「仁奈、アイドルやめたくねーです!」
仁奈の甲高い声がシンデレラプロジェクトの地下室に響いた。仁奈の泣きそうな顔を見て、
――アイドルをやめるというのは、仁奈の母親の独断であって、仁奈の同意は得ていない。
「だって、仁奈、やめられねーです! だってまだ、仁奈のやりてーこと、出来てねーです!」
仁奈の反発は伊華雌の予想を越えていた。小さな体におさまりきらない感情に
何か、理由があるのだと思った。
〝武ちゃん、仁奈ちゃんがアイドルになった理由、訊いてみようぜ〟
武内Pは頷いた。しゃがんで仁奈と目線をあわせ、質問する。
――どうして、市原さんはアイドルになったんですか?
仁奈は、たどたどしい子供の言葉で、身振り手振りを加えて必死に、アイドルの世界にとびこんだ経緯を説明した。
それが、答えだった。
ライブで笑顔になれないのも、当然の結果だった。
「市原さんは、お母さんをライブに招待したいのだと思います。しかし、お母さんをライブに呼ぶのは難しいようです」
――ライブに来てくれない母親をライブ会場に呼ぶにはどうするか?
伊華雌と武内Pが議論を交わしてたどり着いた結論は――
「ライブが、お母さんのところへ行くのはどうでしょう?」
* * *
「LMBGでパレードに参加?」
武内Pは仁奈の手を引いて第三芸能課のドアを開け、
「仁奈さんのライブをお母さんに見てもらうにはこれしかないんです。こちらから、仁奈さんのお母さんの元へ向かうしかないんです。なので――」
よろしくお願いします……ッ!
武内Pが頭を下げて、仁奈も「おねげーします」と言って頭を下げる。伊華雌も頭を下げる感覚を思い出しながら、米内Pの顔に少年みたいな笑みが浮かんでくれることを祈る。
「うーん、どうだろうなあ……。今からだと、あまり時間が無いからなあ……」
仁奈の住んでる団地の近くをハロウィンパレードが通過する。このパレードに参加する形でLMBGのライブをねじ込む。パレードは仁奈の団地のすぐ近くを通るので、ベランダからでも見ることができる。〝負担になる〟という言い訳は通用しない。ベランダに出ることすら拒絶するのであれば今度こそネグレクトギルティの容疑でセクシーギルティがドアをノックする。
ハロウィンパレードの開催は二週間後に迫っており、時間がなかった。当然ながら一般応募は締め切っており、市の担当者に頭を下げて参加させてもらえるように交渉した。人気アイドルが無償でパレードに参加すると聞くなり市の担当は笑顔で了承してくれたが、第三芸能課のアイドル達の協力を望めなければ企画は失敗である。
「あの……」
「ハロウィンパレード、千枝は、賛成ですっ!」
佐々木千枝が、米内Pと武内Pを交互に見上げて首を縦に振って見せる。
――それが、合図だった。
もしかしたら、リーダーの意思表示を待っていたのかもしれない。第三芸能課のアイドル達が、一斉に――
「かおるも賛成でーっ!」
「パレード、みりあもやるーっ!」
「ひょう君も、一緒にパレードできますか~」
「ねえ、パパも仮装すれば一緒にパレードできるんじゃない!」
「さすがにそれはダメだろ。でも、サッカーボールを仮装に組み込むのはできそうだな」
「じゃあ、結城さんはデュラハンなんていいんじゃないんですか? 私は魔導師がいいです。以前やったことがあるので」
「あら、ありすさん乗り気ですのね。仮装なんて子供っぽい、とか言いそうですのに」
「ハロウィンは歴史のある行事ですから。あと、ありすじゃなくて――」
子供達は噴火した火山の勢いで盛り上がり、次から次へと話題が爆発してとまらない様子はさながら火のついた火薬庫のようで、小さな体にみちあふれるエネルギーに伊華雌は圧倒された。
「みんな落ち着け! 今、大事な話をしてるんだから静かにしてくれ!」
学校の先生を思わせる小さなプロデューサーに、しかし子供達は怯まない。
「あんたがグズグズしてるからアタシ達が背中を押してあげてるんじゃない!」
的場梨沙が勝ち気な仕草で長いツインテールを振って米内Pを睨む。
この子、子供とは思えないな……。
気の強さを強調するような目付きと威圧的な
だから――
伊華雌は千枝を絶賛していた。千枝ちゃんは素晴らしい。仁奈ちゃんのために
これが、バブ
優しい気持ちで千枝を眺めて紳士の階段を駆け上がる伊華雌だったが、視界の端でツインテールがクルンと揺れて――
「何見てんのよロリコン!」
〝ひぃっ! ごめんなさいっ!〟
反射的に謝ってしまったのは人間だった頃の習性である。自分がマイクであることを思い出した伊華雌は、恐る恐る武内Pを見上げた。
大丈夫かな? 泣いてないかな?
武内Pは、熊のような
「千枝、気を付けなさい。コイツ、あんたのことじっと見てたのよ。きっとロリコンよ!」
「……そうなん、ですか?」
武内Pを見上げる千枝が、一歩引いた。
――怯えた表情で後退り。
きっと、武内Pのライフは既にゼロだろう。〝子供はお前のこと嫌いだけどな!〟が答えの連想クイズを
何だよこの子供たちは……。いつもいつも武ちゃんのライフをゼロにしやがって。外見が恐いからって勝手に怯えて……、人を外見で判断してはいけませんって学校で習わなかったのか! 〝泣いた赤鬼〟を100回朗読して教訓を胸に刻みつけろ!
