冬の冷たい空気がワンルームマンションの部屋に居座っている。
部屋に帰って来た武内Pは、暖房を入れることもしないでぴにゃこら太のマイクと向き合っている。
彼が向き合っているのは机の上のマイクスタンドにささるマイクではない。
その中に存在している、
「やはり、信じることができないのですが……」
武内Pは、伊華雌の告白を受けとめることができない。
ファミレスで話を聞いた時、彼は戸惑い、そして怒った。島村卯月がアイドルとしてやっていけるかどうかという、大事な話をしている時にたちの悪い冗談を言われたのだと勘違いした。
当然の反応だと、伊華雌も思う。
喋るマイクの正体が人間で、しかも卯月の笑顔を奪った張本人なんて……。
自分だって同じ立場におかれたら、悪い冗談はやめろと怒っている。
しかし、事実なのだ。
あの週刊誌を見た瞬間に、伊華雌は理解した。
只野伊華雌としての人生は、まだ終わってなかった。
確かに、よく考えればいろいろとおかしい。
仮にこれが〝来世〟であれば、前世の記憶がここまで明確ではないと思う。普通、生まれ変わったら記憶はリセットされる。
それに、時代だって不自然だ。
転生ものといったらまったく別の時代か、別の世界と相場が決まっている。現代にそのまま転生するなんて話は、創作の世界でもあまり聞かない。
つまり、これは転生ではなかった。
何かの拍子に魂が抜けて、それがぴにゃこら太のマイクにすぽっと収まった。
そう考えるのが自然である。
そして、納得すると同時に悲しくなってしまう。
――何で俺、不細工な人間から不細工なマイクに乗り換えてんだよ。どんだけ不細工が好きなんだよっ!
もしかすると、只野伊華雌の前世はとんでもないイケメンで〝あー、女とかうっとーしーわー。来世は不細工になりたいっすわー〟とか言ってたんじゃないかと疑ってしまう。
もしくは、呪術師に不細工になる呪いをかけられたとか。
だからきっと、猫や犬に生まれていても〝ブサカワ〟と呼ばれる種族になっていたのかもしれない。
ってか、飼ってる犬、パグなんだよな……。散歩してると『飼い主に似てるーっ!』って近所の小学生がバカにしてくる。ペットは飼い主に似るって言葉、〝行動が似る〟って意味で、顔面が似てるって意味じゃないからっ!
伊華雌はいつものように切ない前世の――、いや、人間だった頃の記憶を思い出してツッコみを入れていた。何かしていないと部屋に立ち込める沈黙に押し潰されてしまいそうだ。武内Pがどんな顔をしているのか、怖くて見ることができない。
怒っているのか。
それとも悲しんでいるのか。
少なくとも〝マイナスの感情〟であるのは間違いない。
怒りに身を任せてへし折られても文句はない。むしろそうして欲しいとすら思う。
沈黙が辛い……。
伊華雌の心境はさながら、極刑の執行を待つ死刑囚。
そして、武内Pが口を開く。
座っているベッドをぎしりときしませて、ゆっくりと視線を伊華雌へ向けて。
「まだ、完全に信じきれていないのですが、恐らく本当のことなんですね。マイクさんは、自分をからかったりするような人ではありませんから」
審判の時だと思った。
伊華雌は、最後の判決を受ける容疑者の覚悟を握りしめて武内Pを見つめる。
「自分は、残念です……」
武内Pの目付きは鋭く、その奥から何かが込み上げてくる。
――きっと、涙だ。
武内Pは自分に対して失望し、悲しみの、呆れの、そして怒りの涙を目のふちからこぼそうとしている。
そして次の瞬間、抑えていた感情を爆発させて、只野伊華雌という存在をマイクもろともへし折って終わらせる。
伊華雌は最悪の別れかたを想像して、でも、それで構わないと思う。
それだけのことを自分はしたのだ。
島村卯月の笑顔を奪っておきながら『卯月ちゃんの笑顔を取り戻そうぜ!』と偉そうな口をきいて相棒を気取った。まったく呆れて言葉が出ない。初めてできた友達から罵倒されてお別れするとか、結局いつものバッドエンドだ……。
「自分は、マイクさんと別れたくありません」
そうそう。もう二度と見たくありませ――
〝え? 今、なんて……?〟
武内Pの言葉に、そして表情に、伊華雌は気付く。
どうして見間違えていたんだろう。
自分とまゆは、武内Pの表情から気持ちを読み取ることができるのではなかったのか?
