マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第11話

 

 

 

「トリック・オア・スマイルッ!」

 

 それは抜けるような晴天で、しかし吹き抜ける風は秋の終わりを告げるように冷たくて、それでもパレードは湯気が出るほどの熱気に包まれていた。

 

 そもそも、リトルマーチングバンドガールズは346プロでも屈指の人気ユニットである。それが市民によるハロウィンパレードに参加するとなれば、当然、ファンは殺到する。気の遠くなるような倍率を誇るチケット争奪戦を潜り抜けることなく現地でLMBGのパレードを拝むことができるとか――

 

 こんなの、行くしかない!

 

 そう思ったファンの数が、運営の予想を上回っていた。パレード周辺の交通網は完全に麻痺、緊急措置として警備会社に応援を要請したが、今更(いまさら)警備員を増やしたところで焼け石に水の状態であった。

 

 それでも、伊華雌(いけめん)は楽観していた。パレードは仁奈の住む団地の近くを通る。ベランダからパレードを見ることができる。例え交通網が死滅しようが、家から出なければ問題ない。

 

「トリック・オア・スマイル!」

 

 そろいの小悪魔衣装を着たLMBGと佐久間まゆが、今回のパレードにおける合言葉を口にしながら行進する。

 

 トリック・オア・スマイル。

 

 考えたのは武内Pである。それはつまり、仁奈の母親に向けたメッセージでもあるのだが、しかし団地のベランダに仁奈の母親は現れない。風に吹かれた洗濯物がはたはたと揺れるばかりである。

 

〝大丈夫かな。そろそろパレード来ちまうぞ……〟

 

 焦る伊華雌に同調するかのように武内Pは腕時計を見る。予想以上の観客が押し寄せた影響でパレードの出発が遅れている。本来なら、すでにパレードが通過している時間である。

 

 しかし、仁奈の母親はその姿を見せていない。

 

 散発的に爆発的な歓声があがり、それが徐々に近付いてくる。歩道は観客でごったがえし、朝の満員電車状態で身動きをとることすらままならない。団地の敷地内は普段通りの平穏を保っているが、一歩外へ出るとコミケ待機列に匹敵する人混み地獄が待っている。

 

「トリック・オア・スマイル!」

 

 アイドルの声が、すぐ近くに迫っている。追って弾ける歓声に、パレードの代価として笑顔が支払われたのだと分かる。もうパレードはすぐ近くで、歩道につめている人たちが一斉に背伸びをする。最前列の観客が、最初に敵を発見した監視兵のように「来たぞ!」と叫び、ついに歓声の爆弾が至近距離で爆発した。

 

 しかし、それでも――

 

 ベランダに仁奈の母親は現れない。

 

「トリック・オア・スマイルッ!」

 

 その言葉を一番聞かせたい相手は、しかし姿を見せてくれない。あれだけ、準備をしたのに。たくさん相談して、パレードの企画をひねり出して、プロデューサー会議で反対されながらも企画を通して、夜遅くまでレッスンに励むアイドルのためにおにぎりを作り、手作りの招待状だって――

 

 武内Pが、走り出した。

 

 団地に入ると、エレベーターのボタンを叩き、しかしのろのろと降りてくるエレベーターに舌を打ち、猛然と階段を駆けあがる。市原の表札を掲げるドアの前に駆けつけて、荒い呼吸を繰り返し息を整える。

 

 とめるべき、なのかもしれない。

 しかし伊華雌は何も言わなかった。インターホンを押す武内Pをとめなかった。

 

 仁奈の母親を、信じていたから。

 誰も出てこないことを、祈っていたから。

 

 ――そして、ドアは(ひら)かなかった。

 

 家の中に人の気配はなく、留守であることに伊華雌はひとまず安堵した。

 

〝……きっと、別の場所で見てるんだよ。ベランダからじゃ遠いからさ〟

 

「……そうでしょうか」

 

 首の後ろを触りながら階段を降りる武内Pは、仁奈の母親に落胆するかのように力なくかぶりを振った。

 

〝……仁奈ちゃんママ、仁奈ちゃんのことをないがしろにしているわけじゃないと思うんだ〟

 

 武内Pは、足をとめてパレードの通りすぎた大通りを眺める。一般参加の市民ダンサーにささやかな歓声が送られている。歩道に詰めかけていた人の波は穏やかになり、トリック・オア・スマイルの声はもう聞こえない。

 

〝仁奈ちゃんのランドセルについてる防犯ブザーさ、一番いい機種なんだよ〟

 

 金をかけることを愛情の指標とするのは間違っているかもしれないが、GPSと連動して警備会社による手厚い警護を約束する防犯ブザーは高級品であり、他の防犯ブザーとは一線を画している。それを団地住まいでシングルマザーの母親が子供に持たせるということが何を意味するのか?

 

 少なくとも、それなりの愛情はあるのではないか?

 

「マイクさんの言うとおり、どこかで見てくれていればいいのですが……」

 

 どこか投げやりな言葉を抱いて団地を出た武内Pが、息を飲んだ。迷い猫を探して見つからなくて、諦めて帰宅したら家の前で発見した。そんな表情で、見つめる先に――

 

 ――スーツ姿の、仁奈の母親が。

 

 未だに人がごったがえしている歩道から抜け出した彼女は、右手にヒールの折れた靴を持ち、死力を尽くした駅伝選手みたいに息を絶やして――

 

「急な仕事で……、間に合わせるつもり……、人が多くて……、仁奈は……」

 

 まだ、終わっていない。

 

 ――市原仁奈を笑顔にするための企画は、まだ成功の可能性を残している!

