マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第9話

 

 

 

 そもそも、渋谷凛はアイドルとは無縁の少女だった。

 

 街頭スカウトで卯月に名刺を渡した翌日、卯月から電話があった。詳しく話を聞きたいと言ってくれた。346プロの住所を伝えて、電話を切ろうとした時に――

 

 あの、友達も一緒に行っていいですか?

 

 翌日、卯月の付き添いで346プロにやって来たのが凛だった。最初、アイドルに興味があるのかと思った。そうではなかった。彼女は卯月の幼馴染みで、アイドルに興味があるどころか――

 

 武内Pのスカウトに不信感を抱いていた。

 

 アイドルのスカウトと言えば聞こえは良いが、一握りの成功者だけがスポットライトをあびることのできる厳しい世界へ引き込もうとしているのである。スカウトされたことを喜ぶ幼馴染みの親友へ、凛は忠告したという。

 

 大丈夫なの? それ、何か騙されたりしてない?

 

 卯月はそれでも、アイドルのステージに続く階段をのぼろうとした。それを黙って見送るほど、凛は薄情者ではなかった。

 

 じゃあ、あたしも一緒に行くから。

 

 果たして、卯月をスカウトした人間は何者であるか? 卯月を任せるに値する人間なのか? 凛はまるで、父親が娘の連れてきた婚約者を値踏みするような気持ちで武内Pと対面した。

 そして、凛と対面した武内Pの第一声は――

 

 アイドルに興味、ありませんか?

 

 プロデューサーの行動として間違ってはいない。渋谷凛を見てスカウトしないプロデューサーがいたら、眼科で精密検査を受けるべきだろう。ダイヤの原石。金のタマゴ。途方も無い可能性を秘めた人物を形容する言葉の全てがあてはまるほど、渋谷凛という少女はアイドルの資質を持っていた。

 だから武内Pの行動は、むしろ模範的であると言えるが――

 

 タイミングが悪かった。

 

 凛は疑っていたのである。果たしてアイドルの世界とはまっとうな世界なのか? プロデューサーはまともな人間なのか?

 それがいきなり、付き添いでやってきた自分をスカウトしてきたのである。

 

 こいつは、まともじゃない。

 

 凛は武内Pを〝ろくでもないヤツ〟と判断し、卯月の手を引き346プロから出て行った。

 

 しかし、武内Pは諦めなかった。

 

 卯月の笑顔と、凛の凛々しさと。どちらもアイドルとして破格の潜在能力を秘めている。絶対にこの好機を逃してはならない。

 武内Pは、うっかり大物を逃してしまった漁師のように、どうしたら今度こそスカウトを成功させられるのか必死に考えた。

 卯月をスカウトするためには、彼女を護るナイトの役目を果たしている凛を篭絡(ろうらく)するべきである。

 武内Pは、凛のスカウトに着手するのだが――

 

 もちろん、難航した。

 

 凛は、アイドルに対して良からぬ先入観を持っている。話すら聞いてもらえない。無視されて、邪険にされた。

 それでも、武内Pは不屈のプロデューサー魂をもってスカウトを継続した。

 通学路に出没する不審者として認知され、いよいよお巡りさんが出動する段になってようやく、凛は名刺を受け取ってくれた。

 武内Pは回らない口を懸命に動かして説得を(こころ)みた。卯月と一緒にアイドルをやってみないかと。そこにはきっと、夢中になれる何かがあるから。

 

 凛は、武内Pの言葉に半信半疑だったが、卯月と一緒なら、という条件でスカウトを受けてくれた。

 その時に、約束した――

 

 何があっても、卯月の笑顔は守ってほしい。

 

「――ですが、自分は島村さんの笑顔を守ることが出来ませんでした。ライブの事故で落ち込んだ島村さんを、どうやって励ましていいのか分からなくて、逃げてしまいました」

 

 レッスンルームに流れていた曲が終わった。静寂を取り戻したレッスンルームに、トライアドプリムスの弾んだ呼吸が大きく響く。

 

「まあ、悪くなかった。ただ、現状に満足するのはまだ早い。お前らならもっと上を目指せるからな!」

 

 ベテラントレーナーの熱い台詞がレッスンを締めくくった。

 

 トライアドの三人は、レッスンの緊張から解放されて笑みを浮かべた。武内Pを横目に見た北条加蓮が何かを言って、奈緒もそれに便乗する。どうやら、二人して凛をからかっているようで、王子さまのお迎え、という単語が聞こえてきた。

