赤羽根Pは天才だった。
プロデューサーになるために生まれてきたような男であった。アイドルとのコミュニケーションは円滑で、プロデュースも的確で。営業も得意で、思いもよらぬ方面の仕事を取ってきては、それを一度きりでは終わらせない太い客にした。
まさに天才と言うより他のないプロデューサーだった。
そして、世の天才が満足を知らないように、赤羽根Pも現状に満足しなかった。
きっと本気で、346プロをトッププロダクションにできると考えていたのだろう。
きっと本気で、961プロを越えられると思っていたのだろう。
――今のやり方では961プロに勝てません!
赤羽根Pの第一声は決まっていた。
――961のやり方を真似たところで、成果は出せない。
美城常務の返事も決まっていた。
新展の無い議論だった。平行線を辿るばかりで、どちらも結論を譲ろうとはしなかった。
――そして、議論の時間は終わる。
赤羽根Pは、自分の考えるプロデュースを始めた。話し合いの段階を越えた敵対国家のように、実力行使に踏みきった。本当に才能のあるアイドル、磨かなくとも光る最高の原石を育て、それ以外は切り捨てる。
961プロのやり方だった。
そして、成果を出した。
美城常務はそのやり方を否定することが出来なかった。有能な者は評価すると、常日頃から言っているのは他でもない自分自身である。
しかし――
このまま961プロのプロデュースをさせておくわけにはいかない。方針を変えさせるために、手を打たなければならない。
「そして、君をシンデレラプロジェクトに配属した」
輝きを失ったアイドルを復活させるという、赤羽根Pのプロデュースに真っ向から対立する部署に武内Pを配属した。優秀な事務員である千川ちひろを配属した。それはつまり、赤羽根Pに対する明確な意思表示であった。
「私は、346プロの方針に従う部署を全力で支援するつもりである。それを行動で示すのが目的だった。君には悪いが――」
あまり期待はしていなかった。
そもそも、調子を落としたアイドルを復活させるなんて、上手くいったためしの無いプロデュースである。そんな困難なプロデュースを、自信を失い辞表まで書いたプロデューサーに出来ると考えるほうが間違っている。シンデレラプロジェクトに配属された武内Pが成果をあげられると、本気で考える奴がいたらそいつは絶対に人事職に就いてはいけないと思う。
だから、驚いた。
本当に成果を出してしまうとは……。
そして、期待した。
シンデレラプロジェクトの成果は、そのまま赤羽根Pのやり方を否定する剣となる。赤羽根Pのやり方では、輝きを放つ可能性を持ったアイドルを逃してしまう。シンデレラプロジェクトがそれを証明している。
だから――
赤羽根Pとしては、シンデレラプロジェクトに成果を出されてはまずかった。だから、仁奈を再プロデュースする際には表立って反対してきた。プロデューサー会議の場で武内Pと意見を戦わせた。
そして、武内Pは仁奈の再プロデュースに成功した。
――決定的だった。
赤羽根Pが不要であると宣言したパレードによって市原仁奈は復活したのだ。どちらの言い分が正しかったのか、もはや議論の余地はない。
これで、方針をあらためてくれると思った。
346のやり方で、346のプロデューサーになってくれると思った。
――甘かった。
赤羽根Pは、隣国と秘密裏に話をつけて軍事クーデターをおこすように、全ての準備を整えてから961プロへの移籍を告げた。
「これは、私の失態だ」
美城常務がどんな顔をしていたか、思い出せない。
最初に会った時は、シンデレラをいじめる継母みたいな顔をしていたと記憶しているが、目の前にいる美城常務は、シンデレラに復讐された継母みたいに生気が無い。
きっと、信じていたのだ。
それでも赤羽根Pを信じていたから、頬を土気色にする程度にはショックを受けてしまったのだ。
