マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第9話

 

 

 

 餞別(せんべつ)として伊華雌(いけめん)を赤羽根Pに贈呈する。

 文字どおり懐に潜り込んで、赤羽根Pが961プロでうまくやっていけるかどうかを見届ける。少ししたら赤羽根Pを飲みに誘って、理由をつけて回収するので、それまで赤羽根Pのマイクになってほしい。

 

 正直、嫌だった。

 

 伊華雌はマイクなのだ。自分の意思では何もできないのだ。武内Pの手から離れた瞬間、両手両足を縛られて渋谷のスクランブル交差点に放置された人のように、誰に何をされるか分からなくなってしまうのだ。無防備なのだ。生命の危機なのだ。

 

 しかし、引き受けた。

 

 他ならぬ武内Pの願いであったし、頼ってもらえたことが嬉しくて、誇らしかった。

 

 ――ということで、伊華雌は赤羽根Pのマイクになった。

 

 こうなったら開き直って見極めてやろうと思った。

 不細工な自分に対し劣等感を押し付けてくる〝イケメン〟という人種の正体を暴いてやろうと決意した。

 盗聴や盗撮なんて目じゃない。無機物に転生した人間とか、どんなスパイよりもこっそりと、しかし確実にターゲットの秘密を知ることができる。もしも自分が同じことをされたらと思うとゾッとする。

 

 全て、バレてしまうのだ……。

 

 部屋に帰ったら島村卯月等身大ポスターに〝ただいまっ♪〟の挨拶をして、エア友達とお喋りするみたいにポスターと喋って、卯月のラジオに一方的な相づちを入れて、会話が成立しているかのように笑ったりする。もしかすると、見えてはいけないものが見えているのだと勘違いした母親に胡散臭い霊媒師を呼ばれて、ポスターだらけの部屋を〝お祓い〟されてしまったこともバレてしまうかもしれない。

 

 あのインチキ霊媒師、島村卯月等身大ポスターの尻の部分に霊穴(れいけつ)があるとか言いやがって……。何が霊穴だよ! そこにあるのはアイドルのケツだよ!

 

 ――とツッコんでやったら、いっちょまえに白い目で見てきやがって、それがまた腹立たしい。

 

 伊華雌が前世の記憶に悶絶していると、スーツのポケットに赤羽根Pの手が入ってきた。束の間の同居人であった部屋の鍵先輩が連れ去られた。

 

〝……パイセンのことは、忘れないぜ!〟

 

 退屈しのぎに熱い台詞を入れてみた。ガチャと音がして鍵が開いて、職務を全うした部屋の鍵が戻ってきた。

 

〝パイセン、無事だったんですね!〟

 

 鍵は何も言わない。伊華雌の言葉に答える者は誰もいない。伊華雌は武内Pのいない世界のむなしさにため息を落とし、〝イケメン〟の正体を探るという重大な任務に戻る。

 

 そこは小綺麗なワンルームマンションだった。

 

 武内Pの住んでいる社宅とあまり変わらない。ユニットバスがあって、キッチンがあって、冷蔵庫があって、アイドルの資料と、アイドルの資料と、アイドルの資料と、アイドルの資料と――

 

〝アイドルの資料で部屋が埋まってるんですけどっ!〟

 

 彼の職業を知らなければ、行き過ぎたドルオタに部屋にしか思えない。

 並ぶ棚から溢れた資料の物量は圧巻の一語に尽きて、そのほとんどが世に出回っていない非売品であるとか、伊華雌は〝お宝を前にしてよだれを垂らす海賊の気持ちになるですよー〟状態に陥ってしまう。

 

〝……でも、お預けなんでしょ?〟

 

 腹を空かせた子犬みたいな上目遣いで、くーんと鼻まで鳴らしてみるけど、もちろん聞こえるわけがない。伊華雌が何を言っても赤羽根Pには届かない。悪口を言って放送禁止用語を連呼してみても、赤羽根Pは涼しい顔で缶コーヒーのプルトップを開ける。

 

〝う○こだ! それはうん○を液状にしたものだ!〟

 