 

「そんなんじゃないから」

 

 凛は、自分をおもちゃにして遊ぼうとしてくる二人を手しぐさでたしなめ、武内Pの方を見た。感情を決めかねているのか半端な形に眉を曲げ、黒髪を振ってこちらへ歩いてくる。

 

「何の用?」

 

 それは、鋭いナイフで両断するような口調だった。言葉に物理的な〝切れ味〟が存在したら、武内Pは今ごろ武内P(上半身)と武内P(下半身)に分裂していた。

 辛辣という表現では足りないくらい凛の態度は厳しくて、その緑色の瞳から穏やかでない内心を見透かすのは容易だった。

 

「実は、トライアドの三人に、お願いしたいことがありまして……」

 

「トライアドに? 私にじゃなくて?」

 

 武内Pが頷くと、凛は期待していたものと違う荷物が届いて失望するようなため息を落とした。振り返って加蓮と奈緒を呼んだ。

 

「いいの? 告白の邪魔しちゃって?」

「何ならあたしたちは空気を読んで退散するぞ。あとで話は聞かせてもらうけどな!」

 

 隙あらば凛をおもちゃにしようとするこの二人は、何気に凄いなと伊華雌(いけめん)は思う。どれだけの好感度があれば、凛をおもちゃにできるのか? 仮に自分が凛に軽口を叩いたら、どうなるのか? クロスカウンターでぶちこまれる辛辣な態度と言葉を、想像しただけで伊華雌は嬉しくな――もとい、震え上がる。伊華雌の中にあるドMの扉は、まだ半開き状態である。

 

「トライアドに話があるんだって」

 

 凛に視線を振られた武内Pが説明する。劇場のライブに、李衣菜をゲスト出演させてほしい。

 

「へー、李衣菜ソロデビューするんだ。まあ、いつまでも先輩に頼ってちゃまずいもんね」

「李衣菜なら大歓迎だ。知らない仲じゃないしな!」

 

 凛も、控えめな笑みを浮かべて――

 

「あたしも、構わないよ」

 

 武内Pが丁寧に頭をさげて、再び顔をあげた時には発動していた。いたずらを仕掛ける麗奈様のように、笑みを変化させた加蓮が――

 

「じゃあ、あとは若い二人でー」

 

 その(たくら)みを受信するかのように、奈緒の眉毛がぴくぴく動く。

 

「凛が話しやすいように、あたしたちは席をはずしてやろう!」

 

 アリスのチェシャ猫みたいな笑みを浮かべる奈緒を、ありす呼ばわりされた橘ありすみたいな顔をした凛が視線で抗議する。奈緒は気にせず背を向けて、凛の視線をもじゃもじゃした髪の毛に絡めとる。

 

 ――モフりたい、この髪の毛!

 

 ふわふわ揺れながら遠ざかる奈緒の髪の毛は、さながら長毛種の猫の背中で、伊華雌は棟方愛海の構えをとる感覚を思い出していた。

 

 そして、ポテトドクターストップガールとモフモフ物陳列罪現行犯がレッスンルームから出ていった。

 

「杏殿、発見しましたぞっ!」

 

 廊下に響く脇山珠美の声を最後に、閉まるドアがレッスンルームを密室にした。

 その密室を圧迫する空気に、伊華雌は覚えがあった。

 あれは、専門学校のエレベーターで、うっかり女の子と二人きりになってしまった時の気まずさ。それは、ただひたすらにエレベーターの昇降音が耳を支配する牢獄。

 もちろん、武内Pと自分では置かれた状況に違いがあるが、しかしこのキーンという耳鳴りが聞こえてきそうな静寂は、まさにあの時のエレベーターに似ていた。

 

「あの、さ……」

 

 凛が、口を開く。直接に武内Pを見ようとせず、鏡を通して向ける視線に今の二人の距離を示して――

 

「夏のライブのこと。あたしが何で怒ったのか、理由、分かってる?」

 

 武内Pは、鏡ごしにあてられる視線すら避けて、磨きぬかれて光る床を見つめて――

 

「自分が、渋谷さんとの約束を、守れなかったから。島村さんの、笑顔を守るという」

 

 伊華雌は、事情を聞いたばかりであるから、それが正解だと思った。

 

 ――だから、驚いた。

 

 凛の黒髪が、左右に揺れるとは思わなかった。

 

「……違う、そうじゃない」

 

 凛の視線は、もはや鏡を見ていない。直接に、かつて担当プロデューサーだった男を見て――

 

