マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第6話

 

 

 

「未央から、話きいたよ」

 

 城ヶ崎美嘉のヒールが音を立てる。その乾いた音がシンデレラプロジェクトの地下室に響き渡る。

 

 ――踏まれたい。

 

 そんな風に思う人間は少なくないだろうなと伊華雌(いけめん)は思う。現に、ここに一人……。

 

「961プロに行って、それでも笑顔になれるかって訊いたんだって?」

 

 一際大きな音を立て、足を止める。武内Pの真正面で、堂々と腰に手を当てて、

 

「それさ、答えあるの?」

 

 武内Pは、美嘉の鋭い視線を受け止めてうなずく。

 

「本田さんは、961プロでは笑顔になれないと思います」

 

「……何で、そう思うわけ?」

 

 武内Pは説明する。未央はアイドルの仲間を笑顔にして、自分も笑顔になることができるアイドルである。反面、誰かの笑顔を奪ってしまうと、自分も笑顔になることができない。

 

「本田さんは、346プロという夜空にあって初めて輝ける星なのだと思います」

 

「へえ……、なるほどね」

 

 今まで恐い顔をしていた美嘉が、急に笑った。にぱっと、ギャップに惚れてしまうくらいの人懐っこい笑みを浮かべて――

 

「未央のこと、よく分かってんじゃんっ♪」

 

 カリスマギャルの見せる無邪気な笑顔に、伊華雌はふへへとキモ笑いを披露する感覚に支配されてしまうが、武内Pは動じない。もしかして目が見えていないのかなと、疑ってしまうほどに美嘉の笑顔をスルーして、

 

「自分は本田さんの担当ですから」

 

 美嘉の笑顔が、貧乏な家のカルピスみたいに薄くなった。“薄幸のカリスマギャル”というタイトルのCDジャケットにふさわしい表情になる。

 

「……じゃあさ、アタシは、どうかな?」

 

 まるで、迷子の子供みたいな目をして――

 

「もし、アンタがアタシの担当だとして、そしたら、961プロに移籍させる?」

 

 難しい質問だと思った。城ヶ崎美嘉ほどのアイドルであれば、どこに行っても通用すると伊華雌は思う。961プロへ移籍すれば、アイドルとしてのステップアップになるかもしれない。もちろん、個人的な感情としては絶対に移籍して欲しくないけど。

 

「城ヶ崎さんは、移籍には向いてないと思います」

 

 武内Pの言葉に伊華雌は耳を疑う。

 いや、向いてんだろ! と言いたくなる。天下のカリスマJKモデル城ヶ崎美嘉だぞ! 事務所が大きければ大きいほどその力を発揮できるんだぞ! もちろん、行ってほしくはないけどッ!

 

「城ヶ崎さんは、たくさんのアイドルに慕われています。移籍すれば、たくさんのアイドル達を悲しませることになります。それでも笑顔になれるのであれば、移籍しても成功できるかもしれませんが……」

 

 武内Pは、娘を叱る父親のように、厳しさと優しさを真剣な眼差しに込めて――

 

「城ヶ崎さんは、移籍をするには優しすぎます」

 

 美嘉の中で、何かが溶けた。

 目を見開いて、眉根を寄せて――

 

「つまりアタシは、移籍しないほうがいいってこと?」

 

 武内Pは、ゆっくりと、しかし迷わずにうなずいた。

 

「そっか……」

 

 美嘉は、何かを噛み締めるように目を閉じて、自分のことを本気で心配してくれた父親に笑みを向ける女子高生のように――

 

「わかった。そうするっ♪」

 

 ギャルを主張する派手なネイルを誇らしげに見せつける指が、カバンの中から取り出した。

 

 ――契約書。

 

「美城常務がさ、346プロに残るならアンタに契約書を渡せって。だから――」

 

 城ヶ崎美嘉は、どこからどうみても城ヶ崎美嘉としか言い様のないギャルピースを決めながら――

 

「よろしく、担当プロデューサー!」

 

 ――城ヶ崎美嘉が仲間になった!

