マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第8話

 

 

 

 武内Pが説得した翌日、本田未央は346プロとの契約を更新した。日野茜と高森藍子も一緒だった。

 

 移籍の話を取りやめたい。二人も一緒に残ってほしい。

 

 そんな風に言えるほど、本田未央は強くなかった。

 346プロ社内カフェ――メルヘンチェンジで、武内Pと卯月と凛に説得されたことを伝えて、今の自分の気持ちを伝えて、振り回してしまったことを謝りながら346プロに残りたいと言って深々と頭を下げた。

 

 茜と藍子は、迷わずに言った――

 

 それなら、自分達も346プロに残ると。だって自分達は、トップアイドルになりたくて961プロへ移籍しようとしていたわけではないのだから。

 

 未央と一緒にアイドルをしたいから。

 

 それが、961プロへ移籍しようと考えていた理由であって、未央が346プロに残るなら、961プロへ行く理由はもはや無いのである。

 

 ――誰とでも仲良くなれるアイドルは、いつの間にか、誰からも愛されるアイドルになっていた。

 

「えっと、その……。またよろしくね、プロデューサー!」

 

 未央から契約書を受け取る武内Pを見つめて、伊華雌(いけめん)は思う。

 

 ――この人も、アイドルに愛されているのだと。

 

 その証拠に、そうそうたる顔ぶれがシンデレラプロジェクトの地下室に集まっている。

 ファミリアツインが、トライアドプリムスが、ピンク・チェック・スクールが、そしてポジティブ・パッションが。

 それだけのアイドルが、赤羽根Pの誘惑振り切って武内Pの元に集まってくれた。

 

 これが結果、だと思う。

 

 対立してきたプロジェクトクローネとシンデレラプロジェクト。

 どちらが正しいと一言で片付けるのは難しい。単に数字の成果で言えば、シンデレラプロジェクトはクローネの足元にも及ばない。

 

 しかし――

 

 数字で推し量ることのできない成果がある。地下室に集まっているアイドル達の顔を見れば、そこに成果を見ることができる。

 

 文句の付けようの無い、いい笑顔。

 

 偉い人には理解できないかもしれない。

 この笑顔がどれほど貴重なものであるか。どれほどの可能性を秘めているのか。

 

 これだけのアイドルが、こんなに笑顔で、何も起こらないはずがない。

 

 961プロだって越えられるような、何かが起こるような気がする。根拠のない期待が込み上げてくる。アイドル業界にあらたなる歴史が刻まれてしまうかもしれないと、曖昧な期待が、しかしシンデレラプロジェクトのアイドル達を見ていると自然にこみ上げてくる。

 

 ――絶対に、何かが起こる。

 

 世界の片隅で核兵器を作り上げた博士の助手は、今の自分と同じ気持ちだったのではないかと伊華雌は思った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 結局、961プロへ移籍したのは一ノ瀬志希・塩見周子・速水奏・宮本フレデリカの4名にとどまった。

 

 そもそも、日本人は移籍に抵抗がある。

 

 いくら961プロが業界トップのプロダクションであるといっても、世話になったプロダクションに砂をかけてまで移籍するのはどうだろうかと、躊躇(ちゅうちょ)するアイドルがほとんどだった。

 また、移籍に意欲を持ったとしても、ユニットの全員がそれに賛成するとは限らない。

 

 例えば、インディビジュアルズ。

 

 早坂美玲と星輝子(ヒャッハー状態)は、挑戦するのも悪くないと乗り気であった。

 しかし森久保は宣言する――

 

 移籍とか、むーりぃー……。

 

 机の下に潜った森久保乃々を見て、美玲と輝子は手のひらを返す。

 乃々が嫌なら移籍は無しだ。

 リーダーの美玲が決断して、移籍話は無しになった。

 

 メローイエローでは中野有香が反対した。

 

 お世話になっている事務所を裏切るわけにはいきません、押忍っ!

 迷いのない有香の声に、椎名法子と水本ゆかりも押忍の声を合わせた。

 

 ダークイルミネイトでは蘭子が反対した。

 

 彼の地に瞳を持つ者がいるとは思えぬ。我の言葉を()せぬ世界へ降りたつは愚行の極みなり。

 相方の二宮飛鳥は赤城みりあの手を借りることなく熊本弁を理解して、蘭子の言葉にうなずいた。

 

「LiPPSの四人は残念だが、それでも被害は最小限に抑えられた。君の尽力に感謝する」

 

 戦争を終えたばかりの指令所かな? そんな風に思えてしまえるほどに疲労困憊(ひろうこんぱい)な雰囲気が(ただよ)っていた。

 乱雑に散らばる書類があって、疲れた顔の司令官がいて、それでも美城常務は安堵の笑みを浮かべて――

 

「本田未央、よく引き止めてくれた。おかげで日野茜と高森藍子も346に残ってくれた」

 

 武内Pは、喜ぶでもなく、誇るでもなく、無表情のままで首をさわった。

 彼が戸惑う理由は分かる。

 

 別に、そんなつもりは無かったのだ。

 

