「自分に、おにぎりの作り方を教えてもらえませんか!」
武内Pのリアクションは、光よりも速かったのではないかと
……あんた、最高の相棒だよ!
伊華雌は武内Pのファインプレーに感動の涙を流す感覚を思い出していた。伊華雌と武内Pは、島村卯月の笑顔に惚れた同志である。尻餅をついた島村卯月に遭遇したら、考えることは一つである。
――どうしたら、彼女と一緒にいられるか?
そんな、片想い中の乙女みたいな思考回路を、少なくとも伊華雌はもっている。だから武内Pの言動を、スタンディングオベーションで絶賛したい気持ちだった。
島村卯月と一緒にお料理出来るとか最高に最高だぜ! これって初めての共同作業じゃないですかやだぁぁああ――ッ!
興奮する伊華雌はさておき、島村卯月は立ち上がり、ぱんぱんとお尻を叩き、最高の笑顔で――
「わたしで良ければ、お手伝いさせてくださいっ!」
〝いい笑顔なんじゃぁぁああああ――ッ!〟
もう、叫ぶしかなかった。雑誌で、TVで、ポスターで、ずっと見ていた島村卯月の〝いい笑顔〟が至近距離で炸裂したのである。そんなの、至近距離でショットガンをぶっ放されたようなものである。そんなの死ねる。
「では、あの、お願いします」
武内Pも嬉しそうである。一見、いつもの仏頂面と区別がつかないが、その口元の緩みを伊華雌は見逃さない。彼とずっと一緒にいる伊華雌は、些細な表情の変化から感情を読み取るスキルを身につけていた。
「よく、ママと一緒にお料理するんです」
制服の袖をまくりながら話す卯月に伊華雌は新しい興奮を覚える。
ママ……だとッ! 17歳にもなって母親のことをママ呼びとか――
〝可愛いんじゃぁぁああ――ッ!〟
伊華雌は、卯月に関する森羅万象が全て可愛く思えてしまって、その激情はとどまるところをしらなかった。
「わたし、ドジなんです。さっきも転んじゃって……」
〝ドジっ子可愛いぃぃいい――ッ!〟
「わたし、生ハムメロンが好きなんです」
〝生ハムメロン可愛いぃぃいい――ッ!〟
「生ハムおにぎりとかどうでしょう?」
〝生ハムおにぎり可愛いぃぃいい――ッ!〟
もう、何でも良かった。狂信的な猫好きがウンコしてる猫見て可愛いとか言っちゃうように、それが島村卯月の言動であれば問答無用で可愛い認定されていた。
「……プロデューサーさん、元気そうで良かったです」
手はおにぎりを握りながら、視線は手元を見たままで、その口元に、はにかむような笑みを作って――
「わたし、心配してたんです。武内プロデューサーさん、落ち込んで元気がなかったから……」
武内Pの、おにぎりを握る手がとまる。
――ライブで事故があって、落ち込んだ卯月を励ますことが出来なくなって、担当から外れることになった。
それ以上のことを、伊華雌は知らない。それはきっと、武内Pにとって完治していない傷であって、だから訊くことができなかった。武内Pのことを大切な相棒であり友人と思うからこそ、傷口をあけてしまうのが恐くて訊けなかった。
「……島村さんは、もう、大丈夫なのですか?」
武内Pの大きな手が、おにぎりを強く握りかためる。
卯月はしかし、おにぎりを転がす手をとめずに――
「はいっ。わたしはもう、大丈夫です。笑顔で、がんばれますっ。……だから、その、プロデューサーさんも笑顔で安心しましたっ」
「……笑顔、ですか?」
「えっと、そのっ、わったったっ」
卯月のおにぎりが宙を舞った。しかし彼女はトップアイドルたる反射神経をもっておにぎりの危機を救う。床に落とさず、形も崩さずにおにぎりをキャッチして大皿に置くと、卯月は武内Pの方に向き直り――
「わたし、ずっと見てたんです」
武内Pが卯月を気にするように、卯月も武内Pを気にしていた。佐久間まゆがそうであるように、自分をスカウトしてくれたプロデューサーというのは特別な存在であり、担当を外れても気になっていた。
「シンデレラプロジェクトへ異動になったって聞いた時は、びっくりして、すごく心配になって……」
泣く子も黙る恐怖のシンデレラプロジェクトである。地獄への片道切符である。そんな場所へ自分をスカウトしてくれたプロデューサーが送られてしまった。いてもたってもいられなくなって、いっそのこと自分もシンデレラプロジェクトへ行こうかと思ったが――
「凛ちゃんにとめられました。――というか、怒られちゃいました。プロデューサーのことより自分のことを考えなよって」
そういえばと、伊華雌は思い出す。まゆをプロデュースしていた時、赤羽根Pの部屋の前で凛と鉢合わせたことがあった。武内Pを睨んで、怒った声で――
――余計なこと、しないでよ!
