346プロ社内カフェ――メルヘンチェンジは夜の7時で店を締める。
その理由は二つ。
夜になるとお酒を持ち込んで酒盛りを始めるお姉さんが出現してしまう。
ウサミン星が遠い。
以上の理由により夜間営業はしていない。夜の8時には後片付けをおえた安部菜々17歳が戸締まりをして、翌朝までメルヘンチェンジは暗闇と沈黙の世界に包まれる。
しかし今日は、夜の8時を過ぎているにもかかわらずカフェの一角に明かりが灯されていた。
武内Pの大きな背中があって、丸いテーブルを挟んだ向かいにみくと李衣菜と夏樹が並んでソファーに座っている。
「李衣菜ちゃん、全部自分の手柄にしようとしたんだよ!」
みくの言い方は先生に言いつける生徒のようで、隣に座る木村夏樹は苦笑してしまう。
「ちゃんとなつきちとの共同作業って言ったじゃん! 事実をねじ曲げないでほしいんだけど!」
李衣菜はすぐに応戦する。数々の実戦を経験している古参兵のように、ためらいのない口調で舌戦の火蓋を切り落とす。
――アスタリスク名物、猫・ロック戦争の時間だぁぁああ――っ!
「でも、夏樹ちゃんとのアイデアだってずいぶんと後になってから言ったにゃ。しかも、すっごい小さな声で! 普通、そういうのは真っ先に言うものにゃ」
「そ、それは、でも――」
みくの言葉に李衣菜はぐうの音もでない。もごもごと口ごもりながら、しかし起死回生の一手を諦めることはしない。好戦的な視線をみくの全身へ走らせて、猫耳を見るなりギラリと目を光らせる。
「そもそも、みくちゃんは何もアイディア出してないじゃん。ごそごそ猫耳の準備してただけで」
「あっ、あれは未央ちゃんがチャンスをくれなかったからにゃ。みくの頭の中には、すごいアイディアがあったのにゃ!」
「へー、それは興味深いなぁ。聞かせてよっ!」
「えっと、それは……」
みくの頬にだらだらと冷や汗が流れる。彼女の頭の中にアイディアは存在しないと、血の気の引いた横顔を見れば一目瞭然で。
しかし李衣菜は純真無垢な子供みたいに目をキラキラさせている。その様子に伊華雌は感心する。彼女は中々の策士である。
相手を追い詰めるのは烈火のごとく激しい視線だけじゃない……。
子供ような無邪気な眼差しにこそ最大の破壊力が宿る瞬間がある!
「猫チャン100万匹ライブ、とか……」
みくの猫口が言葉を紡ぐ。苦し紛れにひねり出したことが伝わるか細い声だった。
そして李衣菜は、捕食者の剣幕をもってみくの意見に食らいつく!
「100万匹って、さすがに無理でしょ。お客さんより多いよ」
「……じゃあ、1万匹でもいいにゃ」
「よくないよ。1万匹でも多いし、そんなに猫つれてきて何するの?」
「可愛い猫チャンと、ふれあい、とか……」
「ライブ関係なくなってるよ。ファンのみんなが猫とふれあって、わたしたちは何をしてるの?」
「それは、猫チャンのお世話、とか……」
「もう猫が主役になってんじゃん。ただの猫のイベントだよ。アイドルどこいっちゃったの?」
「う、うるさいにゃ! まだ考え中なのっ! そもそも、李衣菜ちゃんこそ偉そうなこと言って自分一人じゃアイディア出せてないにゃ」
「べ、別に、言ってないだけで、わたしだって最高にロックなアイディア、あるし……」
「聞かせてほしいにゃ」
「えっと、それは……」
みくと李衣菜。
二人の口論は終わらない。
終わる気配を見せない言葉のドッジボールに木村夏樹が肩をすくめて苦笑する。歯を見せて笑う彼女は優しい先輩――を通り越して優しい保護者に見える。
伊華雌も保護者の気持ちで猫・ロック戦争を眺めながら心の中でつぶやく。
――穏やかに苦笑しながら二人のキャットファイトを見守りたいだけの人生だった……。
喧嘩するほど仲が良いという格言はこの二人のためにある。この二人の喧嘩はもはや〝イチャコラ〟の亜種であって、いつも喧嘩している二人は隙あらばイチャつくカップルみたいなものである。早く結婚したほうがいい。
「それで、どうだいプロデューサーさん。あたしたちのアイデアは?」
夏樹が武内Pに声をかける。イチャイチャと口喧嘩をしているみくと李衣菜の声が途切れた一瞬の隙をついて差し込まれた言葉だった。
そもそも、武内Pは夏樹のアイデアを検討するために夜のメルヘンチェンジに来ている。みくと李衣菜のミッドナイトキャットファイトを観戦しにきたわけじゃはない。
それなのにみくと李衣菜ときたら話の腰を折ってイチャイチャイチャイチャと――
――いいぞ、もっとやれッ!
伊華雌は心の中に〝力強く拳を突き上げるイメージ〟を思い浮かべた。みくと李衣菜のイチャコラであればいつまでも観ていられる。三食二人のキャットファイトでも構わない。……構わないっ!
