新曲を出しませんかと言われたまゆは、珍しく戸惑いの表情を見せた。案外、武内Pから愛の告白をされたらこんな反応をするんじゃないかと
「……いいんでしょうか? だってまゆには、エブリディドリームが――」
「構いません」
武内Pは、ためらうまゆの背中を優しく押すように――
「佐久間さんにはそれだけの人気があるということです。新曲を待ち望む声がそれだけ大きいのです」
――その中でも一際大きい声を出しているのはこの俺なんですけどね!
伊華雌はドヤ顔の感覚をもって佐久間まゆを見つめた。彼女には新曲が必要だと、隙あらば武内Pに吹き込んできた。まゆファンの気持ちを代弁すべく新曲の必要性を訴えかけてきた。
しかし、まゆにとって大切なのは、ファンの熱望でも事務所の期待でもなくて――
「プロデューサーさんは、まゆの新曲、聞きたいですか……?」
どこまでも佐久間まゆという少女はブレない。
自分がやりたいかどうかよりも、プロデューサーが望むかどうかで物事を決めようとするまゆの姿勢に伊華雌は尊敬のようなものを覚える。ここまで一途になれるのは、もはやある種の才能であるとすら思う。
「自分も、次の一歩を踏み出した佐久間さんを見てみたいと思います」
武内Pが真面目な顔で答えた瞬間、まゆの新曲が決まった。どんな曲にしたいかと聞くと、まゆは大きな目を閉じて、まぶたの裏に彼女の望む世界を
「エブリディドリームは愛する二人が結ばれる曲でした。だから次は、愛の続きを曲にしたいです。結ばれた二人がすることと言ったら、一つしかありませんよね?」
……えッ!
まゆの発言に伊華雌は息を呑む。愛する二人が結ばれた後にすることって……っ! いやっ、それっ、曲に出来ないんじゃないかなぁ! 歌詞の大半が放送禁止用語で埋まって、もはや音声モザイクのピー音が伴奏みたいになって、TVで流そうもんなら放送倫理委員会がアップを始めて――
「ハネムーン、でしょうか?」
武内Pの推測にまゆはうなずく。その目に愛する二人を思い描くように――
「固い絆で結ばれた二人は、手を取り合って幸せなハネムーンに出発するんです。そして二人は――」
語られる新曲のイメージを、武内Pは一言ももらすまいと手帳に書き残す。
健全なハネムーンの話を聞きながら、紳士な伊華雌は好意と行為を直結させてしまったことをひたすらに恥じる。
「……だいたいのイメージはつかめました。他に、挑戦してみたいことはありませんか?」
武内Pの問いかけに答えたのはまゆではなかった。みくが、自分だけが知っている知識を披露する子供のような得意顔で――
「まゆちゃん、ピアノ弾いてみたら? ピアノ弾き語りで新曲を発表したら、きっとみんな驚くにゃ!」
まゆは子供の頃に本格的なピアノ教室に通っていたそうで、ときおり女子寮で披露するそれはもはやプロレベルだとみくは腕を組んでうなずく。
「クリスマスライブでピアノ弾き語りとか、最高にロックだね!」
李衣菜の言葉が引き金となって情景が広がる。クリスマス仕様のステージにピアノがあって、赤いドレスのまゆが座る。アイドルによるピアノ弾き語りだけでもサプライズなのに譜面は新曲なのである。まゆのファンは演奏を静聴した
――しかし、である。
佐久間まゆという少女にとって、ファンが驚くかどうか? とか、最高にロックかどうか? とか、そんなことはどうでも良かった。
彼女にとって重要なのは――
「プロデューサーさんは、ピアノを弾くまゆを見たいですか……?」
どこまでも佐久間まゆという少女はブレない。
みくと李衣菜は人前で
「自分も、新しい挑戦をする佐久間さんを見てみたいと思います」
やはり武内Pはまゆの担当プロデューサーに適任であると伊華雌は思った。だって、ここまであからさまな好意を向けられたら、普通の人は冷静じゃいられなくなっちゃうから! もしも自分が武内Pの立場にあったら、こちらも好意を抱いてしまうか、行為にまつわる下心を抱いてしまって仕事どころじゃなくなっちゃうから!
