そして
〝半端ない眼福がやって来たんですけどぉぉおお――ッ!〟
ワンルームマンションのドアを並べる無機質な廊下が華やかだった。どんな高級インテリアでも名工のリフォームでも為し得ないくらい豪華になっていた。
佐久間まゆが着物だった。
みくと李衣菜も着物だった。
ただでさえ女性の魅力を引き出す着物を、ただでさえ魅力満点なアイドルが着ている。そんなの、鬼に金棒である。そんなの、可愛いに決まっている。
「プロデューサーさんと、一緒に年を越したいなって……」
両手に巾着袋を提げたまゆが首をかしげて微笑んだ。このまま等身大ポスターにして飾りたい! 伊華雌の率直な感想である。
「あのねっ、みく達女子寮で年越しパーティーやってるんだけど、他の子達がね、担当のPチャンに初詣連れていってもらってるの! だから――、お願いPチャン! みく達も初詣に連れてって♪」
猫のポーズでおねだりされた。伊華雌は吐血する感覚をキモノネコチャンに捧げて思う。
どこにでも連れてってやりてぇぇええ――ッ! ――っていうか連れ回してぇぇええ――ッ!
「わっ、わたしは、着物とか別に……。でも、二人がどうしてもっていうから……」
李衣菜は初めてビキニの水着に挑戦したけどやっぱり恥ずかしくてタオル巻いてる少女みたいにもじもじしている。みっ、見るなぁっ! ――と言わんばかりに赤面されるともっとジロジロ見たくなるのは何故だろう?
慣れない着物姿を恥ずかしがる李衣菜は伊華雌の中に存在する〝赤面させたら可愛いアイドルランキング〟の三位にランクインした。ちなみに二位は神谷奈緒で、不動の一位は神崎蘭子である。
「よく、似合っています。……その、ロックだと思います」
ここまで雑な感想もないんじゃないかと思った。李衣菜に取り合えずロックと言うのは、輿水幸子に取り合えずカワイイと言うのと同じくらい雑で気持ちの薄い誉め言葉である。
さすがに李衣菜も不機嫌になって――
「ロックって……。じゃあ、どこがどんな風にロックなのか言ってみてくださいよ!」
さっきまで初めてアニメのプリントTシャツを着用して外の世界に足を踏み出した人みたいに照れていたのに、今は世界中の視線を集めようとするかのように両手を広げて着物姿を見せつけている。その青い着物は、製作過程を想像すると気が遠くなるほどの緻密な刺繍が施されており、李衣菜の中で
「普段の服装からは見いだすことのできない多田さんの新しい一面が強調されて、新鮮な魅力にあふれています。上品で、大人びて、高垣楓さんのような――」
「わっ、分かった! 分かったから……」
誉め言葉も〝凶器〟になるのだと、耳まで赤くした李衣菜を見て実感する。どうやら武内Pは〝誉め殺し〟のスキルをもっているらしい。
「ねえねえ! みくは!」
「まゆの着物はどうですか、プロデューサーさん……?」
二人に詰め寄られて首の後ろをさわる様子は、元気すぎる姉妹に
「ねえ、早くしないと年が明けちゃうよ」
一人だけ腹一杯食べた人みたいな李衣菜の言葉に救われる。武内Pの誉め言葉で満腹な李衣菜は上機嫌な口笛を吹いている。
「あのっ、急いで着替えてきますので……ッ!」
逃げるように玄関から離れた。確かに、みくとまゆに誉め言葉を腹一杯食べさせていたら年が明けてしまいそうだった。まゆは簡単に満足してくれないだろうし……。
「洋服は、どうすればいいでしょうか……」
武内Pが戸棚の前で途方にくれた。
伊華雌ほどではないが武内Pはあまり洋服にこだわりがないようで、つまりお洒落な服があまりない。ざっと見渡す服の中では、城ヶ崎姉妹に選んでもらった洋服が抜群にお洒落であったが、クソ寒い年末に半袖ハーフパンツでお出掛けとかもはや不審者で、お巡りさんがいい笑顔になってしまう。
〝……スーツ、かな?〟
プライベートでもスーツなのはどうかと思うが、そのくらいしかないと思った。なんせ相手は着物姿のアイドルなのだ。本来ならば紋付き袴を用意して、それでも釣り合うかどうか微妙な
武内Pは手早くスーツに着替えると、あごをさわって硬直する。
「ひげ、剃ったほうがいいでしょうか……?」
すぐに剃れ! 一本も逃すな! 全滅させろ! ――気性の荒い指揮官よろしく激をとばしたいところであるが、あまりアイドル達を待たせたくはない。ドア越しに誰かのくしゃみが聞こえたような気がした。
〝電気で、さっと済まそう!〟
武内Pは洗面所に駆け込むと電気カミソリを頬にあてて最低限の身だしなみを整えた。ひげよし。鼻毛よし。ネクタイよ――
それは、無機質なネクタイばかり並ぶ戸棚において異彩を放っているお洒落なネクタイだった。そのままセレブのダンスパーティーに付けていけそうなネクタイは、しかし武内Pが選んで買ったものではない。
――仁奈ママからのクリスマスプレゼント。
一番してはいけないタイミングだと思った。他の女からのプレゼントを身に付けて佐久間まゆに会うとか、証拠品の血塗られた包丁を握りしめて刑事と食事をするようなものである。
〝武ちゃん、ネクタ――〟
「お待たせしました」
間に合わなかった。
武内Pはドアの外に出るとしっかり鍵をしめた。
「プライベートもスーツなの? まあ、自分のスタイルを貫くのはロックだと思うけど」
「Pチャンらしいにゃ!」
「素敵なネクタイですね……」
楽しそうに弾む声と足音がドアから離れていく。
――間に合わなかった。
焦るあまりに置き忘れたスマホが、トランシングパルスを流していた。