マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第6話

 

 

 

 武内Pと伊華雌(いけめん)は、ライブ会場からタクシーに乗って未央たちのいるファミレスに向かっていた。

 

 車窓から差し込む夕日が武内Pの横顔を照らす。複雑な感情が複雑な表情を作り上げている。タクシーが赤信号で止まるたびにピクリと眉毛が動く。苛立ちの仕草だ。少しでも速く卯月の元へ向かいたい。猛威をふるう焦りの感情がその表情を強張らせている。

 

 夕日がゆっくりと姿を消して、冬の町が闇色に染まる。

 

 歩道へ目を向ければ、そこにあるのは点在する街灯。それはまるでスポットライトのようだ。その明かりが照らしだすのは帰路を急ぐ人々で、コートをかき抱く仕草に冬の寒さを思い出す。

 寒々しい冬の夜にあって、温かみを感じることのできる照明。冬のファミレスは凍てついた心を暖めてくれるオアシスであるはずだけど、伊華雌は心を引き締める。大切な人の窮地に駆けつけるヒーローの気持ちで、間に合ってくれと祈る。

 そしてタクシーが、ファミレスの駐車場に停車した。

 

「お釣りは、結構です」

 

 武内Pは運転手に札を押し付けると、装甲車から飛び出す兵隊のように勢いよく外へ出た。白い息を吐きながらファミレスの入口へ駆けて、中に入る。禁煙か喫煙か訊いてくる店員を手仕草で黙らせて、探す。

 いつもは手を挙げてくれる。

 長身の武内Pは目立つから、向こうから見つけてくれる。

 けど、誰も手を挙げてくれない。

 捜し出すまで、少し時間がかかってしまう。

 

〝窓際の隅の席だ、武ちゃん!〟

 

 伊華雌が先に見つけて、声を上げた。

 武内Pはうなずいて、凛と未央と卯月の座るテーブル席に向かって早足で歩く。

 そして、声をかけた。

 

「あのっ、お疲れ様です……っ!」

 

 うつむいていた三人が同時に顔をあげる。

「プロデューサー……」

 未央がつぶやき、向かいに座る二人へ視線を向ける。

 武内Pを見上げる凛の眼差しは厳しい。内面に渦巻いているであろう苛立ちが、眉間に小さなしわをつくっている。

 その隣、通路側の席に座る卯月は、すぐに視線をテーブルへ戻してしまう。その仕草はまるで親に叱られる子供のようで、叱責を恐れているかのように首をすくめる。

 

「状況を、教えていただけますか?」

 

 武内Pの質問に答えようとするものはいない。

 その質問から目をそむけようとするかのように、うつむいている。

 その様子は、学校で問題が起こった時の臨時ホームルームを思わせる。『ちゃんと説明してくれないと、いつまでたっても帰れませんよ!』声高に責める教師がいて、ひたすらにうつむき黙秘権を行使する生徒たちがいる。

 事実を知っているのだけど、発言できない。したくない。

 そんな空気が、ニュージェネの三人を包み込んでいる。

 

 がたっ。

 

 椅子が音を立てた。

 突然立ち上がった卯月が、

 

「……ごめんなさい」

 

 そして彼女は、一瞬だけ武内Pを見上げる。

 

 見たことのない表情だった。

 そんな顔は、見たくなかった。

 

 だって伊華雌は、卯月の笑顔が好きなのだ。

 島村卯月の、いい笑顔が好きだから。

 

 泣き顔なんて――

 

「わたし、もう……、アイドル――っ!」

 

 卯月は武内Pに背を向けて、足早に戸口へ向かう。

 

「島村さんッ!」

 

 武内Pが声をあげても卯月は振り向かない。

 12時の鐘を背に受けながら走り去るシンデレラのように、ファミレスから出ていってしまった。

 

「卯月っ!」

 

 凛が声をあげてすぐに後を追って走り出した。まるで、シンデレラを追いかける王子さまのように。

 

 残された武内Pは、呆然と立ち尽くしている。

 何が起こっているのか、分からなくて何もできない。そんな気持ちが、薄っすら開いた口元に現れている。

 それは伊華雌も同様で、何が起こっているのか分からなくて、何も言えない。

 

「プロデューサー、座りなよ」

 

 未央が隣の席をすすめてくれた。

 その表情は落ち着いているように見えるけど、でも、電話してきた時の様子を思い出すと、未央だって冷静ではないはずだ。

 武内Pは未央の隣に座り、すがるような視線を向ける。

 