「凛ちゃん、口で言うほど怒ってないですから……」
卯月は、ご飯粒のついた手を見つめながら――
「ほら、凛ちゃん、意地っ張りなところあるじゃないですか? それに、すごく仲間想いだから、だからその、あの時のこと――」
キッチンに着うたが流れる。トライアドプリムスの、トランシングパルス。
「わっ、凛ちゃんからっ」
慌ててスカートのポケットからスマホを取り出そうとする卯月を見て、武内Pは目の色を変えて――
「島村さんッ!」
「はひっ!」
武内Pは、卯月の手を見据えて――
「手を洗わないと、ご飯粒が……」
「……え? わああっ、ほんとですねっ」
卯月はドタバタという擬音がぴったりな仕草で手を洗い、武内Pが差し出したハンカチで手を拭いて、間もなく二番の歌詞に突入するトランシングパルスに急かされてスマホを耳に当てた。
「ごめんなさいっ、ちょっとばたばたしちゃってて。――、今は、メルヘンチェンジのキッチンです。――、実は、プロデューサーさんとおにぎりを作ってたんですっ。――、いいえ、武内プロデューサーさんです。よかったら凛ちゃんも一緒に、――、そうですか、分かりました。――、はい、すぐ行きますっ」
スマホを制服のスカートに戻した卯月は、手のひらを合わせてごめんなさいの仕草をして――
「すみません、ちょっと呼ばれちゃいましたっ」
武内Pは口元に優しげな笑みつくり、行動を促そうとするかのように大きく頷いた。
「じゃあ、失礼しますっ」
いい笑顔を残して卯月はキッチンから消えた。足音が遠ざかって消えて、島村卯月担当になりたいマイクとプロデューサーだけが残った。
〝やっぱりいいな、卯月ちゃん〟
「……はい」
〝絶対担当になりたいな〟
「……はい」
自分の中に力がみなぎってくる感覚があった。僅かな時間であったが卯月と一緒にいて、何かが補充された感覚があった。それは武内Pも同じようで、動画を倍速再生したかのような手際のよさでおにぎりを量産している。
出来ることなら伊華雌も手を貸したかったが、マイクな伊華雌が出せるのは口だけである。どうせなら自動おにぎり生産機とかに転生していれば役に立つことが出来たのに……ッ!
「市原さんのお母さんは、パレードを見に来てくれるでしょうか?」
武内Pが最後のおにぎりを大皿に乗せた。この人は基本的に優秀なのだろう、卯月から教わるとすぐに要領をつかみ、その技術を正確に会得した。並ぶおにぎりを見比べて、武内Pのそれと卯月のそれを区別するのは難しい。
〝家からすぐ近くなんだし、さすがに来てくれるんじゃないかな?〟
伊華雌は言葉にしてから、あの感覚を思い出す。
頼めばライブに来てくれると思っていた。しかし仁奈の母親はそれを拒絶した。それどころか最悪の結果を招いてしまった。足下から全てが崩壊するような絶望に飲み込まれた。
自分の感覚を基準にしては、ダメなのだ。
伊華雌はアイドルのライブを最優先事項に設定しているが、その常識が万人に共通しているわけじゃない。仁奈の母親が持つ常識では、アイドルライブの優先順位はとても低い可能性がある。もしかすると家事よりも低いかもしれない。炊事・洗濯を優先し、間近でパレードをやっても足を運んでくれないかもしれない。
――しかし、それでは困る。
ライブに足を運んでもらわないと意味が無い。仁奈がアイドルになった理由を考えると、母親がライブに来てくれない限り彼女は笑顔になれない。
――だから、考える。
おにぎりも作れないし、車も運転出来ないしお姫さまだっこも出来ないマイクだからこそ、せめて無い脳みそをひねって突破口をさがす。
〝……武ちゃん、一つ、提案がある〟
乾いた雑巾を絞るようにして考え出した提案は、もちろん伊華雌の凡庸な頭で考えたものであるから大したことはないのだが、それでも武内Pは賛成してくれた。
「それならきっと、市原さんのお母さんも足を運んでくれると思います」
武内Pはおにぎりの乗った皿を持ちあげ、LMBGの子供達が汗を流しているレッスンルームへ向かった。