マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第8話

 

 

 

 どんな顔をすればいいのか分からない。

 

 武内Pは強張った横顔に心情を公開しながらプロジェクトクローネのドアを何度も通り過ぎた。立ち止まり、ノックをしようとするも勇気が無くて立ち去る。壊れたロボットのように同じ動作を繰り返すものだから、最初は同情していた伊華雌(いけめん)もやがて苛立ちを覚えてしまう。ここは一発気合いを入れてやろうと決めて台詞を考え始めた頃――

 

「あれ、武内プロデューサーじゃん! どうしたの?」

 

 元気な声が武内Pの背中を叩いた。聞くだけで癒される音楽があるように、聞くだけで元気をもらえる声がある。その声色(こわいろ)が持つ印象を、もちろん彼女は裏切らない。跳ねたくせ毛。弾けんばかりの笑顔。足元を飾る運動靴。その全てから彼女のあふれるパッションが伝わってきて――

 

〝未央ちゃぁぁああ――ッ!〟

 

 とりあえず叫んでおいた。マイクになって良かったと実感できる特権の一つである。声が聞こえるのは武内Pだけなのだから、周囲の目とかお巡りさんとか気にせず激情のままに叫ぶことができる。武内Pにとってはいい迷惑かもしれないが……。

 

「本田さん! ……あの、お疲れさまです」

 

 不意をつかれた武内Pは露骨に取り乱した。

 元気に開いていた未央の目が、容疑者を疑う刑事のようなジト目になって――

 

「んー、怪しいなあ……。はっ、そうか、さてはクローネを偵察に来たな!」

 

 未央にびしりと人差し指を向けられて、武内Pはそれが図星であるかのように後ずさる。なるほど、こうやって冤罪(えんざい)が生まれるのか……、と感心している場合じゃない。

 伊華雌は未央の疑惑が確信に変わらないうちに――

 

〝武ちゃん、事情を話して未央ちゃんに協力してもらおうぜ!〟

 

 武内Pと赤羽根P。二人は今、アイドルのプロデュースに対する意見を(たが)えて衝突してしまっている。二人きりで話をするのは正直気まずい。当事者でない伊華雌でさえ胃の痛む感覚を思い出してしまう。

 

 しかしそこに、本田未央というアイドルを投入したらどうでしょうっ?

 

 彼女の太陽みたいな明るさによってギスった空気は一網打尽! 息苦しさが解消されて、楽しくお話できてしまうじゃありませんか! 今ならオマケにもう一人つけてお値段びっくり346万円!

 

 伊華雌が深夜通販番組の司会者めいた口調で未央に値段をつけている間に、武内Pは未央に事情を説明していた。346万じゃ安すぎるよな、電話殺到して回線パンクしちゃうよな……。とか考えている間に未央のジト目は解消されて、カブトムシを見つけた城ヶ崎莉嘉みたいな笑顔になって――

 

「事情は分かったよプロデューサー! この本田未央ちゃんにお任せあれ! 赤羽根プロデューサー!」

 

 止める間もなくドアを開け、武内Pをプロジェクトクローネの事務室へ引きずりこんだ。

 

 赤羽根Pはパソコンに向かっていた。その視線が、未央を見て、そして武内Pを見た。一瞬、本当に一瞬だったが、彼の顔が強張ったような気がした。

 

「……武内か。どうした?」

 

 赤羽根Pは、とりあえず笑顔だった。伊華雌はその笑顔に違和感とぎこちなさを覚えてしまう。二人の事情を知っているからそう見えてしまうのか、それとも――

 

「武内プロデューサーさ、赤羽根プロデューサーにお願いがあるんだって。ね!」

 

 未央がいてくれて良かったと思った。伊華雌でさえ違和感を覚えてしまうのである。武内Pはきっともっと正確に赤羽根Pの変化を洞察したのだと思う。その結果、砂時計を出して硬直するパソコンのように機能を停止してしまっている。もしも未央がいなければ、無言で見つめあう二人の間に重い空気が無限増殖していた可能性が高い。

 

〝武ちゃん、みくにゃんと李衣菜ちゃんのゲスト出演を――〟

 

 伊華雌はアイドルの名前を出して武内Pを再起動させる。彼は繊細な乙女のようなメンタルの持ち主であるが、〝アイドルのため〟という大義名分を得た瞬間に豪胆な戦国武将の顔になる。

 

「赤羽根さんに、お願いがあります」

 

