶ。

この前みたいに重いものを買いすぎないように気をつけた結果、カゴの中がアイスばっかりになってしまったけど、まあいいだろう。

「これ、お願いします」

さっきの店員の人がいるレジにカゴを置いた。

「はーい」

この前ネームプレートで名前は確認した。この人松波(まつなみ)さんって言うんだよね、うん覚えた。やっぱり下の名前とか気になるし、直接聞いてみたいけど、どうしたものか。

そんなことを考えながら、わたしの視線が精算する彼女の手元に向かったときだった。

「あ……」

「おっとと、どうかしました?」

思わず声が漏れてしまった。

「ご、ごめんなさい。ちょっと買い忘れを思い出して……」

慌ててレジ前から逃げる。メロンパンとココアを手に取って、急いでレジに戻った。

メロンパンとココアを買い忘れていたことは確かだけど、わたしが思わず声をあげてしまった理由は別にある。

「大丈夫? もう買い忘れない?」

レジ袋を手渡しながら、お姉さんは心配げな顔をした。

「は、はい。すみません大きな声出しちゃって」

「ううん。思い出してよかったね。ありがとうございました」

わたしは再び会釈を返してコンビニを出た。

 

「やっぱりね……」

わたしは公園のベンチでメロンパンを食べながらため息をついた。

さっき大声を出してしまった理由。それは、さっきの店員のお姉さんの左手薬指に、リングが輝いていたことだ。

別に何かを期待していたつもりはないけど、やっぱり少し悲しい気分になる。

「……帰ろ」

メロンパンを食べ終えたわたしは、急いで家に帰った。

エアコンをつけてからシャワーを浴びる。

「ん?」

髪を乾かし終わってリビングに戻ると、携帯がテーブルの上で鳴っていた。

「何?」

「あっ、やっと出た。これから家に行っていい?」

電話をかけてきたのは真央だった。

「何で?」

「実は百合にちょっと手伝ってもらいたいことがあって」

これからアイスを食べてゆっくりしようと思ってたのにめんどくさい。

「それって、わたしじゃなきゃダメなの?」

「うん。百合じゃなきゃ、頼めないこと」

「……ふうん」

真央ならいきなり家に押しかけてきそうなのに、わざわざ電話かけてくるってことは、何かあるのだろう。

「別にいいけど」

「本当? ありがとう、すぐ行くから!」

慌ただしく電話が切られた後、すぐにチャイムが鳴った。

 

「ごめんねー急に押しかけて」

「まあ、とりあえず入ったら」

「お邪魔しまーす」

「というか、そのリュックどうしたの?」

ソファーに座りながら、わたしは真央に尋ねた。

「手伝ってもらいたいことと関係があるの……はいこれ」

真央はリュックの中から取り出したものを差し出してくる。

「……これって脚本?」

表紙には『眠り姫は眠り続けたかった』とタイトルが書かれていた。

「うん。文化祭の劇の脚本だよ、百合は持って無いでしょ?」

「それでこれがどうしたの?」

「さっき電話で言ったお願いってこれのことなの」

「?」

首を傾げるわたしを見て、真央はこう続ける。

「ほら、文化祭の本番月曜日でしょ? だけど、まだセリフとか、演技とか色々不安で百合に練習相手になって欲しいなーって」

「……」

拍子抜けというか、なんというか。真央の生真面目さには驚かされる。

たかが文化祭のクラスの発表にそこまで真剣になれるのは、もはや才能じゃないだろうか。

「……分かった」

嫌だって言っても帰りそうじゃないし、この前看病してもらった恩があるから、今日は付き合うか。

「本当?」

「真央がそこまで言うなら付き合う」

「ふふっ、ありがと」

「いいよ別に」

嬉しそうな真央の顔を見てわたしも頬が緩む。

「それでね、私はここから後のシーンをやることになったの」

「後半担当ってこと?」

「うん、そうだよ」

脚本を読んでみると、前半部分と後半部分がきっちりと分けられていた。真央が言うにはセリフを覚える負担の軽減のためにこういう構成になったらしい。

「で、練習相手ってわたしは何をしたらいいの?」

「百合は私が読むのに合わせて王子様役のセリフを読んで欲しいの」

「はいはい」

「じゃあこのページの最初からいくね」

「……ちょっちょっと待って、本当にわたしが読むのこれ」

王子役をやるってだけで気恥ずかしいのに、相手が真央ということを冷静に考えると、最後まで練習に付き合えるか心配になってきた。

「もう、さっきそこまで言うなら付き合うって言ったじゃん」

「……分かったって」

真央の拗ねたような顔に負けたわたしは、脚本を持ってソファーから立ち上がった。

 

「うーんやっぱり私、演技とかダメだなあ」

一通り最後まで練習した後、真央はため息をついた。

「そう?」

真央はわたしの棒読みと違ってちゃんと演技になっていたと思う。

「椎名さんと橘さんが、お姫様はこんなこと考えてるんだよーとか、こんな気持ちでこんなセリフ言ってるんだよーって言ってたことを上手くできないし……どうしたらいいのかなあ」

「……そういえば、本番王子役って誰がやるの? どうせだったらその人と練習した方がいいんじゃない」

悩んでいる様子の真央にわたしはこう聞いてみた。

「王子様役やるのは晴海さんだよ」

「……へえ」

意外、と思ったけど、晴海なら男装似合いそうだし、一応女子だしちょうどよさそう。

「晴海さんより百合の方が……その気持ちが入るかなっておもったから」

「どうしてわたしの方が気持ちが入るの?」

「もう、本当百合って……はぁ」

疑問に思ったことをそのまま聞いただけなのに、なぜか真央は呆れた顔をする。

「もう、いいから、セリフ読んで」

「はいはい」

 

