― 最終話 ―
武内P率いるシンデレラプロジェクトは快進撃をみせている。
シンデレラの舞踏会でアイドルが見せた〝いい笑顔〟が高い評価を受けた。説明するのは難しいけど、何か違う。見てるだけで元気になれる。そんな感想を抱いたファンが、シンデレラプロジェクトのアイドルを応援してくれている。
武内Pのプロデュースが、成果をあげたのである。
それが伊華雌は、自分のことのように嬉しい。あの薄暗い地下室で生まれた信念が実を結んでくれたのだ。胸を張って威張りたい。武内Pは凄いだろう! と言ってドヤり散らしたい。
今やシンデレラプロジェクト所属のアイドルは大人気だ。テレビでも雑誌でもライブでも。ところ狭しと活躍している。その勢いはとどまるところを知らない。961プロのアイドルと比べても、どちらが上であるか甲乙つけがたい。
現在のアイドル業界は、346プロと961プロがにらみあっている状態である。
長年〝王者〟として業界に君臨してきた961プロが346プロを迎え撃っている。
しかし、961プロに挑戦しているのは346プロだけではない。
俗に〝弱小〟と呼ばれる小規模なプロダクションをあなどってはいけない。〝第三勢力〟を名乗るに充分な実力を秘めている事務所がある。
それは、765プロ。
赤羽根P率いる765プロは発足したばかりの弱小プロダクションながら、この一年でめざましい活躍をみせた。業績の伸び方が尋常じゃない。その理由について関係者に訊いてみれば、同じ言葉が返ってくる。
あそこのプロデュースは、普通じゃない。
765プロは〝奇策〟とも言える型破りなプロデュースをする。
その最たるものが〝生っすか!? サンデー〟である。
休日の昼枠にテレビ番組をねじ込んだのだ。実績のない弱小プロダクションであるから、当然ながらスポンサーなんてろくにいない。かかる費用は借りて集めて、返済のめどは出世払い。
それはまさに社運をかけた企画であった。
その企画が、当たった。
毎週の生放送が、実際にアイドルに会っているかのような錯覚をファンに与えてくれる。テレビをつけるだけで会えるアイドル。会いに行かなくても会えるアイドルとして多数のファンを獲得した。
番組で司会を務める天海春香と如月千早は特に人気だ。アイドルファンでなくても二人の名前は知っている。アイドルの世界において知名度はそのままCDの売り上げに直結する。単にCDの売り上げを語るのであれば、346や961のアイドルに負けていない。他の765プロのアイドルもじわじわと人気を伸ばしている。
武内Pと赤羽根Pは、自分の道を突き進んでいる。
二人とも頑張っている。
その活躍が耳に届くたびに、伊華雌は〝俺も負けてられない……っ!〟と思う。込み上げる熱い気持ちを胸に、二人の背中を追いかける。
マイクから人間に戻った伊華雌は、無事に専門学校を卒業した。
そして今、彼は――
* * *
都心から特急電車で1時間。天気の良い日には富士山がはっきりと見える田舎町。周囲を田んぼに囲まれた竹林の向こう側に大きな寺がある。
田舎の寺らしく境内は広い。大きな桜の木がご神木として奉られている。春の初めには見事な桜の花を咲かせて、ひっきりなしに近所の住人たちがやってきてはその
しかし今、桜の花はただの一つも残っていない。
四月のカレンダーはその役目を終えて、世間はゴールデンウィークに浮き足立っている。竹林を揺らす風はすっかり温かくなって、その風が大きく開け放った寺の戸を潜って伊華雌に届く。
古風な剣法道場を思わせる板の間。
そこで伊華雌は座禅を組んでいた。
頭は潔く丸刈り。固く座禅を組んでぴしっと背筋をのばす。その顔つきは真剣そのものだ。厳しい表情で目を閉じていると、不細工であることが気にならないどころか、妙な威厳のようなものを感じてしまう。
「伊華雌、結構です」
伊華雌の向かいで座禅を組んでいた男性が言った。年の頃は初老といえる。短く刈り上げた頭に白いものが混じるごましお頭で、その落ち着いた佇まいと身につけた法衣から彼が寺の住職であると分かる。
そんな人と向き合っている伊華雌は出家してしまったのだろうか?
己の紳士過ぎる思考を改めるべく、仏門に入りナムナムとお経を唱えてエロ退散?
「何が、見えましたか?」
住職に問われ、伊華雌はゆっくりと目を開ける。すっと呼気を吸い上げて、自信に満ちた声を板の間に響かせる。
「担当アイドルが武道館で単独ライブをやっている場面が見えました!」
つまり伊華雌は、何も変わっていない。
アイドルに人生の全てを捧げるほどのドルオタだ。島村卯月等身大ポスターに「おはよう」の挨拶をすることから一日を始め、夜の紳士的探求活動をもって一日を締めくくる。
「よいものが見えましたね。それがよき知らせであることを祈りましょう」
住職の言葉に、伊華雌は深くうなずく。
――彼が何故、寺で座禅を組んでいたのか?
その答えは彼の服装にある。
法衣を着ている住職に対し、伊華雌は黒のスーツを着ていた。
服装はその人の体を現す。法衣を着ている初老の男性が住職であるならば、黒のスーツを着た男性の職業は果たして何なのか?
