ついに、対決の日が来てしまった。
むしろ、今日まで平穏であった奇跡を、喜ぶべきなのかもしれない。
ちひろとまゆは、ギリギリのところで衝突を回避してきた。
あたりそうで当たらないベーゴマのように、今風にいうとベイブレードのように、同じフィールドで回転して、いつかは激突して雌雄を決する運命にあるのだけど、しかしその瞬間がいつまでたってもこないので、
そんなわけ、なかったのだ。
同じ人を好きになってしまった二人の女子が、同じ部署で顔を合わせている時点で、三角関係のラブコメが〝よーいどん!〟で始まってしまうわけだし、その片方が佐久間まゆという時点で、少なくとも〝まゆが身を引いて自然消滅〟という結末は有り得ない。
かといって、無機物として完全に公平な視点で
加えて仁奈ちゃんママも武内Pの恋心争奪レースに参加しているのだけど、彼女は武内Pと接触する機会が極端に少ないので、今は圏外であると思う。仁奈ちゃんを遠隔操作型のスタンドのように操って距離を縮めてくる、という一発逆転の可能性を秘めてはいるが、しかし現時点では〝伏兵〟であって、ダークホース的な存在である。
つまり佐久間まゆと千川ちひろこそ、武内Pのハートにもっとも近い存在であり、しかし武内Pはその二人を平等に〝恋愛対象として見ていない〟という三角関係と表現するにはあまりにラブ感の薄い相関図を元にラブコメがギリギリ成立して――いない……。
――武ちゃんが誰かを好きにならないと、ラブコメにならないんだよなぁ。
くぁー、とのん気にあくびをする武内Pを見て、伊華雌は頭を抱えたくなってくる。
美人の事務員と現役アイドルが部屋に来たというのに――、何だその反応は! と叱りたくなってしまう。武内Pは、ちゃんと現状を把握してほしい。
ほら、あなたの後ろで、佐久間まゆが病みに飲まれて恐い顔をしてるからっ!
「ちひろさん、お疲れ様です。お仕事ですか……?」
にっこり微笑むまゆの放った一言は、もはや強烈な先制攻撃であると伊華雌は思う。
仕事ですか? と訊くことによって、プライベートであることを真っ向から否定して、武内Pとの距離を離そうとしている――ような気がするのは、さすがに邪推だろうか?
「仕事じゃないですよー。武内君に、ご飯を作ってあげようと思って、プライベートでお邪魔してるんです」
ちひろも、にっこりと微笑みながらこたえる。
その笑顔を、さて、どこまで信じていいのか伊華雌には分からない。微笑みをぶつけ合っているちひろとまゆから、睨み合う暴走族のリーダー、という単語を連想してしまうのは何故だろう?
「まゆちゃんこそ、どうしたんですか? アイドル活動のことで武内君に相談ですか?」
ちひろのそれは、やられたらやりかえすの報復にしか思えなかった。
仕事で来たんだよね? と言わんばかりのにっこり笑顔に、しかしまゆは動じない。その大きな瞳から、ふっと色を消して言うのだった。
「川島さんから、プロデューサーさんが二日酔いで大変だって聞いたので、看病しに来たんです。もちろんご飯もまゆが作りますから、ちひろさんは、帰って大丈夫ですよ……」
ふふふと笑っているものの、その迫力は相当なもので、ヤンデレの本領を発揮したまゆを直視した伊華雌は〝ひぃっ!〟と悲鳴をあげて尿を解放する感覚に打ち震えた。
これは、さすがのちひろも怖気づいてしまったのではないかと思いきや、ちひろは茶色の瞳を好戦的に光らせて言い返すのだった。
「大丈夫よ、まゆちゃん。武内君のことは同期の私が面倒みるから、ね? まゆちゃんはアイドルなんだから、料理をしようとして怪我をしたら大変だから、ね……?」
〝うわぁっ! こっちも恐ぇっ!〟
伊華雌はついに悲鳴を上げてしまった。
ニーティングライフのかたわら視聴していた昼ドラで女性同士の愛憎劇がいかに恐ろしいものか知っていたが、知っているつもりになっていただけなのだと思い知った。常識人で健気で大人しい女性だと思っていたちひろが一瞬見せた〝爪と牙〟に、伊華雌はガクガクブルブルと震える感覚で怖気づくことしかできない。
