街が浮かれているように見える。
そんな表現をされる理由は、クリスマスが近付くにつれて増えるイルミネーションにあるのかもしれない。商業施設はもちろんのこと、最近は本格的なイルミネーションに挑戦する一般家庭も増えてきて、住宅街でも浮かれた光が踊っている。
そんなクリスマスにまつわる街の変化に対する
街がカップルフェスティバル状態なのが気に食わなかったのかもしれない。台頭してくるリア充軍団が気に触ったのかもしれない。
とにかく、人間だった頃の伊華雌はクリスマスという単語を忌み嫌っていた。自分が非リアであることを思い知らされるクソイベントだと思っていた。
それが伊華雌にとってのクリスマスであったハズなのに――
何故だろう、今年はイルミネーションに色づく街を見ても
クリスマスというイベント自体に変化はない。相変わらず街中が飾りつけられてカップルが
――変わったのは自分なのだろうなと思った。
マイクになって、友達が出来て、周りにはアイドル達がいて。それだけ環境が変化すれば、良かれ悪しかれ今までの自分ではいられない。クリスマスライブに向けて真剣に頑張るアイドル達を見ていると、くたばれクリスマス! とか思えなくなってしまうのだ。
「お疲れさまです」
武内Pがレッスンルームに入っても、佐久間まゆは気付かなかった。
それがどれだけ異常なことか、もはや説明の必要はないだろう。だって、あのまゆがプロデューサーの接近に気付かないのである。そんなの、電車の接近に気付かない踏み切りぐらい異常な状態である。
まゆはピアノと向き合っている。トレーナーの指摘にうなずき、汗をふくのも忘れて鍵盤を叩いている。
ピアノ弾き語りの新曲をもってクリスマスライブに参戦することになったまゆだが、それは口で言うほど簡単な話ではなかった。
確かにまゆは子供の頃にピアノを習い、気が向いた時に女子寮の電子ピアノを弾いていた。
――しかし、本気のレッスンを受けていた訳ではない。
放置された車が錆びて使い物にならなくなってしまうように、専門家の目から見るとまゆの技術はすっかり錆びてしまっていた。
――だから、気付かない。
プロデューサーの接近に気付かなくなってしまうほど、まゆは真剣にピアノと向き合っていた。ピアノを弾くだけでなく、歌もうたって、しかも新曲なのだから、まゆの負担は計り知れない。
さすがに心配になった武内Pが、ライブの内容を改めたほうがいいかもしれないと提案したが、まゆは気丈にも笑みを作って――
見ててください。まゆは、プロデューサーさんの望むまゆになってみせますから……。
確かにオーバーワーク気味かもしれないが、ここでやめさせたらきっとまゆは笑顔になれない。
伊華雌と武内Pは結論し、定期的にスタドリを差し入れてまゆを応援することに決めた。
「そうじゃないにゃ! そこのポーズは、もっとこう、可愛くするにゃ!」
「えー、こっちの方がロックで格好いいじゃん」
隣のレッスンルームでは、みくと李衣菜が喧嘩しながら最後の調整をしていた。
二人は、相当喧嘩したんだろうなと容易に想像できてしまうほどに猫とロックを融合させた歌詞を完成させている。それはきっと、形の違う歯車を無理矢理噛み合わせるような、痛みを伴う作業であったと思うのだが、完成した歌詞を提出してきた二人は壮絶な戦争を生き残った兵士のような顔をしていた。やりきった顔というのはあんな顔のことをいうのだろうと伊華雌は思った。
シンデレラプロジェクトのアイドル達は、クリスマスライブに向けて着実にレッスンを重ねていた。
そしてシンデレラプロジェクト担当である武内Pは――
やることがなかった。
仁奈の時もそうだったが、ライブに向けて必要な準備を終えてしまうと、後は頑張れを連呼しながらスタドリを差し入れるぐらいしかやることがないのだ。
本来ならばプロデューサーはもっと多くのアイドルを同時に担当するので、ライブの準備を終えたら別のアイドルの世話に追われたりするのだが、三人しか所属していないシンデレラプロジェクトではすぐに手が空いてしまうのだ。
とはいえ、何もしないでいるのはもどかしい。必死にレッスンを頑張っているアイドル達を見ていると、何か役に立ちたいと思う。仁奈の時のように伊華雌は無い知恵を絞り考えた。
〝……なあ武ちゃん。アイドルのみんなにクリスマスプレゼントとか用意したほうがいいんじゃね?〟
もちろん、アイドル達のモチベーションを上げるのが目的である。
でも、本音を言うと、一度やってみたかったのだ。前世では一度も出来なかった〝誰かにクリスマスプレゼントフォー・ユー〟ってやつを、どうしてもやってみたかった……ッ!
