第1話
自分をぴにゃこら太のマイクに転生させたアイツは、本当に神様だったのだと思う。
だって神様は人を〝試す〟から。
試練と称して人を苦境に叩き落として、非情な選択を迫るのだ。
大好きなアイドルを苦しませたくない。
でも、せっかくできた友人と別れたくない。
何より
どうしようもなく不細工で、何の取り柄もなくて。プロデューサーになるための専門学校へ通っているけど、本当に本気で目指していると胸を張ることはできない。現実逃避の一種だろと、指摘されたら黙ってしまう。
そんなどうしようもないニート予備軍に戻るぐらいなら、このままマイクで、武内Pと一緒にアイドルのプロデュースをしていたい。
ずっとこのまま、武内Pと一緒にいたい……。
伊華雌は迷い、決断を先延ばしにする。
正体を隠し〝マイク〟として武内Pのそばに居る。
しかしいつかは選択しなくてはならない。
大好きなアイドルの笑顔か。
初めてできた友達か。
伊華雌は非情な選択を迫られていた。
* * *
シンデレラの舞踏会にむけて346プロは活気づいている。
プロデューサー達は早足で廊下を歩き、アイドル達は頻繁に事務所に顔を出す。夕方にもなると制服姿のアイドル達が事務室に集まり、その様子はさながら学校の教室である。とはいえ集合しているのは現役のアイドルであるから、そこは恐ろしく顔面偏差値の高い教室である。
どこをみても美少女しかいない事務室の中にあって、伊華雌はもちろん嬉しいのだけど、若干ながら居心地が悪い。不細工な青年だったころの感覚が残っている。
――こんな美少女だらけの空間に俺がいたら、オセロみたいにひっくり返って〝イケメン〟になっちゃうんじゃないかな!
そんなわけないと分かっているのだけど、思ってしまう。自分の視点で見ると美少女ばかりなのだから、自分も美少女かもしれない! と勘違いをしそうになる。
――実際は〝ぴにゃこら太を擬人化した結果〟なんだよなぁ……。
人間だった頃の自分は本当にぴにゃこら太に似ていた。全裸になって頭から緑のペンキをかぶれば完璧だ。そして『ぴにゃぁぁああ――っ!』と絶叫しながら住宅地を駆け抜ける。住民は悲鳴をあげてパトカーのサイレンが鳴り響く。わいせつ物陳列罪で、前科1犯!
伊華雌がいつもながら卑屈な妄想をもてあそんでいると、誰かがバンっ! と机を叩いた。
武内Pがいるはずの場所に立って、プロデューサーの机に両手をついたのは本田未央だった。
彼女はアイドル達の視線を受け止めると元気な笑みを浮かべる。そして後ろ髪のように元気よく跳ねた声を張り上げた。
「それではこれより、シンデレラプロジェクトで何をやるか会議を始めます!」
夕方の事務室にアイドルが集まっている理由は、シンデレラの舞踏会で何をやるのかを決めるためだった。
このライブは〝アイドルがやりたいことを積極的に採用して、いい笑顔を引き出す〟がテーマである。何をやりたいかアイドル同士で話し合って、その提案に対してプロデューサーが現実的であるかどうかを吟味する。例えるなら、文化祭で何をやるのかを話し合うようなもので、武内Pは学校の先生さながら事務室のすみでアイドル達のやりとりを見守っている。
「はい、みくにゃん!」
教壇に立つ学級委員を思わせる未央の声。
そして、全ての視線がみくに集中する。
「え……」
みくは、ぎょっとしていた。
ぼーとしているところをつつかれた猫みたいなリアクション。それも当然で、みくは別に挙手をしていたわけじゃない。今日のメニューはハンバーグかなー、とか考えていそうなところを突然指名されたのだ。
猫だましをくらった猫みたいにぽーっとしていたのは、しかし数秒!
