マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第14話

 

 

 

 赤羽根Pを復活させるために居酒屋へ行って、なりゆきで346プロオールスターズと飲むはめになった武内Pは、瀕死の重傷を負ってしまった。肝臓さん息してる? と訊きたくなるほどに泥酔していた。

 武内Pはフラフラの千鳥足で、大雪に混乱する交通網に苦戦しながら帰宅する。見慣れたワンルームマンションに戻った時には、すでに昼を過ぎていた。

 久々に武内Pの部屋に帰ってきた伊華雌(いけめん)は、猛烈な安堵感を胸にはしゃいでしまうのだけど、武内Pは嘔吐のカウントダウンが始まっている時の顔で言うのだった。

「すみませんが、少し休ませてもらいます……」

 洗面所で口をゆすいだ武内Pは、冷蔵庫を開けてミネラルウォーターをガブ飲みして、いい飲みっぷりだCMのモデルになれるぜ! と伊華雌が茶化そうと思った時には、すでにベッドに入っていた。スーツの上着だけ脱いで、そのままの格好でベッドインして、苦しそうに唸っている。

〝武ちゃん。スーツのズボン、シワになっちゃうぞい……〟

 伊華雌が声をかけても、反応はなかった。

 

 ――俺がマイクでなければ、お世話できたのに……っ!

 

 伊華雌はしかし、机の上のマイクスタンドで武内Pの回復を祈願することしか出来なかった。久々の武内Pの部屋で、しかし武内Pは生きる死ぬかの瀬戸際で、つまり伊華雌は誰とも話すことが出来ない。

 そして伊華雌は、武内Pを包む布団をぼーっと眺めながら思うのだった。

 

 ――優しく包み込んでお母さんの温もりを思い出させてくれる君は、母性たっぷりの〝バブミ〟に……。

 

 伊華雌は、ハッとして思考を打ち切る。

 無意識にエア友達を生み出そうとしていた自分に驚愕し、激しくかぶりをふる感覚をもって悪癖を矯正する。

 

 ――もうエア友達は必要ない! 何が母性たっぷりの〝バブミ〟だ! どうして変態なエア友達を量産しようとするんだ俺は……、目を覚ませっ!

 

 伊華雌は、苛酷な戦場から帰還した兵隊が、日常の何気ない騒音に過敏反応してしまうように、話す相手のいない孤独に直面するとエア友達を作ってしまうという、深刻な後遺症を(わずら)っていた。このままでは、武内Pの部屋にまで紳士なエア友達を召還してしまうかもしれない……ッ!

 

 ――ぐぅぅうう……っ! 静まれ、俺の右脳! これ以上、社会的に悲惨なエア友達を生み出してはいけないっ!

 

 伊華雌はまるで、邪気眼系中二病患者が右手を掴んで悶絶するかのように、己の妄想を必死になって抑え込んだ。

 重度の二日酔いに苦しむ武内P。

 重度の妄想癖に苦しむ伊華雌。

 二人は仲良く唸り声をハモらせながら、久しぶりの夜を過ごした。

 

 そして翌日の日曜日。

 

 昨日よりは幾分回復して、それでもまだ苦しそうな武内Pと、結局、武内Pのベッドの掛け布団を〝バブミ〟と命名し、武内Pを独占しているバブミに対して嫉妬心を燃え上がらせている伊華雌の元に、一人の訪問者がやってくる。

 昼も過ぎた頃にインターフォンが来客を知らせ、武内Pが頭痛にこめかみを押さえながらドアを開けると、私服も緑な千川ちひろが、はにかんでいた。

 

「じゃんっ♪ 来ちゃった……っ!」

 

 リアルで〝来ちゃった〟とか聞いたのは初めてだった。机の上のマイクスタンドから様子をうかがっていた伊華雌は、怒涛のラブコメ展開に〝もしかしたら……〟の期待を抱いてしまう。

 

 ――休みの日に健全な男女が一つ屋根の下にいて、何もおこらないはずもなく……っ!

 

 鍛え上げられた妄想力が爆発した。対象年齢がぐーんと上昇してしまう妄想を炸裂させる伊華雌であったが、しかし彼は忘れている。

 ただでさえフラグクラッシャーな武内Pが、今は重篤(じゅうとく)な二日酔いであることを。つまり結果として、武内Pは言語も文化も違う外国人に匹敵するぐらい空気が読めなくなっているということを!

 武内Pは、寝癖そのままのボサボサ頭をかきながら、もはや開いているのか閉じているのか分からないくらい細くなっている目をちひろへ向けて、言うのだった。

 

「何か、用ですか?」

 

 その反応はあんまりだ! と伊華雌は心の中でツッコんだ。

 だって、良く見て欲しい。確かに、ちひろは緑だ。普段の事務員姿と代わり映えしない色味を見せているけど、でも、それでも……、どう見てもオシャレをしている! 耳にはイヤリングがあって、胸元にはネックレスがあって、その緑色のコートは会社に着てくるコートとは別物で、〝とっておきの日〟のために温存しているんですと、いわんばかりにシワ一つ無い。

 つまり、ちひろは最高に着飾った状態で、これなら武内君も私のことを見直してくれるかもっ、みたいな期待をしていたのかどうかは分からないけど、そんなことを考えていてもおかしくないであろう自信満々の〝じゃん♪〟に対する返答が――

 

 何か、用ですか?

 

 ――なんでだよっ! 何で渾身のちっひに対するリアクションが、新聞の勧誘や宗教の勧誘の時と同じなんだよ、いい加減にしろっ!

