マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第18話

 

 

 

 伊華雌(いけめん)は一度だけコミケに参加したことがある。

 

 限定販売のCDが欲しくて朝一番の電車に乗った。山手線は通学の友であったから特に不安は覚えなかった。そこから先の東京臨海という電車は未経験なので多少の不安はあったが乗り換えなんていくらでも経験している、問題無いとなめてかかった。

 

 ――甘かった。

 

 コミケ開催日の東京臨海鉄道が乗車率の限界を体験できる〝すし詰めアトラクション〟になっているとは思わなかった。

 通勤時間帯を遥か上回る乗客は、そのほとんどがコミケという戦場に足を向ける戦士達で、それを輸送する東京臨海鉄道はさながら決死の上陸作戦に従事する強襲揚陸艇のごとしで、国際展示場駅に着くなりゲートの()いた瞬間の競走馬さながら駆け出す戦士達の足音が地鳴りの剣幕をもって駅舎を占拠した。

 詰めかけた人で混雑すると聞いていたが、現実は予想を遥かに越えていた。

 

 そして――

 

 クリスマスのショッピングモールを前にして、伊華雌は()りし日のコミケを思い出していた。

 噂には聞いていた。クリスマスのショッピングモールは猛烈に混雑するとニュースで聞いて、自宅警備員の俺には通用しないな、ふはは! ――と謎の優越感にひたっていた。

 つまり伊華雌にクリスマスの実戦経験は皆無であって、だから予想以上の人ごみを前に呆然とするのも当然だった。

 

「クリスマス前ですからねー」

 

 圧倒的不快指数を誇る人の波に飲まれても苦笑するだけで許してしまう卯月はやはり天使であると確信した。コミケ待機列に飲まれた時の自分はこの世界の全てを呪う呪文の開発に着手してしまったというのに。

 

「はぐれないように、気をつけてください」

 

 武内Pが卯月を気遣った瞬間、人の波にうねりが生じて――

 

「うわぁっ」

 

 とっさの行動、だったと思う。体勢を崩して、つかんでしまったのだと思う。

 

「あのっ、ごめんなさ――」

 

「構いません」

 

 そのやりとりは、まるで少女漫画だった。うっかり腕をつかんでしまって、慌てて離そうとする少女へ――

 

「混雑してますから」

 

 クリスマスだからだろうか? それとも相手が卯月だからだろうか?

 

 武内Pは伊華雌が白目になるほど模範的なイケメン行為を実践していた。

 卯月はえへへとか言いながら武内Pの腕をつかんだ。

 

 爆発せよ! 大至急爆発せよッ! 

 

 ――とは、思わなかった。島村卯月に腕をつかまれてクリスマスに色めく街を歩くとか、世界中の爆薬を集めて爆破すべき重罪なのに、しかし伊華雌の中にあるのは警官隊と戦う暴徒の狂乱でも、声をあげて斬りかかる侍の気迫でもなくて――

 

 祝福のラッパを吹きならす天使の微笑みであった。

 

 不細工で世界を狙える自分が天使を名乗るとか、キレた天使から内臓吐くまで腹パンされても文句は言えない。そんなリスクを背負ってでも、伊華雌は祝福のイメージを浮かべたいと思っていた。

 

 武内Pだから、だろうか? 卯月だから、だろうか?

 

 理由は定かではないが、目の前で成長する恋愛フラグを穏やかな気持ちで見守ることができたのは、前世を通して初めての経験だった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 伊華雌はかつて、欲しいものを全てネット通販で買う系男子であった。ネットの方が安いし、家まで届けてくれて楽だし、何よりも店員と顔を合わせるという苦行を回避出来るし。

 

 ――そもそも、店に足を運ぶメリットが分からない。

 

 ネットに比べて、在庫は少ないし、値段は高いし、歩いて疲れるし店員と顔を合わせるという苦行が待ち受けているし。ネットの口コミを活用すれば現物を見るより詳しく商品について理解できるし、ゆっくり品定めをしていても誰も文句を言わないし、品定めの最中に店員が声をかけてくるという悪夢におびえる心配もない。

 

 ネット通販と来店販売の間には途方も無い格差があって、もはや来店販売など懐古主義者を接待するためだけに存在している愚行だと思っていたのだが――

 

 伊華雌は考えを改めた。

 

 革命が起きて王が倒されて国が新しくなるように、伊華雌の中に君臨していたネット通販至上主義派が勢力を落とし、来店ショッピングも悪くない派が市民権を獲得した。

 

 ――ただし、島村卯月を同伴している場合に限る!

 

 極端に限定された条件を必要とするが、来店販売が市民権を得たのは〝革命〟であって、卯月は革命の母となった。

 もちろん彼女はそんなこと知らない。知ったこっちゃない。彼女は武内Pとのウィンドウショッピングを楽しみ、それを見た伊華雌が勝手に革命しただけである。

 

「みくちゃんは、やっぱり猫耳でしょうか?」

 

 そんなことを言いながら卯月が案内したのはコスプレ雑貨のお店だった。100の専門店を唄うショッピングモールにあってその店は異彩を放っていた。普通の人生を送っていたら一生縁が無いと断言できるファンタジーな衣装がズラリと並んでいる。

 商品にも驚いたが、客の数にも驚いた。

 コスプレショップという選ばれし人間だけが足を踏み入れることの出来るお店は、しかし多くの人で賑わっていた。

 

 まあ、レイヤーさんの数を考えれば当然か……。

 

 伊華雌はコミケ後に出現する〝可愛すぎるコスプレイヤー〟とか〝エロ過ぎるコスプレイヤー〟とかのタイトルを掲げたまとめスレを思い出しながら客を眺める。わざわざ人前に、――っていうかカメラの前に進み出るような人種である。予想通り美男美女が多くて伊華雌はため息がとまらない。

 

 いや、俺だって本気出せば負けないんだぜ? 試しにぴにゃこら太のコスプレとかさせてみろよ! その再現度の高さにカメラ小僧大集合間違いなしだぜ! ネットにアップされる時には〝閲覧注意〟か〝グロ注意〟のタグがつけられるんだろうけどなッ!

 

 伊華雌が勝手に妄想して勝手にキレてる間には現実世界は大変なことになっていた。

 

 みくのプレゼントであるクリスマスカラーの猫耳を持った武内Pが、見つめていた。未開の部族に混じって踊る知人を目撃したかのような目付きでじっと見つめていた。

 

 その視線をたどってみた。

 伊華雌も同じ気持ちになった。

 

 見てはいけないものを視界におさめてしまった焦りを胸に、見なかったことにするのが礼儀であると武内Pをたしなめようとするのだが――

 

 ――間に合わなかった。

 

 武内Pは、純粋に真実を求める探偵みたいな口調で――

 

「あの、千川さん、ですよね……?」

 

 武内Pの存在に気付いたちひろが凍りつく。彼女は両手にコスプレグッズを持っていた。それはつまり盗品を握りしめた泥棒のようなものであって――

 

 言い逃れは不可能であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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