今、この瞬間ばかりは自分がマイクでよかったと思う。こんな空気、きっと生身じゃ耐えられない……。
「大丈夫です。まゆ、お料理得意ですから、怪我したりしません……。それに、そんな料理じゃプロデューサーさん、元気になれませんよ? まゆが、ちゃんとしたお料理を作りますから……」
ずいずいと部屋に入ってきたまゆが、キッチンに並ぶ食材を見下ろして肩をすくめる。
ちひろが持ち込んだ食材は、レトルトのおかゆを主力として編成された〝一人暮らしの学生の食事〟というタイトルで紹介されそうな材料ばかりだった。パックの梅干があって、鯖の缶詰があって、リンゴが転がっている。
「こっ、これだけじゃないんだから。とっておきのやつがあるんだからっ!」
料理の腕を否定することは、すなわち女子力を否定するに等しい。
それは女性にとって看過できない屈辱であるのか、ちひろは敬語も忘れてむきになって、スーパーの袋の中からとっておきの逸品を取り出してまゆへ向けるのだった。
それは、大きな星飾りもまぶしいスタミナドリンクだった。
――料理でもなんでもないよ、ちひろさん……。
わなわなと震えながらスタドリを印籠のように掲げるちひろに、伊華雌は〝もういい、下がれ〟と出すぎた兵に後退をうながす指揮官の気持ちになって、まゆは笑みを消して、ため気を落とした。
「病人にドリンクは駄目です。お腹を壊しちゃいます。お料理はまゆに任せてください……」
正論を叩きつけられて、しかしちひろは下がらない。踏みとどまって、とんでもないことを言い始める。
「武内君は、スタミナドリンクが大好きだから大丈夫なの! ねっ、武内君?」
ちひろに詰め寄られた武内Pは、困り顔で首の後ろをさわる。
そもそも、スタドリを愛飲している様子はなかったし、二日酔いの時に栄養ドリンクはさすがにキツいだろうと伊華雌も思う。
そして武内Pは、ちひろの必死の問い掛けに、否定も肯定もせずに、くあっと大きなあくびをするのだった。
――この張り詰めた空気の中であくびとか、やっぱ武ちゃんすげえ……。
伊華雌は武内Pの男気というか、女性に動じない心に感心してしまうが、そんな煮え切らない態度にしびれをきらしたかのように、まゆとちひろの戦いは決着を求めて動き出す。
「プロデューサーさんは、まゆのおかゆが食べたいんですよね……? まゆのおかゆしか、食べられないんですよね……?」
病みに飲まれた佐久間まゆが、光の消えた瞳で武内Pをじっと見上げて、その腕をぎゅっと抱きしめる。
きっとラノベ主人公だったら、む、胸が当たってるっ!? とか言ってドギマギするのだろうけど、武内Pはあまりにも無反応で、だから伊華雌は武内Pの代わりに叫ぶのだった。
〝胸が当たってるよ、武ちゃんっ!〟
しかし武内Pは、ぼーっとしたままである。
まゆのアプローチに対して鈍い反応を見せる武内Pに、勝機を見いだしたちひろが一気に畳み掛ける!
「武内君は、レトルトのおかゆのほうが、食べ慣れてるから好きなんだよね! あと、スタドリも大好きっ!」
武内Pを巡る女たちの争いは、ついに最終局面をむかえる。
インターフォンを鳴らされた瞬間に伊華雌が覚悟した〝詰み〟の瞬間がやって来る。
「プロデューサーさんは、まゆのおかゆが食べたいんですよね……?」
「武内君は、私のおかゆを食べるよねっ?」
武内Pは、迫られてしまう。伊華雌が正解を見いだすことの出来なかった、二者択一を……ッ!
「まゆのおかゆを食べてください、プロデューサーさん……」
「レトルトのおかゆだけど、心をこめて温めるからっ!」
ちひろとまゆが武内Pの部屋で鉢合わせてしまった瞬間から、こうなることは分かっていた。最終的に、どちらを選ぶのか迫られてしまうのだと思い、だからこそ伊華雌は絶望に打ち震えていた。どんな言葉を用意すればこの場を収めることが出来るのか、伊華雌には皆目見当が付かない!