「何があったのか、教えてもらえますか?」

 

 未央は静かに頷いた。跳ねた後ろ髪をまったく揺らさずに。切なげな視線をフライドチキンへ向けながら。大好物であるはずのフライドチキンがどうしてそのままの姿で冷めているのか、言い訳をするかのような口調で話し始める。

 

「今日、しぶりんと一緒にしまむーのお見舞いに行ったんだけど……」

 

 体調不良を理由にレッスンを休んでいる卯月のことが気になって、家を訪ねた。未央は純粋に見舞いのつもりだった。

 

 けど、凛は違った。

 

 凛は卯月の幼馴染みである。未央よりも卯月のことを知っている。レッスンに来ない〝本当の理由〟に心当たりがあった。

 そして卯月の部屋に入った凛は、その机を見るなり声を荒げた。

 

『こんな週刊誌の記事なんて、気にすることないって言ったのに!』

 

 卯月の机の上には、例の週刊誌があった。

 凛はその存在を消してしまおうとするかのように、週刊誌をつかんで握りつぶす。

 卯月はベッドの上で、壁に背をつけて膝を抱えていた。

 

 笑顔じゃなかった。

 

 胸の中に居座る何かに苦しめられるかのような。

 その辛そうな表情に、未央はようやく理解する。

 

 自分が思っているよりも事態は深刻だった。

 

『わたし、もう笑えないんです……。わたしの笑顔のせいで、今も意識を失ったままの人がいるって思うと――』

 卯月は唇を噛んで、大粒の涙を流しながら――

 

『笑顔になんて、なれない……ッ!』

 

 未央の知っている卯月の声じゃなかった。

 

 どれだけ悩んだのか。

 どれだけ苦しんだのか。

 

 安易に励ましの言葉をかけることすらためらわれるほどの苦悩が、部屋に名残を残す言葉の響きから伝わってきた。

 

「しぶりんは黙っちゃうし、しまむーは泣いてるし。このままじゃまずいって思ったら、いつものファミレスにきて、そこで好きなもの食べながら話せばなんとかなるかなって、なんとかなって……、なんとか……っ!」

 

 気丈な表情が、崩れた。

 きっと未央は、必死に感情を抑えていたのだと思う。担当プロデューサーに正確な状況を伝えるまでは取り乱してはいけないと、思ってこらえていたのだ。

 だからその使命を終えた瞬間、濁流を押さえ込んでいたダムが決壊するように、表情を崩して泣き出してしまう。

 

「状況は把握しました。自分が、なんとかします」

 

 武内Pの声は頼もしい。

 本気であることを感じとるに充分な声音に、未央は泣きながら、少しだけ微笑む。

 

「たのんだよ、ぶろでゅーさー……っ!」

 

 未央の手が、武内Pの肩をつかむ。

 そして、とんっと、頭を武内Pの胸に預ける。

 武内Pは、未央の頭を胸で受け止める。その感情を抱き締める。

 彼女の気持ちが落ち着くまで、その涙がとまるまで、武内Pは動かない。

 

「……ありがと、プロデューサー」

 

 顔を上げた未央は、いつもの未央だった。

 その顔にあるのは、跳ねた後ろ髪のように元気な笑顔。

 

「よーし、しまむーに気合い注入だーっ」

 

 椅子から立ち上がった未央は、元気に握りこぶしを振り上げた。

「あの、無理はしないように……」

 慌てて声をかける武内Pに、未央は肩をすくめて、

「分かってるって。何かあったらすぐに相談するから。頼りにしてるよ、プロデューサー!」

 未央は悩みを一人で抱え込んでしまうことがある。

 『大丈夫、大丈夫っ!』と言いながら、本当の気持ちを隠して自分を追い込んでしまう。961プロへ移籍しようとした時のことを考えると、卯月だけでなく未央のことも心配になる。

 

 ――でも、今は大丈夫な気がするな。

 

 ファミレスの出入り口へ向かう赤いパーカーの背中を見ながら、伊華雌は思う。

 武内Pを信頼し、本当の気持ちを話してくれる今なら、手遅れになるほどに追い詰められてしまうことはない。心を開いて相談してくれれば、自分と武内Pでいくらでもフォローできる。絶対に、フォローしてみせる。

 だから今、心配するべきなのは――

 

「島村さんについてですが……」

 

 誰もいないテーブル席で、武内Pがスマホを耳にあてている。外で伊華雌と会話をする時は、電話のフリをする。そうすることによってあらぬ疑いをかけられないようにしている。

 

「シンデレラの舞踏会は、諦めてもらうべきかと思います」

 

 その言葉に伊華雌は耳を疑った。まだ、美城常務の指定した期限まで時間があるのに、どうして……ッ?

