第1話
アイドルにとって週刊誌とは、どんなに振り払っても付きまとってくる煩わしい存在である。
美しい猫に寄生するノミを完全に排除するのが難しいように、アイドルにたかる悪質な週刊誌を完全に追い払うのは難しい。アイドルとして世間に名前を轟かせたその瞬間から、パパラッチのカメラに狙われるという有名税を払わなければならなくなる。
アイドルのスキャンダルを狙う週刊誌はどこも同じくらい厄介な存在であるが、特に関係者から嫌われているのが――
芸能セブン。
961プロの息がかかっていると噂されるこの週刊誌は、その噂に信憑性を持たせようとするかのように961プロのアイドルを狙わない。961プロ以外のアイドルを狙い悪意に満ちた記事を書く。まさにペンの暴力といえる攻撃に、346プロのアイドルも被害にあっている。
例えば、高垣楓の場合――
〝高垣楓、
昼間から居酒屋の
もちろん楓はアル中ではない。ただお酒が好きなだけで、自分のお金で、自分の時間で、自分の好きなお酒を飲んでいるだけであって、他人に非難をされる理由はどこにもない。
――しかし、事実である。
楓が昼間から居酒屋に出現するのは確固たる事実であって、だから346プロは出版社を叩くことが出来ない。
〝俺のターン! 名誉毀損で損害賠償!〟
と叫び訴えたところで――
〝伏せカード発動、報道の自由!〟
によってターンエンドしてしまう。その筆の使い方に悪意があるだけで〝事実を報道している〟という点に関して出版社側に正義があり、叩き潰すことが出来ない。
だからと言って――
何もしないわけにはいかない。
例えば、渋谷凛の場合――
〝渋谷凛、びっくり塩対応! その握手会、まるでライン作業のごとし!〟
別に、凛に悪気があるわけじゃない。ただ、その時は初めての握手会で、クールプリンセスと呼ばれる彼女にも緊張があって、その強張った顔が無愛想に見えてしまっただけであって、決してファンをおざなりにしたつもりはないのだが――
――事実、なのである。
凛が握手会で怒ったように見える顔をしていたのは事実であり、週刊誌はそれを報道しただけであり、だからプロダクションは何も出来ない。アイドルが落ち込まないように全力でフォローするだけである。
そして、今回のケース――
〝徹底検証! 多田李衣菜エアギター疑惑!〟
〝前川みく、古すぎるキャラ付けに猫チャンもびっくり!〟
多田李衣菜と前川みくが、週刊誌のターゲットにされていた。
「この記事自体は、騒ぐほどのことじゃない。〝よくある話〟で一蹴できる問題だ」
美城常務は週刊誌を机の上に投げ捨てると、それきり興味をなくしたかのように視線を外し、正面に立つ武内Pを見据えて問う――
「君は、どう思う?」
その質問は、しばらく美城常務の執務室を浮遊していた。どうにも曖昧な質問である。何かを試しているのだろうかと
「特別なフォローが必要とは思いません。多田さんも前川さんも、この程度のゴシップで調子を落とすことはないかと……」
武内Pの回答が合格点に届かなかったと、美城常務の耳元で揺れるイヤリングに教えられた。彼女はため息と共にかぶりを振って、未熟な弟子をたしなめる師匠のような笑みを浮かべて――
「木を見て森を見ていない。目に見える落とし穴を気にするあまり、崖に向かい行進していることに気付かない」
美城常務の〝ポエム〟が炸裂した!
伊華雌は混乱した!
きっとこの人にはダークイルミネイトな過去があるのではないかと、彼女の詩的な発言を聞くたびに伊華雌の疑念は深まっていく。
いやっ、全然いみわかんないっす!
いやっ、全然いみわかんないっす!
大事なことでもないのに二回言いたくなってしまうほど、美城常務のポエムは理解難解だった。そのヤミノマ具合は熊本弁といい勝負だと思った。この人も禁断のグリモワール(意味深)とか机の引き出しに隠してんじゃないかと伊華雌は疑う。
伊華雌が美城常務の
「つまり、今のままのプロデュースだと、多田さんと前川さんのアイドル活動に未来が無い、ということでしょうか?」
……え? そんなこと言ってたの?
