マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第7話

 

 

 

 未央の家に向かう車の中。

 

 運転席の武内Pが口を閉じているのはいつものことだけど、後部座席の凛と卯月まで黙っているのは珍しい。幼馴染みが隣に座っているのに、長電話の武勇伝がウィキペディアに載っているのに、それなのに押し黙っている。合否発表を前に緊張が高まりすぎて青ざめている受験生の演技であれば、アカデミー賞を三回くらい取れる表情をしている。

 

 それだけ、大切なのだと思う。

 ニュージェネレーションズというユニットが、下唇を強く噛んでしまうほどに大切で、失いたくなくて、だから卯月は押し黙っているのだと伊華雌(いけめん)は思った。

 

「……きっと、大丈夫だから」

 

 膝の上で震える手を、慰めようとするかのように凛の手が包む。卯月の表情が、少しだけ緩む。言葉も無しに卯月を励ましてしまった。

 

 これが幼馴染みか……。

 

 伊華雌は感心する。自分にはそんな芸当出来ないし、そもそもする相手が――

 

 いや、いるじゃん。

 

 道路から目を離さない武内Pを見て思う。

 自分にも、言葉なんてなくても気持ちが分かる相手がいる。落ち込んでいたら、背中を叩いて励ましてやりたい相手がいる。それがどれだけすごいことなのか、自分ほど実感できる奴もいないだろうと伊華雌は思う。

 

 20年であり、240ヶ月であり、7300日である。

 

 それが伊華雌の〝友達いない暦〟である。

 改めて振り返ると気が遠くなるような年月を独りで過ごし、人間をやめてマイクに転生してようやく友達に出会えた。

 そんな伊華雌だから分かる。

 

 ――仲間がどれほど大切なのか。

 

 そんな伊華雌だから分かる。

 

 ――それを失うことがどれほど辛いのか。

 

 伊華雌は、マイクになって初めて〝大切なもの〟を見つけることができた。

 それと同時に〝大切なものを失う恐ろしさ〟を知った。

 

「二人は――」

 

 唐突に、武内Pが口を開いた。

 まっすぐに前を見たまま――

 

「これから先、ニュージェネレーションズで、どんなことがしたいですか?」

 

 意図の読めない質問だった。これから先も何も、二度と三人でステージに立つことはないのかもしれないのに。

 

「……舞台、やってみたいかも」

 

 うつむいていた凛が顔をあげた。ルームミラー越しに武内Pを見て、照れくさそうに目をそらして――

 

「前に未央が、すごい楽しかったって言ってたから。ニュージェネで舞台、できたらいいなって……」

 

 ほんの少しだけ、口元を緩める。笑みというにはあまりに些細な動きだけど、幼馴染みに感情を伝えるには十分だったようで、

 

「凛ちゃんは、どんな役をやってみたいですか?」

 

 いつもの卯月が、いつもの笑顔で問いかける。

 

「んー、どんな役、か……。あたし、どんな役が向いてるかな?」

「凛ちゃんは、そうですね……。かっこいい女スパイとか、キャリアウーマンとか。あっ、剣士なんてどうですか? 女剣士! 絶対に似合いますよ!」

 

 凛は、うーんとうなって、

 

「じゃあ、新撰組なんていいかもね。あたしと卯月と未央で丁度三人だし。……でも、卯月に剣豪の役は難しいかな。すぐに笑顔になっちゃうそうだし」

「そっ、そんなことないですよぉ! わたしだって、キリッとするときはキリッとしますから!」

「……キリッとしてる卯月が想像できないんだけど」

 

 組んだ足の上に頬杖をついて、子供の虚勢を面白がる親戚のお姉さんめいた笑みを浮かべる。

 さすがに卯月もむっとしたのか、ぷいっとそっぽを向きながら――

 

「じゃあ、笑顔のままで斬っちゃいますから!」

 

 島村卯月、頑張ります! 笑顔ならだけにも負けませ――斬りぃぃいい――ッ!

