マイクな俺と武内P (完結)   作:栗ノ原草介@杏P

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 第8話

 

 

 

 そして伊華雌(いけめん)は人間に戻った。

 

 果たしてそれが本当の意味で元に戻ることができたのかどうかは分からない。マイクのスイッチをオフにした途端、再びマイクに戻ってしまうかもしれない。

 怖いので、スイッチの部分にガムテープをぐるぐる巻いて、机の鍵のかかる引き出しの奥に放り込んだ。そこは親の手が届かない〝聖域〟だ。先住民は秘蔵のエロ本。紳士の道を突き進んでいたマイクの保管場所にふさわしい。

 

「伊華雌! 起きてるーっ?」

 

 母親のダミ声がドアの向こうから聞こえてくる。

 そこは伊華雌の部屋で、窓から強い朝日が差し込んでいる。太陽の光を浴びて微笑む島村卯月等身大ポスターに〝おはよう〟を言って、今日という一日を始める。

 

 半年に渡る植物状態から回復した伊華雌は、まるで奇跡の生還を果たした英雄のように扱われた。

 親戚が集合して口々に『良かったなぁ!』を繰り返す。やがて訪ねてくる親戚の数も減って、部屋にぽつんと残る〝現実〟と対面する。

 

 伊華雌は専門学校を休学になっていた。4月から復学して1年通えば卒業できるのだけど――

 

 卒業だけじゃだめだ。

 アイドルのプロデューサーになって、再会の約束を果たさなくてはならない。

 

 そして伊華雌は、車の教習所へ向かった。

 アイドルのプロデューサーは車を運転できたほうがいい。そう思って車の教習を始めたものの、苦戦した。天性のどんくささと不器用さがタッグを組んで免許取得を妨害してくる。呆れるような失敗をやらかして教官は大激怒。一生分怒られたかもしれない。そんな状態だから試験が受からない。何度やっても不合格。いい加減諦めそうになったけど――

 

 ――本気でプロデューサーになりたいんなら、何回試験で落とされようが諦めずに挑戦しろ!

 

 伊華雌は自分で自分を熱くはげまして試験を受け続けた。マイクだった頃、本気の武内Pを本気ではげましたように、熱い言葉で弱気な自分を抑え込んだ。

 

 その甲斐あって、免許をとることができた。

 

 再試験の回数は教習所の歴代3位。絶対に自分が一位だと思っていたが、どうやら上には上がいる。世界は広い。

 

 ともあれ、これで準備は整った。カレンダーはまだ3月。復学前に免許が取れたのは嬉しい。教習所と学校を両立できる自信はなかった。

 

「ねーっ! ウヅキちゃんが玄関でウンチしちゃったんだけど!」

 

 台所にいる母親がとんでもないことを言っている。

 そのせいで伊華雌はとんでもないことを考えてしまう。島村卯月等身大ポスターを見据えて、もんもんと妄想する。

 

 制服姿の卯月が玄関にしゃがみこむ。スカートをたくしあげて、島村卯月、がんばりま――

 

 ――朝から何を考えてるんだ俺は! いい加減にしろっ!

 

 伊華雌はまさに〝邪念〟をふりはらって部屋の外に出る。

 歩くたびにぎしぎしうるさい年代物の廊下を進む。伊華雌の家は相当に古い木造の家だ。どうやら祖母の代から引き継いでいるらしく、視界に入るすべてのものに〝昭和感〟がある。部屋の床は畳だし、普通にちゃぶ台とかあるし、風呂は安定のバランス釜。ウサミン星のバスルームもバランス釜であるらしいけど真相は定かではない。

 

「ウヅキー」

 

 伊華雌が声をかけながら玄関の引き戸を引くと、キャワンキャワンと元気な声がかえってくる。

 犬小屋にパグがいて、そのとなりに大盛りのカレーがある。小型犬の体から発射されたとは思えない物量だ。

 これはウヅキの悪い癖である。何故かこの犬は飼い主に対する不満を糞尿で表現する。餌を忘れると、ドン! 散歩を忘れても、ドドン! 玄関に巨大な糞をする。

 

 ――ペットは飼い主に似るとか、俺は絶対に信じないからな!

 

 伊華雌はウヅキの糞を袋に入れて、彼女のリードを手に取った。ブロック塀に囲まれた門に近づき、足をとめる。

 

 赤いポストに何か入っている。

 その封筒に見覚えがある。

 

 ――346プロの封筒だ……っ!

 

 伊華雌はウヅキのリードを手放してポストへ手を伸ばした。それは確かに346プロの封筒だった。見慣れたマークが入っている。しかし差出人の記入はない。あるのは郵便番号と住所と、そして――

 

 マイクさんへ。

 

 伊華雌は封筒を破った。散歩を急かすウヅキがその場でぐるぐる回り始めるが放置する。武内Pからだ。絶対に武内Pからだ! 自分のことをマイクと呼ぶのは武内Pだけだからっ!

 

 封筒の中に入っていたのは一枚のチケットだった。

 そのチケットが招待するのは――

 

 シンデレラの舞踏会。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 週刊誌騒動から島村卯月がどうなったのか、誰も知らない。

 

 卯月はあれから、表舞台に顔を出していないのだ。

 予定されていたライブはすべて中止になった。346プロライブ劇場に出演することもない。雑誌に写真が載ることもなければ、ブログが更新されることもない。

 

 このまま、引退してしまうのでは……。

 

 ファンはみんな心配している。

 伊華雌も心配だ。

 全ての元凶である自分が意識を取り戻せば卯月は復活できる。武内Pがなんとかしてくれる。そう思っていたのに卯月は姿を表さない。彼女がどんなふうに笑っていたのか、すぐに思い出すことができない。

 

 ――でも、きっと大丈夫だ。武ちゃんなら、きっと……っ!