 

 言葉にすれば簡単だが、その衝撃は計り知れない。

 RPGですこぶる強いゲストキャラが仲間に入った時のような、いやむしろ、魔王を倒したら仲間になりたそうにこちらを見ていた時のような、えっお前仲間になんの! という驚きが喜びよりも先にくる。

 つまり喜びは遅れてやってくるわけで、ようやく理解の追いついた伊華雌は絶叫する――

 

〝美嘉ねえぇぇええ――ッ!〟

 

 まさか346プロにおいて地位も場所も底辺のシンデレラプロジェクトに城ヶ崎美嘉をお迎えできる日がやってくるとは思わなかった。大リーグの外国人選手が何かの手違いで入団してくれた弱小球団の監督こそ、今の伊華雌の心境を比喩するのにふさわしい。

 

「まー、アタシ的にも移籍はどうかなーって思ったんだよね。莉嘉に移籍の話をしたら、行かないでーって泣かれたし」

 

 そういえばと、思い出す。

 足音は二つだったはずだ。誰かがドアの外で待たされているはずだ。

 

「泣いてないよ!」

 

 ドアを勢いよく開けて踏み込んでくる。

 妹の特権だろう。カリスマと一目おかれる姉をにらんで、一切の遠慮もなしに詰めよって、威嚇するように長い八重歯を光らせて――

 

「泣いてないよ!」

 

 しかし美嘉は、オネショしたのにしてないと怒る子供に呆れるお母さんのような笑顔で――

 

「泣いてたじゃん。べそべそ泣いて、初詣の時もずっとむくれてたじゃん」

 

「そんなこと――」

 

 美嘉の手が、莉嘉の頭を撫でた。

 

 噛み付こうと興奮していた犬が、急に優しくされて戸惑って、しかし勢いはとまらなくて、噛み付くために半口を開けた状態で動けなくなってしまったように、莉嘉は行き場の無い八重歯を光らせたまま頭を撫でる姉を見つめて眉をしかめた。

 どうして頭を撫でるのか? それで誤魔化してしまおうとしているのか? こんな、みんながいる前で泣いたことをバラされて、それはつまり通学路にオネショのシーツを干されたようなもので、姉と言えどもその狼藉を許すわけには――

 

「アンタのお陰で、冷静になれた。移籍について、考え直すことができた。だから――」

 

 ――ありがとね、莉嘉。

 

 莉嘉の中で、二つの感情が戦っているのだと思った。

 氷水を張った風呂場に熱湯をドボドボと流し込んだみたいに、すぐには混ざらない二つの感情がせめぎあって、だから感情の置き所が分からなくて、口元にこみ上げる笑みをこらえながらそっぽを向くという中途半端な表情を披露してしまう。

 

「べっ、別に、あたしだけじゃなくて、他の子もお姉ちゃんに行ってほしくないって、言ってたし……」

 

 最後の意地を吐き出して、こみ上げる笑みを我慢しない。

 小さな子供のいる家の冷蔵庫のような、もはや下地が完全に見えなくなるくらいにデコられている学校のカバンに手を入れて、笑顔そのままに差し出してくれた。

 

「あたしもよろしくね、P君っ♪」

 

〝ファミリアツインきたぁぁああああ――ッ!〟

 

 もう叫ぶしかないだろう。

 城ヶ崎姉妹が仲間になるとか、ラスボスが仲間になったと思ったら裏ボスも仲間になりたそうにこちらを見ていますみたいな。えっ、お前も仲間になんのっ! という驚きに伊華雌は叫ぶことしかできない。

 

 シンデレラプロジェクトは、もはや346プロ最弱ではない。

 

 仲間が増えて、その心強さにテンションが跳ね上がって、負ける気がしない。シンデレラプロジェクトにとって最高のお年玉だと思った。

 こんな素敵なお年玉、生前を振り返っても貰った覚えが当然無い。

 むしろ、思い出せば出すほどろくなお年玉を貰っていない。

 札だと思ったら丁寧におりこんだ図書券だったあの正月。これで勉強しなさいねとしたり顔の親戚。

 分かったよ〝お勉強〟してやんよぉぉおお――ッ! と書店に突撃してエロ本を買ったあの正月が懐かしい。

 

 カカカン。

 

 足音が聞こえた。〝新春エロ本事件〟の思い出を振り払った。そんなクソみたいな記憶を脳内で再生している場合じゃない。

 どう考えてもおかしい。

 だって、シンデレラプロジェクトのアイドルは全員揃っているのだ。みくと李衣菜がソファーでじゃれて、まゆは武内Pの前、――じゃなくてすぐ後ろに移動している。

 

 ……いつの間に移動したんだ?