伊華雌は心で泣いて、武内Pは実際に泣きそうで、そんな二人を救ったのは――
「武内プロデューサーは、悪い人じゃねーです!」
市原仁奈が、武内Pをかばって梨沙と対峙する。
「武内プロデューサーは、仁奈を助けてくれやがるんです。だから、イジメないでくだせーッ!」
小さな体を振り絞るように声を張り上げて、それはきっと梨沙の心に届いたのだろう。鋭い目付きが、若干緩み――
「別にイジメてるわけじゃないわよ。警戒してるだけよ。だってこんなにデカイから――」
「でっかくても武内プロデューサーはやさしーです! 森の熊さんみてーなもんですッ!」
「もう、分かったわよ……」
梨沙が降参の手しぐさをして、他のアイドル達が笑った。武内Pとキッズアイドル達の間にある壁が、少しだけ薄くなったような気がした。
「それで、ハロウィンパレードはやるんですか? やらないんですか?」
橘ありすがもどかしげに口を挟む。興奮の朱色を滲ませる白い頬に彼女の気持ちが透けて見える。
「いやだから、日程的に……」
ガリガリと後頭部をかく米内Pに、キッズアイドル達が集中砲火を――
「かおる、やりたい! やりたいやりたいやりたいッ!」
「みーりーあーもーやーるーッ!」
「ひょう君、ハロウィンぺろぺろ~」
「さっさと決めなさいよ! だからあんたはダメなのよ! パパだったら――」
「サッカーボールを首にして、デュラハンの格好でリフティングをしながら……」
「プロデューサーが決められないなら多数決で決めましょう。民主主義です」
「ありすさん、すっかりその気になってまして」
「プロデューサーの決断力の無さに失望しているだけです。あと、ありすじゃなくて――」
「だーもー、分かった、分かったからッ!」
もはやごり押し以外の何でもなかった。子供たちに囲まれて要求と罵倒の波状攻撃をくらった米内Pはたまらずパレードの参加を認めた。
歓声が、爆発した。
あれがやりたいこれがやりたいと口々に盛り上がる子供達の声で第三芸能課の事務所は今にも破裂してしまいそうだった。
子供のエネルギーって、すげえ……。
伊華雌は、すっかりげっそりしていた。そもそも、持っているエネルギーの量が全然違うのだと思った。子供に合わせたいのであれば、手こぎボートでモーターボートと競争して勝利するくらいの気合いとエネルギーが必要なのだと思った。
「……と言うことで、第三芸能課はハロウィンパレードに賛成、というかすっかりその気になってるんだけど」
米内Pの視線を受け取った武内Pは、その気持ちを大きな手に作った拳に表現して――
「よろしくお願いします。企画の実現に向けて、全力で――」
「ねえ、アンタ」
武内Pと米内Pが同時に振り向く。
「デカイほう。小さいほうじゃなくて」
的場梨沙はわなわなと震える米内Pに〝してやったり〟な笑みを投げて、そしてじっと、武内Pを見上げて――
「うちのプロデューサー、あんまし頼りにならないから、アンタがなんとかしてちょうだいね。アンタは、まあ、少しは頼れそうだから。パパには遠く及ばないけど」
的場梨沙の勝ち気な笑みに、武内Pは真剣な眼差しでこたえる。
根回しは完了した。
しかし、まだ企画を実現させることはできない。
まだ、突破すべき関門が残っている。
それは――
プロデューサー会議。
346プロの全プロデューサーが
しかし――
プロデューサー会議の議長は美城常務である。すでに事情を知っている彼女は、きっとシンデレラプロジェクトの味方をしてくれると思った。彼女が援護してくれるなら、企画を通すのは容易だと思った。
伊華雌は、美城常務に逆らうプロデューサーなど、存在しないと思っていた。
実際に、その瞬間を目撃するまでは……。
* * *
プロデューサー会議は週に一回のペースで行われる。
――有能な者は評価する。学歴も職歴も関係ない。
美城常務の信条を証明するかのように、この会議では全てのプロデューサーに発言権が与えらる。入社したばかりの新人であっても企画の立案に挑戦できる。先輩プロデューサーからの指摘に屈することなくプレゼンをやり遂げ、美城常務の笑みを勝ち取ることが出来れば企画が現実のものとなる。それを成功させて有能であると判断されれば、プロデューサーとしての評価を大幅に飛躍させることができる。
ただひたすらに〝実力主義〟なのである。必要な企画であると評価されれば、採用してもらえるのである。
だから、大丈夫だと思っていた。
だってこの企画は、市原仁奈を笑顔にするためには絶対に必要な企画だから。
「会議を始める。立案者は
着席するなり美城常務はプロデューサー達へ横なぎの視線を送った。
いつも、この調子である。
無駄を嫌う美城常務は、挨拶も抜きに会議を始め、意見がなければ席を立つ。会議時間の最短記録は三分である。
「シンデレラプロジェクトから、企画を提案します」
武内Pが挙手をした。意外な展開に眉をひそめるプロデューサー達を尻目に美城常務は笑みを浮かべる。
――待っていた、聞かせてみろ。
そんな声が、聞こえるような表情だった。やはり、シンデレラプロジェクトの発案者である美城常務は味方なのだと思った。
――勝ったと、思った。
議長である美城常務を味方につけているのである。それはもう、審査員を買収したオーディションのようなものである。どうしようもない失態でもおかさないかぎり、勝利は約束されたようなものである。伊華雌はあぐらをかく感覚を思い出しながら、企画のプレゼンをすすめる武内Pを見守っていた。
このまま、企画が通ると思っていた。
障害は何もないと思っていた。
「ちょっと、いいですか?」
武内Pのプレゼンが中断された。
茂みに潜むスナイパーに銃撃された歩兵のように、武内Pは
「この企画、私は反対です」
武内Pに宣戦布告を入れてきたのは――
赤羽根Pだった。