マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第4章 ― 赤羽根Pと武内P ―
 第1話


 

 

 

 深夜の住宅街で冷静さを失っている渋谷凛をどうするべきか?

 

 凛の家は独身寮からさほど遠くないのでタクシーを呼んで送ってやるのが〝普通〟であるが、今の凛の状態を考えると家に帰してしまうのが〝正解〟なのか不安になる。

 パニック状態、というほどではないが混乱している。そもそも、電話がつながらないからと言って深夜におしかけてくる時点で彼女らしくない。普段の凛であれば冷静に明日の朝を待つはずだ。

 

〝女子寮、とかどうかな? アイドルのみんなの顔を見れば落ち着くんじゃないかな?〟

 

 こういう時こそ深刻になりすぎないほうがいいと伊華雌(いけめん)は思っている。学校で嫌なことがあった時、伊華雌は家に帰って島村卯月と対話した。もはや日常の一部となっている卯月の顔を見て、聞きなれた歌声を聞いて、ささくれだった心を浄化させていた。

 だから凛も、一人で家にいるより女子寮でアイドル達と一緒にいたほうがいいのではないかと思った。

 

「ひとまず、女子寮へ行きませんか? 今日は夜通しパーティーをやっているそうですので」

 

「うん……」

 

 迷子の子供のようにうつむいている。外灯に照らされる横顔は不安げで、〝アイドル渋谷凛〟としての強気でクールな表情はどこにもない。

 

「少しだけ、待っていてください」

 

 武内Pは寮に戻って携帯でタクシーを呼んだ。10分ほどでやってきたタクシーに凛を乗せて、自分も乗った。

 

「島村さんと本田さんは、家に帰られたんですか?」

 

 凛は、うつむいたままうなづいた。

 

「家族と予定があるからって。私は、特に予定無かったから」

「そう、ですか……」

 

 しばらく無言が続いた。混乱しているのは凛だけではない。実のところ、伊華雌のほうが遥かに混乱の度合いは強い。自覚がないだけである。度を越した怪我に痛みがないように、混乱に自覚が追いついていない。

 

 赤羽根Pが961プロに移籍? そんなこと、ありえるのだろうか? アイドルも一緒にって、そんなことが出来るのだろうか? だってアイドルには事務所との契約があって、346プロでは毎年一月に更新して今年一年よろし――

 

 そこまで考えて最初の混乱がやってきた。すでに敵の術中にはまっているのだと自覚して、こみ上げる焦りに息をのむ感覚を思い出す。

 

 赤羽根Pは、すごいのだ。

 すごいものは、すごいのだ。

 

 だから計算づくなのだ。契約によって計画を邪魔されることがないように考えているのだ。

 じゃあ――

 

 一体、誰が連れていかれるんだ?

 

 赤羽根Pが話を持ち掛けるのは担当している〝プロジェクト・クローネ〟のアイドルだろう。クローネには、LiPPSがいて、メローイエローがいて、インディビジュアルズがいて、トライアドがいて、ポジティブパッションがいて、ピンクチェックスクールがいて――。

 

 つまり、島村卯月が……ッ!

 

「大丈夫です……」

 

 武内Pが口を開いた。タクシーの運転手がルームミラー越しに視線を向けて、すぐにそらした。

 

「何があっても、島村さんの笑顔は守ってみせます」

 

 凛が、顔をあげた。手を差しのべられた迷子の子供が、その手を取っても大丈夫なのか迷うように――

 

「あなたの笑顔も、守ってみせます」

 

 緑色の瞳に武内Pの顔が映った。その控えめな笑顔が、凛の中で凍りついていた何かをゆっくり溶かしていく。表情が穏やかになっていく。

 

「信じて、いいんだよね」

 

 すがるような言葉に、武内Pはハリウッド映画の主人公みたいに勇ましく――

 

「自分は、絶対に逃げません」

 

 ウンとうなずく凛の向こうで、運転手もうなずいていた。勤続40年のベテランである。タクシーを乗り潰すたびに髪が薄くなり、今では立派なハゲの仲間入りをはたしたベテランである。その髪が抜け落ちるまでの間にドラマがあった。深夜の客がもめて泣いて抱きついて。そんな時はメーターをとめて待っていた。ドラマが終わった頃合いを見計らって、ウンとうなずき――

 

「お客さん、ここら辺でよろしいでしょうか?」

 

 タクシーはとっくに女子寮に到着していた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「周子ちゃん、346プロやめちゃうの!」

 

 女子寮に入るなり、みくの悲鳴が聞こえてきた。他のアイドルの声が続いた。不穏な空気が玄関にまで流れてきた。

 

「失礼します」

 

 談話室のドアを開けた。そこには10人前後のアイドルがいて、深夜の武内Pに驚いたのはその半分に過ぎなかった。残りの半分は塩見周子から目をはなそうとしなかった。

 