人間だった頃のクリスマスとか、翌日に叩き売られているケーキとチキンを回収してデブるだけのイベントだったし……。
「そうですね。何か用意したほうがいいかもしれません」
武内Pのノリ気な発言に伊華雌は遊園地に連れて行ってもらえる子供の気持ちではしゃいでしまう。
一度でいいからクリスマスをリア充イベントとして楽しんでみたかったんじゃーッ!
――という私欲を忍び込ませた提案に罪悪感が無いといったら嘘になるが、アイドルのみんなは武内Pのプレゼントを喜んでくれると思うし、つまりはWin-Winなんですよ!
伊華雌は武内Pと二人で仲良くクリスマスショッピングを楽しむつもりだった。まゆちゃんにはこれかなー、李衣菜ちゃんにはこれかなー、みくにゃんにはー。とか言いながらクリスマス色に染まるショッピングモールでプレゼントを選ぶ。それで充分幸せだった。お釣りがくるほど幸せだった。
しかし――
神様ってやつは、時に幸せのオーバーキルをするらしい。
「あっ、プロデューサーさん! お疲れさまですっ!」
ロビーで声をかけられた。クリスマスを明日に控えた忙しい時期である。346プロの玄関ロビーは業界人とプロデューサーとアイドルのバトルロイヤル状態で、その喧騒はもはや地鳴りと肩を並べるレベルなのだが――
伊華雌はその声を正確にとらえていた。
もしかすると自分の耳にはノイズキャンセル機能がついているのかもしれないと思った。工事現場の中にあっても、鉄道が走る鉄橋の下でもあっても、離陸するジェット旅客機の中にあっても、その声を正確に聞き取ってやる自信があった。
「お疲れさまです、島村さん」
武内Pが律儀に頭をさげた。島村卯月がいい笑顔になった。冬コート制服バージョンの卯月だった。初めて見る服装だった。心の金庫に保管してある島村卯月アルバムに保存しておいた。
「プロデューサーさんはこれからお仕事ですか?」
首をかしげながら訊ねてくる卯月に〝期待しなかった〟と言えば嘘になってしまう。
でも、伊華雌は弾む心を押さえつけた。
そんな都合のいい展開はギャルゲーの世界に封じ込められている。現実世界はもっとシビアで淡白なのだ。絶対にぬか喜びで終わるから、だから期待してはいけない。
だってそれ、実現したらデートだよ? そしたら今日はデート記念日に認定か? いやいやまさか……。そんな記念日、俺のカレンダーには一生追加されないでしょうが……。でしょうよ……。
「実は今から、担当アイドルのクリスマスプレゼントを買いにいこうかと」
「うわぁっ、それは素敵ですねっ♪ ……実はわたし、今日は今からオフなんです」
……いやいやまさか。ありえないでしょうが……。でしょうよ……。
「だから、もしよかったら……」
まだだ! まだ喜んではいけないでしょうが……。でしょう――
「わたしもご一緒したいなー、なんて……っ♪」
〝今日はデート記念日でしたぁぁああ――ッ!〟
このフラグだけは絶対に死守してやると決意した。島村卯月によって生成された聖なるフラグに手をかけようというなら上等、例え相手が無二の親友であっても刺し違える覚悟を――
「ありがとうございます。自分はプレゼントについて詳しくないので、アドバイスをしていただけると助かります」
……あれ、武ちゃんがフラグを破壊しない……だとッ?
どういうつもりなのかと思い武内Pを見上げると、なるほど伊華雌とまゆにしか分からないくらいの小さな表情の変化であるが、嬉しそうに口元を緩めていた。
「島村卯月、アドバイスがんばりますっ♪」
がんばりますコールという名の
武内Pと卯月が並んで346プロの外へ出た。
道行く人がコートの前を閉めて前のめりに歩いている。見るからに寒々しい空気の中で、卯月の吐く息が白く輝きイルミネーションに溶けて消える。
「では、行きましょう」
武内Pが、はにかむような笑みを浮かべて、卯月がいい笑顔でこたえる。
――さあ、クリスマスデートの始まりだッ!