「自分は、良いと思います。きっと、ファンのみなさんにも喜んでもらえます」
武内Pが受けた提案。それは――
アスタリスクwithなつなな。
アスタリスクと先輩二人が特別ユニットを結成する。シンデレラの舞踏会にふさわしい、一夜限りの夢のステージ。これは絶対に盛り上がる。ファンはきっと熱狂する。
――少なくとも、俺は盛り上がる!
伊華雌が夏樹たちのアイデアを絶賛していると、厨房のほうで音がした。
「菜々ちゃん、みくも手伝うにゃ」
みくが立ち上がり厨房へ向かった。
李衣菜と夏樹が視線を交わし、その視線を厨房へ向ける。何かを警戒するような目付きだった。さながら、闘技場の門が開いて、その向こうからやってくるであろう巨大な怪物を恐れる戦士のような。
二人が何を恐れているのか。
その答えは、ウサミンが厨房に立っているという事実から推測できる。
「お待たせしましたー」
菜々が厨房から出てきた。
両手に大皿を持っている。
残り物をかき集めて炒めました! と言わんばかりの野菜炒めは、しかしいい感じの色味に火が通っている。マイクの身でありながら空腹の感覚を思い出してしまう。
量は半端ないけど。
もう一方の皿には海老のチリソース。適度にちらされた唐辛子の存在がいい感じのアクセントになっている。きっとピリ辛でうまいんだろうなと、海老チリ欲をかきたててくれる魅力的な一皿。
量は半端ないけど。
どうやらウサミンは食べ物を山盛りにしてしまう手癖みたいなものがあるらしく、学生食堂のおばちゃんかっ! とツッコみたくなってしまうほどに何でも山盛りにしてしまう。しかし安部菜々17歳が食堂のおばちゃんなわけもなく、どうしてそんな印象を抱いてしまうのか、謎は深まるばかりである……。
「ごはんにゃー」
菜々に続いてみくが厨房から出てきた。山盛りのごはんを持っている。
このお店はあれだろうか? 山盛りとデカ盛りと爆盛りと激盛りしか選択肢がないのだろうか。山盛りを完食したところで『我ら四天王の中では最弱!』とか言われてしまいそうな気がする。
「わたし、こんなに食べられないよ。いつも夜は栄養ゼリーとかだし……」
弱音を吐いた李衣菜の前に、みくは容赦なく山盛りのご飯を置いた。
「アイドルは体が資本だからちゃんと食べないとだめにゃ。目指せ1日30品目にゃ!」
みくの口上を聞いた菜々が、腕を組んでウンウンと頷いている。弟子の成長を喜ぶ師匠のような仕草だ。それを見たみくは、頭を撫でてもらった猫みたいな笑みを浮かべるのだけど――、そのハートフルな光景に李衣菜はジト目を向ける。
「偉そうに言ってるけど、それ、菜々ちゃんの受け売りなんでしょ?」
ずばっと差し込まれた言葉のナイフに、しかしみくは動じない。李衣菜の方へ視線を向けずに、その発言を黙殺しながら割り箸を配る。
「さぁっ、冷めないうちに食べるにゃ!」
じーっ。
李衣菜のジト目はみくを逃さない。完全にロックオンしている。
「みくちゃんも同じことやってんじゃん。菜々ちゃんの言ってることを、さも自分の意見みたいに言って」
「べ、別にみくは李衣菜ちゃんとは違うにゃ。みくは菜々ちゃんの意見をリスペクトして――」
「わたしも、なつきちの提案をリスペクトして――」
「みくだって――」
「わたしだって――」
「二人とも!」
菜々の声がみくと李衣菜を黙らせた。その声色に、眼差しに、喧嘩する子どもを一喝して黙らせるおかんの迫力が宿っている。
「早く食べないと冷めちゃいます。話すのは食べてからにしましょうね」
「はいにゃ……」
「はーい……」
みくと李衣菜は素直に箸を手に取って、それを見た菜々と夏樹が視線を交わして微笑んだ。
――家族かっ!
伊華雌は思わずツッコんでしまう。それほどまでにアットホームな雰囲気だった。
菜々が母親で、夏樹が父親。みくと李衣菜が子供で、優しく見守る武内Pはさながら親戚の叔父さんといったところだろうか。
――そんな家族なら、ペットでいいから参加したい。
伊華雌は猫に転生した自分を夢想する。
拾ってくださいの段ボールに放置されているところをみくに拾われる。『お母さん飼ってもいいでしょ? ちゃんと世話するにゃ』『ダメです。ウサミン星はペット禁止です』押し問答の末、根負けした安部ママ17歳が飼育を許可する。『やったにゃぁぁああ――』喜ぶみくが猫な伊華雌を抱きしめる。
アイドルに抱きしめられた伊華雌は、歓喜のあまり最大出力で糞尿をぶちまける!