「……どうして、話してくれなかったのでしょうか」
美城常務を責めているのだと思った。
勝手に利用して、失敗して。だからボロボロに疲れた顔を見せられても許すことは出来ないと、武内Pにしては珍しく怒っているのだと思った。
武内Pは、何も言わずに引っ越してしまった友人の家を見上げて途方にくれるように――
「赤羽根さんは、どうして自分に何も言ってくれなかったのでしょうか……」
同期の桜、という言葉がある。
就職したことのない伊華雌には分からないが、同期入社の同僚は特別な存在であるのだと、今にも泣きそうな武内Pの顔を見て思う。きっと伊華雌が思う以上に、武内Pは赤羽根Pのことが好きなのだ。天才と呼ばれる彼に、憧れて、肩を並べようと頑張って、自分では友人であると思っていたのに――
何も言ってくれなかった。
「赤羽根のことは、残念だが仕方ない。君には、アイドルのことを考えてもらいたい」
デスマーチを乗り越えて瀕死のSEみたいな顔をしていてもそこは美城常務である。混乱する戦場においてなお冷静な指揮官のように――
「できる限りでいい。346のアイドルを守ってくれ。961に易々と奪われるわけにはいかない」
しかし武内Pは美城常務を見ていない。窓の向こう、嫌でも目にはいる961プロのビルを見据えて――
「……大丈夫、でしょうか」
ぼんやりとつぶやいた。その黒光りするビルのてっぺんでふんぞり返っているであろう人物に問いかけるように――
「赤羽根さんは、961プロに移籍して大丈夫なのでしょうか……」
ため息があった。机に吐き出したそれを、平手で叩き潰して――
「武内。今考えるべきは移籍するプロデューサーのことじゃない。口車に乗せられて移籍してしまうかもしれないアイドルのことだ!」
美城常務の焦りも分かる。
でも、武内Pの気持ちも分かる。
961プロは確かにトッププロダクションだが、よからぬ噂の絶えないプロダクションでもある。ネットの掲示板を漁れば、元961プロ社員を名乗る人間による暴露スレが転がっている。
「赤羽根が移籍した後は、島村卯月、渋谷凛、本田未央の担当を君に引き継いでもらうつもりだ」
だから引きとめろ。鋭さを取り戻した美城常務の視線が命じる。
しかし武内Pは、ぼんやりと窓の外を見ている。
〝武ちゃん! まずはアイドルだ! ニュージェネの笑顔を守るぞ!〟
伊華雌が声をかけても、武内Pの反応は薄かった。
* * *
〝とりあえず赤羽根に会って話をしようぜ。ほら、喧嘩の時ってさ、両方から話を聞かないと本当のところは分かんないからさ!〟
直接、赤羽根Pに会わせないとダメだと思った。でないと、悶々と考えこんでしまってアイドルを説得するどころではない。手も足も出ないマイク野郎であることをもどかしく思いながら、伊華雌はしつこく声をかけて武内Pをプロジェクトクローネの事務室まで歩かせた。
先客がいた。
喧嘩していた。
「失礼、します……」
遠慮がちにあけたドアの向こうで、千川ちひろが赤羽根Pに詰めよっていた。
「どうして、何の相談もなしにこんな大事なことを決めちゃうの!」
ちひろが机を叩いた。
赤羽根Pは、警官に銃を突きつけられた犯人のように軽く両手をあげて――
「悪かったと思ってる。でも、仕方なかったんだ。誰にも話せなかった」
ちひろは感情的にかぶりを振った。武内Pのプレゼントしたクリスマス柄のシュシュを振り回して――
「話せなかったんじゃなくて、話す気がなかったんでしょ! 赤羽根君は、いつもそうやって一人で勝手に……ッ!」
「あのっ!」
武内Pが割って入る。同期入社の三人が視線をかわす。入社したばかりの頃はイースター島の石像のように同じ方向を見つめていたはずなのに、今はもう――
「美城常務から話を聞きました。本当に、961プロに行くんですか?」
嘘だといってほしい。必死の形相を見せる武内Pに、赤羽根Pは容赦なくうなずく。