「……そろそろ疲れた」

「あっ、もうこんな時間」

「そろそろ帰るの?」

もう19時だし、そろそろ真央は家に戻るのだろうか。

「百合がよかったら、今日泊めて?」

「え」

「お願い、まだ練習したりないし……」

「別にいいけどさ」

「やった! ありがと、実は着替えも持ってきてるんだよね〜」

そう言うと真央はリュックの中からパジャマとか身の回りのものを取り出し始めた。

……なるほど、どうやら最初から泊まるつもりだったのか。

真央のこういうしたたかさは正直ちょっと、羨ましい。クラスの中で上手く立ち回れているのも、きっとこういう部分が根底にあるんだろう。

そんなことを思いながら、その後もしばらく、ああでもない、こうでもないと思案する真央に付き合った。

「そろそろ終わりにしよ、もう疲れた」

「ごめんね、付き合ってくれてありがとう」

「この前看病してもらったし、別にお礼なんていいよ」

そう言ってわたしはシャワーを浴びにいった。

「どうしよ」

お湯を止めて短く息を吐く。

「……やっぱり諦めるしかないのかな」

かなりぬるめのお湯に浸かりながら、思わずわたしは呟いた。

お母さんの元に戻らないということはお母さんと縁を切らないといけないということだ。

それはつまり、お母さんとの関係を一生を戻すことができないということになる。

どちらも選べないのだったらどうするべきか、よく考えろって恭子さんに言われたけど、いまだにどうすればいいか分からない。

「……」

沈んだ気持ちのまま、わたしは浴槽から出た。

 

「お待たせ、真央も入ったら」

「うん、じゃあお風呂借りるね」

わたしと入れ替わりで真央はリビングから出ていく。

「あっつ……」

冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して、一気に飲む。

「……ふぅ」

ソファーに倒れ込んでぼんやりとテレビを眺める。

「……」

特に面白くもないテレビを消すと、扇風機の音しか聞こえてこなくなった。

いつもだったらこのまま寝てしまうけど、今日は真央がいるからもう少し時間を潰さないといけない。

「あ」

そうだ、アイス買ったんだった。

体を起こして、冷蔵庫からバニラ味の棒アイスを持ってくる。

「ふー」

棒アイスを食べていると、真央がお風呂から出てきた。

「あーいいなー」

「真央も冷蔵庫の中にあるやつ、食べてもいいよ」

「いいの?」

「いいよ別に」

「じゃ、お言葉に甘えて〜」

スキップをするような軽い足取りで真央はアイスを持って戻ってくる。

「よっと」

他に空いてる場所はあるのに、真央はなざかわたしの隣に座ってきた。

「……暑いんだけど」

「もう、いいじゃん。ここがいいの」

真央は少し拗ねたような顔で棒アイスを食べ始める。

「真央は暑くないの?」

「暑いよ。でもアイス貰ったし大丈夫」

「……」

そういうことじゃないんだけど。

「そういえば百合って、進路指導の紙とかってどうするの? まだ出してないの百合だけ先生って愚痴ってたよ」

そういえばそんなこともあった気がする。

「今、進路とか、それどころじゃない」

「……そっか、そうだよね」

真央はしまったといった顔をする。

「まあ、どうしようもないけど、どうにかする。だから真央は心配しなくていいよ」

「あんまり思い詰めちゃダメだよ。いつでも私とママを頼ってね」

「……何かあったらね」

うなずいてみせると、真央は少しほっとした表情になった。

 

