ハッピープリンセスが復活する。
その情報が346プロの公式ホームページより発信された瞬間、ネットはちょっとした〝祭り〟になった。
ファンは期待していたのだ。佐久間まゆの脱退によって活動休止状態であったハッピープリンセスの復活を。
そしてハッピープリンセスのメンバーも、再び同じステージに立てる日を諦めていない。
そんな事情を知っていたから、武内Pは提案した。
『シンデレラの舞踏会は良い機会です。ユニット活動を再開しませんか?』
まゆとしては、ためらいがあったと思う。
彼女にとってハッピープリンセスとは、赤羽根Pとのアイドル活動そのものである。その相手との〝思い出〟がたくさん残っている。それは素敵な記憶であると同時に辛い記憶だ。今となっては思い出したくないかもしれない。
だからこそ、ソロで活動してもらっていた。
そしてタイミングをうかがっていた。
まゆをハッピープリンセスの一員として復帰させた瞬間、彼女の〝再プロデュース〟が完了する。
みくと李衣菜は、先輩から独り立ちして〝自分の輝き〟を手に入れることができた。
仁奈は笑顔を取り戻して第三芸能課へ戻った。
しかしまゆは。
まだ完全に復活しているとは言いがたい。
元通りにユニット活動を再開して、ステージの上で笑顔になれた瞬間、彼女の再プロデュースが完了する。
そして、今。
武内Pと
流れる曲は〝おねがいシンデレラ〟。大入り満員の観客が熱烈な歓声を上げて、力一杯ペンライトを振って。
熱のこもった声援を受けとるのは、小日向美穂。日野茜。川島瑞樹。城ヶ崎美嘉。
そして、佐久間まゆ。
もしかしたら赤羽根Pのことを思い出して調子を落としてしまうかもしれない。
そんな伊華雌の不安を吹き飛ばすかのように、まゆは問題なくステージをこなしている。伊華雌がまだ人間で、一人のファンだった頃に見ていたハッピープリンセスのように。
いや……。
その時よりも輝いてみえる。
その笑顔は、輝きを増している!
きっとこれが、武内Pによる再プロデュースの成果なのだと思う。
アイドルを復活させるのはもちろん、もっと〝いい笑顔〟にしてしまうのだ。
「みんな、ありがとーっ! ハッピープリンセス、よろしくねーっ!」
曲が終わって、一段と大きくなった歓声に負けじと美嘉が声を張り上げる。
そして、巻き起こる拍手に手をふってこたえながら退場する。
美嘉を先頭に、茜、美穂、瑞樹と続き、最後にまゆがステージを降りた。舞台袖にいる武内Pを見つけると、まゆは嬉しそうに微笑む。
「どうでしたか、プロデューサーさん……。まゆ、プロデューサーさんが望むまゆになれましたか……?」
愛情にあふれた熱い視線と、どこまでも生真面目な視線が手を取りワルツを踊る。
そんな表現をすべき視線のやり取りに、他のハッピープリンセスのメンバーが苦笑している。
美穂はアホ毛まで赤くなるほどに赤面して、茜はラグビーでも観戦しているかのように興奮して拳を強く握る。瑞樹は若いカップルを見守るお姉さんの笑みを浮かべて、美嘉はやれやれと肩をすくめる。
そして武内Pは、どこまでも誠実にまゆの視線を受け止めて、一言。
「いい、笑顔でした」
――これでこの二人、付き合ってないんだぜ?
伊華雌が心の中で呆れてしまうほどに、甘苦しい世界が広がっている。
〝二人の世界〟という名前の閉鎖空間が舞台袖に出現して、次のステージの出演者であるインディヴィジュアルズが嫌そうな顔をしている。早坂美玲はまだしも、星輝子と森久保乃々は本当に嫌そうだ。眉がはっきりハの字になっている。
――リア充が苦手なのね、分かるわ……。
伊華雌は輝子と乃々の表情に深い共感を覚えてしまう。
伊華雌も高校時代、リア充カップルに散々嫌な思いをさせられてきた。
休み時間にトイレに行って帰ろうと思ったら、廊下の真ん中でリア充フィールドを展開しているカップルがいた。仕方ないから迂回しようと思って下の階に降りたらそこにもリア充がいるし!
