マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第8話

 

 

 

 穏やかな休日の昼下がり。

 行き交う人々の足が色づいた落ち葉を踏み、その乾いた音に季節を思い出す。

 

 秋の渋谷は、紅葉をむかえた街路樹と、秋の新作ファッションを身につけた人の波で色づいていた。

 

「お待たせしました……」

 

 (せわ)しなく行き交う人の群れから、その少女は現れた。その瞬間、カラフルな洋服を身につけていた通行人は、存在感の乏しいエキストラになりさがった。紅葉の色みを誇っていた街路樹も、ただの背景になりさがった。

 

 ステージを降りてなお、佐久間まゆはアイドルだった。スカウトマンが我を忘れて名刺を差し出すだけの魅力を、曖昧な微笑の奥に秘めていた。

 

「無理を言って呼び出してしまい、申し訳ありません」

 

 武内Pが、礼儀正しく頭をさげる。

 まゆは口元に笑みを浮かべて、店内を見渡して――

 

「……このお店、知っていたんですか?」

 

 そこは、道玄坂にあるオープンカフェだった。その小さなカフェで佐久間まゆはアイドルになった。

 

「ここで赤羽根さんにスカウトされたと、聞きました」

 

 まゆは、ぼんやりと頷いて、どこか遠くを見つめながら――

 

「ここ、まゆのお気に入りのお店なんです。紅茶のいれかたが上手で、ケーキもおいしくて。近くに来ることがあれば必ず寄っていたんです」

 

 あの日は、読者モデルの仕事が予定より早く終わったので、お店を見ながら青山通りを歩いて、足を休めようとお気に入りのカフェに入って、出会った。

 

「混んでいたので、相席いいですかって訊かれたんです。知らない人と相席は嫌だったんで、席を立とうと思ったんですけど――」

 

 出来なかった。

 向けられた笑顔に、心の深い部分が捕まった。言葉で説明することのできない感情が込み上げてきて、知らない男性に対する警戒心を忘れて、相手の目から視線を外せなくなった。

 

「赤羽根さんとまゆは、二人三脚でアイドルをしていたんです。まゆは赤羽根さんを見て、赤羽根さんもまゆを見て。そんな毎日が、ずっと続くと思っていたのに……」

 

 小さなため息が、まゆの話を締めくくった。運ばれてきた紅茶のカップを持ち上げて、上品に匂いをかいで――

 

「……あの時と、同じ匂い」

 

 まゆの視線は、対面に座る武内Pへ向けられている。

 しかしその瞳は、武内Pを見ていない。

 

 彼女の時間は、止まっているのだと思った。

 このカフェで赤羽根Pに声をかけられて、そこから時計の針が動いていないのだ。

 

 ――だから、見えない。

 

 もしかしたらまゆは、一度たりとも、本当の意味で武内Pを〝見て〟いないのかもしれない。

 

 ――だから、動かす。

 

 まゆの時間を、強引に。

 

「佐久間さんのアイドル活動は、このカフェで赤羽根さんにスカウトされて始まりました。ですから――」

 

 武内Pは、自分を見ていないまゆへ、それでも強い視線を向けて――

 

「この場所で、終わりにしましょう」

 

「え……」

 

 ブリーフケースから取り出されたのは契約書だった。

 赤羽根Pと佐久間まゆの契約書を、武内Pの大きな手が掴んで――

 

「最後の意思確認です。佐久間さんは、アイドルをやめて346プロから除籍されることを――」

 

 希望しますか?