2

「なんだか眠たくなってきちゃった」

「そろそろ寝る?」

「うん」

「上のベッド使っていいよ。わたしここで寝るから」

「ソファーで寝るのって体に悪いからダメだよ」

「でも、真央が寝る場所ないし」

他に選択肢なんてないと思うんだけど。

「上のベッドで一緒に寝ればいいじゃん」

「……いやいやそれは」

真央にソファーで寝ろって言ってるわけじゃないのに、どうしてそこまで食い下がるのか。

「そもそも上のベッドシングルだし、2人で寝たら狭いし」

「……嫌なの?」

「狭いのがね」

「……」

ムスッとした顔で真央はわたしを見つめてくる。

「……分かったからその顔やめて」

「ふふっ、やった」

なんか納得いかないけど、結局一緒に寝ることになってしまった。

「そういえば、百合」

「何?」

二階に着いたところで、真央が突き当たりの部屋を指差して聞いてきた。

「あの部屋って使ってないの? ……もしかしたら寝具とか置いてない?」

一応は真央も気を使ってくれているらしい。だけどあの部屋にそういうものは置いてない。

「見てみる? ないと思うけど」

「……いいの?」

「別に見られて困るものないし」

それに、わたしは真央の表情から不安めいたものを感じていた。

どうして不安に思っているかは分からないけど、何か確かめたいことがあるんだろう。

「ただの物置部屋だよ、ここは」

「本当だ、ダンボール箱がいっぱいあるね」

狭い部屋だし、これで十分だろうと思って、真央の方を見る。

「……」

わたしの方を見ずに、真央は窓際の棚にゆっくり近づいていく。

「これって」

「ああ、それはプレゼント」

「……誰への?」

無言でわたしも棚の方に歩いていく。

「気になる?」

「……聞かない方がよかった……よね」

「別にそんなことないけど、真央の知らない人のだし、聞いたってしょうがないと思うよ」

さっきから真央は少し変だ。何かに怯えているのか、ときおり声が少しかすれたり、微かに震えたりしている。

「しょうがないっていうのは、百合がそう思ってるだけだよ」

真央が短く息を吐くのが分かった。

「……」

「百合って写真嫌いじゃなかった?」

真央は伏せてある写真立てに気づいたようで、確かめるように尋ねてくる。

「嫌いだよ。でもこの写真を撮ったときは嫌いじゃなかった、それだけのこと」

この写真を撮っていなければ、わたしは写真嫌いになることもなかっただろう。

それぐらい、この写真を撮った後に起きたことはわたしにとって大きかった。

「……この写真見てもいいの?」

「いいよ。でも、わたしには見せないで」

わたしは目を閉じて深呼吸をする。もしも見てしまったら、わたしはきっと真央の前で平静を保てなくなってしまう。

「綺麗な人だね。それにとっても大人な人」

「その人へのプレゼントだよそこにあるのは。……渡すことはないけど」

わざと明るいトーンで話す。上手くできているかは分からないけど。

「自己満足で買ってるだけ。それ以上でもそれ以下でもないし」

目を開いて真央を見る。どうして真央がそんな顔をするんだろう。

なんだか少しいじわるしたくなって、素早くわたしは真央の頬を引っ張った。

「ひ、ひひゃいよ、どうしたの急に」

「そんな顔よりはこういう顔の方が似合うよ」

頬から手を離して、わたしは笑ってみせる。

「……ねえ」

「いいからほら、行くよ」

まだ何か言いたげな真央を遮って、部屋を出るように促す。

「……うん」

真央にバレないように短く息を吐いて、わたしはゆっくりドアを閉めた。

「……やっぱり一緒に寝るには狭いって」

「大丈夫だよ、詰めればスペースあるって」

「はいはい」

寝れないことはないけど、かなり圧迫感を感じる。真央の家のベッドと比べると、ものすごく狭い。

「じゃあ、電気消すよ」

「うん。おやすみ」

「おやすみ」

電気を消して目を閉じるとすぐ、眠気に体が飲み込まれそうになる。

真央の練習に付き合ったからか、疲れてるんだろう。

 

「……ん」

まどろみの中にいたわたしを何か暖かくて重いものが引き戻した。

「……何してるの」

「さっきのおかえし」

「なんか暑苦しいと思ったら……」

何かと思ったら真央に背後から抱きしめられていた。

「いいじゃん。この前百合だってわたしのを随分楽しんでたし」

「……あれは楽しんでたというか、休憩してただけ」

背中に押しつけられている柔らかいものが、気になって仕方ないし、こんなに密着されると暑苦しい。

「だったら私にだってこうする権利あるでしょ?」

「……もうちょっと他の方法にしてよ」

「……」

無言で真央はわたしのお腹に手を回してきた。

「ちょっと」

「ねえ百合」

真央が耳元で囁いてきた。

「何?」

「ごめんね、さっきは」

「どうして謝るの」

真央は謝るようなことはしていないのに。

「……だって百合怒ったでしょ? 聞かれたくないだろうなってこと、私聞いちゃったし」

「怒ってないよ。聞かれて怒るようなことがあるんだったらそもそも部屋の中に入れないし」

「本当に?」

「うん」

「……そっか」

真央は安心したのかわたしを抱きしめる力が少し強くなった。

 

「私ね、すっごく辛いことがあったんだ」

しばらくたったあとで、真央は呟くようにこう言った。

「ふとしたときに思い出して、こんなんじゃダメだって忘れようと努力してたの」

「……」

「でもね、私思ったんだ。どうしようもなく悲しくて辛いことだったら、乗り越えなくてもいいって」

「いいこと言うね」

「そうかな?」

「うん、本当に」

なんだろう、急に気が抜けたというか力が抜けたというか。急に眠気が襲ってきた。

「ねえ、百合。朝までこうしてていい?」

「……いいよ」

「離れちゃダメだからね」

「うん」

背中に真央を感じる。少し暑苦しいけど、それ以上に落ち着く。

目を閉じるとすぐにわたしは眠りに落ちていた。

 

「ん……」

「あっ、おはよ」

「……なんでニヤニヤしてるの」

「百合の寝顔をずっと眺めてたからかな」

「なにそれ」

笑う真央につられてわたしも思わず笑ってしまった。

「私、やっぱり百合の寝顔が一番好き。毎日見てたいな、これからもずっと」

「はいはい」

冗談めかした真央の言葉に苦笑を返して、わたしは下に降りていった。

 

「ねえ百合、ご飯とかパンってないの?」

「ないよ、自炊しないし。炊飯器とかそもそも買ってない」

「え〜」

真央は信じられないといった顔をする。

「冷蔵庫の中にも材料になるようなものないよ」

「……本当だ」

「言ったでしょ。ふわぁ……」

ソファーの上で背伸びをしていると、真央が隣に座ってきた。

「じゃあ、うちで朝ごはん食べる?」

「……うーん」

そういえば今日は土曜日だし、恭子さんが授業に来るんだった。

「何か予定あるの?」

「まあ、朝食べるぐらいの時間はあると思うし、いいけど」

「そっか、じゃあ早く作らなきゃね、いこ?」

「うん」

身支度を整えてから、わたし達は二人で真央の家に向かった。

 

「パンとご飯どっちがいい?」

「どっちでもいいよ」

「あっ、じゃああれ作ろっかな」

何かを思いついたようで真央は急に上機嫌になった。

することもないので、ソファーの背に顎を乗せて、真央の様子を眺めることにする。

料理をしているときの真央はいつも楽しそうで、正直羨ましい。

わたしは料理にそこまでの楽しみを見出すことは出来ないけど、真央が料理をしているのを眺めるのは結構いいな、と思えた。

「お待たせ、バゲットはなかったけどフレンチトースト作ってみたよ」

「こういうのって、真琴さんから教えてもらってるの?」

フレンチトーストとサラダが並べられた皿を、わたしはまじまじと見る。

「一緒に作ってたら自然と覚えるかなー、あとはレシピを見て作ってみてるだけで結構色々出来るようになるよ」

「そういうものなんだ」

「でも、フレンチトーストは簡単だよ。レシピ知りたい?」

「いや、聞いても自分じゃ作らないだろうし」

自分で作るよりは、外で食べるか誰かに作ってもらう。そっちの方が楽で、失敗もしないだろうし。

 