 

 この子は本当に、音もなくプロデューサーとの距離を詰めるな。暗殺の先生がみたら、10年に一人の逸材じゃぁぁああ――ッ! と絶賛してもおかしくない隠密行動のスキルを持っている。

 

 いや、今はアサシンまゆについて考察している場合じゃなくて……ッ!

 

 降りてくる足音は三つ。それなりの重みがある。子供のそれではないと思う。

 しかしそれ以上のことは分からない。

 伊華雌の足音データベースにはシンデレラプロジェクト所属アイドルしか登録されていないので、状況証拠から推測して答えを捻り出すしかない。

 

 きっと、クローネのアイドルだと思う。

 美嘉と同様に、346に残りたいならシンデレラプロジェクトへ行けと言われたのだと思う。

 

 じゃあ、もしかして――

 

 あの時、美城常務は言った。

 ニュージェネの三人は武内Pが担当することになると。

 じゃあ、ついにこの瞬間がくるのか?

 

 ――ラブリーマイエンジェル、島村卯月が降臨するのかッ!

 

 そんなの、掃き溜めに鶴――いや、違うな。掃き溜めに天使――いや、もっとだ。彼女の笑顔は、掃き溜めのような地下室をキレイキレイしてくれるのだ。だからふさわしい表現は――

 

 掃き溜めにゴミ収集車!

 

 ――って、それだと卯月ちゃんがゴミ収集車になってんじゃねえか、ふざけんなッ!

 

 期待が高まりすぎて錯乱状態に陥る伊華雌であったが、ドアの前に迫る足音に冷静さを取り戻す。

 

 迎えてやらなくてはならない。

 向こうからは見えないけど、でも、最高の笑顔で、島村卯月を――

 

「ちーっす。入るぞー」

 

 そうそう。このフワフワの髪の毛。男っぽい口調。太い眉毛。どこからどうみても島村卯月に――

 見えねーよっ! 神谷奈緒だよ! でも嬉しいよ! いらっしゃい奈緒ちゃぁぁああ――ッ! 髪の毛モフりてぇぇええ――ッ!

 

 モフモフ勝負で唯一羊に対抗できる人類として名を馳せている神谷奈緒が入ってきた。

 続いて誰がやって来るのか、当てるのは難しくはない。圧倒的なモフモフモザイクで顔を隠されていても余裕。連想クイズで予想できる。杏と言ったらきらり! アーニャと言ったらミナミィー! かな子と言ったらマカロ、――じゃなくて智絵里!

 そして、奈緒と言ったら――

 

「おつかれーっ」

 

 北条加蓮以外の選択肢は無いのである。

 病弱だったのは過去の話。今は恋の病を振り撒く病原菌として大成した北条加蓮である。

 ――って、加蓮ちゃんを菌扱いはまずいだろ! モフモフの人に絞め殺されるぞ! 神谷奈緒の毛で窒息死とか、むしろイエス! ――いやっ、イエスじゃなくてっ!

 

 伊華雌は冷静さを失っていた。それも当然であった。

 感覚としては、盆と正月がスクラムを組んで突撃してきたようなものである。

 ファミリアツインが加入しただけでもお祭り騒ぎなのである。

 それなのに、それなのに――

 

「また、あんたがあたしのプロデューサーだね。……まあ、悪くないかな」

 

〝凛ちゃぁぁああああああ――――ッ!〟

 

 色んなことがあったのだ。

 伊華雌が転生したばかりの頃は、凛と武内Pは喧嘩状態で、そこから少しずつ関係を修復して、頼ってくれるようになって、そして今――

 

 ――担当プロデューサーになった。

 

 契約書を受け取る武内Pの横顔はいつもと変わらない。普通の人には、いつもの仏頂面に見える。その表情の些細な変化に気付くことが出来るのは、伊華雌と佐久間まゆぐらいである。

 そう、伊華雌と、そして佐久間まゆには分かってしまうのである……ッ!

 

「プロデューサーさん、嬉しそうですね……」

 

 目が恐いですまゆさん。目が恐いですまゆさん!