「Pチャン! 丁度いいところに! 今、周子ちゃんが……ッ!」

 

 お母さんに言いつける子供みたいに声を荒げるみくだったが、凛の姿を見るなり眉をしかめて――

 

「……まさか、凛ちゃんも? 凛ちゃんも移籍しちゃうのッ!」

 

 凛は首を横に振ると、真っ直ぐに向かう。質問攻めにあっている塩見周子と向き合って――

 

「ほんとに、961プロに行くの?」

 

 周子は、屋台に並ぶお面みたいな、本心の読めない表情で――

 

「流されてみるのもアリかなって。悪い話じゃないみたいだし」

 

 彼女は日本舞踊でも踊るような足取りで凛に近付いて、相変わらずの表情で――

 

「凛ちゃんも、頭ごなしに否定しないで一度考えてみるといい……」

 

 妖艶、と表現すべきなのだろう。妖しい魅力で人間をたぶらかす妖怪のように、周子の瞳が凛を捕らえて――

 

「他の子をたぶらかしたらあきまへん。周子はんみたいに強い子ばかりやあらへんさかい」

 

 小早川紗枝が割って入る。先輩の舞妓が後輩をしかりつけるような、引き締まった京言葉で――

 

「周子はんは実家飛び出してアイドルの世界に飛び込んだりができる(ごう)のもんやけど、そんなん一握りやと思うわ。自分が出来るから相手もできる思うんは勘違いどすえ」

 

 はんなりの〝は〟の字もない。丁寧な言い回しなのに迫力があって、伊華雌は母親の説教を思い出してしまう。

 

「そんなに(おこ)りなさんなって。可愛い顔が台無しだよ」

 

 曖昧な笑みで話をはぐらかして逃げようとする周子を、しかし紗枝は逃さない。その視線は一瞬たりとも動かない。周子は仕方ないなと言わんばかりのため息を落として紗枝と向かい合う。

 

「ちゃんと説明しておくんなまし。いきなりよその事務所へ移籍いわれても、青天の霹靂(へきれき)すぎて理解できまへん」

 

 旅館の古女将を思わせる迫力に、周子は母親に捕まったいたずらっ子のため息を落とし――

 

「別に難しい話じゃないっしょ? 961プロがあたしらを欲しがって、あたしらがその話を受ける。指名をうけてお座敷を移動するようなもんじゃない?」

「お座敷を移るんとは違いますな。周子はんは〝置屋さん〟を変えようとしているんどす。それは舞妓の世界ではご法度(はっと)どすえ」

 

 荒くなる語気に周りを囲むアイドル達の表情が強ばる。星輝子がキノコの生えた植木ばちを抱きしめた。小日向美穂がくまさんTシャツのすそをにぎった。みくが武内Pのそでを引いて〝何とかしてよ〟と無言で頼む。

 

「海外じゃヘッドハンティングなんてよくあることって、志希ちゃんは言ってたよ」

「日本の考え方やと世話になっとる事務所さんを見限ってよそに移るんはあまり感心できまへんな」

 

 もうほとんど喧嘩だった。普段のはんなりと穏やかなイメージが強いぶん、きりりと引き締まった目付きで一歩もひかない紗枝の姿に伊華雌は足を震わせる感覚を思い出す。

 しかし周子はのん気なもので、キツネが人間を化かそうとするかのような笑みを浮かべて、酔拳の達人が相手の攻撃を軽やかに受け流してしまうように――

 

「……ま、結局のところ、人それぞれってことでいいんじゃない? どれが正解ってことじゃなくてさ」

 

 言葉の接ぎ穂を奪い取る。相手の言い分を認め、それと引き換えに自分の言い分を押し通す。敏腕弁護士が狙い通りに休廷を勝ち取るように、紗枝が次の言葉を考えている隙にこの場から――

 

 紗枝が、周子の手をつかんだ。

 

「周子はんいなくなったら、うち、寂しい……」

 

 笑顔のお面にひびが入る。論理性のかけらもない感情的な一言が、しかし心を深くえぐる。しばし真顔の時間が続き、そして優しく紗枝の手をほどき――

 

「ごめんね」

 

 談話室のドアが閉まる。テーブルを占領しているピザとコーラが場違いに色鮮やかで、どうしようもなく冷めた空気の中で立ち往生してる芸人の悲壮感を漂わせている。

 

「……ねえ、美城常務はこのこと知ってるのかな」

 

 凛の言葉に、武内Pは曖昧な反応をする。当然知っているとは思うが、確証はないのだと思った。凛に言われるまで伊華雌と武内Pも知らなかったのだから。

 

「訊いてみます……」

 