頭にきたから、すれ違いざまにすかしっ屁をかますという通り魔的犯行をもってリア充カップルの空気を悪くしてやろうと思った。
しかし力みすぎてしまった結果、伊華雌は暴走族のバイクさながら『ブオン!』という爆音を轟かせてしまう。
『うわ、さいてー』
『ははっ、すげー音』
リア充(女)にはなじられるし、リア充(男)には『ははっ』とか笑われるし。ミ*キーみたいな笑い方しやがって! そのせいでしばらく*ッキーが笑うたびに切ない気持ちになったんですけど!
伊華雌の共感を背に受けたインディヴィジュアルズがステージに上がる。いつもより輝子のシャウトが激しいような気がする。きっと気のせいではないと思う。
彼女の〝ヒャッハー〟は全てのリア充へ向けた宣戦布告。
そして全てのボッチをなぐさめるための鎮魂歌。
武内Pは好きだけど、リア充は好きじゃない。
人情と感情の板挟みに苦しめられているボッチな伊華雌は、星輝子のヒャッハーに心の安らぎを覚えて、つぶやくのだった。
〝やっぱり輝子ちゃんは最高だぜ……っ!〟
* * *
武内Pとまゆの視線交換が一段落した頃、城ヶ崎美嘉が声をかけてきた。
「ちょっと、相談があるんだけど」
美嘉に連れられるまま、武内Pは控え室へ向かった。他のハッピープリンセスのメンバーも一緒に控え室に入る。
そして彼女たちは横一列に並んだ。あらかじめ打ち合わせしていたかのような動きである。
リア充の人なら『サプライズパーティーかな?』と思ってびっくりリアクションの準備をするのかもしれない。
しかし伊華雌の場合は『どっきりだ! 各員戦闘配置!』と叫んで身構えてしまう。
小学生の頃に流行ったのだ。TVの影響を受けたクラス内ヒエラルキー貴族的身分の男女が、下々の者に対してどっきりを仕掛けるというたちの悪い遊びが。それは座ると『ぶー』とおならみたいな音がするクッションを仕掛けて、庶民が当惑している様子を笑うという悪趣味な遊びだった。
そして伊華雌も〝どっきり〟のターゲットにされてしまう。
普段使っているクッションの中にブーブークッションを仕込まれた。座ったとたん音がして、待ってましたとばかりに貴族たちが出て来て笑いだした。頭にきたので、本物の放屁がいかなるものか? 実演をもって教えてやった。『バブォッ!』とすごい音がして、ブーブークッションの持ち主が『もうあれ、使えない』と言って泣き出した。
誰かを泣かせること。
その行為自体が小学生の間では重罪である。泣いているのが女子ならなおさら。
――なんで俺が謝罪させられて、しかもブーブークッションを買い取らなきゃならなかったのか、未だに意味が分からない!
伊華雌は思わず切ないエピソードを思い出してしまったが、ハッピープリンセスのアイドルたちは武内Pにどっきりを仕掛けようとして横一列にならんだわけではない。
「シンデレラの舞踏会でさ、握手会をやりたいなって思うんだけど……」
美嘉が頬をかきながら、ちらっと上目遣いに武内Pを見る。
武内Pはしばし目を閉じて考えてから、ウンと大きく頷いた。
「いいと思います。ハッピープリンセスの活動再開を待っていてくれたファンも喜んでくれると思います」
「そ、そうなんだよね。待っててくれたファンにさ、もっかいこのメンバーで活動できるって、伝えたくて……、ね」
美嘉が他のアイドルへ視線を送る。アイドルたちは、各々の仕草で肯定の気持ちを表す。
「じゃあさ、ちょっと練習、付き合ってよ」
美嘉はただの握手会ではなくて〝ハッピープリンセスの握手会〟を希望する。それはつまり、メンバー全員と順番に握手をする形式したい、とのことだった。
「ちゃんと順番にも意味があるのよ」
川島瑞樹が打ち合わせをする女子アナのようにてきぱきと説明する。
「まず、美穂ちゃんがファンの緊張をほぐすの。そして美嘉ちゃんがテンションをぐいっとあげて、茜ちゃんの熱い握手でサプライズ! ビックリしたファンを私が落ち着かせて、最後にまゆちゃんの笑顔で癒される。どう? まるで全身ボディスパのフルコースみたいでしょ? アンチエイジングできちゃうかもしれないわよっ!」