「ふう……じゃあそろそろ帰ろっかな」

食後の紅茶を飲み終えたところで、ちょうどいい時間になった。

「もう帰っちゃうの?」

「サボると後が大変だし」

そんな寂しげな顔をされても、さすがにこれ以上長居はできない。

「じゃあ」

「う……うん」

わざわざ真央は外まで見送りに来てくれた。別にそこまでしなくていいのに。

家に戻ってすぐ恭子さんがやってきて、授業を受けさせられた。

「……やっと終わった」

冷蔵庫から水を取り出して、体の中に流し込む。

「あら?」

「どうかしたんですか」

リビングで恭子さんが声をあげる。まだ帰ってなかったのか、と思いつつリビングに戻る。

「このシュシュ、誰の?」

「ああ、それは多分真央のです」

シュシュなんてわたしは持ってないから、多分真央が忘れていったのだろう。

「へえ……なるほど」

「なるほどって何がですか」

「いいえ。何でもないわ」

不敵な笑みを浮かべながら、恭子さんは帰っていった。

3

「……どうしよっかな」

文化祭の当日、いつも通り学校に来たのはいいけど、わたしは時間を持て余していた。

校内はどこも人が多くてうんざりする。

どこか涼しくて時間を潰せる場所はないのか、そう思いながら校内を歩いていた。

「おーい!」

「?」

大声に驚いて振り返ると、晴海が手を振りながらこっちに駆け寄ってくる。

「何か用?」

「いやいやちょうどキミを探しててさ」

「わたしを?」

「そうそう、今日ちゃんと学校来てるかなーって」

「?」

どういうことだろうか。

「じゃ、よろしく」

「何が?」

「えへへっ、後で分かるよ」

ぺろっと舌を出して笑うと、晴海は廊下を走って行った。

「……どういうことだったんだろ」

何か企んでそうな晴海の態度が気になりながらも、わたしは再び歩き始めた。

「あっつい……」

自販機で買った水を飲みながら日陰のベンチで佇んでいると、正面から目立つ生徒がこっちに近づいてくる。

「あら、奇遇ですね。文化祭楽しんでますか?」

「……生徒会長ならどこかクーラーが効いた空き教室知りません?」

「どうでしょう、今日はどこも何かしらで使われてると思います」

苦笑しながら椿原はわたしの隣に座ってきた。

「……ちょうどいいし、この前の返事今していいですか」

椿原がこうしてやってきたし、手間が省けた。せっかくだから今返事しておこう。

「ええ」

椿原はかすかに目を伏せて頷く。

「なんか、わたしにはメイドとして働いてみるっていうのはイメージ出来なかったかな、ごめんなさい」

椿原から提示された条件は正直、今まで労働というものと、かかわり合いにならずにきたわたしにでも分かるほど破格なものだった。

だけど、流石に自分が誰かに仕える立場に向いてないことも分かっていたし、それにまだわたしには解決してないことがある。

そんな状況で、飛び込んで行く勇気はない。

「そうですか……」

椿原はそう言ったきり黙ってしまった。

「ふぅ……」

座ったまま軽く体を伸ばす。ちょうどそのとき、椿原がおもむろに立ち上がった。

「百合さん。少し付き合って貰えますか? せっかくの文化祭なので、一緒に見て回ってみたいです」

「わたしと?」

「ええ。貴女と一緒に見て回りたいです。……嫌ですか?」

「嫌じゃないけど……」

「じゃあ、行きましょう?」

椿原は微笑みを浮かべながら、わたしの手を掴んで、腕を組んできた。

「……どうして腕を」

「ふふっ、いいじゃないですか」

困惑しているわたしに構わず、校舎の方に椿原は歩き始めた。

「まずは、一通り見て回りましょう」

「それは別にいいけど……」

さっきから周りの生徒達がジロジロとこっちを見て、何か小声で話している。

「気になりますか?」

「そりゃ……まあ」

これだけ視線を向けられて、気にならない方がどうかと思う。

「まあ、わたくしと貴女がこうやって並んで歩いていると目立つのも仕方ないでしょうね」

そう言って可笑しそうに椿原は笑った。

「……それって生徒会長様が目立ってるからでしょ」

「ふふっ、そうかもしれませんね」

否定も肯定もせず、椿原は視線を前に戻す。

 

「今年は教室を使って店や、アトラクションを作るクラスが多いみたいですよ」

「へえ」

「では一年生の方から見ていきましょう」

「今年の一年生はずいぶんと意欲的でしたね。展示制作、そして喫茶店や迷路などありふれたものでしたが、しっかり準備されていて完成度が高かったです」

椿原に連れ回されて、結局一年生の教室を全部回らされて疲れた。

「……まさかこのまま全部回るんですか?」

「ええ、生徒会長として全体を見ることはとても重要なことですから。といっても、体育館で行われている劇や、外で行われているライブは残念ながら見に行く時間はなさそうですけどね」

「……」

「ふふっ、意外って顔してますね」

「まあ、本当に意外だなーって」

わたしと同じで行事とか面倒くさがりそうだと思ってたけど、どうやら違うらしい。

「……わたくしが生徒会長としてかかわる最後の行事ですから、可能な限り見ておきたいんです」

それに、と椿原はわたしの目を見て、こう続ける。

「貴女と一緒にこうしていると、とても楽しいんです」

「……え?」

「冗談で言ってるのではなく、本心ですよ」

そう言うとふっ、と椿原は笑った。

「……それはどうも」

「ふふっ、そんなに照れなくてもいいんですよ」

「別に照れてないし。で、二年生の方も行くんでしょ?」

「はい、行きましょう」

椿原の後をついてわたしも二年生の教室に向かった。

「……さて、二年生のクラスでやってるものも一通り見ましたね」

「一年生よりもずいぶん数が少なかった気が」

「ええ、今年の二年生はクラス全体で何かをすると言うよりも、個人や少人数のグループでそれぞれ活動しているのが多いそうです」

「詳しいんですね」

「そうでもないですよ」

 