 

 武内Pと伊華雌は、同時に失意の底から息を吹き返す。何をするべきか? 何をしなくてはならないのか? それぞれの頭で考えて、相談抜きに行動する。

 

 ――時間との戦いだった。

 

 パレードが終点についた時点でゲームは終わる。それまでに、アイドルとしての市原仁奈を母親に見せなければならない。それはしかし容易なことではない。警備員を緊急手配する必要のある膨大な観客が文字通り壁となって立ちはだかる。

 

 終点は論外である。一番人が密集している場所であるから、関係者であると叫んだところで割り込むことは物理的に不可能である。

 

 出来るだけ観客が少なくて、まだパレードが通過していない場所。それさえ把握できれば、あるいは――

 

「武内です! パレードの位置と観客の状況を教えてください!」

 

 武内Pが小型無線機に救いを求める。関係者用の無線機は、しかし反応が悪い。予想以上の観客に対応せんとするスタッフのやりとりは、さながら銃弾飛び交う塹壕で怒鳴りあう兵士のそれに匹敵しており、もはや通信機としての役割を満足に果たせる状態じゃない。

 

 こうしてる(あいだ)にもパレードは終点へ向かっている。

 

 何か、自分にできることはないのか。口先だけのマイク野郎である自分に……。

 いや、マイクだからこそ――

 

 伊華雌は熟慮(じゅくりょ)する間も惜しんで提案する。

 

〝武ちゃん、俺を投げろ! 思いっきり、空高く俺を投げろッ!〟

 

 武内Pはポケットの伊華雌を見つめ、すぐに頷く。伊華雌をつかみ、砲丸投げの選手さながら――

 

 空へ向かってぶん投げた!

 

 それはまるで逆バンジージャンプで、強烈なGを引きちぎりながら大気を切り裂きグングン上昇すると同時に視界が広がっていく様子はまさに――

 

〝ドローンの気持ちになるですよぉぉおお――ッ!〟

 

 気持ちはドローンだが伊華雌はマイクである。その上昇はやがて重力に負け、しばらく滞空したのちに落下を開始する。頂点での滞空時間は数秒だったが、それでも伊華雌は使命を果たした。必要な情報を収集し、地上で待つ武内Pの元へ――

 

 ――絶望的な落下が始まった。

 

 団地の屋上を見下ろす高さからの落下である。それはつまり、団地の屋上から飛び降りたようなものであり――

 

〝鳥のクソの気持ちになるですよぉぉおお――ッ!〟

 

 失神、するかと思った。きっとマイクだから大丈夫だった。もし自分が人間だったら失神していた。

 

 そして、地獄のフリーフォールから武内Pの手に生還できて、その安堵に失禁するかと思った。きっとマイクだから大丈夫だった。もし自分が人間だったら……。

 

〝武ちゃん。団地の一番奥にある公園へ向かえ! そこなら観客も少ないし、まだパレードもきてない。走ればギリギリ間に合う!〟

 

 武内Pは伊華雌をポケットに戻し、仁奈の母親をみて息をつまらせる。

 

 ヒールの折れた靴を持ち、足首を捻ってしまったのか、その場で痛そうに動かしている。とても走れる状態に見えない。

 

「団地の公園へ走れば、パレードを見ることができます」

 

 武内Pの言葉に、仁奈の母親はため息を落とす。何かを諦めた人のように固く目を閉じる。負傷した兵士が俺を置いていけと諦めるように。

 

 けど、諦めない。

 

 武内Pは仁奈の母親に近づき――

 

「失礼します……ッ!」

 

 お姫さま抱っこ。

 

「えっ、わっ!」

 

 少女のような悲鳴をあげる仁奈の母親を、武内Pはサラブレッドのような力強い走りで運ぶ。団地の一番端にある公園に到着すると、それこそお姫様でも扱うような慎重さで仁奈の母親をおろした。

 

「トリック・オア・スマイル!」

 

 すぐ近くからアイドルの声が聞こえた。それに歓声が続いた。どうにか間に合わせることができたと喜びたいのだが――

 アイドル達を一目見ようと、観客が列を作っている。人の壁を作っている。日光をもとめて高さを競う雑草のように背を伸ばしあう観客達が、仁奈と母親の間に立ちふさがっている。

 

 パレードは、まさに観客の向こう側を通過している。

 なりふりかまっている余裕はなかった。

 

〝武ちゃん! 肩車だッ!〟

 

 伊華雌は叫んだ。

 武内Pは迷わずに、地面に膝をついて――

 

「肩に、乗ってください……ッ!」

 

 仁奈の母親は、ためらいをみせていたが、彼女の背中をLMBGのアイドル達が――

 

「トリック・オア・スマイル!」

 

 肩に乗った仁奈の母親を、武内Pが持ち上げる。高身長を誇る武内Pの肩車である。どれだけの観客が壁を作ろうとも、二人の邪魔をすることはできない。

 

 仁奈の母親は、アイドルとして輝く娘を目撃して、劇的――という表現を必要とするくらい表情を変えて――

 

「仁奈ぁっ!」

 

 武内Pの頭をつかんで、もう一方の手を振った。髪をつかまれている武内Pは、しかし嬉しそうだった。伊華雌も同じ気持ちだった。

 

 ――だって、パレードの目的を、達成することができたのだから。

 

「トリック・オア・スマイル!」

 

 パレードが過ぎ去っていく。仁奈の母親は、ずっと手を振っていた。その顔には、仁奈によく似たあどけない笑顔が輝いていた。

 

 その笑顔こそが、この企画の報酬だった。

 

 仁奈の母親を笑顔にして、そして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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