 いい笑顔で斬りかかってくる卯月侍とか卑怯だと思った。意表を突かれて斬られてしまう。確か、そんな格闘技があった気がする。えっと……、そうだ。セクシーコマンドーだ。

 

「面白い企画だと思います。新撰組ガールズ、なんてどうでしょう?」

 

 武内Pは、別に笑いを取ろうとしたわけではないのだと思う。

 

 でも――

 

 武内Pの強面な顔で、腹の底に心地よく響く低い声で、いきなり話に入ってきて〝新撰組ガールズ〟とか言われると込み上げてくるものがある。

 

「ちょっ……、変なこと言わないでよ……」

 

 凛は後部座席の上で体を丸めて笑いをこらえる。

 

「あのっ……、その……、ごめんなさっ……」

 

 卯月は笑いをこらえきれない。

 

「自分は、何かおかしなことを言いましたか?」

 

 信号待ちでハンドルから離れた手が首をさわる。その純粋な表情に伊華雌の心臓がキュンと鳴く、――感覚を覚えた。

 

「新撰組ガールズはないでしょ……ッ! 単純すぎるっていうか、そのまんますぎるっていうかっ……」

 

 凛は、一度ツボに入るとしばらく抜け出せないタイプのようで、確立変動を起こしたスロット台のように、滅多に見せない笑顔を振りまいている。

 

「し、島村さんは、何がしたいですか?」

 

 武内Pの耳が赤い。凛があまりに笑うから恥ずかしくなってしまったようで、もうこの人がアイドルでいいんじゃないかと伊華雌は思う。

 

「わたしは、そうですね……。ニュージェネで単独公演、とかどうでしょう?」

 

 単独公演。

 

 その一言で、しかし無限に夢が広がる。

 どのくらいの箱で、どのくらいの規模で、どのくらいのファンが――。

 ライブはもちろん、トークパートも充実させて。寸劇もあったりして。友情出演でゲストが来て、メンバーをシャッフルしてそれぞれのユニット曲を歌ったりして――。

 ファンファンファーレすることになった凛が照れて、ラブレターすることになった未央が吹っ切れて、トランシングパルスな卯月が壇上でキリッと――

 

〝キリッとしているところがやっぱり想像できない……ッ!〟

 

 想像の中の卯月は精一杯眉を強めて、それでも口はいい笑顔になってしまって、ステージ袖から見守る凛と未央が苦笑している。

 

「実現、させましょう」

 

 武内Pが車をとめた。ワイパーの跡がくっきりと残るフロントガラスの向こう側に、見覚えのある団地が見えた。

 

「……自分は今まで、最終的な決断は本田さんに任せるべきだと思っていました。しかし、それは適切な判断ではなかったように思います」

 

 車を降りて団地をにらむ横顔から、武内Pの気持ちを読み取ることは容易である。

 伊華雌でなくても、佐久間まゆでなくても、武内Pの〝本気〟を感じて息をのむことができる。

 

「自分が説得します。本田さんはニュージェネレーションズに必要です。346プロに必要です。だから――」

 

 待っていてください。

 

 武内Pは凛と卯月を車に残して団地へ向かった。

 曇り空の下で武骨なねずみ色を見せる団地が、まるで未央を閉じ込めている刑務所のように思えた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『だれー?』

 

 一階のインターフォンに応答したのは男の子だった。

 男、ではなく男の子。ともすれば声の低い女子かもしれないけれど、未央に妹はいないはずだから弟だと見当をつける。

 

 うらやましいと思った。

 

 現役のアイドルがお姉ちゃんとか、それが人生における〝運〟の全てを引き換えにしても手に入るか分からない程の幸運であることをインターフォンの向こうで『姉ちゃーん、プロデューサーって人ー』と面倒くさそうな声をあげている少年は自覚しているのだろうか?

 本田未央の弟に生まれた瞬間、この世の運を使いきり、もしかすると来世の運まで使いきっているかもしれない。これから先、この少年は道を歩くたびに鳥の糞が肩に乗って、黒猫が目の前を横切って、靴ひもが切れるのかもしれない。

 

 それでも、うらやましいと思う。

 

 鳥の糞が顔面を直撃して、黒猫の一個中隊に体当たりされて、触るだけで靴ひもがブチブチ切れても構わない。

 

 アイドルと一緒に生活したい!

