マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第4話

 

 

 

 あんぱんと牛乳が必要だと思った。

 そのくらいの長期戦を覚悟しなければならなかった。

 

 未央の住む団地に到着したのは昼過ぎだった。出入り口の見えるところに車をとめて、まるで本物の刑事みたいだ! とはしゃいでいられたのは最初の二時間。それからは〝忍耐〟という言葉の意味を体で覚える体験学習の時間になった。

 

 ――さらに二時間。

 

 退屈は神を殺すという格言の意味が分かった。何もしないのが、こんなに辛いとは思わなかった。

 初詣帰りだろうか、着物姿の住人が行き来している。お年玉を握りしめた子供が駆け抜けていく。久々に集まった親戚連中が何を言われても笑っている。

 現れては消える住人を無感情に監視していると、自分が人間以外の何かになってしまったように思える。

 

 ――まあ、今は人間じゃなくてマイクなんですけどね。

 

 自分でボケて突っ込んで、そしてまた退屈の波に飲み込まれる。この退屈は、神様を殺しても不思議ではないと思う。

 

 ――さらに五時間。

 

 すっかり暗くなってしまった。出入りする住人も減ってきた。

 

〝武ちゃん、メシとかどうすんの? 俺が代わりに見張っとくから何か食ってきなよ〟

 

 武内Pは朝から何も食べていない。いい加減腹が減ってるはずだ。

 

〝近くにコンビニあったから何か買ってきなって。何も食わなきゃ体もたねえって。刑事だって張り込みの時はあんぱんと牛乳を持ち込むんだからさ!〟

 

 ようやく、うなずいてくれた。

 車を降りてコンビニに向かう足取りがおぼつかない。ちゃんと疲れているのだ。それなのに弱音を吐かないのだ。誰かが気をつかってやらないと、ぶっ倒れるまで働き続けてしまうのだ。だからこうやって、怒ってでも食事をとらせないといけないのだ。

 伊華雌(いけめん)は武内Pの友人であると同時に母親の役割も果たすようになっていた。

 

「お待たせ、しました!」

 

 武内Pは小走りで戻ってきた。

 

〝対象はいまだ現れず。張り込みを継続せよ〟

 

 刑事っぽい口調で言ってみた。長い張り込みなのである。少しくらい遊びたくなってくる。

 

「了解です」

 

 武内Pがコンビニ袋に手をいれた。中からあんぱんと牛乳が出てきた。どこまでも真面目なのだこの人は。

 

 コンコン。

 

 誰かが車の窓を叩く。あんぱんをくわえた武内Pが、電源を落とされたロボットみたいに停止する。

 天敵の登場だった。

 ヘビがカエルをにらむように、猫がネズミを狙うように、車の窓をのぞきこむのは――

 

 お巡りさん。

 

「通報がありましてねー。昼間からずっと同じ車がいるって」

 

 深淵をのぞきこむとき、深淵もまたこちらをのぞいている。

 つまり、そういうことである。

 監視すると同時に監視されていたのである。

 

 自分がいかに素人であるか思い知った。刑事なら絶対に犯さない初歩的なミスだと思う。何があんぱんと牛乳だ。刑事気取るならもっとちゃんと車を隠せよ。団地の入り口の真ん前に路駐とか、少しは隠れる努力をしろよ!

 

「身分証ある? 何してたの?」

 

 アイドルのプロデューサーで、アイドルを待っていました。

 

「昼からずっと? 連絡とればいいんじゃない?」

 

 連絡がつかないくて、それで待ってました。

 

「なるほどねー。実は最近、同じことを言ってる奴がいてさ。連絡がとれないから直接会うしかないから家の前で待ってるって。そいつ、結局何者だったと思う?」

 

 警官が微笑む。

 武内Pは首をさわる。

 

「ストーカー」

 

 取りあえず話は署で聞くから、車から降りて。警官の命令に武内Pは従う。でも、自分は本当に! 弁解しようとしても警官は取り合わない。はいはい、話は後で聞くから。そう言ってパトカーに連れこもうとする。

 伊華雌には何もできない。

 警官に意見することもできなければ、冴えたアイディアも浮かばない。残酷な猟師に捕獲されてしまった仲間を茂みから見つめることしかできない小鹿の悔しさにを胸に歯を食いしばる感覚を――

 

「プロデューサー!」

 

 よく通る声だった。まるで舞台女優のような、素晴らしい発声だった。

 

「この人、私のプロデューサーなんです!」

 

 二人組の警官が、視線を交わして、首をかしげて――

 

「……えっと、あなたは?」

 

 帽子を取った。伊達眼鏡を外した。だめ押しとばかりに――

 

「本田未央、15歳! アイドルやってます!」

 

 未央ちゃん! ニュージェネの! ポジパのだろ! うるせえ俺はニュージェネ派なんだよ! なんだとてめえファンファンファーレしてやろうか!