――何てアドバイスすればいいのか、分からねえ……。力になれなくてすまねぇ、武ちゃん……っ!
伊華雌には、両手を床について悔し涙を流す感覚をつくって己の不甲斐なさを詫びることしか出来ない。
まゆのおかゆを選んでも、ちひろのおかゆを選んでも、そのどちらもバッドエンドに直結しているような気がする……。
この修羅場は、果たしてどうやって乗り切ればいいのか?
伊華雌が、どうにか切り抜けてくれと祈りながら見つめる先で、ちひろが幼馴染みを思わせる必死な眼差しを向ける先で、まゆが光の消えた瞳に過剰な愛情を込めて見つめる先で、そして武内Pは――
笑みを浮かべた。
それは、張りつめていた空気をじんわりと緩めてしまうほどの〝いい笑顔〟で、毒気を抜かれてしまった女の子二人に、武内Pは言うのだった。
「自分は、自分のために料理を作っていただけるのであれば、それは残さずにいただきたいと思います」
武内Pは、選択しない、という選択をした。
果たしてそれは、いい加減なことを言うなと、質問者を激昂させてしまう可能性を孕んだ回答であったが、しかしまゆとちひろは、大人しくうなずいてしまう。
――これが、笑顔の力か……ッ!
伊華雌はパワー・オブ・スマイルのなんたるかを噛み締めつつ、荒ぶっていたちひろとまゆを笑顔にしてしまった武内Pのスマイリングに、心酔して、感服した。
――どうなることかと思ったけど、修羅場も無事に終わったことだし、あとはまゆちゃんとちひろさんのおかゆを武ちゃんが頑張って完食すれば、ハッピーエンドだ。
これで災難は去ったと、油断してしまう伊華雌は、まだ認識が甘かったのだと思う。
武内Pがいかにトラブルメーカーであるか、理解が足りない。
ピンポーン。
インターフォンが鳴った。
新たなる戦いの火種がやって来たのだと伊華雌は警戒した。まゆとちひろも目付きを鋭くしている。
――せっかく鎮火した火事現場にガソリンを撒こうとするやつは、誰だっ!
心の中で荒々しい声を上げてしまったことを、しかし伊華雌は後悔することになる。
だって、インターフォンの向こうから聞こえてきた声は――
「お疲れ様です、プロデューサーさん。島村卯月ですっ♪」
まさかの卯月だった。
もちろん嬉しいけど、でも、駄目だ。
こんな、昼ドラの炎に焼かれて燃える危険地帯に、ラブリー・マイエンジェル――島村卯月を降臨させるわけにはいかないっ!
〝逃げて、卯月ちゃんっ!〟
伊華雌の叫ぶ声は、しかし卯月には届かない。
ドアの向こうで、もこもこと暖かそうなダッフルコートを着ている卯月は、武内Pを見上げてにっこり笑って、かばんから大きなタッパーを取り出した。
「プロデューサーさんが病気だって聞いたので、ママに頼んでおかゆを作ってもらいました。良かったら、食べてくださいっ♪」
そして卯月の隣に、もう一人。
卯月と並ぶと一回り小さく見えるけど、同じ17歳で、しかしそれよりも遥かに年上であるような瞬間を見せることがある安部菜々が、卯月のそれよりも一回り大きなタッパーを差し出しながら〝キャハ☆〟と笑った。
「あの、心ちゃんから武内プロデューサーさんが大変だって聞いたんで、良かったら食べ……、あれ、みなさんお揃いで……」
ウサミンは、きっと何かを感じとったのだと思う。同じ17歳の卯月が、どうかしたんですか? といわんばかりの笑顔で小首をかしげているのに対し、菜々は自分の軽率な行動を後悔するかのような引きつった笑みを浮かべている。彼女の視線の先で、果たしてちひろはその瞳を好戦的に光らせて、まゆは大きな瞳から光を消していた。
――せっかく、丸く収まりかけていたのに……っ!
武内Pの辞書に〝平穏〟とか〝退屈〟という文字はないのだと、伊華雌は思い知った。
そして武内Pは――
このあと滅茶苦茶、おかゆ食わされた。