「あっ、生徒会長お疲れ様です」

「キャー! 会長さんだ!」

「皆さん文化祭、楽しんでますか」

「はい! とっても」

「ウチらも楽しんでます」

「それはよかった、皆さん文化祭楽しんで下さいね」

ときおり声をかけてくる生徒達に、笑顔を振りまいていく椿原を正直すごいと思った。わたしはあんなに愛想よく絶対できない。

「次はどうしましょうか」

「うーん」

どうしようか、と言われても正直どこで何が行われているのか全く知らないし困る。

「別にわたしはどこでもいいですよ」

「そうですか……でしたら、百合さんのクラスの劇を観に体育館に行きましょう。確かあと30分ほどで始まると思うので」

「いいんじゃないですか」

正直劇の内容を知っているからさほど興味はなかったけど、せっかくだし真央のお姫様姿でも拝みに行こう。

椿原と体育館に向かっている途中で、廊下の向こうから真央がこっちに走ってきた。

「……はぁ、はぁ……やっと、見つけた」

「どうしたの?」

「百合……ちょっと来て、助けて欲しいの」

真央はただならぬ雰囲気でわたしの手を握ってくる。

「助けるって何を?」

「実はね、さっき急に晴海さんが腹痛で倒れちゃって、誰かに王子様役を頼まなきゃいけなくなっちゃって……」

「それで?」

猛烈に嫌な予感がする。

「お願い! 百合にしか頼めないの」

「えぇ……そんなこと言われても」

「わたくしも王子様を演じる百合さんが観てみたいです」

「えっ」

何を突然言い出したんだこの生徒会長様は。

「桜井さんがそこまで頼んでいらっしゃるんですから、ここは一肌脱ぎましょう」

困惑するわたしが面白いのか、くすくす笑いながら椿原はこう言ってきた。

「そんな他人事だからってそんな簡単に」

「うぅ……他に頼める人いないし」

「ちょっと、やめてよそんな顔」

今にも泣きだしそうな顔をする真央に向かって、わたしは嫌だと言えなくなってしまった。

「…………分かったよもう、やればいいんでしょ」

わたしはしぶしぶ頷く。

「ありがと」

「……はいはい」

真央に手を引っ張られながら、わたしは思わずため息をついた。

 

「あのバスケバカ、絶対許さない……」

体育館の裏に連れてこられてからしばらくして、さっきの晴海の言葉を思い出した。

多分晴海は真央からわたしが練習相手になったことを聞いて、面白半分で仮病を使ってこの役回りをわたしに押しつけたのだろう。

「あの……本当に出てくれるの?」

椅子に座って台本を読みながら文句を言ってると、橘さんが心配そうな顔をして近づいてきた。

「……うん」

「ごめんね、急にこんなこと頼んじゃって」

「別に橘さんが悪いわけじゃないし、謝らなくていい」

「百合、衣装に着替えにいこ」

「あーうん」

真央に呼ばれて一緒に更衣室に向かう。

 

「……」

やっぱり、役とはいえ男装するのは抵抗がある。しかも、白のタキシードを着ることになるなんて……。

「百合、着替えた?」

「うん」

わたしが返事するのと同時に真央が中に入ってくる。

「おー! かっこいいよ百合」

「やめてよ恥ずかしい……」

「私の衣装もよく出来てるけど、百合の衣装もすごいね」

「誰が用意したのそれ」

真央の衣装はまさかのウエディングドレス。いや、脚本の内容からすると、むしろウエディングドレスを着ているのが自然な気がする。

のだけれど、一体誰がどこで調達してきたんだろうか。

「うーん、私も分からないなあ……」

「あ、あのちょっといいですか」

「どうぞ」

ノックと共に外からした声に真央が返事をする。

「あ、あの、その……朝倉さん、衣装のサイズは大丈夫ですか……?」

「ちょっと大きいけど、別に大丈夫」

「あっ……それなら良かったです。あと、ヘアメイクの方も急いでするのでちょっと鏡の前に座っててもらっていいですか?」

「うん」

「桜井さんは外に準備してあるのでそっちにお願いします」

「うん分かった」

 