武内Pは、怒っていない。
彼の目からこぼれた涙の正体は――
大切な人との別れを惜しむ、惜別の涙。
「しかし、マイクさんのことを待っている人がいます。そのことを考えると、マイクさんを引き留めるわけには……」
〝いやっ、ちょっと待って武ちゃん。俺、卯月ちゃんの笑顔を奪ったんだよ? 武ちゃんがニュージェネの担当外れたのだって、元をただせば俺が原因なわけだし――。怒る場面だと思うんだけど!〟
伊華雌は、絶対に怒られると思っていた。
『許さない……、絶対にッ!』とか言われて、粉々になるまで交通量の多い道路に放置される。そのくらいされてようやく許されるほどに自分の犯した罪は重い。
それなのに、武内Pは――
「マイクさんは、わざとやったわけではありません。むしろ、自分の大好きなアイドルを不意に傷つけてしまって、大きなショックを受けていると思います。マイクさんの気持ちになって考えれば、一番辛いのは誰か、分かります……」
〝俺の、気持ち……?〟
そんなふうに言われたのは初めてだった。誰かが自分の気持ちになって考えてくれたことなんて記憶にない。
いつもバカにされてきた。
誰かに〝笑われる〟ために存在するピエロのような存在だった。
ピエロに同情する人がいないように、自分の気持ちになってくれる人なんていなかった。
〝何でそこまで、俺のこと……?〟
その質問を投げるのは怖かった。
だけど知りたい。
確認したい。
自分と武内Pの気持ちが、果たして通じているのかどうか。
「それは、その……」
武内Pは言いよどむ。
落ち着きなく泳がせる視線に戸惑いの気持ちを示し、ほのかに赤みをおびる頬は恥じらいの
でも、ちゃんと言ってくれる。
言うべき時に言うべきことを、言ってくれる人なのだ。
「マイクさんは自分の――、友達っ! ……ですので」
もう、叫ぶしかないだろう。
こんなの、星輝子のヒャッハーよりも熱く、もっと強く、ほとばしる感情を少しでも伝えるために――
〝武ちゃぁぁぁぁああああああああああああ――――ッ!〟
伊華雌は叫んだ。
人間がどうして叫ぶのか理解しながら。
友達の意味を噛み締めながら。
「……先ほど話していましたが、マイクさんは人間に戻ったらアイドルのプロデューサーになるのですか?」
伊華雌は武内Pに自分の生い立ちを話していた。ドルオタで、芸能業界に入れると謡う専門学校に通っている学生で、ライブ会場でやらかしてマイクになった。
〝まあ、そのための専門に行ってるけど、なれるかどうか分かんないな〟
「マイクさんなら、絶対に良いプロデューサーになれると思います」
〝いやー、そんなことないと思うけど……。だって俺、すっごい不細工だし、どんくさいし、コミュ力も低いし……〟
「でも、きっとアイドルを笑顔にできると思います」
〝今までやってきたことを言ってんなら、それは俺の手柄じゃないよ。みくちゃんも李衣菜ちゃんも仁奈ちゃんもまゆちゃんも、みんな武ちゃんが笑顔にしたんだ。俺は横でごちゃごちゃ言ってただけだよ。たまに間違ったことも言ったし……〟
「いえ。マイクさんが笑顔にしてくれたんです」
〝いやだから、俺は誰も――〟
伊華雌はしかし、武内Pが何を言いたいのか分かってしまった。
そして、言葉を失う。
きっと、それは正しい。
誰がなんと言おうと、どんなに卑屈な妄想を動員しても、それでも――
「マイクさんは、自分を笑顔にしてくれました……っ!」
その笑顔を、果たして否定できるだろうか?
武内Pの顔に浮かんでいるそれを、偽物の笑顔であるといえるだろうか?