テンションの上昇に伴って面白お姉さんモードにギアが入ってしまった。ぐいっと身をのりだす瑞樹に、武内Pは一歩さがって首の後ろをさわる。
「い、いいと思います。面白い趣向です」
「でしょ? じゃあ早速、ファンの役をお願いね、武内くん」
キャハ☆ とか言い出しそうな瑞樹の笑顔に武内Pがうなずいて、握手会のシミュレーションが始まった。
一番手は小日向美穂。身長差から、武内Pの顔の前でアホ毛が揺れる。伊華雌が猫なら飛び付いている。人間であっても飛び付いている。『アホ毛が本体まであるぜぇぇええ――っ!』とか言いながら美穂のアホ毛にゴッドフィンガー! 警備員のお世話になる。
「あ、あの……。ライブのあとなんで、汗が……」
こしこしと衣装で手汗をふく美穂に、武内Pは言い放つ。
「構いません」
そして伊華雌も言葉を続ける。
――むしろありがとうございます。
「わっ、わたしが構いますっ!」
さくらんぼみたいに赤くなりながら妙な日本語を使う美穂に伊華雌はクラっとしてしまう。島村卯月という存在がいなければ危なかった。小日向美穂ガチ勢の扉が開いて、コーヒーとこっひーの区別がつかなくなってしまう。
一杯のモーニングこっひーから俺の一日は始まる。
夜明けのこっひーを一緒に飲もう。
――だめだっ! コーヒーがこっひーになっただけで、意味深な単語が世の中にあふれてしまう!
伊華雌が小日向美穂ガチ勢の苦悩を垣間見ている間に、武内Pは美穂との握手を終えていた。
「次は、あたしだね」
城ヶ崎美嘉が手を差し出す。
そのカラフルなネイルに伊華雌は目を奪われてしまう。カリスマJKモデルは、その手もまた高いカリスマ性を持っている。
記憶の中にある自分の手とは大違いだ。そもそも毛が生えていない。毛穴さんが仕事していない……。うちの毛穴さんは、やけに気合いいれて太い毛を生やしているのに! 専門学校のリア充野郎に『お前なんで指から陰毛生えてんの?』とか笑われるほどの剛毛を……。
伊華雌のそれとは別次元のものであるとしか思えない芸術品のような手が、武内Pの大きな手と握手をかわした。
「こうしてまたハッピープリンセスとして活動できるようになったのはあんたのおかげだから、その……」
美嘉はゆっくりと握手をほどいて、カリスマモデルの表情を捨てる。
どこにでもいる女子高生の、無邪気な笑顔で――
「ありがとっ」
武内Pは、はにかむように微笑んで、美嘉の言葉と笑顔を受けとる。
「次は、私ですねっ!」
ふんと元気な鼻息をついた日野茜が、熱血スポ根漫画の主人公よろしくその両眼に炎を燃やす。そんな錯覚を覚えてしまうほどの熱い視線が、武内Pへ向けられる。そして両手で、武内Pの手をつかんだ。
「まゆちゃんを笑顔にした武内プロデューサーに、情熱のエールを送りますっ!」
その小さな身体のどこにそんな力があるのか、見るからにパワフルな握手をしながら――
「ファイヤぁぁああああ――ッ!」
闘魂注入。
そんな単語を連想してしまうほどの声を張り上げ、茜は満足げにひたいの汗をぬぐった。
「どうですか、プロデューサー。元気になりましたかっ!」
腰に手を当ててニッコリ笑う。日野茜はどこまでも熱い体育会系アイドルである。ポジティブパッションのポジティブパッション担当は伊達じゃない。
「次は私ね……」
大人の表情を浮かべた川島瑞樹が武内Pの前に立つ。元女子アナの貫禄めいたものを漂わせていた彼女は、しかし手を差し出した瞬間に表情を変える。
「かわしまみじゅき、17歳ですっ☆」
時間が、止まった……ッ!
時空を操る特殊能力が突然覚醒してしまったのかもしれない! そんなふうに思ってしまうほど、全員の表情が固まっている。
――もし、時間停止の能力を獲得できたらどうしよう? 定番の女子更衣室から始めるべきだろうか……? それとも、勇気を出して女風呂かっ!?
いち早く硬直状態から復帰したのは武内Pだった。
彼は真面目な表情で、どんな罵倒よりも鋭利な言葉の刃を振りかざす。
「それは、やめたほうがいいと思います」
情け容赦のないマジレス!