「ふぅ……なんとかなりそう?」

体育館の外に一度出て、わたしは真央とセリフの見直しをしていた。

「多分」

「ずいぶん余裕だね」

「……そりゃ、あれだけ付き合わされたんだし、でもセリフ飛ばすかもしれないし、助けてよね」

「うーん……私も緊張するとどうなっちゃうか分からないし」

不安げな真央を見て、わたしもなんだか緊張してきた。

「桜井さん、百合ちゃん。ごめんそろそろ本番始まるから、待機しててー」

「あっそろそろ時間みたい、戻ろ」

「うん」

橘さんが呼びに来たので、わたしと真央は体育館の中に戻る。

「はーいじゃあ次のクラス準備してー!」

国語を担当している妙齢の女教師の声で、わたし達は一斉に舞台袖に向かっていく。

「ふぅ……いよいよ始まるね」

舞台上を忙しなくクラスメイト達が移動しながら、舞台上に大道具を運んでいる。

「そうだね」

「ねえ、百合。本番前に一つだけ聞いていい?」

少し緊張した様子で、真央が話しかけてきた。

「何?」

「どうして今日突然だったのに引き受けてくれたの?」

「……別にやりたかった訳じゃないよ。ただ、断ったって他に出来る人いないだろうし」

それに、嫌だって言ったら本気で真央、泣きそうだったし。

真央の泣き顔を見せられるよりは劇に出る方がマシだ。

「そういえば、晴海にわたしと練習したってこと、言ったんでしょ?」

「うん。そうだけど」

「はぁ……やっぱりね」

予想通りの答えに思わずため息が漏れた。

「どうかしたの?」

「ううん、別に」

不思議そうな顔をする真央から視線を外して、わたしは軽く背筋を伸ばす。

「……こんなこと、言ったら晴海さんに悪いと思うんだけど、私、こうやって百合と一緒に高校生最後の文化祭に参加出来て、すっごく今嬉しいよ」

「……」

真央らしくない言葉にわたしは驚いた。

「なんだか緊張してきちゃった、手握っていい?」

恥ずかしそうに微笑んで、真央はわたしの手を握ってくる。

「……まだ何も言ってないけど」

「いいでしょ?」

「はいはい」

今の真央はきっと嫌だって言っても手を離さない、そんな気がするし。

それに、わたしもなんだか真央とこうしていたい気分だった。

 

「そろそろ出番だね」

真央の表情がだんだんと緊張でこわばっていく。

「手、震えてるけど大丈夫?」

「大丈夫じゃない……けど、百合と一緒だから乗り越えられると思う」

「大げさ、それにわたしが出るのはほとんどラストのシーンだけでしょ」

「そうだけど、そうじゃなくて。百合がいてくれるってだけで、心強いってこと」

「はいはい。ちゃんと見てるから頑張って」

握っていた手を離して、真央の肩を軽く叩く。

「大丈夫、真央なら絶対大丈夫だよ」

「うん、頑張って来るから。……ちゃんと迎えに来てよね」

わたしが頷くと、真央の表情がようやくほぐれた。

少しは緊張がとけたのかな、そうだといいけど。

そんなことを思っていると、ちょうど劇の前半が終わったようだ。前半のステージが暗転して、場面転換のために幕が一度下ろされる。

「ふぅ……」

頭の中でもう一度セリフを確認して、わたしは大きく息を吐いた。

「はぁ……」

舞台袖で最後のセリフをもう一度頭に入れ直す。幸い今までのシーンは乗り越えられた。でもここから先のシーンは間違いが許されなさそうだし、気を引き締めないといけない。

「こんな国、私出ていく!」

いよいよ劇も佳境に入ってゆく。眠りから覚めたものの、自分を救った王子ではなく、別の国の王子と政略結婚させられそうになるというシーン。

暗転の後にわたしの出番だ。

「じゃ、そろそろ出番だよね、頑張って!」

小さくガッツポーズをする橘さんに頷き返して、わたしは指定された場所に移動した。

「い、行きましょう」

「うん」

舞台が暗転したのと同時に、わたしは椎名さんに先導されて舞台の上に出た。そのままダンボールでできた棺の中に寝るように言われる。

「よっと」

「これも忘れないで下さいね」

「ありがと」

棺と同じくダンボールでできた短剣を受け取ると、蓋が閉じられる。

「……」

ここにきて流石にわたしも少し緊張してきた。気持ちを落ち着かせるために、胸に手を当てる。

「ああ、私を助けた愛しき王子はもう、この世にはいないのですね……」

真央のセリフが始まった。

腹心の部下に裏切られ、王子は命を落としたと眠り姫には伝えられている。のだが、実は王子は追っ手から逃れるために仮死状態で棺に納められていた、というのがこの劇のストーリーだ。

「どうして……一体どうしてこんなことに……」

それにしても迫力があるというかなんというか。ずいぶん真央は気持ちが入っているなあ。

そんなことを思いながら、わたしは自分のセリフを言うタイミングを待っていた。

棺の蓋が開けられ、眠り姫のセリフが続く。

「せめて私も一緒に……」

眠り姫は棺に本当に王子が納められていることを確認して絶望し、自らも王子が手にしていた短剣で命を絶とうとする。

その直前で仮死状態から目覚め、姫をギリギリのところで止めるという流れだったはず。

「すぐそちらに向かいます」

きた、このタイミングだ。

「……姫!」

起き上がりながら腕を掴む。

「お、王子……どうして」

「……危ないところでした。姫、もう僕は大丈夫です」

「ご無事でよかった……でも、もう……」

「いいえ、姫」

姫の不安を振り払うために精一杯胸を張ってみせる。

「僕はどんなことしても貴方を守ります。そのためなら何をしたって構わない。だから、笑って僕についてきて下さい」

「……はい」

姫をそっと抱きとめ、見つめ合う。

「──これからも二人には様々な困難が降りかかるでしょう。しかし、どんな困難もきっと固く結ばれた愛があれば乗り越えることが出来るでしょう」

ナレーション役のクラスメイトの語りが終わり、。

「……ふぅ」

これであとは幕が降りるのを待てば……。

安堵のため息をついたところで、ふとわたしは距離の近さが気になった。

「……もうちょっと離れたら?」

小声で真央に離れるように言う。しかし真央は離れるどころかどんどん顔を近づけてきた。

まだ役の気持ちが抜けていないのだろう。それぐらい真央の演技はすごかった。だけど、このまま近づいたら本当に観客の目の前でキスをしてしまうことになる。

「ちょっと本当に……近いって」

あと数センチで唇と唇が触れそうになるところで、ようやく舞台の幕が下ろされた。

幕が降りてからすぐに、真央から体を離す。

拍手とざわめきが舞台袖に引っ込んでからも聞こえてくる。どうやらこの劇はそれなりに上手くいったようだ。

「じゃ、着替えてくる」

「あっ……うん、お疲れ様」

一瞬不満げな顔をした真央を置いて、わたしは急いで服を着替えに向かった。

 

