李衣菜にはクリスマス柄のヘッドフォン。まゆにはハート形のネックレス。ちひろにはクリスマス柄のシュシュを買った。
高すぎず、安すぎず。適度な値段のプレゼントであると受け取りやすいというのは卯月のアドバイスで、受け取ってもらえない可能性について考えていなかった
メリークリスマス! でプレゼントを差し出して、ノーセンキューにゃ! とか言われたら切なすぎる。クリスマスに宣戦を布告して最終戦争に突入してしまうかもしれない。
「今日は、ありがとうございます」
武内Pが卯月に礼を言う。そこはショッピングモールの一角にある喫茶店で、卯月お勧めのお店だった。ママと買い物をした時は必ず寄るんです、と言って紹介されたお店は〝大人の喫茶店〟といった雰囲気で、メニューに並ぶ紅茶の値段が伊華雌の価値観を否定する。
伊華雌にとって紅茶とは〝午後ティー〟一択で、すなわち1・5リットルで300円前後が相場であるというのに、この店の紅茶はお上品なティーカップ一杯につき1000円とか要求してきやがるのだ。
――お前ら、櫻井桃華にでもなったつもりかッ!
未知の世界に混乱する伊華雌を尻目にお客は優雅なティータイムを楽しんでいる。
「ここはケーキも美味しいんですよっ♪」
卯月が得意気にあれこれと説明している。彼女のドヤ顔は、珍しく、美しく、ありがたい。滅多に見ることのできない
「確かに、おいしいです」
武内Pの頼んだチョコレートケーキは複数のチョコレートを重ねて形成された芸術品のようなケーキで、フォークによって切り取られた断面から柔らかいチョコレートがとけだしている。見ているだけで唾液の垂れる感覚を思い出してしまう。
その誘惑に負けたのは、しかし伊華雌だけではなかった。
フォークの動きをとめていた卯月が、恥ずかしい性癖をカミングアウトするような恥じらい顔をして――
「……実はわたし、チョコレートって、頼んだことなくて、その――」
卯月の喉がごくりと鳴った。それは抑えきれぬ欲望に負けた理性の悲鳴であって――
「あのっ、一口もらえませんか……?」
核攻撃によって街が壊滅してしまった。立ち上るキノコ雲を見上げて呆然とする。
そのくらいの衝撃をうけていた。うけて当然だと思った。だってその一口ちょうだいって、フォークが卯月でケーキが卯月でつまり――
〝間接フォークじゃないですかぁぁああ――ッ!〟
伊華雌の絶叫を肯定するかのように武内Pがうなずいた。
卯月は抑えていた食欲を解放し、武内Pのチョコレートケーキへフォークをさしこんだ。
「んーっ! 色んなチョコが、口の中で!」
チョコレートケーキに悶える卯月を見つめて伊華雌は黙考する――
……なんてことだ、間接フォークが成立してしまったよ。アイドルと間接フォークとか、すごいシチュエーション過ぎてもはや羨ましいのかどうかすらも分からんよ。
混乱のあまり逆に冷静になっていた。もしかしたら自分は危機的状況を前に冷静さを保つことのできるホラー映画の主人公に必要な適性を備えているのかもしれないと、冷静に自己分析をしてみせる伊華雌であったが、それも長く続かない。強烈な第二派が、すぐそこまで――
「じゃあ、お返しに――」
卯月のフォークがショートケーキを切り分ける。小さくまとめたそれにフォークを突き刺して、宙に浮かべて――
「あーん、してくださいっ」
……は? ……え? これって、もしかして、うっ……、嘘だろッ!
地面から富士山サイズのゴジラが出てきて世界を火の海に沈めた。
そのくらい、非現実的な衝撃をうけた。
島村卯月がはにかみながらアーンを自分のフォークでケーキがマウストゥ――
「……いえ、自分は」
〝断るな! 受け止めろ! 男じゃろうが!〟
伊華雌の中に村上巴が出現した。卯月のアーンをないがしろにするのはさすがに許せない。今まで踏みにじられてきたフラグ達の無念を晴らすべく、伊華雌は今、修羅になる……ッ!
〝女の子に恥じをかかせたら、いかんばい……〟
続いて降臨したのは上田鈴帆で、まだまだ346プロのアイドル達が控えていた。意気地無しの武内Pが奮い立つまでいくらでも罵声を飛ばしてやろうと思っていたが、最初の二発で武内Pは目つきを変えて――
「では、失礼します……」
何事にも技術があって未熟者は
――まるでパン食い競争だった。
フォークに刺さるケーキが口に入らない。卯月と息が合わなくて、口に入ると見せかけて頬を滑ったり、フォークを下げたら今度はアゴに激突したり。武内Pがやっとケーキを口におさめた時には口の周りがクリームでベタベタになっていた。
「あの、ごめんなさ……、ふっ、ふふっ」
下手くそなアーンによってこれから髭を剃ろうとしている人みたいにしておきながら笑いだすとか、怒ってもいい場面だと思う。
しかし武内Pは、一緒になって笑っていた。
なんだよ、これ……。こんなのまるで、パラダイスじゃないか。
そう、ここは二人の――
〝いちゃこらパラダイスじゃないかぁぁぉぉ――ん!〟
自分でけしかけておきながらキレる伊華雌はさておき――
イチャコラティータイムを堪能した二人は、空になったティーカップをもてあそびながら心地よい沈黙を楽しんでいた。
そしてふと、武内Pがカップを置いた。大切なことを思い出した、――とでも言わんばかりの慌ただしい置き方だった。
彼は、クラスの女子に片っ端から声をかけておきながら本命の女の子に何のアプローチもしてなかったことに気付いて
「あの、島村さんにも、何かプレゼントを用意したいのですが……」
いやそれ、本人に訊いちゃアカンやつやろがぁぁーいっ!
