武内Pがマイクのスイッチを入れた瞬間――
何が起こったのか、すぐには理解出来なかった。懐かしい〝人間の感触〟があった。記憶よりも視点が高かった。近くにある鏡を見ると、マイクチェックという名目で伊華雌のファーストキスを奪った男性がこちらをみていた。
そういうことか……。
伊華雌は状況を理解した。どうやら、マイクのスイッチを入れた人間に乗り移りことができるらしい。
そして、さっきまで自分だったものを見て、絶句した。
てっきり、マイクだと思っていた。
何の変哲もない普通のマイクだと思っていた。
――違っていた。
今、武内Pに乗り移った自分が握っているのは――
世にも不細工なぴにゃこら太モデルのマイクだった。
「ちっ、ちくしょぉぉおお――ッ!」
瞬間的に込み上げた怒りに突き動かされて、伊華雌はマイクを床に叩きつけた。そのショックでスイッチがオフになって意識がマイクに戻った。
〝神様の、クソバカ野郎がぁぁああ――ッ!〟
神を名乗るジジイの
アイドルとちゅっちゅしたいと言ったらマイクにされて、しかも、しかも! 不細工な生涯に同情するとか言っときながら不細工なマイクに転生させるとか!
〝どこまで俺を不細工にすれば気がすむんだよこの邪神がぁぁああ――――ッ!〟
「何か、問題ありましたか?」
駆けつけたスタッフが、武内Pに声をかけた。
武内Pは、首の後ろを触りながら――
「いえ。ちょっと一瞬、立ちくらみのような状態になりまして……」
武内Pは、何かを探すように左右に首を振って――
「誰か、怒鳴ってませんでしたか?」
「怒鳴る? いえ、特には……」
「神様のバカ野郎とか、不細工がどうとか?」
「……いえ、そんな声は、聞こえなかったです」
「そうですか……」
首をかしげて立ち去るスタッフを眺めながら、武内Pも首をかしげる。床に転がる伊華雌だけが、怒りを忘れて興奮していた。
もしかして、俺の声が届くようになったのか……ッ!
何がきっかけなのか分からない。
禁断のキスなのか、それとも意識が入れ替わったせいなのか。
理由は分からないが、このチャンスは逃せない。
〝あー、えっと、聞こえますかー、なんて〟
武内Pは、首をかいていた手をとめて、目を見開いて――
「聞こえて、います……」
幽霊でも見たような顔だった。顔から血の気が引いていた。
〝あっ、あのさ。怪しい者じゃないんだ。だからその、そんなに警戒しなくて大丈夫だから……〟
伊華雌は必死だった。武内Pの警戒をといて、信頼関係を築こうとしていた。
だって――
この殺し屋みたいな人は、プロデューサーなのだ。プロデューサーは、アイドルにもっとも近い存在なのだ。
もし、プロデューサーと仲よくなれたら――
アイドルとちゅっちゅするという
「……どこに、いるんですか?」
今にも警察を呼びそうな
〝下だよ、下。俺、マイクなんだ!〟
武内Pは、視線を落として、伊華雌を睨む。
「ぴにゃこら太のマイク、ですか?」
〝そうそう! みんなのアイドルぴにゃこら――〟
武内Pは、伊華雌を拾い上げると、強い歩調で歩き始めた。設営中のライブ会場を抜けて、廊下を進み、部屋に入った。工具箱を取り出して、大きな
そして金槌を握りしめ、大きく振りかぶって――
〝ちょっと待って! 何してんのッ!〟
「きっと、悪霊か何かが取り憑いているのだと思います。だから、破壊します」
武内Pが、冷酷無比な処刑人にみえた。振りかぶった金槌が、伊華雌を再転生させるべく狙いを定める。
〝やっ、やめッ! ちょっ、ほんとに! いやっ、マジでッ!〟
金槌は振り下ろされる。
それはギロチンの冷酷さをもって伊華雌の命を終わらせる――
〝卯月ちゃぁぁああああああ――ッ!〟
断末魔の叫び声だった。
ママでもパパでもなく、卯月。
降り下ろされた金槌がテーブルを破壊した。
伊華雌は
「何故、島村さんの名前を……?」
武内Pの顔に動揺の色があった。彼の手元が狂った理由は、つまり――
〝あんたもしかして、担当、なのか? 卯月ちゃんの!〟
もしそうなら、神に感謝しようと思った。今までの
「島村さんは、自分がスカウトしたアイドルです」
伊華雌の中に、雷が落ちた。
まさか、アイドル島村卯月を発掘した偉人に対面できるとは! 神だけじゃなくて、この
〝……あんたに、頼みがある。こうして会ったのも何かの縁だ。俺を、卯月ちゃんの担当マイクにしてくれねえか! 俺、卯月ちゃん大好きなんだ! 他のマイクには、絶対負けねえからッ!〟
マイクに力量の差があるのかわからないし、そもそも自分のマイク力(?)が強いのか弱いのか分からない。
――伊華雌は必死なだけだった。
マイクの特権で島村卯月の唇を確保するために、
しかし――
「それは、出来ません」
〝どっ、どうして! だって俺は、こんなに卯月ちゃんが好きなのにッ!〟
伊華雌は、見当違いな怒りを爆発させて
呪いのアイテムみたいなお前に担当アイドルを任せられるわけがないだろ、みたいな理由かと思ったが――
違っていた。
武内Pは、なげやりに金槌をテーブルに投げて――
「自分は、もう島村さんの担当ではないんです」