前川みくはアイドルである。いつまでも呆然としてしまう素人ではない。マジメ・ネコチャンモードから〝みくにゃんモード〟へ移行すべく、赤い眼鏡を外してブレザーの胸ポケットにさしこみ、スクールバックから猫耳を取り出して、それを頭に装着してにゃんにゃんポーズを――
「時間切れ! 次、李衣菜ちゃん!」
「えっ、ちょっ!」
猫のように手首を丸めたみくが硬直する。ポーズまで決めたのだ。このまま引き下がるわけにはいかない。
猫口を開けて抗議しようとするみくであったが、未央は道場の師範のように腕を組んで厳しい眼差しを向ける。
「アイドルの世界は瞬発力が大切なのだよ、みくにゃん。マジメモードからネコチャンモードまでの変身が遅すぎる!」
「ふにゃあっ! だって、急だったから、ちょっと油断したっていうか……」
「その油断が命取りなのだよ」
「むむぅー……」
まあ、確かに時間がかかっていたと伊華雌も思う。そもそも、意見を言うだけだったらわざわざ猫耳つけなくてもいいんじゃ……? とか思ってしまうのだけど、そこはみくのこだわりなのかもしれない。〝アイドル前川みく〟として発言する時は猫耳厳守。そんな自分ルールがあるのかもしれない。
「じゃあ、提案、いいかな?」
みくの隣、ソファーにゆったりと背中を預けている李衣菜が口を開いた。セーラー服のスカーフを撫でる仕草に込み上げる自信の
「みんなで、それぞれの持ち歌を順番にメドレーで歌うってのはどうかな? ショートバージョンのメドレーにすれば、そのぶん沢山曲を歌えて、ファンのみんなも喜んでくれるかなって」
シンデレラプロジェクトの事務室が、しーんと静まり返る。
向いのソファーに座る凛と卯月も。窓辺で夕日を浴びている日野茜と高森藍子も。ローテーブルの上にお菓子を広げている神谷奈緒と北条加蓮も。いつの間にか武内Pの近くに陣取っている佐久間まゆも。
誰一人として口を開かずに李衣菜を見つめる。
「……あれ? わたし、おかしなこと言っちゃった?」
戸惑う李衣菜に、みくが真実を告げる。
「逆にゃ、李衣菜ちゃん。まともな意見すぎてびっくりしたのにゃ。李衣菜ちゃんは、何か……、とりあえずロック! みたいな、具体的には何をしたいのか分からない曖昧な意見を言うと思っていたにゃ……」
みくの言葉に、伊華雌も同意してしまう。
居酒屋に入ったら、とりあえずビール! 多田李衣菜といったら、とりあえずロック!
「なにそれ! わたしだって、ちゃんと考えてるんだからっ!」
身を乗り出して怒る李衣菜に、みくは素直に頭を下げる。
「……そうみたいにゃ。何か、ごめんにゃ」
そして李衣菜は、ここぞとばかりにドヤってロックを語る! ――と思いきや、ゆらりと視線を泳がせた。
「どんなアイデアを出せばロックか、沢山考えたんだよ。……………………なつきちと」
再び沈黙が流れる。
アイドルが次々と眉根をよせる。
そして一番大きく眉根をよせているみくが、事務室に漂う疑念を口にする。
「李衣菜ちゃんもしかして、なつきちゃんのアイデアを自分の手柄に……」
じーっ。
ジト目による無言の圧力。アイドル達から向けられる疑惑の視線。
それらを振り払おうとするかのように、李衣菜はわたわたと手を忙しなく動かしながら、
「いやっ、これは、わたしとなつきちのアイデアだから! 二人の共同作業だからっ!」
「怪しいにゃ。李衣菜ちゃんはただひたすらに、ロックだね! って相づちを打っていただけなんじゃないの?」
「いひゃ、そんなことは……」
笑みをひきつらせて視線を窓の外へ逃がす李衣菜。それはあまりにも分かりやすい誤魔化しの仕草であって、ここまで〝顔に出る〟タイプも珍しいと伊華雌は思う。カジノで兵藤レナとポーカーとかやらないほうがいいタイプだ。財布の中身を全部巻き上げられてしまう。
ちなみに伊華雌も表情を隠せないタイプであるけど、ババ抜きは強い。
あれは、小学生の時のお楽しみ教室。クラスメイト全員参加のババ抜きトーナメントが行われて、なんと伊華雌は優勝したのだ。
しかしその理由が切ない。
伊華雌と対戦した男子は語る。
『不細工すぎてなに考えてんのか分かんねー』
そして女子は、ため息混じりに、
『そもそも直視できないし……』
――いやっ、直視はできるだろ! 太陽じゃないんだからっ! 見つめても目がつぶれたりしないからっ!
