マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 プロローグ ― マイクな俺と武内P ―
 第1話


 

 

 

「アイドルとちゅっちゅっしたいです」

 

 只野(ただの)伊華雌(いけめん)は神の前で宣言した。

 もしかすると正気を失っていたのかもしれないし、それは珍しいことではない。いきなり目の前に〝神〟を自称するジジイが現れて――

 

「お前は死んだ。今から転生させてやるから希望をいえ」

 

 とか言われるのだ。正気を失うのは当然のことであり、だから神様は寛大だった。

 

「心を落ち着つかせて、よく考えろ。世界一の金持ちでも、絶世の美女でも、本物のイケメンでも、もっと素敵な来世がいくらでもあるのじゃぞ」

 

 しかし伊華雌は、譲らずに――

 

「アイドルとちゅっちゅっしたいです」

 

 ぴにゃこら太に似ていると評判の不細工フェイスを歪めて神を睨み付けた。

 

 実のところ、彼は正気を保っていた。それなのに、何故、正気を疑う発言を繰り返して神を困らせるのか。それにはちゃんと、理由があった。

 

 彼は、怒っていた。

 

 倍率を聞いただけで応募する気の失せるライブチケットを奇跡的に入手できた。大好きな島村卯月と奇跡的に目があった。彼女の顔に最高の笑顔が出現し、ほとばしる興奮に身を任せて〝卯月ちゅわぁぁああ――ッ!〟と叫んだら――

 

 何故か死んでいた。

 神様に来世の相談をされていた。

 

「これは、大切なことなんじゃぞ。真剣に考えて――」

「俺は、大真面目に言っています。せめてアイドルとちゅっちゅっさせてもらえなければ、ライブの途中で殺された俺の心の傷は癒えません」

 

「別に、わしが殺したわけじゃないんじゃが」

 

「え……、そうなの? 神様の手違いで殺しちゃったから〝ゴメンネ転生〟させてくれるって話じゃないの?」

「そんな古臭いテンプレ、いくらわしがジジイでも使わんよ」

「えぇ……。じゃあ、何で俺に優しくしてくれんの?」

「それは――」

 

 その理由に、消えかけていた伊華雌の怒りが復活した。

 

 伊華雌という名前のくせに不細工で、彼女はおろか友達もおらず、童貞のまま20年の生涯を終えたお主があまりにも不憫で……、と涙ながらに同情された。

 

 ――間違ってはいない。

 

 確かに伊華雌は、ぴにゃこら太に似ているという絶望的な顔面偏差値を誇っていた。男女問わず交流は皆無で、通っている専門学校では〝陽キャと陰キャの狭間に生きる暗黒生物〟というポジションに甘んじていたが――

 

 それを他人に指摘されると、どうしようもなく腹が立った。

 人間、本当のことを言われると頭にくるのだ。

 

「お前は現世で充分苦労した。だから来世では、もっといい思いをさせてやる。ほれ、希望を言うんじゃ」

 

 好好爺(こうこうや)を気取る神様を、しかし伊華雌は睨みつけた。怒りで顔を真っ赤にして――

 

「同情するならアイドルとちゅっちゅっさせろやクソじじいぉぉおお――ッ!」

 

 かわいそうにと同情されることは最大の屈辱である。不細工を同情されるくらいなら、クラスの陽キャに〝お前、ぴにゃ図鑑に載ってんじゃね?〟とバカにされたほうがまだましである。

 

 つまり、伊華雌は意地になっていた。

 

 神様に不細工扱いされたことが悔しくて、駄々っ子のようにちゅっちゅっさせろと連呼した。泣きながらTulip(チューリップ)絶唱(ぜっしょう)した。一人カラオケの自動採点で悲惨な点数をたたき出したTulip(チューリップ)を!

