新春のファミリーレストランは混雑していた。
元旦? 知らねえよこちとら24時間年中無休なんだよ! と言わんばかりに「いらっしゃいませー」と言われた。お一人様ですか? お煙草は――。
たたみかける店員に手のひらを向けて、ニュージェネの三人を探した。
初詣帰りだろうか、家族連れが多かった。
もう着物脱ぎたい。お年玉は大切に。大吉だった!
正月気分に浮かれる声が一斉に襲いかかってきて、それでも
「プロデューサーさんっ!」
やはり自分の耳には島村卯月の声を聞き分けるノイズキャンセル機能が搭載されているのだと思った。テーブル席で手をあげる卯月を見て確信した。
武内Pは、店内にひしめく客をかき分けて進み、開口一番に――
「あの、本田さんは!」
テーブル席には凛と卯月しかいなかった。並んで座る二人の向かいにフライドチキンの骨だけがあった。一人ぶんのくぼみを残したソファーがあった。そのくぼみが、一足遅かった武内Pを嘲笑っているような気がした。
「未央ちゃん、ポジティブパッションのみんなと話があるからって、行っちゃいました……」
こんなことになるとは思わなかったと、卯月の落ち着かない視線が語っている。一目で気合いを入れたとわかる服装から、初詣を楽しめると思っていたのだと思う。皿の上でしなびている生ハムメロンから、未央の話がどれだけ予想外であったのか分かる。
「おじちゃん、邪魔ーっ!」
ドリンク片手に我が物顔で店内を駆け回っている子供が武内Pを見上げていた。
武内Pはソファーに腰をおろし、凛と卯月を順に見て――
「赤羽根さんと、話してきました」
説明した。赤羽根Pの移籍は決定事項であること。アイドルの移籍は本人の意思に任されていること。961プロへの移籍は、アイドルにとって悪い話ではないこと。
「でも、じゃあ、何もしないのッ? 本人の意思だからって、未央を961プロに行かせちゃうのッ!」
凛が、机を叩いて立ち上がった。その乾いた音が店内に充満していた正月気分に蹴りを入れた。全ての視線が凛へ向けられた。
しってるー、痴話喧嘩ー。
母親が慌てて子供の口をふさいだ。大人たちが失笑して、信号が変わったみたいに凍りついていた空気がゆっくりと動き出した。
「最終的にそれを決めるのは、本田さん本人です」
ソファーに座った凛がまた立ち上がろうとする。それをとめる卯月も、飼い主に蹴られた犬みたいな顔をしている。
期待していたのだと思う。
伊華雌も期待していた。武内Pなら、絶対に未央を行かせはしないと、本気の目つきで熱い啖呵をきってくれると思っていた。
「どこ行くの!」
鋭い言葉だった。追い討ちをかけるように緑色の瞳を光らせた。
束の間、渋谷凛と武内Pがにらみあった。
眉をハの字にした卯月が、弱々しく凛の袖を引いていた。
「本田さんと、直接話をします。本気で961プロにいくつもりなら、確かめなければなりません」
「確かめるって、何を……?」
「961プロへ移籍して、それでも――」
武内Pの返事を聞いて、伊華雌は理解する。
彼はもう、未央を〝担当〟しているのだと。担当プロデューサーとして使命を果たそうとしているのだと。
武内Pの使命、それは――
* * *
電話で連絡をとることはできなかった。気付かないのか、それともさけられているのか、何度かけても留守電になってしまった。
「家を、張り込みましょう」
刑事のようなことを言われた。真顔だった。冗談を言っているつもりはなさそうだった。
そして、伊華雌にも異論はなかった。
今、この瞬間にも未央の気持ちが固まってしまうかもしれない。そうなる前に話をする必要がある。考えを改めてもらう必要がある。
〝未央ちゃんってさ、武ちゃんがスカウトしたの?〟
未央の家へ向かう車の中で訊いてみた。正月の首都高は、まるで貸し切りサーキットのようにすいている。前後に車のいない高速を、それでも武内Pは法定速度で走る。
「本田さんは、346プロのオーディションに合格して、アイドルになりました。ただ、普通の合格とは少し違いますね。実質、あれはスカウトでした」
当時、オーディション審査員の間で本田未央はちょっとした有名人だった。
――実は2~3人いるんじゃないか?
まことしやかにささやかれるほど、ありとあらゆるオーディションに出現していた。本田未央15歳です! という挨拶を何度聞いたかわからない。
それはつまり、それだけ落選しているということであり、お世辞にもアイドルの才能に恵まれているとは言えなかった。
可愛くて、元気で、礼儀正しくて。
それじゃだめなのだ。そんな、図鑑で〝アイドル〟と銘打たれて解説されているような女の子じゃ、だめなのだ。そんな女の子はいくらでもいるのだ。
プロダクションが求めているのは、群れて泳ぐ銀色のイワシではない。群れてなお存在を無視できない自分だけの色を持ったイワシなのだ。
本田未央は、とても美しく、しかし個性のない銀色のイワシだった。
少なくとも、オーディション会場では。
――彼女がその真価を発揮したのは、不運にも審査員の目が届かない控え室だった。
おおむねオーディションは5人前後のグループに分けられる。同じ控え室で待たされる。自分以外の人間は蹴落として這い上がるべきライバルであって、そこにたちこめる空気は闘技場の控え室を思わせるほどに張り詰めている。
それが普通、なのである。
それなのに――
笑い声が聞こえた。
そっとのぞいた控え室で、武内Pは信じがたい光景を目撃する。オーディション参加者達が、小学校からの幼馴染みなんですよと言わんばかりに笑っている。みんなで合格するぞと意気投合している。
すぐにオーディション会場に行って、資料を見た。接点は見つからなかった。今日初めて会ったはずなのに、藁人形に顔写真張って五寸釘打ってやりたいほどに憎いライバルであるはずなのに、さっきの様子は、まるで――
ユニット活動をしているアイドル。
逸材がいるのだと思った。五人の中に、とんでもない逸材が。
武内Pは審査員に口を利いた。一時審査を通過させて、二次審査では全員バラバラになるように控え室を分けてほしいと頼んだ。
――そして、発見した。
二次審査の控え室で、またしても初対面のアイドル候補達と笑みを交わしている本田未央を。
誰とでもすぐに仲良くなれる。
これは立派な才能であって、アイドルの世界では特に重宝される。だってアイドルは、他のアイドルとユニット活動をするから。
そして武内Pは、まさに本田未央のようなアイドルを探していた。
卯月と凛。アイドルの世界を歩き始めたばかりの二人を、元気づけて勇気づけて最高の笑顔にしてくれる。そんなアイドルを探していた。彼女ならきっと、二人の笑顔を引き出して、そして自身も笑顔になって輝いてくれると思った。
〝それさ、未央ちゃんは知ってんの? その……〟
――採用された理由。
武内Pは、F1レーサーみたいな目付きで相変わらず車の一台もいない首都高速から目を離さずに――
「本田さんには伝えていません。ですので、少し焦っています……」
未央は知らないのだ。
自分がどういうアイドルなのか? どうして、輝いていられるのか?
つまり、未央は知らないのだ。
その輝きは、移籍と共に失われてしまうことを……。