「今年のサマーライブで、事故がありました。島村さんは悪くないのですが、落ち込んでしまいました。自分は、島村さんを励まして復活させることが、出来ませんでした……」
夏のライブと言えば、
気がついたら神様と二者面談をしていた。
その時点では事故なんてなかったのだけど……。
「自分は、諦めてしまったんです。どうすれば島村さんの笑顔を取り戻すことが出来るのか、分からなくて……」
伊華雌の中に、予感があった。
それは、悪い予感だった。
卯月が落ち込んだ? 笑顔を取り戻せなかった?
じゃあ――
〝今、卯月ちゃんはどうなってんだよ? アイドル、やってるよな? 笑顔、なんだよな?〟
声が、震えてしまう。
もし、今の自分が人間の姿だったら、泣きそうな顔で武内Pの体を揺すっているだろう。
「大丈夫です。島村さんは、立ち直りました……」
〝……そっか。良かった〟
恋人の無事を知った彼氏のように、伊華雌は心の底から安堵した。笑顔を失った島村卯月なんて、絶対に見たくなかった。
「……あなたは、本当に島村さんが、好きなんですね」
武内Pの口調が、若干ながら柔らかくなっているような気がした。さっきまでは容疑者に
〝俺は、卯月ちゃんの笑顔に救われたんだ。あの笑顔がなければ、俺はとっくに……〟
〝高校生活〟という名の地獄から逃げて引きこもり、
その笑顔に、魅了された。
気がつくと、頬が濡れていた。
きっと、対極だったから。
スポットライトを浴びて楽しそうに笑う卯月。
現実から逃げて薄暗い部屋に引きこもっている自分。
あまりにも対極すぎて、でも――
だからこそ――
まぶしかった。
チビが高身長に憧れるように。ガリがマッチョに憧れるように。
暗闇の住人である伊華雌は、明るい世界で笑顔を輝かせる卯月に憧れて、堅く閉ざしていた部屋のドアを蹴破った。バイトを始めて、卯月のグッズを買い漁った。大検をとって、芸能業界に入れると
〝卯月ちゃんがいなかったら、俺の人生、クソなままで終わってた。卯月ちゃんのおかげで、俺のクソな人生が――〟
楽しくなった。
夢中になって卯月を追いかけていたあの頃は本当に楽しかった。バイト先で不細工をバカにされても、専門学校で不細工をバカにされても、もうどうでもよくなった。
だって、自分の一番大切なものは、そこにはないから。
クソみたいな現実よりも遥かに楽しい世界を、持つことができたから。
ふと見ると、武内Pが首の後ろをさわっている。どうやら、戸惑っているようだった。いきなりマイクの人生語られてポカン顔全開、そんな感じだった。
伊華雌は、自分がマイクであることを思い出し、何だか急に恥ずかしくなった。
〝えっと、じゃあ、今、卯月ちゃんを担当してるのは……?〟
「島村さんは、別のプロデューサーが担当しています。自分よりも、優秀な、プロデューサーです……」
武内Pの口調が固い。表情も固く、こぶしも固く握られている。
その仕草から本心を探るのに、さして
〝あんた、不本意なんだろ? 本当は、自分が卯月ちゃんを担当したいんだろ?