――まるで、卯月ちゃんみたいだ……。
さんざん殺し屋だの兵隊だの言ってきた。それほどまでに、出会った頃の武内Pは怖い顔をしていた。
それが今は、島村卯月と肩を並べるほどの――
「きっと自分は、遅かれ早かれダメになっていました。例の事故がなかったとしても、他の障害を前に挫折していたと思います。プロデューサーとして一人前になれたのは、こんなに笑顔になれたのは、マイクさんがいてくれたからです。いつも自分の味方でいてくれて、一緒に泣いて、笑って、真剣に話を聞いてくれて……」
伊華雌はずっと、諦めていた。
ぴにゃこら太みたいに不細工で、運動神経ゼロで、コミュ力もない。
これほどまでにマイナス要素てんこ盛りなのだ。人生の難易度はベリーハードを越えてナイトメア。つまり自分にとって人生ってやつはクソゲーで無理ゲーでマゾゲー。
だから〝人並み〟を諦めていた。
他の人と同じように〝何か〟を成し遂げることなんてできないと思っていた。
だけど――
そうじゃない。
だって武内Pがこんなに笑顔なんだから。
――俺は不細工で、なんの取り柄もなくて。
伊華雌の中で、ずっと自分を縛り付けていたものがほどけていく。
生まれもって背負わされた重すぎる十字架を、ゆっくりとおろす。
そして軽くなった背中をおもいっきり伸ばして、
――それでも誰かを、笑顔にできる……っ!
晴れ晴れとした気分だった。
何だってできるような気がする。
やりたいことが、たくさんある。
今まで勝手に諦めていたことに挑戦したい。
その中でも、一番やりたいことは――
〝俺、人間に戻るよ。そんでもって、武ちゃんみたいなプロデューサーになる。アイドルを笑顔にして、ファンも笑顔にできる。そんなプロデューサーに!〟
武内Pは伊華雌の〝本気〟を応援してくれる。
さながら、〝本気モード〟の武内Pを応援した伊華雌のように。
「マイクさん――いえ、伊華雌さんなら、絶対にアイドルを笑顔にできるプロデューサーになれると思います!」
その夜は伊華雌にとって〝門出の日〟になった。
生まれて今まで、ずっと自分を縛り付けていた劣等感から解放されて、本気でやりたいことを見つけて。
だから二人は泣いたりしない。
泣き顔は友の門出にふさわしくないから。
〝今日の議題、どうする?〟
伊華雌は、まるで普段と変わらない様子で、いつものようにミッドナイトアイドル会議を始めようとする。武内Pと何度もやってきた会議だ。それができなくなるのは寂しいけど、そのことは考えないようにする。
「自分に、希望があります」
武内Pが何を考えているのか、伊華雌は見抜いていた。最後の会議にふさわしいアイドルは島村卯月をおいてほかにないだろう。卯月についてならいくらでも語れる。今夜は寝かさないぜ!
最後の夜に向けて意気込む伊華雌であったが、彼は勘違いをしていた。
武内Pの中の〝一番〟は卯月ではない。
彼が最後の夜に選ぶアイドルは――
「只野伊華雌さんについて、語りましょう」
〝そうだよな、最後はやっぱり卯月ちゃ――、えっ!〟
まさかの提案に動揺する伊華雌に、だめ押しの一言。
「あなたのことが、知りたいんです」
佐久間まゆを思わせる熱い視線を、伊華雌は受けとめることができる。
〝俺なんて〟――から始まる卑屈な感情はどこにもない。
伊華雌は武内Pのそれをこえるほどの熱い視線をつくって、答える。
〝俺は、武ちゃんについて知りたい〟
そして二人は語り合う。
一睡もせずに、お互いのことをひたすらに。
* * *
翌日。
武内Pはいつものように伊華雌をスーツのポケットにいれて、タクシーで病院へ向かった。
聞けば、武内Pは何度かお見舞いに行ったことがあるらしい。
どう考えても悪いのは伊華雌ただ一人である。見舞いも謝罪も必要ないと当の本人が思うのだけど、武内Pは何度も病院へ足を運び、家族に追い払われていたのだという。
〝お袋、ぴにゃこら太に似てたっしょ?〟
その質問にすんなりYESと言えるやつは、友達ではないのかもしれない。武内Pは首の後ろをさわって返事をうやむやにする。これぞ友情……。優しい世界!
専門学校のリア充野郎なんて、
『お前のかーちゃんぴにゃこら太ーっ! ついでにお前もぴにゃこら太ーっ!』
とか言ってきた。
小学生か! とツッコみたくなるような騒ぎ方だった。
思うに、アイツはリア充ではないのかもしれない。
小学生の頭脳を搭載した専門学生の可能性が高い。まさに〝逆コナン君〟だ。頭脳は子供! 体は大人!