伊華雌の中にハリセンを振り回す難破笑美が出現した。
卯月にメリークリスマス! というのは名案である。珍しく自分からフラグを立てていく武内Pを評価してあげたいところではあるが、その立て方が下手すぎる。壊すのは得意なのに育てるのは下手とか、子育てに苦戦する特殊部隊の精鋭みたいな人だと思った。
「ありがとうございますっ。でも、お気持ちだけで充分です。だって――」
卯月は、クリスマスの中心にいるかのような、どんなイルミネーションよりもまぶしい笑顔を輝かせて――
「プロデューサーさんには、たくさんもらっちゃってますからっ♪」
身に覚えのない感謝をされて戸惑う人。
そんなお題のVTRだとしたら完璧だなと思わせる仕草で武内Pは卯月を見つめる。実はこっそり卯月にプレゼントを贈っていた、――というイケメン的な行為は有り得ないと伊華雌は知っている。だって、一日中一緒にいるのである。おはようからおやすみまで密着しているのである。だから武内Pは卯月に何も――
「わたしを、アイドルにしてくれてありがとうございますっ!」
一口に笑顔といってもその種類は千差万別で、正確に分類するのは難しい。
でも、分かった。
今の卯月がどんな笑顔を浮かべているのか、すぐに分かって、胸の奥から暖かい気持ちがこみ上げてきた。
――嬉しいだろうなと、伊華雌は思う。
スカウトしたアイドルが、こんな風に、心の底から自然とこぼれてしまったみたいな笑顔で喜んでくれたら胸が一杯になって泣きだしてしまうかもしれない。
武内Pの表情に劇的な変化はなかったが――
でも、伊華雌には分かった。
いつもより深い微笑で、いつもより強く首をさわって、ほのかに目の湿度を高めている。その表情を一般人の尺度に合わせて翻訳すると、嬉しくて、感激して、感情をコントロールできなくなってボロボロ泣いている。
つまりは猛烈に嬉しそうな顔であって、だから伊華雌も嬉しくなる。
卯月の笑顔はその可愛らしさにこちらまで笑顔になってしまうが、武内Pの笑顔は何だか胸が温かくなってくる。
同じ〝笑顔〟なのにどうしてこみ上げる感情に違いがあるのか、伊華雌にはよく分からない。
「クリスマスは大阪でライブをするんですっ。関西は初めてなんで、もう楽しみでっ! 未央ちゃんはいろんなお店を調べて食い倒れするぞーって張り切ってて、凛ちゃんは――」
あらためて口にするには恥ずかしい言葉を吐いた反動か、卯月は猛烈な勢いで喋り始めた。
ラジオで彼女の長電話の武勇伝を知っている伊華雌は、いつもこんな感じで電話しているのかなと妄想して幸せな気持ちになる。
――そして卯月の受話器に猛烈な嫉妬を覚える。
長い時には一夜を明かすこともあるという島村卯月の長電話を担当している受話器に自分みたいな転生野郎がいたらどうしよう? ……よろしい、ならば戦争だ。どちらかが灰になるまでなッ!
伊華雌がいるかどうかも分からない転生野郎を威嚇している間にも卯月は笑顔で話しまくる。どうやら彼女は一度スイッチが入ると止まらなくなるタイプのようで、自分の話を自分で広げて、それをまた広げていくという、無限に膨張する宇宙のようなトークを展開していた。
それを聞いている武内Pは、彼氏――というより父親のような優しい顔で相づちを打っている。仲の良い親子みたいな二人を眺めているだけで伊華雌も幸せな気持ちになる。
こんな時間が永遠に続けばいいのにと思うのだが――
幸せな時間は長く続かない。
皮肉にもスマイリングの着歌が二人の時間を終わらせる。
「すみません、ちょっと、事務所から……」
武内Pが断りを入れてスマホを耳にあてる。
思わず息をのむ感覚を思い出してしまうほどの嫌な予感があった。それは寝坊して遅刻した時よりもさらに恐ろしい予感であって、心臓を悪魔に掴まれると表現するにふさわしい恐怖に伊華雌はガタガタと足を震わせる感覚を思い出す。
だって――
夜の8時なのである。クリスマスライブを明日に控えた夜の8時に事務所からの電話とか、〝最悪の事態〟という名前のパレードが脳裏を通過してしまう。
――何でもない業務連絡であってくれ……ッ!
伊華雌の切なる願いを、しかし現実は裏切る。
さっきまで暖炉の前に置かれたゆり椅子に座っているお爺さんみたいに穏やかな顔をしていた武内Pが、今はもう塹壕で機関銃をぶっ放している兵士みたいな顔をしている。
そして彼は、口にして復唱することによって真偽を確かめ、できれば相手に否定してほしいと願うような口調で――
「前川さんが、レッスン中に怪我を……ッ!」