武内Pの反応は分かりやすかった。目を見開いて、半口を開けて。〝本心を射抜かれた人の表情〟という題名で
〝だったらさ、卯月ちゃんの担当を、取り戻そうぜ! そして、俺を担当マイクにしてくれよ!〟
「それは、無理です。自分は、失敗しましたし、赤羽根さんのほうが、優秀ですし……」
〝なに弱気なこと言ってんだよ! あんた、なりはデカイのに気は小さいのな!〟
「そんなこと、言われましても……」
人に向かって、こんな強い言葉を投げたのは始めてだった。もし自分が〝人間の伊華雌〟だったら、不細工であるという負い目に卑屈になって、熱い台詞など吐けやしない。
だけど――
今の自分はマイクである。
だから感情の、
〝あんたの島村卯月に対する気持ちはその程度かよ! 卯月ちゃんをスカウトしたのはあんたなんだろ? 優秀なプロデューサーだかなんだかしらねーけど、横取りされて悔しくねえのかよ! 卯月ちゃんの担当を、取り戻そうぜッ!〟
「しかし、赤羽根さんのほうが、島村さんも――」
こんこんと、ノックがあった。白熱する議論に水をかけるように――
「武内、入るぞ」
気安い口調と共に男性が入ってきた。スーツ姿であるからプロデューサーの同僚かと思ったが、その顔は若かった。恐らくは二十歳前後だろうか。専門学校の同級生と大差あるように思えなかった。
「赤羽根さん、お疲れ様です」
武内Pが頭を下げた。
伊華雌は耳を疑った。
この、学生に毛の生えたような若造が、武内Pよりも優秀な〝赤羽根〟ってやつなのか? こいつが、卯月ちゃんの担当を奪ったプロデューサーなのか?
「相変わらず堅苦しいな。同期で同い年なんだから、もっと気安く話してくれよ」
赤羽根Pが親しげな笑みを浮かべて武内Pの肩をたたいた。
伊華雌は耳を疑った。
同期で、同い年……だとッ!
信じろというほうが無理だと思った。だって、武内Pは若く見積もっても20後半にしかみえない。赤羽根Pは、老けて見積もっても20前半にしかみえない。この二人が同い年とか、嘘だろッ!
「卯月が、武内に挨拶したいって」
赤羽根Pの言葉が合図だった。
ドアの向こうから、島村卯月があらわれた。
それはあまりにも島村卯月だったから、伊華雌は何が起こったのか分からなかった。
例えば――
ポスターから実物が出てきたり、TVから本人が出てきたり。そのくらい現実味のない光景だった。
だって――
あの島村卯月が、ライブの衣装で、当たり前のように入ってくるなんて、あり得な――
「今日のライブ、島村卯月、がんばりますっ!」
それはもちろん、伊華雌へ向けた言葉ではない。卯月は武内Pに向けてライブの意気込みを表したのだが――
それでも、伊華雌は昇天した。
卯月の笑顔を間近で見れて、もう死んでもいいと思った。
あ、もう死んでるんだった、と思い直した。
「卯月、行くよ」
廊下から聞こえてきた声に、昇天していた伊華雌が再昇天した。
〝りっ、凛ちゃんまで! いや待てよ、そうなると、もしかすると――〟
昇天の準備をしておいて正解だった。
廊下で腰に手を当てる凛の
「早くしないとおいてっちゃうぞ、しまむー!」
集合していた。
薄暗い廊下に、346プロを代表する人気ユニットが――
〝ニュージェネレェェエエ――ショォォオオ――ッ!〟
本日三度目の昇天だった。
もし自分が人間だったら、
「じゃあ、行ってくるよ」
赤羽根Pが、三人を従えてステージへ向かった。
残されたのは、担当のいないプロデューサーと不細工なマイク。
〝……やっぱり、アイドルって、いいな〟
武内Pは、返事をしない。卯月の去った、薄暗い廊下を眺めている。
〝卯月ちゃんの担当、取り戻そうぜ。俺、卯月ちゃんのマイクになりたいよ〟
もしも武内Pが卯月の担当に戻って、自分が担当マイクになれたら最高だと思った。さっきみたいな、見てるだけで昇天するくらい素敵な笑顔を、毎日のように鑑賞できるのだ。
いや、それだけじゃない。
ライブのたびに、マイクの特権であれが出来るのだ。
島村卯月の、唇に……
〝うぉぉおお! 最高だぜ担当マイク! 担当マイクに――、俺はなるッ!〟
一人で勝手に盛り上がる伊華雌とは対照的に、武内Pはため息を落として――
「もうしわけ、ありませんが……」
彼は、夢を諦めた人間がするように、泣きそうな顔で自嘲の笑みを浮かべて――
「自分はもう、プロデューサーをやめようと思っているんです……」