 

 弟なんて贅沢は言わない。犬とか猫で構わない。猫のタマ○ンちゃんとか、酷い名前を付けられた可愛そうなペットで構わない。ペットショップで島村タ○キンちゃんとか酷いネームプレートを付けて、他の飼い主の失笑を一身に浴びるはめになっても全然構わない。島村卯月の飼い猫になれるのであれば、どんな酷い待遇だって笑顔で耐える自信がある!

 

『どう、したの……?』

 

 未央の声だった。

 伊華雌は慌ててクソみたいな妄想を消し飛ばした。

 

「あの、突然押し掛けてすみません。移籍の件で、話をさせていただきたくて……」

『……、…………』

 

 しばらく無言だった。

 ひたすらに赤く光る応答ランプを見つめて沈黙を耐えた。

 

『ちょっと、待ってて……』

 

 応答ランプが消えた。

 オートロックによって侵入者をこばむ自動ドアの向こう側を見つめる。

 エレベーターが動いた。

 上がって、下がって、連れてきた。

 

 部屋着にジャケットを羽織った本田未央を。

 

「突然すみません……」

 

 頭をさげる武内Pを一瞥(いちべつ)して、壁に背を預ける。

 その横顔が、本田未央と思えない。

 笑顔も無ければ元気もない。迷子になって泣いて泣いて、それでも誰も助けてくれないから泣くのをやめてその場にへたりこんでしまった幼児のように、壁に押し付けた背中を滑らせて、しゃがみこんで、一瞬だけ泣きそうになって――

 

「プロデューサーの、せいだから……」

 

 お前のせいで遭難したと、余計な助言をした登山家を責めるように――

 

「プロデューサーが変なこというから、わかんなくなっちゃた……。私、どこにいけばいいのか……」

 

 未央は語った――

 

 赤羽根Pから移籍の話を聞いて、悪い話ではないと思った。トップアイドルに近づくことができると思った。

 日野茜は、未央ちゃんが行くなら私もいきますよ! と言ってくれた。

 高森藍子も、お散歩というよりは冒険ですね、と眉を強めてくれた。

 でも――

 卯月と凛は、決して首を縦に振らなかった。

 

 ――武内プロデューサーさんとアイドルがしたいから。

 

 卯月の意思は固かった。

 気の強い方ではない卯月が、しかし頑として譲らなかった。

 凛もそれに同意して、震える卯月の手を握った。

 

 もどかしく思った。

 

 すごいチャンスなのに、まごまごしてたら乗り遅れてしまうのに、それなのにこの二人は動こうとしない。行き先表示板に〝トップアイドル〟と書かれた電車がホームに入って、発車ベルが鳴っているのに動こうとしない。

 

 じゃあ、仕方ない。

 

 自分だけでも電車に乗ろうとしたら武内Pが出てきて言った――

 

〝あなたはそれで、笑顔になれるのですか?〟

 

「そんなの、分かんないよッ!」

 

 未央は叫び、感情的な涙を散らしながら武内Pをにらんで――

 

「961プロに移籍して笑顔になれるかどうかなんて、分かんないよ! プロデューサーのせいで私、どうすればいいのか分かんないッ!」

 

 激しく燃える感情をそのまま取り出して、思いっきり投げつけるような言い方だった。

 武内Pは、表情を変えない。

 ただ、拳を堅く握りしめて何かを躊躇して――

 

〝武ちゃん、言ってやれ。言いたいことを、言ってやれッ!〟

 

 叩き付けるようなサンダルの音があって、ポケットから鍵をとりだして、インターフォンの脇にねじ込んで、動いた自動ドアの向こうに――

 

「あなたは、笑顔になれません」

 

 未央の動きがとまった。

 目の前で自動ドアが閉まって、それでも未央は振り向かない。

 

「自分は、ニュージェネレーションズの本田さんが好きです。島村さん、渋谷さんと一緒になって生まれる笑顔を、失いたくありません! だから――」

 

 ――移籍しないでください!