 

 伊華雌は武内Pを信じる。チケットを握りしめてアリーナへ向かう。最寄り駅からアリーナへ続く道を歩くのはアイドルグッズを身につけたファンたちだ。彼らの会話に耳を傾ければ〝島村卯月〟という言葉を聞くことができる。そして〝引退〟の話題が続く。

 

 やっぱりみんな、心配なのだ。

 

 島村卯月は今も〝シンデレラ〟なのか?

 彼女の笑顔を、もう一度みることができるのか?

 

 伊華雌は足をとめ、巨大なアリーナを見上げる。

 ガラスの靴をはいたシンデレラが集う舞踏会。

 

 果たしてそこに、卯月の姿はあるのだろうか……? 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 伊華雌はアリーナに入り、自分の席で開演を待った。

 アリーナの真ん中ぐらいの場所だった。ステージから、近すぎず、遠すぎず。

 もしかすると、プロデューサーになるまでは再会しないと誓った伊華雌の気持ちに配慮してくれたのかもしれない。仮に前方の列であったらうっかり再会してしまう可能性がある。あのプロデューサーは気を遣ってくれるのだ。

 

 ――どっかに武ちゃん、いるんだよな……。

 

 そう考えると、そわそわしてくる。ステージへ視線を向けてスーツの男性を探してしまう。

 

 その時、すっと照明が消えた。

 

 ペンライトに明かりが灯る。プラネタリウムをひっくり返したような景色だ。その星はファンの情熱。アイドルに対する気持ち。アイドリングするレーシングカーを思わせる熱気が会場全体から立ち上る。

 

 最初はきっと、全体曲だ。

 

 出演するアイドルが一人のこらず出てきて歓声を爆発させる。それはライブの起爆剤。その熱量をアンコール終了まで保つことができればライブは成功だ。

 

 しかし今日のライブの最初の曲は、全体曲ではなかった。

 それは、一人のアイドルの言葉から始まる。

 

 強い気持ちと――

 ただならぬ決意を込めて――

 

「島村卯月、がんばりますっ!」

 

 スポットライトに照らされた卯月は制服姿だ。その顔に笑顔はない。何かを恐れるように、それでも何かを信じたくて、強くマイクを握りしめる。

 何があったのか、分からない。

 

 しかし――

 

 ステージに上がるのに相当な勇気が必要であったのだと、その強張った表情に教えられる。

 

 そして、スマイリング。

 

 卯月の個人曲が流れて、彼女はマイクを口に近づける。

 初めて舞台に上がった女の子のような。

 たどたどしくて、不安定で、色のない歌声。

 

 でも――

 

 変わっていく。

 色のない世界が、ぼんやりと輝き始めて――。

 

 そして鮮やかな色彩を放つ!

 

 まるで魔法のようだった。

 平凡な女の子が、才能を開花させてアイドルの世界に羽ばたく。

 

 そして卯月は取り戻す。

 魔法をかけられたシンデレラが美しいドレスを身にまとい、笑みを浮かべるように――

 

 最高の、笑顔を……ッ!

 

 凄まじい歓声が上がる。

 卯月の名前を叫びながらピンク色のペンライトを振り回す。

 興奮するファンの中にあって、伊華雌は声をあげることができない。

 

 ――だって卯月が、ぴにゃこら太のマイクを使っていたから……っ!

 

 それが何を意味するのか、あらゆる想像ができる。

 約束を律儀に守って担当マイクにしてくれたのかもしれない。

 それとも単に〝お守り〟として卯月に託したのか。

 もしくは――

 

 約束を果たしてほしいと、願ってのことかもしれない。

 

 ここに確かに〝絆〟は存在している。

 

 ――マイクな俺と武内P。

 

 二人の関係は夢でも幻でもなく現実のものである。

 だから、約束を果たしてほしい。

 

 必ず会いに来てほしい!

 

 その気持ちを担当アイドルに託したのではないかと思う。

 あのプロデューサーは寡黙で、照れ屋で、そのくらいまわりくどいことをするかもしれない。

 

 ――武ちゃんの気持ち、受け取ったぜ!

 

 伊華雌は声を上げる。

 卯月を応援するファンの声に、負けないくらいの大声で――

 

「待ってろよぉぉおお――! 武ちゃぁぁああ――――っ!」

 

 舞台袖にたつプロデューサーと、歓声をあげるファン。

 立場が変わっても二人は〝友達〟で。

 言葉を交わすまでもなく、お互いの気持ちは分かっている。

 

 ライブが終わって会場を後にする伊華雌は。

 ライブ会場でファンを見送る武内Pは。

 

 おなじ言葉を胸に抱き、背を向けて己の道を進む。

 

 ――いつかまた会う日まで。

 

 そのライブは二人にとって別れの儀式だった。 

 次の一歩を踏み出すために、最高の相棒と(たもと)を分かつ。

 

 でも――

 

 二人がどんな表情であるか、今さら語るまでもない。

 遥か未来の再会を信じる二人に泣き顔は必要ない。

 

 いい笑顔。

 

 それ以上にふさわしい表情が、果たしてあるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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