伊華雌が前世の記憶と格闘している一方で、アイドルたちはメドレーのアイディアで盛り上がっている。
みんな、自分の個人曲には強い思い入れがある。しかしライブの時間には限りがあって、個人曲は優先順位が低くなる。最近の曲や、全体曲が優先されるのはライブの宿命なのだ。
でも、やっぱり個人曲が歌いたいし、ファンもそれを求めている。
例えショートバージョンのメドレーであっても、それが笑顔につながるのは間違いない。
アイドルたちはその気になって、楽しそうに談笑している。それは休み時間の教室を思わせる和やかな空気で、伊華雌は机に突っ伏して寝る感覚を思い出す。
――だって休み時間とか、机の匂いをかぎながら瞑想する時間だから……。うん。
輝かしい青春を送る学生――の近くで寝たふりをしていた頃のことを思いだした伊華雌は、当時のように視界を遮断し耳をすませる。
「卯月はメドレー、何が歌いたい?」
〝卯月〟という単語に伊華雌の全てが反応する。くわっと開眼する感覚をもって視線を向けた。
凛が、ソファーに並んで座っている卯月に声をかけていた。
声をかけられた卯月は、悪夢から醒めた人のように大きな瞳を泳がせて、全身を強張らせて。
そして断末魔の悲鳴でもあげるかのように――
「し、島村卯月っ、がんばりますッ!」
休み時間の喧騒が消えた。
まるで、クラスメイトの一人が急に誰かを怒鳴って、聞いたことのない声に驚いて視線を向ける学生のように、アイドルの視線が卯月に集中する。
「あ、あの、わたし……」
卯月が、自分を抱いた。温度を失う空気に怯えるかのように。
「し、しまむー気合い充分だね! 未央ちゃんも負けないように、がんばりますっ!」
声を出したのは未央だった。卯月の真似ですと言わんばかりに「エヘっ」と声をだしてピースサインを作って見せる。
「全然卯月ちゃんに似てないですよ、未央ちゃん!」
日野茜が気合い充分にツッコんで、穏やかな空気が戻ってきた。
その空気に卯月の吐息が混ざる。
安堵の吐息。
そう呼んで間違いないであろう息づかいがあって、強ばっていた全身から力が抜けて、そのままストンと、ソファーに腰をおろした。
「卯月、大丈夫?」
凛が、小声で卯月に声をかける。体調を気遣う家族のような視線と共に。
「あ、はい。大丈夫です」
卯月が笑顔をつくる。それはしかし、心配する凛を安心させるためにつくったような笑顔であって、〝いい笑顔〟とは言いがたい。前世では島村卯月のポスターやグッズに囲まれて生活していた伊華雌である。その笑顔の良し悪しを評価することに関しては自信があった。
だから、断言できる。
卯月は、大丈夫じゃない。
真綿で首を締めるようにゆっくりと、しかし確実に卯月の笑顔は色を失っている。
その笑顔に宿る輝きが完全に失われてしまった時。
彼女の中で12時の鐘が鳴ってしまう。
そして、魔法を失ったシンデレラが城から立ち去るように、アイドルの世界から……。
――大丈夫だ。武ちゃんと俺で、何とかできる。
伊華雌は信じていた。
今までのように、自分と武内Pで何とかできると思っている。
しかしそれは盲目的な信頼で。
向けるべき現実から目をそむけ希望にすがりついているだけである。
大好きなアイドルの笑顔か。
初めてできた友達か。
どちらか一つ、選ばなくてはならない。
伊華雌は選択を迫られている。