 

 武内Pは、最終的な判断をアイドルに任せていた。

 それは、フェアであると同時にフェアじゃなかった。

 

 責任をすべてアイドルに押し付けることが、果たして正解であるのか?

 

 もちろん、アイドル本人が選択すべきことであるし、その責任を本人が負うのは当たり前ではあるものの――

 

 担当プロデューサーとして、それが正しい姿なのだろうか?

 

 助言はするけど、判断はしない。

 そんな、中途半端なことでいいのだろうか?

 アイドルが進むべき道が、アイドルが輝ける場所が、どこにいけば笑顔になれるのか、分かっているなら迷う必要は――

 

「ニュージェネレーションズには、本田さんが必要なんです……ッ!」

 

 未央の体が、小刻みに震える。オレンジ色のジャケットの背中が、それだけでどんな顔をしているか分かるくらいに感情的に――

 

「……でもさ、私、結構キツい言いかたしちゃったから。二人にその気がないなら、私一人で961プロでトップアイドルになるって――」

 

 武内Pは、ハンカチを差し出しながら――

 

「今、島村さんと渋谷さんも来ています。二人とも本田さんのことを待っています」

 

 振り返った未央は、震える唇を強引に噛んで抑えて、ハンカチを受け取って、涙を拭いて――

 

「……どんな顔して、会えばいいんだろ」

 

 武内Pが、笑みを浮かべる。伊華雌でなくても、佐久間まゆでなくても、彼の気持ちを読み取ることができる。

 

「そのままの本田さんで、いいと思います」

 

 励ましたい。背中を押したい。そして笑顔になってもらいたい。

 そんな思いが、決して器用であるとはいえない笑顔にこめられていた。

 

「……分かった」

 

 武内Pはうなずいて、未央に先だって歩き出す。

 サンダルの音を確認しながら団地の外に出る。

 曇り空があって、コートの前をしめて早足で歩く人がいて、346プロの社用車がとまっていて――

 

 サンダルの音がとまった。

 車のドアが開いた。

 

 二人のアイドルが、声をそろえて――

 

「未央ッ!」

「未央ちゃん!」

 

 駆け寄ってくる。

 未央はしかし、顔を上げることができない。うつむいたまま、下唇を強く噛んで、ジャケットの袖を強く握って、二人に背を向けて――

 

 手をつかんだ。

 

 強引につかんで、引き寄せた。

 島村卯月の行動にしては大胆で、しかし島村卯月であるとしか言えない笑顔で――

 

「未央ちゃんが戻ってくれて、嬉しいですっ!」

 

 たまらず目を見開いて、それでもこみ上げるものを飲み込もうとして、目を閉じて――

 

「戻ってくれるんだよね、ニュージェネに?」

 

 凛の手が肩を優しく叩いた。

 

 それ以上、耐えることができなかった。

 固くつぶった目のふちから、涙をこぼして――

 

「……何で、何でそんなに優しいの? 私、自分勝手に移籍するって言って、二人にキツいこと言ったのに、何で……ッ!」

 

「未央ちゃんだから、です」

 

 卯月が、笑った。

 

「未央だから、だね……」

 

 凛も、優しく口元を緩めた。

 

 もうほとんど告白だと思った。

 理由なんて必要ない。ただ未央であるというだけでいい。

 ただ、未央がいてくれればそれでいい。

 

 伊華雌の中で警報が鳴った。

 もしかすると未曾有の〝尊さ〟が爆発してしまうかもしれない。爆心地にいる自分は〝もう男なんて必要ないんじゃー〟とか言ってしまうほどの尊人(たつじん)になってしまうかもしれない。早く逃げないと――

 

「しまむぅー……、しぶりん……」

 

 未央が抱きついた。

 涙を流しながら、激情のままに卯月と凛に抱きついた。

 

 その時発生した〝尊さ〟は、伊華雌の致死量を軽く越えた。紳士としての伊華雌は消滅して、尊さに目覚めた伊華雌がそれに変わった。

 彼はニュージェネの三人を眺め、悟りを開いた坊さんみたいに――

 

〝男なんて、必要ないんじゃー…………〟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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