 カレーとコーヒーの半径5メートル以内でそれを言ったら殺されても文句は言えない禁忌(きんき)にあえてふれたのに、赤羽根Pは何食わぬ顔でコーヒーを飲み干している。

 

〝なんだよう……。俺の声を無視しやがって、う○こ野郎め……〟

 

 伊華雌は言葉の通じない寂しさに拗ねながら時計を見た。0時を回っていた。そんな時間にコーヒーを飲んですることと言ったら一つしかない。

 

〝エロ本フェスティバル開催ですね、分かります……〟

 

 伊華雌とて紳士である。紳士のたしなみとしてエロスな文献に目を通し見識を広げるのは男子として当然の行為であって、赤羽根Pも男子であるから真夜中紳士タイムに突入することだってあると思う。

 

〝俺も紳士だ、野暮な真似はしないさ……〟

 

 他人の紳士的行為をのぞいてはいけない。

 これは紳士の掟であって、守るべき礼儀である。世の母親は、特に厳守してほしい。夜中に息子の部屋から物音がしても決してドアを開けてはいけない。それは恩返しにきた鶴の秘密を暴いてしまうよりも遥かに悲惨な結末へ続くドアですからね開けてはいけない。いや、マジで……ッ!

 

 勝手に失礼な気遣いをしている伊華雌を、赤羽根Pは裏切った。彼は雪崩を起こした雪原みたいになっている資料の中から、一ノ瀬志希、塩見周子、速水奏、宮本フレデリカの資料を拾い上げて、机の上に広げて頬づえをついて睨んだ。

 

 その横顔は真剣だった。

 仕事をしているようにしか見えなかった。

 

〝エロ本フェスティバル、延期のお知らせ……〟

 

 伊華雌は一人つぶやいて、そういえばしばらくエロ本見てないなと思った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 翌日。

 

 シャワーの音に伊華雌は目を覚ました。

 どうやら赤羽根Pは朝シャン派らしく、付けっぱなしのTVの中でアナウンサーが喋る声とシャワーの音が混ざっている。

 

 それが赤羽根Pの〝朝の音〟だった。

 武内Pの朝の音とは違っていた。

 

 武内Pは朝に弱く、ギリギリまで寝ている。そのツケを払うために、ドタンバタンとやかましく音を立てて忙しなく準備をする。必然、注意力が散漫になって忘れ物が多発する。それを的確に指摘するのが伊華雌の仕事であって、全く武ちゃんはしょうがないなあ、とか言いながらも伊華雌は役に立てていることが嬉しくて、新妻ってこんな気持ちなのかなと思ったりする。

 

 しかしながら――

 

 赤羽根Pのマイクになった伊華雌に仕事はない。

 ぼんやりとシャワーの音を聞いて、ぼんやりと付けっぱなしのTVを見る。定年退職した途端にボケるお爺さんはこんな気持ちなのかなと思ってしまう。何もすることがないのって意外と辛いんだなと思いながら朝日の差し込む部屋をぼんやりと眺める。

 

 シャワーの音がやんで、髭をそる音が続いて、その合間にお天気キャスターが今日の天気を予報する。強い日差しに日中はぬくもりを感じることができるでしょう。

 

 ユニットバスのドアが開いて、パンツ一枚の赤羽根Pが出てくる。彼は冷蔵庫を開くと、牛乳をコップに注いで飲んで、バナナを一つ剥いて食べた。それ以上は何も口にしなかった。

 

〝ダイエット中のOLかっ!〟

 

 反射的にツッコんでしまうほどの小食だった。

 武内Pなんて、どんなに時間がなくても絶対に346プロ社内カフェ――メルヘンチャンジでモーニングウサミンセットを食べるのだ。

 

 このモーニングウサミンセットというのがくせもので、まあ量が多い。

 

 いっぱい食べてプロデュース頑張ってくださいね、キャハ☆ とか言いながら安倍菜々17歳がご飯をよそってくれるのだけど、日本昔話に出てくるご飯くらい山盛りにする。ラーメン次郎のヤサイマシマシぐらいのボリュームでよそってくる。目じりを垂れさせて満面の笑みを見せるウサミンに、こんな量食えるか! と言えるはずも無く、武内Pは毎朝一人大食い選手権を開催している。