 

 焦点のずれていたまゆの瞳に変化があった。契約書を見つめて、自分の筆跡による署名を見つめて、ティーカップを持つ手をかすかに震わせて――

 

「……はい」

 

 まゆの返事を追いかけるように、契約書がやぶかれた。

 赤羽根Pと佐久間まゆの間に結ばれた糸が、切断された。

 

「……、…………」

 

 まゆは、引き裂かれた契約書を見下ろしていた。まるで四肢(しし)を切断された人のように、怯えの混じった瞳でそれを凝視して、大きく喉を動かして生唾を飲み込んだ。

 

「……これで、終わりなんですね」

 

 憑き物が落ちたような表情(かお)だった。カフェに入ってきた時と、同じ人物とは思えなかった。どこか遠くをみるような表情は消えて、霧の晴れた瞳はしかし、輝きを失っていた。

 

「……じゃあ、まゆは、これで」

 

 立ち上がり、背を向けるまゆ。雑踏の中に消えようとする彼女の、その肩をつかんで振り向かせようとするかのように――

 

「あのッ!」

 

 動きをとめて、振り向いたまゆに、差し出す――

 

「アイドルに興味、ありませんか……ッ!」

 

 〝武内〟の名前が刻まれた名刺を差し出して、まゆの瞳を睨み付けて――

 

「自分は、資料室に残されている佐久間さんに関する資料全てに目を通しました。全てのファンレターに目を通しました。その上で、断言させていただきたい」

 

 まゆの視線が、ゆっくりと移動する。

 武内Pとまゆの視線が、初めてきちんと――

 

「あなたは、アイドルになるべき人だ! あなたを、アイドルとしてプロデュースしたいッ!」

 

 空っぽだったまゆの瞳に、真面目だけが取り柄の、でも、真面目さなら誰にも負けない、情熱の固まりのようなプロデューサーが――

 

「自分に、佐久間さんをプロデュースさせてくださいッ!」

 

 止まっていた時間が動き出すように――

 心肺停止状態にあった人間が息を吹き返すように――

 

 佐久間まゆは、その大きな瞳の焦点を――

 

「……はい」

 

 名刺を受け取ったまゆの瞳には、もはや武内Pしかうつっていない。よそよそしい笑顔は消えて、ただひたすらに武内Pを見つめている。

 

〝よぉぉっしゃぁぁああ――ッ!〟

 

 伊華雌(いけめん)のそれは、さながら勝利の雄叫びだった。喜びと安堵。二つの感情が入り乱れて、どこまでも膨張して、雄叫びとして放出しないと体が爆発してしまいそうだった。

 

 ――佐久間まゆをアイドルの世界に繋ぎ止めることができた。

 

 それが何よりも嬉しくて、伊華雌はひたすらに叫び続けた。

 

「あらためて、契約書を作りましょう」

 

 武内Pが、ブリーフケースから白紙の契約書を取り出した。

 まゆは、武内Pをじっと見つめて――

 

「武内プロデューサーさんは、とても、真面目な方ですね」

 

 契約書に走らせていたペンの動きをとめて、武内Pはかすかに首をかしげる。

 

「とても、お仕事に熱心なんだなって、思ったんです。とても、情熱的で……。だからきっと、まゆのことも、真面目に、情熱的に……」

 

 武内Pが赤羽根Pに勝てるとしたら〝真面目さ〟しかないと思った。

 そして、彼の〝真面目さから生まれる情熱〟は、人の心を動かすほどの熱量をもっている。カリスマJK城ヶ崎美嘉を説き伏せて協力させてしまうほどの熱意を持っている。野球選手ならホームランを狙える強力な武器である。

 

「では、こちらに署名を」

 

 武内Pが、契約書とペンをまゆの方へ滑らせた。

 まゆは契約書を引き寄せて、しかしペンは武内Pのほうへ戻した。

 

「これは、二人の契約書。絶対に(たが)えることは許されない、運命の契約書……」

 

 まゆは、自分のバッグからペンを取り出した。

 赤いペンで、佐久間まゆの名前を書いた。

 

「これで、まゆはプロデューサーさんのアイドルです。ずっと、まゆのことを見ていてくださいね……。ずっと、ずっと……」

 

 今までの笑顔とは、明らかに質が異なっていた。その瞳から、口元から、指先から、何かがほとばしっていた。それを〝愛情〟の一言で済ませてしまうのは致命的な間違いであるような気がした。これは、もっと別の、扱いを間違えれば死にいたる劇薬のような――