 346プロのためだとか、未央を引き止めれば日野茜と高森藍子も考えを改めてくれるとか、そんな打算は無かったのだ。

 

 アイドルの笑顔。

 

 それを守るために武内Pは死力をつくした。

 その結果、成果をあげることができた。

 それだけの話なのだ。

 

「今回の件、961プロからの宣戦布告であると認識している。346のプロデューサーとアイドルに手を出して、ただで済ませるわけにはいかない」

 

 美城常務の眉が強まる。徹底抗戦を叫んで核ボタンを連打する大統領みたいな顔をして――

 

 ふっ。

 

 鼻息を一つ落とすと、いつもの美城常務になった。

 まるで感情の起伏(きふく)を感じることの出来ない冷酷な笑みを浮かべて――

 

「――とはいえ、あいつらと同じことをするつもりはない。つまらない裏工作など必要ない。正々堂々とアイドルをプロデュースする。ステージでアイドルを輝かせる。その輝きで961プロをねじ伏せる。今の346プロであれば、それが可能であると思う」

 

 初めて、美城常務と意見が一致した。

 伊華雌も同じことを思っていた。

 今回の移籍騒動を乗り越えて、アイドルとプロデューサーの絆が一段と強まっている。それはそのままアイドルの笑顔になって、観客を魅了する輝きになる。

 

 ――今の346プロなら、きっと961プロに負けない。

 

「次の定期ライブ、構成を大幅に変えようと思う。今の346プロにふさわしい特別な構成にしようと思う。全てのプロデューサーに新しい企画を考えてもらおうと思っている」

 

 美城常務は、冷酷な司令官から一転、チームの勝敗が決まる打席に向かう四番打者の背中を叩く監督の顔で――

 

「特に、君には期待している」

 

 もう、〝裏〟は無いのだと思った。

 赤羽根Pとやりあうためにシンデレラプロジェクトを利用していた時とは違う〝本気の期待〟が、力強い声音(こわね)に込められている。否が応にも気持ちが高まってくる。

 

〝武ちゃん、やってやろうぜ。961プロの野郎をぶっ倒してやれるような、最高の企画を考えてやろうぜっ!〟

 

 ――しかし、である。

 

 武内Pは上の空だった。

 ぼーっとしていた。

 いつもの武内Pなら伊華雌の熱い言葉に、狙撃銃のスコープをのぞく殺し屋を思わせる熱視線で応えてくれるはずなのに、実に素っ気ない反応だった。お互いの気持ちがすれ違っているのだと、鈍感な自分でも確信できるほどに言葉の熱量が違っていた。

 

 もしかして――

 

 これが〝倦怠期〟というやつなのだろうか……。どんなカップルにも訪れるというサイレントキラーが、自分と武内Pを狙っているのだろうか……ッ!

 

 武内Pの無表情から、しかし気持ちを読み取ることは出来なかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「自分は、やっぱり赤羽根さんが心配なんです」

 

 誰もいないシンデレラプロジェクトの地下室で話してくれた。

 やはり、961プロへ移籍する赤羽根Pが心配なのだと。

 

 不要な心配だと思った。

 

 だって、あの赤羽根Pなのだ。美城常務をもって天才と言わしめる赤羽根Pなのだ。いったい何をそんなに――

 

「タンメンとタンタンメンです」

 

 いきなりラーメンの話に飛躍した。赤羽根Pよりも武内Pのほうが心配になってしまう。

 

「新入社員研修の時、赤羽根さんは辛いものが苦手なのにタンタンメンの食券を買ってしまったんです。本当はタンメンが食べたかったのに」

 

 大切な思い出を噛み締めるように、優しい吐息をついて――

 

「赤羽根さんは、確かにすごい人ですが、完璧ではないんです。失敗をすることだってあるんです。だから、心配なんです……」

 

 それは、武内Pしか知らないことなのかもしれない。

 だって、移籍の話を聞いて赤羽根Pを心配する人は、武内Pしかいないのだ。赤羽根Pは上手くやるに違いないと、みんな信じて疑わないのだ。

 それほどまでに、346プロでの赤羽根Pは完璧超人だったのだ。

 

 しかし――

 

 タンメンとタンタンメンを間違えてしまうような人は、完璧超人ではないと思う。

 完璧超人のように見える普通の人、と表現するのが正しいと思う。

 この違いは大きい。

 

「マイクさんに、お願いがあります」

 

 武内Pが、机の上のマイクスタンドにささる伊華雌を見つめてきた。

 

〝俺と武ちゃんの仲じゃんか、遠慮なんていらないぜ!〟

 

 伊華雌は勇ましく啖呵を切った。

 武内Pは、別れ話を切り出そうとするカップルみたいに、もじもじとためらってから――

 

「……赤羽根さんの、マイクになってもらえませんか?」

 

〝おう、任せと――えっ! ええぇぇええええ――――ッ!〟

 

 武内Pとの思い出が、走馬灯(そうまとう)のように脳裏を駆け抜けた。

 

 ――人間、死ぬ時だけじゃなくてフラれた時も走馬灯をみるんだなあ……。

 

 伊華雌は小学生並の感想を抱きしめながら白目を()いて泡を吹く感覚を味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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