「あたしが許せないのは、あんたが逃げたから」

 

 凛は、武内Pを見つめたまま、口を閉じた。その白い喉に待機しているであろう言葉の軍隊を、出動させずに待ちうける。その瞳に映す相手が、自分の方へ向き直るまで。その視線が、自分のそれと重なって、気持ちの架け橋が繋がった瞬間――

 

「一緒に、いて欲しかった。卯月も、未央も、あたしも、どうしていいのか分からなくて。……だから、誰かに手を引いて欲しかったッ!」

 

 言葉じゃ足りない、それ以上の気持ちが視線に込められる。

 武内Pは、凛の視線に息をのみ、そしてその視線から――

 

「逃げないでッ!」

 

 凛は、武内Pの首根っこを引っ掴み、強引に自分の気持ちを飲み込ませようとするかのように――

 

「あんた、自分もどうすればいいのか分からないって、言ってたけど、別にそれで構わないんだって! あんたも正解が分からないなら、一緒に正解を探せば良かったんだよ。少なくとも、あたしはそうして欲しかった……ッ!」

 

 凛は、一瞬だけ泣きそうな顔をした。その一瞬だけ、アイドルでも何でもない、どこにでもいる普通の女の子に見えた。

 

 ――喧嘩するってことは、それだけ相手に対して〝本気〟ってことだからね。

 

 記憶の海に沈む未央の言葉が熱を持った。もしかすると、凛は卯月よりも未央よりも、武内Pを信頼していた。だからこんなに、怒っている。

 だから本当は――

 

〝……武ちゃん、言ってやれ〟

 

 凛は、すんと鼻を鳴らすと、いつもの凛々しい顔になって、言葉を待つかのように武内Pを見つめた。

 

〝今の武ちゃんならどうするのか、凛ちゃんに教えてやれ!〟

 

 凛は、待ち合わせをすっぽかされた恋人がするようなため息を落とし、黒髪をひるがえして――

 

「自分は!」

 

 凛のダンスシューズが音を出した。床をこすって、動きをとめて――

 

「自分は、もう、逃げません!」

 

 きっと、凛は許していたのだと思う。

 だけど、その言葉を、その人からもらわないと、気持ちの整理がつかなかったのだと思う。

 見開いた目のふちからこぼれた、一筋の涙が。こらえきれずにこぼしてしまった、素の笑顔が。彼女の感情にかけられていた鍵が開いて、閉じ込めていた感情が解放されたことを――

 

「……約束、できる?」

 

 返事なんて、求めてないような聞き方だった。聞かなくても分かっていると、渋谷凛のものとは思えないくらいあどけない表情が語っている。

 

 だから彼女は、武内Pが頷いても、それが当然と言わんばかりに――

 

「うん……っ!」

 

 決してファンの前では見せない仕草を、目撃して伊華雌は混乱する。

 あっれおかしいな。トライアドのキュート担当は奈緒ちゃんだと思ってたけど、デレた凛ちゃん可愛すぎ問題! これはつまり、トライアドのクール担当が奈緒ちゃんで、パッション担当が加蓮ちゃんで、ポジティブパッションのポジティブパッション担当が茜ちん――って今はポジパ関係ないからぁぁああ――ッ!

 

 混乱のあまり思考を破綻させている伊華雌はさておき――

 

 武内Pと凛の関係は修復された。李衣菜のソロデビューに向けてトライアドの協力を取り付けることに成功した。

 

 ――順調だった。

 

 みくと李衣菜のプロデュースを鉄道に例えるならば、レールはきちんと敷設(ふせつ)され、車両の整備は万端だった。もうプロデュースは、成功したようなものである。あとは鉄道を走らせて、目的地に到着すればよいのだから。

 

 ――結局、伊華雌は気付くことが出来なかった。

 

 みくと李衣菜のプロデュースが、いかに危険な状態であるか……。

 

 やり方は、間違っていない。

 もっと根本的な所に問題がある。

 

 鉄道に例えるならば、奈落の底に繋がるレールを敷いてしまったようなものである。どんなにレールを強化しても、どんなに車両を整備しても、もはや関係ないのである。

 

 ――そのプロデュースには〝失敗〟が約束されていた。

 

 みくと李衣菜は、PCSの、トライアドのゲストとして、346プロライブ劇場(シアター)のステージに立ち――

 

 ――そして失敗してしまう。

 

 間違ったプロデュースの代償として笑顔を失いながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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