抜群のフラグ耐性を持った武内Pだからこそ、まゆを冷静にプロデュース出来るのだと思った。
「ねーねー。みくたちも何か特別なことした方がよくない?」
「特別なことって、例えば?」
みくと李衣菜が向き合って、うーんとうなって――
「例えば、李衣菜ちゃんが猫耳を付けるとか!」
有言実行! と言わんばかりにカバンから猫耳を取り出すみく。しかし李衣菜は素早くその手首をつかんで――
「却下! 猫耳なんて全然ロックじゃない」
「えー……。じゃあ、まゆちゃん、はい!」
行き場を失った猫耳がまゆに渡された。とばっちりで猫耳になったまゆは、どうですかプロデューサーさん……? と言わんばかりに猫っぽいポーズを見せる。伊華雌は心の中で〝まゆにゃん最高だぜぇぇええ――!〟と叫んだ。
「それじゃあさ、みくちゃんもギター持ってみるとかは? クールでロックなデュオバンドとか、いいんじゃない?」
李衣菜がケースから取り出したギターをみくへ向けるが、みくは猫避けペットボトルをにらむ猫みたいな顔で――
「ノーセンキューにゃ。そういうの、みくのイメージに合わないにゃ」
「えー……。じゃあ、まゆちゃん、はい!」
またしても猫ロック戦争のとばっちりを受けるまゆだったが、猫耳ギター少女なまゆに伊華雌は無限の可能性を見いだした。この調子で獣耳ガールズバンドユニットとか作ったら最高にキュートで爆発的に人気が出るんじゃないかと思った。
伊華雌が猫耳まゆの将来性について考えている間にも猫ロック戦争は激化する――
「李衣菜ちゃんが〝りーにゃ〟に改名して語尾に〝にゃ〟を付ける!」
「みくちゃんが関西弁を披露する!」
「李衣菜ちゃんが歯ギター!」
「みくちゃんがマグロ解体ショー!」
――感情は論理を
二人のやり取りは、いつの間にか〝相手に負けたくない〟という感情に支配されて論理性を失っていた。橘ありすが聞いて呆れるやり取りが建設的な意見を生むことはなく、特別なことを探すつもりがいつの間にか相手のアラを探していた。
「武内さんはどう思うにゃ!」
「担当の意見、聞かせてよ!」
武内Pに迷走する議論の主導権が投げつけられた。それは導火線に火のついた爆弾を渡されるがごとき迷惑行為であったが、武内Pは冷静さを失わずに――
「特別なことをしたいのであれば、そうですね……。新曲の歌詞を考えてみる、とかはどうでしょう?」
もしかすると、まともな意見が返ってくるとは思ってなかったのかもしれない。みくと李衣菜は、失敗して当然のムチャ振りを完璧にこなされた司会者のように呆然として、燃え盛っていた感情の炎が小さくなって――
「新曲の作詞を、みく達で……。確かに特別なことだけど、ちゃんと出来るかな……」
曲げた眉に弱気をみせるみくに対し、李衣菜は強気な笑みを浮かべて――
「わたし的にはアリかな。最高にロックな歌詞、考えちゃうよ!」
負けるものかとみくも強気を取り戻し、光る八重歯に吠える虎の剣幕を見せて――
「じゃあ、みくもやるにゃ! 李衣菜ちゃんに任せたらロックという名の怪文書が歌詞になっちゃうにゃ!」
「はあ! そっちことまともな歌詞書けるのッ? にゃーにゃー言ってるだけの歌詞とかお断りだからね!」
隙あらば喧嘩を始めるみくと李衣菜だが、この二人にユニットを組ませたのは正解だと伊華雌は思った。遠慮なく本音をぶつけ合える相手は、パートナーとして悪くないと思うのだ。
――だって、自分と武内Pがそうだから。
アイドルに関する議論で衝突した時のやり取りは、みくと李衣菜に負けず劣らず感情的で論理性を欠いている。
――でも、その衝突があればこそ今までの成功がある。
まゆの時も、仁奈の時も、たくさん衝突して、お互いに心を削って、満身創痍になりながらも成果をあげられた。
最後には二人で笑顔になることが出来た。
だから――
みくと李衣菜は、このままでいいと思う。たくさん喧嘩して、たくさん衝突して。それでも最後に二人で笑顔になってくればそれでいい。自分と武内Pみたいな関係のユニットになってくれればいいと伊華雌は考えている。
「みく、最高にキュートな歌詞、考えるから!」
「新曲は最高にロックな歌詞! それ以外ありえない!」
シンデレラプロジェクトの地下室が、何だかとても騒がしい。
活気という名の燃料が注入されて、部署全体がエンジンとなって動き出す。前に進んでいるんだという実感があって、どこからともなくやってやるぞという気持ちが込み上げてくる。
「クリスマスライブ、楽しみですね……♪」
猫耳ロックなまゆが微笑んで、伊華雌の中に激情がほとばしった――
〝クリスマスが楽しみとか、生まれて初めてなんですけどぉぉおお――ッ!〟
シンデレラプロジェクトはクリスマスライブへ向けて、346プロのどの部署よりも本気で始動していた。