「俺も色々と考えるところがあってな……。急な話で――」
「自分のせい、でしょうか……? 自分が、シンデレラプロジェクトで成果を出したから……ッ!」
自責の念に押し潰されそうな。そんな視線に、赤羽根Pは苦笑する。
「お前は、どこまでも〝いいやつ〟だな。別に、武内がどうのってわけじゃない。事務所と考え方が合わなかった。それだけの話だ。お前が気にすることじゃない」
「それならどうしてアイドルを連れていくの? 赤羽根君だけが961プロに行けばいいじゃない!」
ちひろは、目の前で大切な骨を奪われた犬みたいにくってかかる。
赤羽根Pは、何度も説明を要求されて、辟易としている政治家みたいに――
「アイドルにとっても、これはチャンスなんだ」
断言は人の心を引き付ける。歴史に名を残すスピーチは数多くの〝断言〟によって構成されている。
「961プロはトッププロダクションだ。そこに移籍できるんだ。それだけでトップアイドルに近付くことができる。アイドルにとっても悪い話じゃない」
続く反撃を、あらかじめ予測して防御を固めるように――
「もちろん、強制はしない。移籍するかどうかはアイドルの意思に一任している。俺はチャンスを提供するだけだ」
ズルいなと、伊華雌は思う。そのチャンスとやらに、抗えないアイドルもいるのだ。きっとこのプロデューサーは知っているのだ。強制はしないが勝算はある。いい人の見本みたいなメガネ顔に書いてある。
「赤羽根さん……」
怒ってやれと、伊華雌は思う。今こそブチ切れたフランケンシュタインの怪物みたいに怒って暴れて思い知らせてやればいい。
しかし武内Pは、大事な人を失って悲しむフランケンシュタインの怪物みたいに目を細めて――
「自分は、寂しいです……」
その顔に、見覚えがあった。塩見周子を引きとめる小早川紗枝が同じ顔をしていた。同じ目をしていた。
きっと、理論武装していたんだと思う。何を言われても論破できる自信が赤羽根Pの背中を椅子の背もたれから離さなかった。
それなのに、泣きそうになった子供に慌てるように、腰を浮かせて――
「いや、その、悪いとは思ってる。何も相談しなかったことも」
私には! ちひろが横から噛みついてくる。悪かった悪かったと手しぐさで謝る。
「961プロは、悪い噂も多い会社です。移籍して大丈夫なのでしょうか?」
ようやく自分の武器で戦える。赤羽根Pはどさっと背もたれに背中をあずけて――
「大丈夫だ。961プロとしてもアイドルは貴重な戦力だ。大切に――」
「自分が心配しているのは、赤羽根さんのことです」
ずりりり……。背もたれを滑って沈みこんでいく。ずり落ちたメガネにちひろがクスクス笑いだす。失礼なちひろに言葉の鉄槌をくだすべく、赤羽根Pは座りなおしてメガネをなおして――
「何か、懐かしいね」
毒気を抜かれた。
その一言がどんな魔力を持っていたのか、伊華雌には分からない。きっと誰にも分からない。この世界で、この三人にしか分からないやりとりなのだと思う。
新入社員時代の優しい思い出は、しかし咳払い一つで消えてしまう。
「とにかく、そういうことだから。何も相談しなかったことは、悪かった」
謝ること。それはある意味で最強の護身術かもしれない。ごめんなさいと謝られると、それ以上攻撃できなくなる。
ちひろは、落ち着いた手つきで乱れたスーツの襟首を直した。
武内Pは、首の後ろをさわっている。
携帯の着うたが流れた。
トランシングパルスだった。
武内Pはスーツの懐からスマホを取り出しながら部屋を出た。
『あっ、プロデューサー! あのさ……、その――』
深夜の住宅街を思い出した。あの時も凛は、突然に日本語を忘れてしまったかのように口ごもった。
「何か、あったんですか?」
どんな言葉でも受け止めるから。父親のそれを思わせる真剣な声が、凛のためらいを押し流す。
そして――
『未央が、961プロに移籍するって……ッ!』