 さっきまでの躊躇(ちゅうちょ)はどこへやら、武内Pは雑兵(ぞうひょう)を凪ぎ払い歩を進める武将の剣幕で話を進める。赤羽根Pもまた頭の切れる司令官の顔になり、言葉の応酬を始めた二人のプロデューサーに挟まれている未央は「ほー」とか言いながら目を丸くする。

 

「ゲスト出演してくれるのはこちらとしてもありがたい話だ。そのほうがライブも盛り上がる。断る理由は無い」

 

 話がまとまり、武内Pの口元が安堵に緩みかけたその瞬間――。

 ゴールテープを切る直前のマラソンランナーを狙撃するようなタイミングで――

 

「ただ、ユニットのリーダーには許可をとってくれよ。ピンクチェックスクールは卯月。トライアドプリムスは、凛」

 

 その言い方に若干のトゲを感じたのは気のせいだろうか? 気のせいであって欲しいと伊華雌は思った。武内Pと渋谷凛があまりうまくいってないと、知ったうえで言葉にトゲを含ませたとか……。そこまで武内Pと赤羽根Pの関係が悪化していると思いたくはなかった。

 

「二人には、それぞれ事情を説明して許可をもらいます」

 

 武内Pは一礼して戸口へ向かった。

 赤羽根Pはとりあえずの笑顔で武内Pを見送り、窓の外へ視線を向けた。

 

 今日も961プロの本社ビルが輝いていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ちょっと待ってよ!」

 

 プロジェクトクローネの事務室を出るなり未央が追いかけてきた。

 武内Pは振り返らずに足をとめた。

 

「……もしかして、武内プロデューサーと赤羽根プロデューサーって喧嘩中? 私、余計なことしちゃった?」

 

 眉をハの字にして顔をのぞきこんでくる未央に、しかし武内Pは顔を強張らせたまま――

 

「いえ、そういうわけでは、ないと、思います……」

 

 そういうわけではないと思いたい。それが武内Pの本音だろうなと伊華雌は思った。

 だって伊華雌も、未央と同じ印象を受けていたから。

 あからさまに喧嘩しているわけじゃないけど決して友好的ではない。今の二人は〝冷戦〟という言葉がふさわしい状態だった。本田未央という空気清浄機がなければ重い空気で窒息していたかもしれない。

 

「まー、喧嘩しちゃうことってあるよね。でも、それは悪いことじゃないと思うよ」

 

 未央は頭の後ろで手を組んで、笑みを浮かべながらもキュッと眉を強めて――

 

「喧嘩するってことは、それだけ相手に対して〝本気〟ってことだからね」

 

 武内Pも伊華雌も、しばし言葉を失った。停止した時間の中でただ一人動くことのできる魔術師のように未央はくるくると表情を変えた。双葉杏を思わせるドヤ顔に始まり、小日向美穂のような照れ顔になり、恥じらいを振り払うかのように橘ありすの不満顔で――

 

「……そっ、そんなにじっと見られると、未央ちゃんも照れるんだけど!」

 

 止まっていた時間が動く。武内Pは慌てて視線をそらし、首の後ろへ手をやって――

 

「……あの、お気遣いありがとうございます」

 

 武内Pと一緒に伊華雌も感謝していた。未央のお陰で、武内Pの口元が緩んでいる。それはつまり、彼の繊細な心に入った亀裂が修復されたことを意味している。

 

「べっ、別にそんな、お礼なんて。……そっ、それより、しまむーとしぶりんに話するんでしょ? 呼んであげるよ!」

 

「いえっ、その……」

 

 首にかけていた手を未央へ向けた。武内Pが見せる戸惑いのジェスチャーを、しかし無視して未央はパーカーのポケットからスマホをとりだしていじり出す。

 

 その遠慮のない行動力を、伊華雌は親指を立てて賞賛する感覚を持ってグッジョブする。

 

 武内Pは慎重になりすぎるというかチキンハートすぎるというか、行動を起こすまでに時間がかかるきらいがある。例えるなら、始動までに呆れるほど時間のかかる大型客船のエンジンみたいな人なので、誰か引っ張ってくれる人がいると助かるのだ。もういっそ未央がプロデューサーになって武内Pを引っ張ってくれればいいと思うが、プロデューサーのプロデューサーとか意味が分からないし、佐久間まゆが黙っていないような気がしたので本田未央プロデューサーアイドル計画は机上(きじょう)の空論に終わった。

 

「しまむーはメルヘンチェンジでお茶してて、しぶりんはこれから新曲のレッスンだって。じゃあ、しまむーから行こっか!」

 