 

 警官は死んだ。

 そこにいるのは、警察の制服を着たドルオタ二人で、警視総監にも見せないであろう情熱的な敬礼をしてみせた。どこでもいいからサインしてくれといって制帽の裏にサインをもらった。持ち主の名前を書くべきところに本田未央と書いてある。誰の帽子だ! と警察署で騒ぎになるのはまだ先の話である。

 

「ありがとうございましたっ!」

 

 握手会に満足して立ち去るファンの挨拶を残してパトカーが走り去った。無音で赤色灯を回している。パトカーまでも浮かれているように見えた。

 

「プロデューサー、どうしたの? こんな時間に?」

 

 それはこちらの台詞である。団地の公園に設置された時計をみると、日付が変わるところである。

 

「961プロに移籍するというのは、本当ですか?」

 

 いきなり、斬り込んだ。

 しかし未央は、あらかじめ手の内を読んでいた侍のように、眉ひとつ動かさずに――

 

「武内プロデューサーには悪いけど、すごいチャンスだと思うから」

 

 業界トップの961プロへ入るということがどれだけ凄いことなのか? 未央はよく知っているのだと思う。いつも来ていると話題になるほどオーディション会場を渡り歩いていたのだから。961プロのオーディションが、他の事務所と比べて一段と厳しいことを肌で感じていたのだから。

 

 その961プロへ移籍できる。

 途方もない数のオーディション会場を渡り歩いていた未央としては、誘惑に抗えないのかもしれない。

 

 けど――

 

「ひとつだけ、訊いておきたいことがあります」

 

 真剣を大上段にふりかぶるように――

 

「……なに?」

 

 未央は、どんな一撃がきても受け流す自信のある剣士の無表情で――

 

「961プロへ移籍して、その時あなたは、笑顔でいられますか?」

 

 受け流すことが出来ない。表情が崩れて、心に隙ができて、そこに渾身のひと突きを――

 

「961プロのアイドルとして、346プロのアイドルと、島村さんや渋谷さんとすれ違って、その時あなたは、笑顔でいられますか?」

 

 張り込みの最中に教えてくれた。

 未央は仲間を笑顔にして、自分も笑顔になれるアイドルなのだと。満点の星空のように、仲間と一緒に輝くことができるのだと。

 

 ――でも、月にはなれない。

 

 たった一人で、それでも絶対の存在感をもって夜の女王になれるアイドルであるなら問題はない。月の輝きは夜空を選ばないのだから。

 

 けど、星は――

 

 みんな一緒でなければ輝くことが出来ない。夜空を選ばなくてはならない。一つでも欠けてしまえば、それは星座でなくなってしまう。

 

「最終的な判断は本田さんがしてください。ただ、自分は、本田さんの元担当、ニュージェネレーションズの元担当として言わせていただきます」

 

 外灯が武内Pの横顔を照らす。まゆを再スカウトした時みたいに、仁奈の母親を背負った時みたいに、みくと李衣菜を全力で励ました時みたいに――

 

「346プロの本田さんは、最高にいい笑顔をしていましたッ!」

 

 余裕の無表情など、とうの昔に消えている。泣きたいのか笑いたいのか、複雑な表情から感情を読み取るのは難しい。

 

「ごめん。ちょっと、わかんない……ッ!」

 

 武内Pは追いかけない。走りだした未央の背中を黙って見送る。

 

 ――やるべきことはやった。

 

 その横顔が語っていた。伊華雌にも異論はない。武内Pは担当プロデューサーとしてやるべきことをやったと思う。

 

 ――担当アイドルを笑顔にする。

 

 それが武内Pの〝やるべきこと〟であって、〝移籍するかどうか〟について意見を押し付けることはしない。それは本人が決めることだから。

 

〝未央ちゃん、残ってくれるかな……〟

 

 ニュージェネのステージを思い出す。

 息を弾ませる三人は最高にいい笑顔をしていた。

 業界トップの961プロで、業界トップの待遇で、業界トップのレッスンを受けて、業界トップのステージに立って、それでもあの笑顔は出せないと思う。

 

 あれは、ニュージェネという夜空でしか見ることの出来ない最高の三ツ星(ミツボシ)なのだ。

 

「本田さん、次第です……」

 

 その無表情から感情を読み取れるのは、伊華雌と佐久間まゆぐらいだろう。

 きっと、特別な存在なのだ。ニュージェネレーションズは、武内Pにとって特別なユニットで、三人がステージで見せる笑顔を、その奇蹟(キセキ)のような輝きを、諦めたくはないのだろう。

 

 頼むぜ、未央ちゃん……ッ!

 

 伊華雌は、祈る。とにかく祈る。ニュージェネという三ツ星が、その輝きが346プロという夜空に戻る日を願って、ただひたすらに祈り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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