「はぁ……疲れた」

制服に戻って、体育館の外で風に当たっていると、椎名さんが小走りでやってきた。

「あ、あのその、最後! すっごくよかったです! まるで本物の王子様とお姫様がそこにいるみたいでした!」

「……あ、ありがとう」

というか、どうして椎名さんはそんなに鼻息を荒くしているんだろう。異様なテンションの高さに、どう返したらいいのか分からない。

「百合ちゃんお疲れ様、今日急遽だったのにセリフ完璧だったのすごかったよ」

「真央の練習に付き合わされたし……それにそもそもセリフが少なかったからなんとかなっただけ。じゃ、わたし涼しい場所探してくるから」

体育館の近くは外にいてもどうしてか暑く感じる。ひとまず校舎の方にわたしは戻ることにした。

自動販売機でペットボトルの水と、紙パックのココアを買っていると、ケータイが鳴り始める。

「もしもし」

「あ、百合、今日終わったら二人でどこか晩ご飯食べに行こうよ」

「……真央はいいの? クラス打ち上げとかあるんじゃない」

「ううん。うちのクラス全体でまとまってはないよ。それに、わたしは百合と二人で行きたいなあって」

「ふうん」

まあ、別にいいか。

「家から近いとこだったらいいよ」

「本当? じゃあ終わってから急いで帰らずに待っててね」

「はいはい」

電話を切って、日陰で水を飲む。

「ふぅ……」

吹き抜けた風がわたしの髪を揺らした。

 

4

そのあとわたしは終わりの時間が来るまで、日陰のベンチでぼんやりしていた。

校内放送があってから体育館に集められて、生徒会長からの終わりの挨拶を聞いて解散になった。

片付けは明日の午前中を使ってやることになっているけど、今日中に学校に残って片付けをする生徒も多い。真央も展示制作の方の片付けに行くとメールで連絡があった。

 

「お待たせー」

駅の近くのコンビニで一時間ほど待たされて、ようやく片付けを終えた真央とようやく合流できた。

「遅い」

「ごめんごめん。じゃ、帰ろ」

夕方の混む時間帯より遅くなったからか、電車はかなり空いている。

「それで、どこ行くの?」

「家の近くがいいんだよね」

「……あんまり歩きたくない、疲れたし」

「うーん、じゃあファミレスとかかな、ほらあそこ駅の」

「あーうんいいんじゃない」

家の最寄り駅のファミレスなら近くて都合がいい。

「ねえ、百合」

「ん?」

「さっきの私と今の私の違い、気づかない?」

「違い……?」

急にそんなこと言われても、真央は真央だし。

「もう、これだよこれ」

おさげにしている髪を結んでいるリボンを真央は指さした。

「ああ、この前一緒に買ったリボンか。そういえば劇の前はそれじゃなかった気がする」

「気がするじゃなくて、そうなの。こうやって使うの今日が初めてだし」

「そうなんだ」

「百合と一緒に買ったものだから、何だかもったいなくて使えなかったんだけど、今日は気合い入れようと思って」

「ふーん」

そんな会話をしているうちに最寄り駅に着いた。

 

「はい」

「ありがと」

注文を終えて落ち着いたところで、真央がドリンクバーから戻ってきた。

「そういえば、百合とここのファミレスに来るの久々な気がする」

「そうだっけ」

「前に来たのは多分去年の冬ぐらいかな、テスト前に勉強会したような気がする」

「ああ」

そういえばそんなこともあった気がする。

「なんかそんなに前のことじゃないのに、ずっと前のことみたいな気がしちゃった」

少し寂しそうな顔で真央は続ける。

「中学校を卒業して、もう半年したら高校も卒業かあって思うとあっという間だったよね」

「うん」

ジュースを飲みながら、相槌をうつ。

「お待たせしました、マルゲリータとミートドリアです」

運ばれてきたピザを切っているときに、わたしは気づいた。

「どうかしたの。手、震えてない?」

スプーンを持つ真央の手が、まるで緊張しているみたいに震えている。

「え? いやなんでもないよ」

「ふーん、ならいいけど」

まさかわたしといて緊張してるわけじゃないだろうし、きっと真央も疲れているんだろう。

「ティラミス頼むけど、真央は?」

わたしはメニューを見ながら真央に尋ねる。

「今日はいいかな」

「……熱でもあるんじゃないの?」

思わずわたしはメニューから視線を外して真央を見た。

「もう、ないって。……そういう気分じゃないだけ」

「そう」

頷きながらも、わたしは少し心配になっていた。あの真央がデザートを頼まないとは。

「はぁ……」

それどころか、物憂げな顔でため息をついたりさっきからなぜか落ち着かない様子だ。

「そろそろ帰る?」

ティラミスを食べたあと、しばらくしてからわたしは真央に聞いてみた。

「そうだね」

ファミレスを出て、家に帰っている途中も真央は少し変だった。いつもだったらわたしの方を見て、何か話しかけて来るのに、じっと前を見て黙っている。

何か考えごとでもしてるのだろうか。

「あっ……そうだ百合、ちょっと公園寄ろうよ」

「どうして?」

「えっと、その、ちょっと休憩したいなあって」

「……大丈夫?」

「う、うん」

「まあ、別にいいけど」

公園の入口に近い木陰にあるベンチにわたし達は座った。もう夜だからか、昼間ほどではないけど、やっぱりまだ暑い。

「どうかした?」

「ううん、なんでもない」

制服のリボンを外して扇子で扇いでいると、視線を感じたから聞いてみても、目を逸らしてくる。

「……」

やっぱり変だ。普通、真央だったらもっと肩が触れるぐらいにくっついてくるのに、今日は少し離れたところに座ってるし。

「……んんっ」

しきりに咳払いをしたり、顔を手で扇いだり、本当に熱がありそうに見える。

「そろそろ帰ろ──」

「ねえ、百合。大事な話があるの。聞いてくれる?」

「?」

ベンチから立ち上がったわたしを制するような、強い意志がこもった声で、真央に呼び止められた。

 