 時間はすでに午前一時を過ぎている。これで電話が繋がったら、いよいよもってやばいと伊華雌は思う。それはつまり、正真正銘の緊急事態なのだろうから。

 そして――

 

 電話はすぐに繋がった。

 

「夜分遅くにすみません。確認したいことが――」

 

『赤羽根のことか?』

 

 これは訓練ではない! 繰り返す、これは訓練ではない! 何の映画かは忘れた。平和な世界に突如現れた敵を敵と認識するにはそれなりの時間が必要で、平和にボケた兵隊は敵を前にして〝訓練ではない!〟と怒鳴りつけられても心のどこかで信じてなくて。――そんな〝平和にボケた兵隊〟の姿が今の自分と重なった。

 

 やっと、認識できた。

 これは訓練ではない。

 赤羽根Pは、本気の本気でアイドルをかっさらって961プロに行こうとしている。

 

『明日、出社できるか?』

 

 今すぐにでも行きたい気持ちがあった。今まさにこの瞬間にもアイドルが麻袋に詰め込まれて盗まれてしまうような焦りがあった。

 

 ――しかし、焦ってはいけない。

 

 こんな時こそ、虚勢でもいいからどっしり構えなくてはならない。プロデューサーの慌てる姿は、いよいよアイドルたちを混乱させてしまう。

 

「明日、出社して正確な状況を確認します。みなさんは、落ち着いて普段通り過ごしてください」

 

 そんなこと言われても……。武内Pを見つめるアイドル達が無言で反発する。失われた日常は、そう簡単には――

 

『失恋して辛いのね、わかるわー』

『そういう時は、お酒になぐさめてもらいましょう』

『何でもお酒に投げてたら人生相談にならないわよ楓ちゃん!』

 

 川島瑞樹・高垣楓・片桐早苗の三人が、生放送で生電話の人生相談に答えている。新春特番に、見慣れたお姉さんアイドルに、日常の空気が呼び戻される。

 

「お料理、温めなおしますね」

 

 テレビのリモコンを持った佐久間まゆが、いつもの笑みを浮かべていた。

 

『困った時こそ、いつも通りにするのがいいと思います』

 

 テレビの中で高垣楓がおちょこを口に運んでいる。女子寮の談話室に穏やかな空気が戻ってきた。でも、それは仮初(かりそ)めのものである。いつ転覆してもおかしくない笹舟のような平穏である。

 アイドル達は横の繋がりが強いから、芸能界という戦場で戦う戦友だから。同じ塹壕で横並びになって戦う兵隊のように、強い信頼で結ばれてるから――

 

 ――だから、衝突がおこる。

 

 一人のアイドルが移籍すると、そのアイドルに繋がる全てのアイドルに影響が出てしまう。それは大きな波紋となって、346プロを揺るがす津波になるかもしれない。

 

 小早川紗枝と塩見周子の衝突は前兆にすぎない。

 346プロを襲う津波は、まだ、これから――。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 翌日、武内Pは346プロへ出社した。玄関にでかい門松がふんぞり返り、今日は正月であるぞ! と主張してくるが浮かれた気分にはなれない。

 裏口からビルに入り、美城常務の執務室を目指す。

 

 ――芸能プロダクションは眠らない。

 

 テレビ局がそうであるように、盆暮れ正月だろうが仕事は存在する。むしろ普段より多いくらいで、複数の担当を抱えたプロデューサーは着物を着たアイドルを引き連れてテレビ局を走り回る。

 だから、普段と様子は変わらない。廊下にはアイドルとプロデューサーが行き来して、顔馴染みとすれ違えば新年の挨拶をする。

 

 まだ、知らないのかもしれない。

 

 ほとんどのプロデューサーとアイドルは、船体にダメージをうけてゆっくりと沈み始める豪華客船の乗客よろしく、危機的状況を知らずに踊っているのかもしれない。

 

「失礼します」

 

 三回ノックして、ドアをあけた。誰かと思った。忘年会で飲み比べをやったのと、同じ人物と思えない。それくらい、美城常務は疲れていた。2~3日寝てないんじゃないかと、心配して当然の顔色をしていた。

 

「私は、君に謝らなければならない」

 

 余命いくばくもない病人が、最後の懺悔(ざんげ)をするかのように――

 

「私は、君を利用しようとした。その結果、今回の事態を招いてしまった」

 

 美城常務は、息子に出生の秘密を語る義理の母親めいた口調で――

 

「君をシンデレラプロジェクトへ配属したのは、赤羽根にプロデュース方針を改めてもらうためだった……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 明けましておめでとうございますっ! 今年もよろしくお願いします!

 諸事情により更新速度が遅くなってしまうかもしれません。お待たせしてしまい申し訳ないです……。精神と時の部屋が欲しい……ッ!(切実w












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