伊華雌は無理ゲー難易度のクイズに挑戦するパネラーを傍観する観客の気持ちで二人を交互に見た。
さあー、厨二病ポエム解読問題! この難問を、果たして挑戦者は正解できたのでしょうか? 美城常務さん、どうっすか!
美城常務は、笑みを崩さずに頷いた。
〝たっ、武ちゃんすげぇぇええ――ッ!〟
思わず声をあげてしまった。だって、さっぱり意味が分からないから。日本語にして日本語ではない〝ポエム〟を正確に翻訳するとか、どんだけ高性能な頭してんだよ! あんたならいつでもダークイルミネイトの担当プロデューサーになれるよ! 外国人アイドルも大歓迎だよ! アーニャちゃんもニッコリ!
相棒の快挙に興奮する伊華雌をよそに、美城常務と武内Pのポエムバトルは終わらない――
「火のないところに煙はたたない。いずれ焼けて灰になる」
「二人のアイドル活動には問題があって、しかし今ならまだ修正が可能であると……」
「巣立ちの時は近い。しかしそのタイミングは親鳥にしか分からない」
「ユニット活動を卒業して、ソロ活動を視野に入れるべきであると……」
「君には二人の親鳥になってもらいたい。巣立ちのタイミングを間違えれば、雛の翼は空を掴めず、幼き体は地に堕ちるだろう」
「自分に、二人のソロデビューの指揮を?」
どうやら、全てのポエムを武内Pは正確に翻訳できたようで美城は満足げに頷いている。
――いやっ、普通に話してくれよ! 日本語でおKッ?
常務の肩書きを持つポエマーに憤りをぶつける伊華雌だが、武内Pはまるで美城常務が日本語を話しているかのように平然と――
「しかし多田さんと前川さんは
「間島は現在新規ユニットを立ち上げている。二人に寄り添ってタイミングを図る余裕がない。ソロデビューは、言わば自転車の補助輪を外すようなものだ。時期を誤ると怪我をする。多忙なプロデューサーが片手間にやるべきではない」
「確かに、自分は、手に余裕がありますが……」
復帰した市原仁奈がシンデレラプロジェクトから第三芸能課へ戻ったので、武内Pの担当は佐久間まゆだけである。確かに余裕はあるようで、地下室で時間をもてあましていることも少なくないが――
武内Pは、美城常務から目をそらし床を見つめている。蛍光灯を反射して光る床を眺めて
難しいの、だろうか?
ユニットデビューしたアイドルをソロでデビューさせるのは、口を引き結び黙考してしまうほどの難易度なのだろうか。
ここは俺が、いやでも……。
伊華雌は武内Pの背中を押そうとして、しかし
「アイドルという雛鳥を羽ばたかせるという責務は君に重すぎるか?」
美城常務の口元から笑みが消える。かけた期待を裏切られて不愉快であると、温度の無いため息に教えられる。
〝武ちゃんがやるなら、俺は全力で応援するから!〟
伊華雌に言えるのは、それだけだった。アイドルをソロデビューさせるのがどれほど難しいか、伊華雌は知らない。絶対うまくいくからと、勢いで背中を叩くわけにはいかない。
ただ――
これだけは確実に断言できる。どんなに高い壁であっても、どうしようもない苦境であっても、武内Pの応援を諦めることだけは無い。敗色濃厚になったとしても、最後の瞬間まで全力で応援する。
だから――
〝俺は何があっても武ちゃんの味方だ。だからあとは、武ちゃんが決めてくれ……ッ!〟
武内Pは床に落としていた視線を伊華雌の入っているポケットへ向けた。自分を
「自分に、やらせてください」
すると美城常務は、凍り付いていた口元を緩めた。
そして、いつものように――
「成果を、期待する」