 

〝そんな朝食で大丈夫か?〟

 

 大丈夫だ、問題ない。――とか言って欲しいところだけど、もちろん赤羽根Pには聞こえない。

 彼はYシャツを着て、スーツのズボンを履いて、机に向かった。昨日、夜遅くまでまとめていた資料に再び目を通し、それをまとめてカバンに入れた。

 

 結局、何時まで資料に向き合っていたのか分からない。

 伊華雌は途中で寝落ちしてしまった。

 

 赤羽根Pの監視はあまりに退屈だった。ひたすら真面目に仕事していた。

 秘密の奇行とか、紳士的振る舞いとか、まったく無かった。

 

 まったく期待はずれだった。

 絶対に何あると思っていたのに。

 

 おっぱいマウスパッドを愛用しているとか、複数の動画サイトにクレカをマウントしているとか、ひっくり返すとエッチな抱き枕を愛用しているとか、一人でローション風呂に入って〝ヌルヌルじゃーっ!〟と言ってはしゃぐとか、そんな覗き野郎のテンションが爆発的に上昇するような発見は全くなかった。

 呆れるほどに真面目だった。

 

〝お前んとこの主人さ、どうなってんの? 真面目すぎへん?〟

 

 伊華雌は同じ無機物のよしみで机にならぶ携帯に声をかけてみた。

 当然ながら、携帯は何も答えなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 すっかり葉の落ちた街路樹が並ぶ冬の道路を車が走る。それは赤羽根Pの車で、伊華雌はスーツのポケットにささったままだった。

 

「あれ、まずいな……」

 

 赤羽根Pがつぶやいた。視線をたどると、駅のロータリーがあって、黒山の人だかりがあった。その中心に、まるで太陽系の中心で輝く太陽のような少女がいた。強い日差しを反射して、金髪が宝石のように輝いている。

 

 宮本フレデリカ。

 

 ファンの間で〝煮て食べたい〟と評判の金髪が、これでもかと輝いている。その隣には一ノ瀬志希もいて、サイン責めと握手攻めと2ショット攻めにあっている。

 

 当然の結果だと思う。

 

 自分だって街中で偶然フレ志希に遭遇したら喜びに理性なんて無くなってしまうと思う。2ショットを撮ってもらって、自分の顔のデカさとブサさがアイドルを隣にしたことで強調されてヘコみ、それでもアイドルと2ショットを撮れた喜びのほうが大きくてしばらく待ちうけにすると思う。

 

「おはようさん」

「おはよ、プロデューサー」

 

 赤羽根Pがロータリのすみに車を止めると、二人の少女が近づいてきた。一人は後部座席に乗って、もう一人はそこが定位置だといわんばかりに助手席に座った。

 

「いい天気、移籍日和ね」

 

 助手席にいた少女が帽子とサングラスを取った。

 

 速水奏だった。

 

 眩しそうに片目をつぶりながら天井の日よけを下げる仕草が、まるでドラマの一場面であるかのように思えた。その仕草が一々絵になっていて、見とれてしまった。太陽の光を浴びる唇がたまらなくセクシーで、キスしたいアイドルランキング堂々の1位も納得できた。

 ちなみにこのランキングは今この瞬間、伊華雌の脳内に発生したランキングであって、つまりなんの客観性もないクソランキングである。ただ単に伊華雌が奏の唇に目を奪われて紳士タイムに突入しただけの話である。

 

「あの二人、変装しなかったのか?」

 

 困り顔の赤羽根Pに、後部座席に乗り込んだ少女が変装をといた。

 

 塩見周子だった。

 

 彼女はトラブルを楽しんでいるかのように、あっけらかんと――

 

「ちゃんと変装してたんだけど、フレちゃんが歌っちゃった。志希ちゃんも声を揃えちゃって、あの有様。賢いしゅーこちゃんと奏ちゃんは、さっさと逃げた」

 

 問題、歌うと正体がバレてしまう歌はなんでしょう?

 答え、フンフンフフーン、フンフフー、フレデリカー♪

 

「ちょっと、連れてくる」

 

 苦笑した赤羽根Pが車を降りて、ファンに囲まれているフレ志希の元へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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