しかし瑞樹は落ち込まない。ふっと吐息をついて肩をすくませるだけで武内Pの言葉を受け流す。
「言うようになったわね、武内くん」
瑞樹が武内Pと握手をかわす。彼女はいつかの居酒屋で武内Pに助言をくれた時のような、優しいお姉さんの顔で――
「プロデューサーとして成長したのね……。わかるわ」
武内Pは、伊華雌とまゆにしか分からない程度にはにかむ。――と、言いたいところであったが、その表情の変化を瑞樹も感じ取っていた。
「照れちゃって、かわいいんだからっ」
ずっと近くにいたから気づかなかった。
武内Pは変化している。
成長している。
誰が見てもわかるくらいに表情が柔らかくなっていた。未だに目付きは鋭いけれど、もう〝殺し屋みたいな〟とは言えないかもしれない。
瑞樹の手が、武内の手から離れる。
そして最後を飾るのは――
ヒラヒラとリボンのついた衣装をなびかせて、武内Pの正面で足をとめた佐久間まゆ。
その表情に、初めて会った時の面影はない。
あれは、まだ秋の季節だった。メルヘンチェンジでミミミンウサミンオムライスを頼んでしまって、慌てているところに彼女はやって来た。色のない表情でアイドルを辞めると言った。
あの時のまゆと、今のまゆ。
同じ少女であるはずなのに、全然違う女の子に見える。
「最後はまゆ、ですね……」
まゆが細い手をさしだす。
武内Pの大きな手に包まれる。
「……あの時、まゆを引き留めてくれて、ありがとうございます」
まゆはちらりとハッピープリンセスのアイドルたちを見て。
そして担当プロデューサーをじっと見つめて――
「やっぱりアイドル、楽しいですっ」
その瞬間の笑顔に関して言わせてもらえば、島村卯月のそれを凌いでいたかもしれない。
その笑顔は、島村卯月の超ガチ勢を自負する伊華雌をもってして、卯月以上であるかもしれないと思わせるほどに――
どうしようもなく、いい笑顔だった……。
二人はしばらく見つめ合って、
そしてゆっくりと手を離――
そしてゆっくりと手を離――
そしてゆっくりと手を離――そうとしない!
まゆの手はぎゅうっと武内Pの手を強く握りしめて離さない。ふふふと夢見心地な視線を向けて〝二人の世界〟を構築する。
武内Pはどうしていいのか分からなくてぎこちない笑みを浮かべるばかり。
ハッピープリンセスのアイドルたちは、人目を気にせずイチャつく二人に呆れて優しく苦笑する。
――いやっ、誰か止めてさしあげてっ!
まゆに愛情を注入されて困っている武内Pを救ったのは、スマホの着信音だった。
「この音……」
そのメロディにまゆの顔つきがかわる。
武内Pの手を握る力が、ぎゅっと強くなって――
「まゆの歌じゃないですか……っ!」
武内Pのスマホから流れているのはエブリディドリームである。
今朝、伊華雌が変更するように忠告したのだ。
まゆの前でスマイリングの着うたが流れたらどうなるか? 最悪、歌と一緒に血が流れる。そんな事態を避けるために、着うたを変更させた。〝病みのま〟対策に抜かりはない。
「あの、出てもいいでしょうか?」
握手という行為にこれほどの愛情を込めることができるのかと、感心してしまうほどに情熱的な握手をしていたまゆであるが、さすがに電話に出ることをとめはしなかった。
武内Pのごつい手を離して、その手をそのまま武内Pの腕にからめた。
――この二人は、恋人以外の何なんだろう?
まゆに腕を絡めとられた状態のままで、武内Pはスマホを耳に当てた。
『あっ、プロデューサーっ!』
電話の向こうから聞こえてきたのは未央の声だった。ひどく焦っている様子だった。
「何か、あったんですか?」
武内Pの目付きが険しくなる。
未央。ニュージェネ。卯月。
伊華雌の中に黒々とした不安が押し寄せてきて、それは未央の言葉をもって現実のものとなる。
『ちょっと来てほしくてっ! しまむーが、しまむーがっ!』
「島村さんが、どうしたんですか!」
電話の向こうで、一瞬だけためらって。
そして未央は、大人に助けを求める子供の声で――
『しまむーが、アイドル辞めるって!』