「本当に、大丈夫なのでしょうか?」
病院のロビーで足をとめた武内Pが不安げな表情をしている。
患者が行き交う通路にあってスーツ姿の彼は目立つ。しかし誰も気にとめない。その立ち姿が殺し屋にしか見えなかったのは過去の話。今の武内Pは真面目なサラリーマンにしか見えない。
〝言ったとおりにしてくれれば大丈夫だ。植物状態の只野伊華雌に俺を握らせて、スイッチを入れさせればいい。そしたら俺は、そいつの体に入るはずだ〟
本当にそのやり方が正解なのかどうかは分からない。
ただ、意識を移すことができるのは確実だ。一度、武内Pでやっている。何も知らない武内Pがマイクチェックをしようとして、その体に入ってしまって。
思えば、あれが全ての始まりだった。
それ以来楽しくお喋りできるようになって、一緒にアイドルのプロデュースをして……。
伊華雌の中に熱い感情が込み上げてくる。
涙の感覚だ。
全米が泣いた映画を観ても大あくびをかましていたのに。自分の涙腺は〝使い物にならない〟という意味で崩壊していると思ったのに。
それでも、込み上げてくる。
本当に熱い涙が流れているんじゃないかと錯覚してしまうほどに、鮮明な感覚が次から次へと。
「会いに、行きますから」
武内Pのごつい手が、スーツのポケットから伊華雌を取り出す。無理やりつくった笑顔で泣き顔を隠している。そんな表情を見せられて、伊華雌はためらってしまうけど。でも、言葉にする。もう、決めたのだ。
〝あのさ、武ちゃん。……武ちゃんからは、会いに来ないでほしいんだ〟
「え……」
武内Pの顔から色が抜け落ちそうになって、伊華雌は猛烈に焦りながら、
〝そうじゃないんだっ! そのっ、もちろん武ちゃんには会いたい。友達だからさ、会いたいんだけど、でも……、だからこそ会っちゃいけないっていうか。あー、何ていうかっ!〟
コミュ力が低いとは、つまり話が下手ってことだ。気持ちを言葉にするのが下手くそなのだ。
だから伊華雌は、無理に説明するのをやめる。かっこよくとか、上手にとか、考えない。
単純に、この胸にある気持ちを言葉にする――
〝俺、一人前のプロデューサーになって、そんで武ちゃんに会いに行く! だからそれまで、待っててほしい……〟
伊華雌は自分の弱さを知っている。人間になって、武内Pと再会したら、それで満足してしまう。
きっと、せっかく握りしめることができた夢を手放してしまう……。
本当にプロデューサーになりたいのであれば、武内Pとは距離を置いたほうがいい。
「本気、なんですね……」
武内Pの声も、眼差しも、真剣そのものだ。
伊華雌の言葉を受けとめて、飲み込んで。
つまりこれから数年は会うことができないと理解して、それでも友の意志が固いのであれば笑顔で見送ろうと、別れを惜しむ感情を抑え込んでいる。
〝会いに行く。絶対に、会いに行くから……ッ!〟
しばらくの間、武内Pは強く目を閉じていた。
眉間に深いしわが刻まれて。一文字に結ばれた唇の向こうで強く歯をくいしばり。それでも涙をこぼすことはしないで、薄く開いた口から震える息を吐き出した。
「……行きましょう」
武内Pが歩きだす。
患者とすれ違い、医者とすれ違い、看護師とすれ違う。
そして、個室の前で足をとめる。
ドアをノックする。
「はい?」
その声は、紛れもなく母親の声だった。
こればっかりは、聞き間違えることがない。家に誰かが来たときに「はい?」とやけに語尾をあげる癖がある。不機嫌なように聞こえるけどこれが普通なのだ。もうちょっと愛想よくしてくれと、何度も注意したのに全然直らない。
「346プロの武内と申します。只野伊華雌さんのことで、お話があります」
武内Pは閉ざされたドアに向かって話した。そこに相手が立っているかのように、誠実に、実直に。
それなのに母親は、ドアを開けようともしないで、
「間に合ってます」
――いやっ! 新聞の勧誘じゃないんだから! 俺のことで話があるってんだからちゃんと聞こうぜお袋!