「あの! 本田さんは、お時間、よろしいのですか?」

 

 たまらず聞いた武内Pに、未央は頼れるお姉さんめいた笑みを浮かべて――

 

「乗りかかった船だしね、付き合うよプロデューサー! それとも……」

 

 未央は急に、どうみても演技です、としか思えない泣き顔を作って――

 

「私が一緒じゃ嫌なの? プロデューサー……?」

 

 武内Pは、ふっと息をもらして笑った。

 

「ちょっとプロデューサー! その反応はどうなのさ! せっかく未央ちゃんが泣き落としを披露したっていうのに!」

 

 武内Pは何とか真顔を作ろうとして、しかしどうしても口元を引き締めることが出来なくて――

 

「素晴らしい、泣き落としでした」

 

「じゃあ何で笑ってるのさ!」

 

 未央は組んだ腕に威厳をみせて、そっぽをむいて膨らませた頬に不機嫌を強調するが、込み上げるものをこらえきれなくて――

 

 ぷっ。

 

 あーダメだー、とか言いながら楽しそうに笑いはじめて、つられるように武内Pも笑みを重ねた。

 

 ――守りたい、この笑顔。

 

 そんな風に思ってしまういい笑顔だった。赤羽根Pとのやり取りでヘコんでいたはずなのに、今は自然に笑っている。武内Pの笑顔を引き出してくれた未央はやはり〝アイドル〟なのだと伊華雌は改めて実感し、シンデレラプロジェクトに欲しいと思った。きっと未央は落ち込む暇なんてなくなるくらい武内Pを励ましてくれると思うのだけど、やっぱり佐久間まゆが黙っていないような気がして本田未央スカウト計画は机上の空論に終わった。

 

「さあいこ! プロデューサー!」

 

 まるでこれからデートに出発するかのような笑顔だった。元気一杯にパーカーをひるがえす未央の姿に、伊華雌はギャルゲーのデートルート突入に伴い顔の筋肉が緩む感覚を思い出していた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ピンクチェックスクールのライブにみくちゃんを、ですか? わたしは構いませんけど……」

 

 制服姿の卯月が同席している少女達へ視線を送る。

 小日向美穂は頷きアホ毛を揺らし、五十嵐響子は弟のわがままを許すお姉さんの笑みを向けてくれた。

 

 そこは346プロ社内カフェ〝メルヘンチェンジ〟で、その一角に集結していた。

 

〝ピンクチェックスクールぁぁああ――ッ!〟

 

 伊華雌は最初、卯月だけに注目していた。しかしユニットの活動を追いかけるうちに美穂と響子も好きになって、気がついたらユニットを全力で推していた。

 

「プロデューサーさん、また一緒にお仕事できて嬉しいですっ♪」

 

 卯月が〝いい笑顔〟のスキルを発動させた。伊華雌に〝めまい〟のステータス異常が発生した。

 

「武内プロデューサーさんって、卯月ちゃんをスカウトしたプロデューサーさんなんだよね?」

 

 首をかしげてアホ毛を揺らす美穂の仕草が反則的に可愛かった。伊華雌に〝動悸・息切れ〟のステータス異常が発生した。

 

「じゃあ、運命の人、なんだね」

 

 茶化すように微笑む響子と慌てる卯月のやりとりが連携スキル〝尊み〟を発動させる。伊華雌は〝成仏〟のステータス異常を発生させて天に召された。

 

 もう、ずっと見ていたかった。三人が出演するラジオから感じることのできる仲良しガールズトークが目の前で! 音声だけじゃなくて映像つきで! しかも三人とも制服とか!

 

 ――この時間よ、永遠なれ!

 

 伊華雌の切なる願いはある種のフラグを発生させる。

 俺、この戦争が終わったら結婚するんだ。俺たちの勝利だ! ……やったか?