 

「……分かった。分かったからその〝親父の下痢〟みたいな歌をやめろ」

 

 歌が下手なのは自覚していた。一人カラオケに行ったら店員が踏み込んできて「断末魔の悲鳴が聞こえたみたいなんですが……」と真顔で訊かれた時に自分の歌がそうとう酷いのだと自覚したが、排泄物の発射音と一緒にするとか、それはあんまりじゃないか神様……。

 

 伊華雌の頬に新しい涙が流れた。

 神様は、さすがに愛想も尽きたのか、前言を撤回することもなく、神様らしい渋面で――

 

「希望どおり、アイドルとちゅっちゅっ転生させてやる」

 

 泣きながら、しかし勝利の笑みを浮かべる伊華雌は気付かなかった。

 神の顔に、狡猾な詐欺師を思わせるおぞましい笑みがあることに……。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 そして伊華雌は、マイクになった。

 

 マイクならアイドルとちゅっちゅっできるね良かったね、――ということのだろう。

 つまり、神様は怒っていたのだろう。

 散々駄々をこねられて、目の前で史上最悪のTulip(チューリップ)を披露されて、怒り心頭だったのだろう。

 

 素直にイケメンにしてくださいって、お願いしとけばよかったぁぁああ――――ッ!

 

 猛烈に後悔する伊華雌だが、どうにもならない。神に逆らってはいけないという教訓を、使う機会がやってくるとは思えない。

 

 こうなったら――

 

 もう、マイクとして生きるしかない。346プロ専属のマイクとして、あらゆるアイドルの唇を渡り歩くのだ。

 あれ、何だかマイクも悪くないような気がしてきたぞ!

 

「お疲れ様でーす」

 

 スタッフの挨拶が聞こえてきた。Tシャツ姿のイベントスタッフ達が頭を下げている。誰が来たのかと思って視線を向けて――

 

 伊華雌は恐怖に言葉を失った。

 

 一人だけ、黒いスーツで。とても大柄で。何よりも、顔が怖い。スナイパーライフルがよく似合いそうな鋭い目つきが、彼の壮絶な人生を物語っているような気がした。

 

 あれは、殺し屋(ゴルゴ)だ……。

 

 伊華雌の稚拙な想像力が、幼稚な結論を導きだした。

 けど――

 それも仕方ないと許せるくらいに、その男性は迫力があった。どこかの組織のエージェントですと言われたら、すんなり信じてしまえるくらいに目が怖い。

 

「武内プロデューサー、機材の設営は――」

 

 スタッフが声をかけていた。伊華雌が殺し屋と判断した男性へ向けて――

 

 プロデューサー。

 

 伊華雌は耳を疑った。マイクだから耳なんて無いんだけど、つまりその言葉に対して疑問符を総動員して否定した。

 まさかこんな、闇社会の住人みたいな御仁(ごじん)がプロデューサーだなんて信じられないし信じたくない。プロデューサーといったら、もっともアイドルに近い憧れの職業なのに、それがこんな、どうみてもヤ○ザです本当にありがとうございます、みたいな男性だなんて……。

 

「武内プロデューサー、マイクチェックお願いします」

 

 武内Pが、伊華雌の方を見た。

 鋭い視線に、射抜かれた。

 

 あぁ、凄腕のスナイパーに狙われるのって、きっとこんな感じなんだな。なんていうか、俺がもし人間だったら、恐怖のあまり尿系大放出だろうな……。

 

 震え上がる伊華雌に、武内Pが近づいてくる。本能的に逃げたくなるが、伊華雌はマイクであるから身動きは取れない。革靴の足音に合わせて悲鳴を上げることしかできない。

 

 武内Pが、手を伸ばした。

 伊華雌の隣に置いてあるマイクを掴んで、口に近づけて、スピーカーから声が出ることを確認した。

 

 マイクチェック。

 

 ライブの前にプロデューサーがマイクのチェックをするのは、当然のことだろう。

 そして、伊華雌は震え上がった。

 

 このままだと、俺の〝初めて〟がゴルゴに奪われてしまう……ッ!

 

 猛烈な焦燥感に、しかし反応できる体はない。マイクである伊華雌は、処刑される罪人のように大人しく最期の瞬間を待つことしか許されない。

 

 そして、刑が執行される……

 武内Pの手が、伊華雌を掴んだ。

 

〝ちょっ! 待って! 俺、男だから! そっちの趣味はないし、予定もないし、だから――〟

 

 武内Pに伊華雌の声は届かない。彼は無情にも、唇を近づけて――

 

〝らっ、らめぇぇええええ――――ッ!〟

 

 伊華雌の〝初めて〟は、武内Pに奪われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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