どうやら伊華雌の母親は346プロの人間に良い印象を持っていない様子だった。
理由どうあれ息子を植物状態にされたのだ。毛嫌いして当然なのかもしれない。悪いのは完全に息子であって、346プロはなにも悪くない。そのくらいのことは理解できると思うけど、それでも彼女にとって346プロは悪者で、そこのプロデューサーは敵なのかもしれない。
ドア越しに話す武内Pは苦戦している。何せとりつく島がない。何を言っても「間に合ってます」の一点張りだ。何が間に合ってるのか分からないし、このままだと卯月の復活が間に合わなくなってしまう……。
こうなったら、一か八かの強行策に出るしかない!
〝武ちゃん。事情を話そう〟
武内Pは一瞬だけためらって、しかし伊華雌の望み通りに話してくれた。あなたの息子の魂がマイクに入っています。自分はそれを戻しにきたんです。
「警察、呼びますよ」
警戒レベルが上がった! しかしこれは想定内。むしろ、ちゃんと話を聞いてくれていることを喜ぶべきだ。続く言葉で、信頼を勝ち取る。
〝武ちゃん。俺の言ったことをそのまま伝えてくれ〟
伊華雌が武内Pに話したのは、自分しかしらないはずの超プライベートな情報。
只野家には犬がいる。性別はメス。パグの成犬で右の耳に傷がある。名前はウヅキ。少年漫画が好きな父親が〝イギー〟にしようと言ってきたが、ドルオタの伊華雌は譲らなかった。散歩のたびに小型犬とは思えないほどの糞をする。大型犬並みのボリュームだ。そんな犬にウヅキの名前をつけてしまったことを伊華雌は後悔している。
ゆっくりと、ドアが開いた。
ドアの向こうからこちらをのぞく母親は、さすがに気味悪そうな顔をしている。家族しか知らないはずの話をされたのだから当然だ。
「このマイクを、伊華雌さんに握ってもらって、指を動かしてスイッチを入れてください。それできっと、目を覚まします」
武内Pがマイクを差し出す。
母親はおそるおそるの手つきでそれを受けとる。
――ぐっと、力がこもる。
武内Pが、マイクを離そうとしない。
〝……武ちゃんッ!〟
伊華雌が声をあげて、ようやく武内Pは手を離す。
彼は背を向けて、そして何もつかんでいない手をぎゅっと握って――
「自分は、待ってますから……」
きっと伊華雌は忘れない。
寡黙な男の、震える背中を。
込み上げる感情に震える声を!
「いつまでも、待ってますからッ!」
それが、伊華雌の見た武内Pの最後の姿だ。
伊華雌は、母親がドアを閉める瞬間までその後ろ姿を目に焼きつける。
「……変な人だよ」
母親はつぶやきながらも、武内Pの言葉に従う。マイクを息子に握らせる。
他人の視点で自分を見るのは初めてだけど、なるほどこれは不細工だ。顔のパーツとその配置バランスがまさにぴにゃこら太である。鏡で見るよりずっと不細工。よく芸能人を実際に見た人が『テレビで見るよりずっと綺麗!』とか言ったりするけど、自分の場合は逆かもしれない。鏡で見るより、ずっと不細工……。
――でも、そんなことはどうでもいい。
伊華雌はもう、気にしない。
不細工な自分の顔を見つめて、その未来を想像する。
きっと大手プロダクションには入れない。聞いたこともないような弱小プロダクションに滑り込むのが精一杯。それでも職業はプロデューサーだ。アイドルをスカウトして、輝かせて。最高の笑顔を引き出してステージに送り出す。舞台袖で担当アイドルを見守る自分に、スーツ姿の男性が近づいてきて、一言。
『いい、笑顔です』
そしたら俺も、言ってやる。
『いい笑顔だろ』
二人のプロデューサーが笑みを交わす。久しぶりの再会であるが言葉は必要ない。顔を見れば、それで充分。
もう、伊華雌の妄想はバッドエンドになろうとしない。
悲観している暇はないのだ。
涙を流して別れを惜しんでくれた友人――、いや……、親友のために。
ひたすらに前を向いて歩くのだ。
「ほんとうにこんなことで……?」
伊華雌の母親が、息子にマイクをにぎらせる。
その親指に手をそえて、マイクのスイッチを入れる。
そして――