 そう、死亡フラグというやつである。うっかり立ててしまったが最後、悲劇を約束してしまう恐怖のフラグである。

 そして彼は、決してフラグを見逃さない。

 

「――では、自分は渋谷さんに話をしますので」

 

 武内Pは容赦無く離席すると、開けた半口におしゃべりの意欲を見せるPCSの三人と未央に決別のお辞儀をする。

 

 恋愛フラグは破壊して、死亡フラグは回収する。それが武内Pという男の特性であると伊華雌は理解している。

 しかし、理解と納得は別の感情である。

 

〝た、武ちゃん。もうちょっとお話ししてもいいんじゃないかな? っていうか、お話ししようぜ卯月ちゃんと!〟

 

 武内Pは首を横にふって伝票を手に取った。死亡フラグの回収に関し武内Pは容赦が無い。

 

「プロデューサー、私も一緒に行こうか? しぶりんとこ」

 

 未央の申し出もやんわりと断って、武内Pはレジへ向かう。ピンクチェックスクールの三人と未央の集まるテーブルが遠ざかっていく。出航する船から遠ざかる恋人を見つめるのはこんな気持ちだろうかと思い、船に乗ったこともなければ恋人とか二次元に限る俺が知るわけねえだろ! と伊華雌は自分にキレた。

 

「会計、お願いします」

 

 当たり前のようにPCS分の伝票と未央分の追加伝票を持ち出して支払いをする武内Pは何気にイケメンだよなと思った。そうやって無自覚にフラグを立てて、そして無意識に破壊する。破壊されるために立てられるフラグさんが不憫に思えてくる。一度〝フラグの尊さ〟について説教してやらなくてはならない。

 

「ありがとうございました! キャハ☆」

 

 会計はウサミンだった。きっと決められたパターンなのだろう。ツンデレカフェでメイドが暴言と甘言(かんげん)の波状攻撃を仕掛けてくるように、ウサミンな菜々は隙あらば〝キャハ☆〟をねじ込んでくる。それを聞く度に伊華雌は在りし日のミミミンウサミンオムライス事件を思い出して武内Pに謝りたくなる。

 

「ごちそうさまでした」

 

 店を出ようとした武内Pの、スーツの袖をぎゅっと掴む。

 

 ――小柄な安部菜々17歳が袖をつかんで上目遣い。

 

 一枚絵の破壊力が半端じゃなかった。衝動的にウサミンコールしたくなった。

 伊華雌はしかし突発的な萌えに流され欲望の敗北者となってしまったことを恥じることになる。

 

「……あの、みくちゃんの調子はどうですか?」

 

 彼女はウサミンではなかった。今は前川みくの先輩――安部菜々の顔をしていた。

 

「今のところ順調です。間島さんの狙い通り、ソロデビューできると思います」

 

 菜々は武内Pの袖から手を放し、ウサミンに戻った。

 伊華雌は〝あの違和感〟を思い出していた。

 菜々の反応からしても、武内Pのプロデュースはおかしくないはずである。それなのに嫌な胸騒ぎがする。得体のしれない焦りがくる。

 

 ――その正体が、掴めそうで掴めない。

 

 どうしても名前の思い出せないアイドルの写真と格闘している感覚に苦しんでいるうちに、武内Pは菜々と別れてレッスンルームへ向かっていた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「杏殿がいませんぞ!」

「ボクがカワイ過ぎて肩を並べるのが怖くなってしまったんでしょうか?」

「レッスンから逃げただけだと思うっちゃ。まったく、往生際の悪い人っちゃ。まな板の上の鯉を見習ってほしいっちゃ」

 

 最初にのぞいたレッスンルームでは間島Pの立ち上げたユニット――ぷちドルが消えた杏を探していた。

 

 次にのぞいたレッスンルームが当たりだった。神谷奈緒、北条加蓮、そして渋谷凛の三人がベテラントレーナーにしごかれていた。

 

「プロデューサー殿、何か御用ですか?」

 

 ベテラントレーナーが声をかけてきた。武内Pはレッスンが終わってからで構わないと言ってレッスンルームのすみに立った。

 

 トライアドの三人が視線を向けてきた。

 

 神谷奈緒と北条加蓮の向けた視線に色はない。自分達には関係のない作業をしにきたスタッフを見るかのように、存在を確認するなり視線を外した。

 

 凛の視線には、トゲがあった。

 

 些細なことで喧嘩になって絶交を宣言した父親が部屋をノックしてきた。そんな場面にふさわしい表情だった。存在を確認するなり不機嫌な眉を見せ付けて、無視を宣言するかのように黒髪をひるがえした。

 

「よしじゃあ、最初からもう一回行くぞ!」

 

 ベテラントレーナーが手を叩き、トライアドの三人が表情を引き締める。新曲だろうか、伊華雌の知らない曲が流れ出す。

 

〝……凛ちゃんさ、何で武ちゃんに厳しいの?〟

 

 ずっと、気になっていた。最初に会った時から武内Pを視界に収める凛の目付きは厳しかった。

 武内Pは、流れる曲に声を紛れ込ませるように――

 

「自分は、約束を守れなかったんです……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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