「ちょっと長くなっちゃうかもしれないけど、いい?」

「どうしたの」

わたしが座り直したところで、真央は大きく深呼吸をした。

「何から話せばいいのか分からないくらい、伝えたいことがあるけど、頑張って整理して言うから最後まで聞いてね」

「う、うん」

そんなにかしこまってどうしたんだろう。

「私、小さい頃から憧れてる人がいるの」

真央は目を閉じて、砂浜に流れ着いた貝殻を一つ一つ拾い上げていくようにゆっくりとわたしに語りかけてくる。

「その人はいつもママの後ろに隠れてた私を連れ出してくれて、新しい景色を見せてくれたの。どんな遊びも私より、ううん。一緒に遊んでいたどの人よりも上手で、本当に憧れてたんだ」

わたしは何も言わずに、真央の次の言葉を待っている。

「小学生になって、周りに今まで知らなかった人が増えても、逃げ出さずに済んだのはきっと、その人がすぐそばにいてくれたからだと思う。でも、ある日学校に行ったらその人が急に転校したって聞かされてとってもショックだったの」

真央はゆっくりと、閉じていた目を開いてわたしをじっと見つめてきた。

「小さい頃からずっと一緒で、これからもずっとそうだって勝手に思ってたんだけど、そうじゃなくって、突然こうやっていなくなっちゃうんだって」

瞬きをして、真央は微かに笑う。

「今になってみれば、私が思ってたよりも当たり前で、単純な理由だったって分かったんだけどね。そのときはただただ悲しかったの」

 

短く息をはいて、真央は自分の胸元を右手で押さえた。

「でも、中学生になってから、その人は戻ってきてくれた。全然変わってなくて驚いたことと、私のことをちゃんと覚えていてくれたことを昨日のことみたいに覚えてる」

「……」

「それから色々あったけど、高校を選ぶってなったとき、迷わず一緒のところにしようって思ったの。学校の先生には無理だろうって言われたけど、何とか同じ高校に入ることが出来てすっごく嬉しかった。私でも頑張れば出来るんだなって」

真央はゆっくりベンチから立ち上がって、わたしの正面に立った。

「……最初はただ本当に憧れてただけだった。だけど、一緒にいるうちに、その人への思いが自分でも気がつかないうちに変わってたことに、気づいたの」

風に揺らされて、ざわざわと木が音をたてる。

「もしも、直接その人に伝えてしまったら今までみたいに顔を合わせることが出来ないって、考えるとね、どうしようもなく怖かった。だったら今まで通りでいい。心の底から本当にそう思ってたけど、それじゃダメなの」

「……」

「このまま伝えずにいたらきっとまたその人は、何も言わずに遠くに行っちゃう、そんな気がしてるの」

「……真央」

「その人はとっても鈍感だから……ちゃんと言葉にして言うね」

 

「わがままかもしれないけど、これからもずっと百合の隣にいたい。だから、私を百合の一番大切な人にして下さい」

真央の表情や言葉、全てからその真剣さが伝わってくる。

 

「……そっか、そうだったんだ」

真央が本気だってことは、わざわざ念を押さなくても分かる。

一番大切な人、という()()に面と向かって言うにはあまりにも重い言葉だ。

「返事は今じゃなくていいよ。待ってるから」

わたしの答えを待たずに真央は走り去っていった。

 

「……」

ソファーの上で、わたしは色々なことを考えていた。

これまでのこと、これからのこと。

お母さんにわたしの気持ちをどうやって伝えようか、そして真央の思いにどう答えるか。

どっちも、わたしの答えは決まっている。問題はどういう言葉で伝えたらいいのか、だった。

そんなことを考えていると、いつもは長いはずの夜があっという間だった。

「……よし」

空が白みはじめた頃、わたしはソファーから立ち上がった。

ゆっくりシャワーを浴びて、念入りに身支度を整える。そして、最後にオレンジのヘアピンをつける。そうすると、なぜだか不思議と身が引き締まる感じがした。

「ふぅ……」

ケータイを開いて、決して今まで自分からかけることのなかったお母さんに電話をかける。

「……今、大丈夫ですか」

「ええ」

「今日、私と会って貰えませんか、時間はいつでもいいので」

少し沈黙があってからお母さんはこう答えた。

「……いいでしょう、今から車を迎えに行かせます。乗って来なさい」

「ありがとうございます」

わたしの言葉に返事はなく、そのまま電話は切られる。

「あとは……」

荷物を持って家を出る。そして、そのまま真央の家のインターホンを押した。

「はーい……あれっ百合ちゃんどうしたの?」

「真央を呼んできて貰えますか」

わたしの言葉から何かを察したのだろう。

「分かった、すぐ呼んでくる」

真琴さんの足音が聞こえてすぐ、真央の声が聞こえてきた。

「……どうしたの?」

「急にごめん。一緒に行って欲しい場所があるの、準備してきてくれる?」

真央はそれ以上何も言わずに、しばらくして出てきた。

「一緒に来て、お母さんにちゃんと話してきたいから」

真央は戸惑った顔をする。

「えっ? お母さんって百合のお母さん?」

「そう。真央に話したでしょ、お母さんとわたしのこと。そのことについて、今から話すから」

「……いいけど、私も一緒に行っていいの?」

「真央もいないとダメだから」

「うん、分かった」

「車の中で真琴さんにちゃんと伝えておいて」

ちょうどそのとき、車が家の前に止まった。

「乗るよ」

「……うん」

真央は緊張と不安が混ざった複雑な表情で、わたしのあとに車に乗り込んだ。

「お母さんのところに向かって、直接」

この前と同じ運転手にそう伝える。

「かしこまりました」

運転手の返事と同時に車がゆっくりと走り出す。

「……」

もし、お母さんが許してくれなくてもわたしは真央と……。

改めて決心を固めて、わたしは窓の外を見る。

外には微かに虹が見えた。

 

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