 

「今、無理にアイドル活動をさせようとしても、良い結果になるとは思えません。きっと逆効果になります。シンデレラの舞踏会に出演できないどころか、アイドルを辞めてしまうかもしれません……。なので、一旦休養をとってもらい、アイドル活動ができる状態に戻るのを待って活動してもらうべきだと思います」

 

 武内Pは、島村卯月をアイドルの世界に残すことを最優先に考えている。

 だからシンデレラの舞踏会を捨ててでも、休養して復帰してもらいたいと提案した。

 卯月を大切に思っているから。

 だから武内Pは守りに入っている。

 卯月の泣き顔を見て、弱気になっている。

 

 ――でも、それじゃ駄目だ。

 

 伊華雌の中に、込み上げてくる。

 かつて感じたことにない焦燥感が、怒涛の勢いで自分の中に荒れ狂う。

 

 ここで休養したら、きっと卯月は復帰できない。

 

 島村卯月がアイドルとして生き残れるかどうか。

 彼女がシンデレラとして輝けるかどうか。

 

 それは舞踏会にかかっている。

 

 だって伊華雌は何人も見てきたのだ。

 長期休暇に入り、そのまま消えてしまうアイドルを。仮に復活したとしても、別人になってしまったアイドルを。

 

 輝きが、失われてしまう。

 

 アイドルの輝きというのは、それこそ魔法のようなもので、失ってしまえば二度と手に入らない。

 島村卯月が島村卯月であるためには、絶対に舞踏会にでなきゃ駄目なんだ!

 

 だから――

 

〝卯月ちゃんには、シンデレラの舞踏会に出てもらう。舞踏会までに、彼女の笑顔を取り戻す〟

 

 もし、自分が人間であったら、きっとにらみ合っているのだと思う。

 大好きな友人と、それこそ敵意すら感じられるほどに強い視線をぶつけあっているのだと思う。

 

 どちらも譲らない。

 決して譲れない。

 

 互いに一番大切なものを賭けているのだ。簡単に譲れるわけがない。

 

「それは不可能です。さっきの島村さんの状態を見て、それでもマイクさんは島村さんの笑顔を取り戻せると思うんですか? シンデレラの舞踏会で、輝くことができると思うんですか!」

 

 武内Pの言い分はもっともである。

 確かに、不可能だと思う。

 武内Pの手札だけで島村卯月復活させることなんて、どんな敏腕プロデューサーにだってできやしない。

 

 でも――

 

 伊華雌は持っている。

 一発逆転の切り札を。

 それを使えば、きっと卯月は笑顔になれる。

 間違いなく笑顔になれる。

 だって、彼女の笑顔を曇らせている、その原因を断ち切るのだから。

 

〝一つだけ、方法がある〟

 

 話し出して、それでもまだ、ためらいがあった。

 言ってしまえば、引き返せない。

 手放した未来を、取り戻すことはできない。

 

 武内Pと一緒にアイドルをプロデュース。毎日一緒に通勤して、次々と降りかかる困難に立ち向かって、アイドルを笑顔にするにはどうするか一緒に考えて、アイドルの笑顔を引き出せた時なんか最高で、武内Pを一緒にアイドルをプロデュースするのが楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて――

 

〝俺の名前、マイクじゃないんだ……〟

 

 伊華雌は、選択する。

 

 大好きなアイドルの笑顔を守るために。

 そして、大好きな友達を笑顔にするために――

 

〝俺の名前は……、只野伊華雌。卯月ちゃんから笑顔を奪った、張本人だ!〟

 

 きっと、自分をマイクにしたアイツは神様なのだと思う。

 苦悩する自分をみて、笑っているのかもしれない。

 

 それでも、伊華雌は恨まない。

 

 この最高に無愛想で、最高に優しくて、誰がなんというと最高の友達に会わせてくれたことに、ただひたすらの感謝をしながら、言い放つ――

 

〝武ちゃん、お別れだ……〟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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