『うわぁ、ロックだね……』ドン引きする李衣菜。『そうだな、ロックだな……』夏樹もドン引き。『……みくちゃん!』怒る菜々。『……こんな猫、ノーセンキューにゃ!』みくは前言を撤回して飼育放棄。猫な伊華雌を段ボール箱に返却する。
――だ、ダメだ。卑屈な妄想癖を何とかしないと、妄想の世界ですら俺はバッドエンドを量産してしまう。猫になってみくにゃんの膝の上で丸くなる妄想をしたかっただけなのに、どうしてこうなった……ッ!
伊華雌が勝手に妄想して勝手に落ち込んでいると、誰かがメルヘンチェンジに駆け込んできた。
「あっ、いた。武内君!」
それは千川ちひろだった。
その表情を見た伊華雌は、反射的に身構える感覚をつくってしまう。
ちひろはメッセンジャーである。良い知らせを届けてくれることもあれば、悪い知らせによって絶望をもたらすこともある。
「美城常務が、武内君に話があるって」
まるで悲惨な事件を報告するかのような表情。
あわくって警察に通報する人の口調。
そして〝美城常務〟という
その全てがあまりにも不吉で、伊華雌は〝悪い知らせ〟を覚悟した。
* * *
武内Pはすぐに美城常務の執務室へ向かった。
美城常務は武内Pを見るなり、写真を差し出してきた。
「確認してほしい」
伊華雌は、何だそんなことかと思って安堵した。
ただの写真チェックである。
雑誌に乗せるアイドルの写真をチェックして、写っちゃいけないものが写っていないかチェックするのだ。パンツとかあの子とか、雑誌に載せるわけにはいけない写真にNGを出す。
「どう思う?」
美城常務の言葉にトゲがある。
責めるような口調だった。
彼女が何を言いたいのか、伊華雌にはよくわからない。そもそも雑誌の写真チェックとか、常務の部屋に呼び出してやらせることじゃない。信じられないくらいクッキリ〝あの子〟が写っているのだろうか?
武内Pが凝視している写真を伊華雌も見つめて――
息のとまる感覚を思い出した。
それは、ピンクチェックスクールの写真だった。
雑誌のスナップ写真だろうか、三人のアイドルが並んで笑みを浮かべている。小日向美穂がアホ毛を躍動させながら微笑む。五十嵐響子も、今日はハンバーグですよーと弟妹たちに声をかけるかのようなほっこりスマイルを見せる。
そして、卯月は――
「それが〝いい笑顔〟なのか?」
違う。
断じて違う。
こんな――笑顔の形をつくっただけの表情が島村卯月の笑顔なわけない。卯月の笑顔は、水をあびた朝の花みたいな輝きを放つ。そのはずなのに、写真の中の卯月の笑顔は、人工物で作られた造花のように生気がない。まるで輝きが感じられない。
「これでも散々撮りなおして、一番ましな写真だそうだ」
美城常務は苛立ちを隠さない。
腕を組み、失望の吐息をついて、言い放つ。
「島村卯月を、シンデレラの舞踏会から外せ」
その冷酷な言葉に思い出す。
そもそも、美城常務とはそういう人なのだ。結果を出すことに対して容赦がない。武内Pが好調であったからこそ味方であったが、結果を出せないと分かれば手のひらを返す。
この若さで常務の地位に上り詰めるとは、つまりそういうことなのだ。
親のコネだけでは346の常務は務まらない。
「待ってください! その判断は尚早です。確かに島村さんは、まだ週刊紙の記事の影響を残しているのかもしれません。しかし、もう少し様子を見て――」
「いつまでだ?」
必死の抗弁を試みる武内Pに、美城常務の態度は厳しい。初めて会った時のような、シンデレラをいじめる継母のような冷たい視線を向けて訊いてくる。
「島村卯月がアイドルとして使い物になるのかどうか、いつになったら判断できる?」
武内Pはすぐに答えない。全身を強張らせて、眉間にしわを集めて。
そして、針でつついたら爆発してしまいそうなくらいにはりつめた空気の中に低い声を響かせる。
「一か月ほど、様子を――」
「遅すぎる」
話にならない。
言わんばかりにかぶりを振ってイヤリングを揺らした美城常務の目付きは厳しい。そして彼女は、触れれば凍りついてしまうほどの冷たい口調で宣言する。
「一週間だ。それで復活の兆しがなければ、島村卯月はシンデレラの舞踏会から外す」
「それは、あんまりですっ!」
思わず声をあげる武内Pを、視線だけで黙らせる。常務の肩書きは伊達ではないと、思いしるに充分な迫力をもった眼差し。
「島村卯月一人のために、シンデレラの舞踏会を失敗させるわけにはいかない」
「…………」
武内は、何も言えない。
伊華雌も反論できない。
――卯月一人のためにライブを失敗させるわけにはいかない。
悔しいが、美城常務の言葉は否定のしようのない正論である。
「一週間は、待っていただけるのですね……」
武内Pの目付きが変わる。
本気になった時の顔だ。
その強い視線に、もはや敵意に近い気迫が込められている。
上司をそんな目でみるなと、叱責されても文句はいえない。
しかし――
美城常務はそれを待っていたのかもしれない。
武内Pの火を吹くような視線を受けとめた彼女は、かすかに口許を緩めて言うのだった。
「成果を、期待する」