 大事なことじゃないのに二回言ってしまうほどの迫力があった。

 最近はずっといい子だったから忘れていたけど、そういえばこの子ヤンデレの申し子だったなと思い出した。どんなに人馴れしていてもライオンがライオンであるように、サーカスに何年いようが熊が熊であるように、恋敵のいない世界で大人しくしていようが佐久間まゆが佐久間まゆであるという事実は変わらない。隠しているだけでヤンデレという爪と牙を持っている。

 

「まゆの時よりも、嬉しそうですね……」

 

 特定の侵入者を感知すると起動する古代兵器。さっきまで大人しかったのに急に目を光らせて冒険者に襲い掛かる。

 何の映画か忘れたけど、病みに飲まれた目を光らせて武内Pに詰め寄るまゆの姿は起動した古代兵器のようだった。

 さっきまであんなに大人しかったのに、今はもう1フレームで懐から刃物を取り出しそうだ……。

 おい、首の後ろさわってる場合じゃないぞ。うまいこといって誤魔化さないと、その首もっていかれるぞ!

 

「自分は、皆さんのプロデュースを担当できて、それがとても嬉しいんです」

 

 さあ、この回答は果たして何点か? 無難な回答だとは思う。ギャルゲーだと好感度の変化の無い選択肢だと思うけど、果たしてまゆの審判は……ッ!

 

「そうですね。まゆも、プロデューサーさんに担当してもらえて嬉しいです……」

 

 セーフッ!

 選択を間違えたら床がパカっと開いて奈落の底に落とされる恐怖のクイズで正解できた時の安堵に脱力感がとまらない。

 このスリルは久々である。

 ずっとサビ抜きの寿司を食べてて、久々に強烈なワサビ入りの寿司を食った時みたいな、懐かしい刺激を喜んでいる自分がいた。

 いい子なまゆもいいけれど、たまには病んでるところも見たい。

 人間は業の深い生き物である。

 

 ……いや、人間っていうか、俺か。

 

 登山家が山頂で振り返って、こんなところまで来てしまった……、と感傷にひたるように、伊華雌も感傷に浸っていた。

 いつの間にか、随分と紳士の扉を開けてしまった。

 もう、自分の性癖が何なのか分からなくなってしまった。

 これが〝大人になる〟ということなのだろうか……?

 

 伊華雌が大人の意味を履き違えていると、また足音がした。三人分の足音だった。

 

 もう、二択だと思った。

 二分の一で、島村卯月だと思った。

 

 階段を降りる足音が近づいてきて、伊華雌の緊張も高まっていく。取りあえず、服を脱いだ。正座をした。全裸待機というやつである。

 もちろん〝感覚〟の話である。

 そして慌てて服を着る感覚を追加する。

 何で全裸になるんだよ! 憧れのアイドルが来るかもしれない。よし、全裸になろう。

 おかしいだろ!

 その思考回路は紳士として成熟しすぎだろう! 好きな女の子に己の全てをさらけ出して喜んじゃうとか、お巡りさんの出番だよッ!

 

 伊華雌は高まりすぎた期待に翻弄されて錯乱していた。

 そしてついに、島村卯月のそれらしき足音がドアの向こうにやって来た。

 伊華雌は、教会のドアを開く花嫁を迎える真剣さをもって地下室の無骨な鉄扉を見つめた。

 

 アホ毛が出てきた。

 

 本人に先駆けて、太く、立派な、満月の夜のススキみたいなアホ毛が出てきた。もし自分がバッタだったら迷わずに飛びついている。

 ススキよりも小日向美穂のアホ毛だろうがぁぁああ――ッ!

 とか絶叫しながら飛びついている。

 驚いた美穂に叩き潰されてもそれは本望。美穂の手で逝けるのであれば、バッタの生涯として一遍の悔いもないだろう。

 

「あの、おつかれさまですっ」

 

 美穂に続いて入室してきたのは五十嵐響子で、つまり伊華雌の予想は的中していた。

 トライアドに続いてやってきたのはPCSで、PCSといえば、PCSといえば――

 

「プロデューサーさん、お疲れ様ですっ♪」

 

〝うっ、うッ、卯月ちゃぁぁぁぁああああああああ――――――ッ!〟

 

 今年一番の絶叫だった。

 どんな絶叫マシンをもってしても、これほどまでの絶なる叫びは引き出せないと思った。

 嬉しいのだ。

 大願成就の瞬間なのだ。

 予想外の形であるが、伊華雌と武内Pの悲願である、島村卯月の担当に――

 

「島村卯月、頑張りますっ!」

 

 契約書を差し出されて、いよいよ武内Pは涙ぐむ。

 後ろに立つまゆの病みが、ロケットブースタで射出されるスペースシャトルのように加速して、その恐怖に伊華雌も涙ぐむ。

 

 でも、恐怖の感覚に、喜びが勝ってしまう。

 

 もう、実感がなかった。

 なりたくてなりたくて、それはもう語りきれないほどに語ってきたのだ。

 もし、島村卯月の担当に返り咲けたらどうするか?