 

「これから、よろしくお願いします」

 

 得体のしれない恐怖に戸惑う伊華雌をよそに、武内Pは嬉しそうに契約書を受け取っていた。その横顔に、何らかの恐怖を感じている様子はなかった。ただひたすら、何かをやり遂げた人の笑みを輝かせている。

 

 そういえば――

 

 武内Pは〝フラグクラッシャー〟だったなと思い出した。ちひろが丁寧に立てたフラグを無造作にヘシ折っていた。

 

 だから、もしかしたら、気付いてないのかもしれない。

 まゆの視線が、その深すぎる愛情によって〝()み〟をはらんでいることに……。

 

 ――これは、黙っておこう。

 

 人間、知らないほうがよいこともある、――という格言を胸に伊華雌は二人の様子を黙して見守ろうと思った。

 

「まゆ、ソロがいいです。誰にも邪魔されずに、プロデューサーさんと二人で活動したいです……」

 

 じいっと、武内Pを見つめるまゆ。

 

「分かりました。では、ハッピープリンセスには復帰せず、当面はソロ活動をする方向で」

 

 武内Pは、真剣な顔で手帳にペンを走らせる。

 

「プロデューサーさんの希望があれば、受け入れますよ。まゆは、プロデューサーさんの望むまゆになってみせますから……」

 

 机に身を乗り出したまゆが、至近距離から武内Pをじっと見つめる。

 

「取りあえずソロで活動してみて、それから一緒に方向性を考えましょう」

 

 武内Pは考えることに集中しているのか、手帳を睨んで沈黙している。

 

 武内Pを見つめるまゆ。手帳を見つめる武内P。

 

「……、…………」

 

 まゆの口から、不満げな吐息がこぼれた。じいっと見つめる視線が少し怖かった。自分を見ないで手帳を見ている武内Pに対する不満が膨らんで、病みに飲まれた愛情が暴走してその赤いペンで武内Pを――

 

〝武ちゃん! まゆちゃんに担当プロデューサーの所信表明(しょしんひょうめい)的なやつ、してやってッ!〟

 

 たまらず伊華雌は声を上げた。黙っていたら武内Pの胸に新しいトラウマが赤いペンの物理攻撃によって刻まれてしまうような気がした。

 

 そんな伊華雌の危機感などつゆしらず、武内Pは首の後ろをさわりながら――

 

「あの、佐久間さん」

 

 まゆが、ほのかに笑みを作る。しかしその視線があまりに強くて、予備動作なしの凶行に及ぶような気がして伊華雌は気を抜くことができない。

 

「自分のスカウトを受けてくれて、ありがとうございます。自分は、正直、赤羽根さんのように優秀ではないのですが、でも――」

 

 武内Pは、向けられるまゆの視線を、真っ直ぐに受け止めて――

 

「必ず、佐久間さんのことを幸せにしてみせます」

 

 ……は?

 

 ちょっと待って何言ってんのこの人! プロデューサーの所信表明(しょしんひょうめい)としてその台詞はおかしくないか? いや絶対おかしい! なんでプロポーズしてんだよ! あんたがするのはプロデュースだよッ!

 

「まゆを、幸せに……」

 

 まゆちゃんのリアクションもおかしいから! プロポーズやなくてプロデュースせんかい! って突っ込みを入れるところだから! 目をハートにする場面じゃないからぁぁああ――ッ!

 

 伊華雌には、早口で突っ込みを入れることしか出来なかった。

 

 ――ヤンデレな少女と天然なプロデューサー。

 

 まゆと武内Pは、赤いリボンで結ばれて、二人三脚でアイドルの世界に挑戦する。

 

 佐久間まゆのソロ活動が正式に決まったのは翌日のことであり、それは一つの快挙だった。

 まさか、シンデレラプロジェクトに所属するアイドルがステージに上がる日がくるなんて、346プロの誰もが予想してなかった。

 

 ただ一人、シンデレラプロジェクトの発案者である美城常務をのぞいて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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