 

 さすがに、伊華雌も少し怒ってしまった。ちひろに強く同情していた。無機物だからこそ、彼女の気持ちを冷静に読み取ることが出来て、だから感情移入してしまって、武内Pを叱ってしまう。

 

〝武ちゃん。もっとちひろさんを歓迎してあげて。服とか、褒めてあげてっ!〟

「えっ……?」

 

 首をさわりながら振り返って自分を見つめる武内Pに、伊華雌は語気を強めて言い放つ。

 

〝まずはちっひの服を褒めてあげなさいってばよっ!〟

「……はぁ」

 

 武内Pは、何がなんだか分かりません……、といわんばかりに首を触りながら、玄関でやり場のない笑みをさ迷わせているちひろに向かって、言うのだった。

 

「……えと、そのコート、……似合っていると、思います」

「えっ!」

 

 固まっていたちひろの笑みが、熱湯をかけられた氷のように、ゆっくりとほぐれていく。本気の勝負服で参上したら、何か用ですか? とか言われてショックのあまり活動停止していた彼女の感情が、しかしゆっくりと動き出して、頬が微かに赤くなった。

 

「あの、ありがとうっ! ……中、入ってもいいかな?」

「あ、はい……。散らかっていますが」

「ううん。突然押しかけちゃったんだから、全然気にしないよ」

 

 いつもの笑顔を取り戻したちひろが部屋に入ってきて、その様子に伊華雌は安堵の吐息を落としてしまう。いつものことながら武内Pのフラグクラッシュは、見ているこっちが気が気じゃなくて声を荒げてしまう。

 

 ――まあ、まゆちゃんが相手の時に比べれば、全然マシなんですけどね……。

 

 ちひろが相手であれば、まあ、死ぬことはない。

 まゆが相手である場合は、最悪の事態を想定する必要がある。

 武内Pは、無自覚にまゆの嫉妬心を炎上させてしまうような行動を取ろうとするから、一瞬たりとも油断できない。伊華雌は、まゆが視界に入った瞬間、武内Pの行動を厳しく監視する癖がついている。それこそ王族に礼儀作法を教える教育係のように、心を鬼にして武内Pの不適切な行動に目を光らせる。

 そうでもしないと、武内Pはどんな粗相をやらかしてしまうか分からない。まゆの前でスマイリングの鼻歌を歌うとか、それはもはや自殺行為だからやめてほしい。そこはエブリデイドリームでぇぇええ――ッ! と絶叫した回数は数えきれない。

 伊華雌が、病みに飲まれたまゆを思い出してゾクゾクしていると、部屋に入ってきたちひろが、手に提げていたスーパーの袋を開けて、食材をキッチンに置き始めた。

「えっとね……。武内君、二日酔いで大変だと思ったから、ご飯、作ってあげようと思って……」

 彼女は、照れ隠しにえへっと笑って、コートを脱いだ。

 ここでキュンとするべきは、ちひろの健気さである。

 二日酔いに苦しむ同僚のために、わざわざ雪の残る冬の日に、とっておきの洋服でオシャレしてご飯を作りにきてくれるとか、その健気さに〝惚れてまうやろーっ!〟と叫ぶべき場面である。

 しかし伊華雌は、別の部分にキュンとしてしまう。

 

 ――コート脱ぐちひろさん、なんか、えっろいなぁ……。

 

 その下に裸があるわけじゃないのに、それでも女性が服を脱ぐという仕草にエロスの入口を見いだてしまった伊華雌は、そのドアを全力であけて、紳士の階段を駆け上がってしまう。

 この調子で成長すれば、女性の一挙手一投足にエロスを見いだして興奮できる〝エロスの達人〟になれるかもしれない。おかゆ作るから、と言って鍋を洗うちひろの手の動きを、アレな動作に脳内変換するのは序の口で、パックの梅干を取り出して味見とばかりにペロっと舐める仕草を見るなり、ペロペロいただきましたーっ! と快哉(かいさい)を叫んでしまい、ピンポーンという音に己の妄想が男子として正しいのであると自信をもって胸を張る。

 

 ――ピンポン……?

 

 そのインターフォンの音に、予感があった。

 そして伊華雌は、青ざめて絶望する感覚に陥ってしまう。

 プロの棋士が先を読んで、勝ち目が無いことを悟って、負けを認めてこうベを垂れてしまうように、伊華雌もその〝予感〟が行き着く先に何があるのか、考えれば考えるほど、どうしようもないのだと分かって絶望に支配されてしまう。

 

 ――詰んでいる……。どうしようもなく、詰んでいる……ッ!

 

 玄関に向かう武内Pを呼び止めたところで、しかし伊華雌の予感が正しければ、ドアの向こうで待っているであろう彼女が立ち去ることはない。そして恐らく、この〝予感〟は的中する。

 だって、二回目だから。

 こんなことが、年末にもあったから!

 どうすればいいんだと頭を抱える感覚に苛まれる伊華雌を尻目に、武内Pは眠そうな顔で、そのドアは修羅場に繋がる羅生門であるというのに、無警戒に開けてしまった。

 そして、伊華雌の予感は的中する。

 ドアの向こうに待っている彼女は、恋人との再会を喜ぶ笑みを浮かべながら、言うのだった。

 

「プロデューサーさん、まゆですよぉ……」

 

 うふふと微笑む佐久間まゆに、しかし武内Pは動じない。ちひろの時と同じように、何の用ですか、とボケた挨拶をかましそうな様子である。

 事態の深刻さを感じとって息をのんだのは、キッチンでビニール袋から食材を出しているちひろであって、万策尽きたと言って空を仰ぎたいほどに絶望している伊華雌の二人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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