 そんな夢物語を、ベッドで散々ピロートークしてきたのだ。

 それがついに、実現するのだ。

 

〝……やったな、武ちゃんッ!〟

 

 それしか言えない自分に腹が立った。

 もっとこう、今の感動を伝えて分かち合う言葉があるだろうと思うが何も出てこない。

 結局、言葉なんてその程度なんだと思った。

 島村卯月の担当になれた喜びを伝えるために、言葉というコミュニケーションツールは未熟すぎる。今こそ、サイキック☆テレパシーの出番である。

 

 カン。

 

 フィナーレの足音が聞こえた。

 ここまでくれば、もう分かる。いくら空気が読めなくて、専門学校のリア充どもに〝KYという概念を越えた何か〟と悪口を叩かれていた伊華雌でも、誰が来たのか見当がつく。

 誰が来るべきなのかキャスティングできる。

 

 大団円だ。

 

 ここであの子がきて、ニュージェネが集合して、三人が抱き合って、尊みが爆発して……。ああ、そうなったら号泣するな。ウオンウオン言いながら泣いちゃうな。

 

 さあ、号泣の準備はできた。グランドフィナーレの時間だッ!

 

 降りてきた足音が、ドアの前で止まる。

 鉄扉のノブが回る。

 アイドルとプロデューサーとマイクが息を呑んでその瞬間にそなえる。

 

 そして――

 

「じゃーん♪」

 

 千川ちひろだった。

 その場にいる全て人間が真顔になった。

 

 ちひろが悪いわけじゃない。皿に乗ったお餅を持ってきて「じゃーん♪」しちゃったちひろには何の罪もない。

 ただひたすらに、タイミングが悪いだけである。

 でも悪いものは悪いので、この場にいる全てのアイドル・プロデューサーに代わって伊華雌は叫んでやる――

 

〝お前じゃねぇぇぇぇええええええええ――――――――ッ!〟

 

 その場の空気は、本田未央を待っていた。日野茜と高森藍子を引き連れてポジティブパッション参上! とか言って欲しかった。

 餅を持ってきたちひろに「じゃーん♪」とか言ってもらいたくなかった。

 

「わあっ、すごくにぎやかになっちゃいましたね。お餅、もっと持ってきますね」

 

 ちひろと一緒に何人かのアイドルが階段を上がる。すっかり新年会の雰囲気で、やっと正月がやって来たと喜びたいところではあるが、まだ喜べない。

 パズルのピースが揃っていない。

 大事な大事な、ど真中の一つが欠けてしまっている。

 

「お餅が、詰まったにゃぁぁ…………ッ!」

「わああっ、みくちゃんが! どうしよおっ!」

「背中を、叩かないと……ッ!」

「卯月っ、叩いてあげてっ!」

「はいっ! 島村卯月、頑張りますッ!」

「ニ“ャッ!」

 

 餅みく騒動を眺めつつ、伊華雌は願う。

 きっと来てくれると信じている。961プロになんて移籍しないと信じている。今頃、移籍すると宣言してしまった手前どんな顔をしていいのか分からなくて、気合いです! とか、大丈夫ですよ~、とか説得されて、そろそろ意を決して地下室に降りてくれるんじゃないかと希望を(いだ)く。

 

 しかし、みくが2回餅を喉に詰まらせて、李衣菜が1回餅を喉に詰まらせて、新年会がお開きになってアイドル達が帰り始めて武内Pと凛と卯月だけになって――。

 それでも最後の一人はドアを開けてくれなかった。

 

 夜の9時だった。

 

 武内Pは立ち上がり、凛と卯月に告げる。

 

「自分は、明日、本田さんの家に行こうと思います」

 

 スマホの画面を睨んでいた凛が顔を上げた。そのスマホの画面は〝本田未央 発信中〟となっている。一時間ほど連絡を試みているが、繋がる気配がなかった。

 

「私も、一緒にいく」

 

 凛が立ち上がり、卯月も立ち上がった。

 

「では、一緒に行きましょう」

 

 翌日、武内Pは凛と卯月を従えて未央の家に向かう。

 

 ニュージェネという三ツ星を輝かせるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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