答えは一つ。
そう、プロデューサーである。
マイクから人間に戻った伊華雌は頑張った。
車の免許を取った。学校の授業は誰よりも真剣に受けた。外国人アイドルを担当した場合にそなえて英語の勉強をした。担当アイドルのボディガードになれるようにと格闘技を習った。
それでも、大手プロダクションには入れなかった。
頑張り始めるのが遅すぎた。
確かに伊華雌は1年間本気で頑張った。
でも、たかが1年である。
本気の本気でプロデューサーになりたくて5年・10年と努力を積み重ねてきた人間に敵うわけがない。敵ってはいけない。努力が嘘をつかないのであれば、たった1年しか頑張れていない自分は負けて当然なのだ。
伊華雌は敗北を
約束したのだ。
一人前のプロデューサーになって会いにいくという、絶対に違えることの許されない約束を!
だから、粘った。どんな弱小でもいい。自分を使ってくれるプロダクションはないものか? アイドルのプロデュースにかける熱い気持ちだけは誰にも負けないから!
そして、伊華雌の熱意を評価してくれた講師に勧められた。
『南無三寺の住職が新しいプロダクションを立ち上げたいと言っている。行ってみるか?』
伊華雌は迷わない。どんな弱小であろうと関係ない。自分の頑張り次第で成果を出すことはできる。赤羽根P率いる765プロがそれを証明してくれた。
『オレも一緒に行くぜ。よろしくな、ぴにゃちゃん!』
プロデューサーは人気の職業である。その話に飛びついたのは伊華雌だけではなかった。
見た目は大人、頭脳は子供! でお馴染みのリア充(?)野郎も一緒に面接に行くことになった。
このリア充はあまりに授業をさぼりすぎた結果、専門学校を留年するという快挙をなしとげて伊華雌の同級生だった。
そして二人は南無三寺を訪れる。
住職――
彼が二人に課したのは、禅問答のような一言。
『十時愛梨、及川雫、大沼くるみ。この三人について教えてください』
何が狙いであるか分からない。正解の読めない質問だ。
悩む伊華雌を眺める住職は、菩薩像のように目を細めて穏やかな笑み。その表情から何を考えているのか読み取るのは難しい。
『えっと、愛梨ちゃんは、癒し系っていうか、ファンの心を――』
リア充がペラペラとそれっぽいことを答える。
間違ったことは言っていない。アイドル誌にのっている評価をそのまま口にしたような解答だ。満点ではないけど及第点はとれるような無難な言葉の羅列。
それを横で聞いていた伊華雌は、しかしかぶりを振った。
きっとそんなことを求められてはいないのだ。どんなに正論であっても、そこに情熱がなければ人の心を打つことはできない。本気の武内Pに教えられたではないか。人の心を打ち貫くのは、激情のままにほとばしる不細工な言葉であると!
長々と喋るリア充が黙るのを待って、伊華雌は口を開く。
往年の武内Pを思わせる殺し屋のような眼差しで、抜刀する侍のごとき気迫をもって――
『みんな違って、みんな良い……ッ!』
住職が、開眼した。
リア充の言葉には無反応であったのに、住職は厳しい視線を伊華雌へ向けて、厳かな口調で訊ねてくる。
『……その心は?』
伊華雌は、これまでたくさん解放してきた〝紳士の扉〟に手を突っ込んで、ありのままの言葉を投げる!
『十時愛梨は挟まれたい。及川雫はつぶされたい。くるみちゃんは将来が楽しみだ!』
しばらくの間、伊華雌と住職は視線を交わしていた。〝戦わせていた〟と表現するべきかもしれない。そのくらい強い視線の応酬があって、やがて住職が目付きを緩めた。
『貴方との出会いを、感謝します』
差し出された手を受け取った瞬間、伊華雌はプロデューサーになった。
ドルオタの住職が、ドルオタをこじらせて設立したプロダクションである。
〝寺〟という立地がアイドルを育成するのにふさわしいのではないかという住職の考えは、なるほどそうかもしれないと伊華雌をうならせた。
座禅用の板の間はレッスンにもってこいだし、お祭りごとに使われる広い境内でミニライブもできる。実際に〝観客〟を前にしたライブを経験できるのは大きい。大きなステージを前にしても足を震わせることのないメンタルを養うことができる。
この七六三プロは、トップアイドルを輩出してもおかしくないほどのポテンシャルを秘めている。
しかし現状、深刻にして致命的な問題を抱えている。
所属アイドルが、いない!
アイドルのいないプロダクションなど、苺のないショートケーキのようなものである。橘ありすに存在意義を全否定されて『論破です』フンス(鼻息)されてしまう。
まずはアイドルをスカウトしなくては話にならない。
「今日こそ、未来のトップアイドルをスカウトして来ます!」
伊華雌は座禅をといて立ち上がる。手早くポケットを叩いて持ち物を確認。ハンカチ、よし。ティッシュ、よし。名刺、よし。
「伊華雌」
住職が近付いてくる。菩薩様のような穏やかな表情をしていたが、弟子を見送る師匠のような厳しい顔つきになって、
「大事なのは、ここですよ」
ぽんと、胸を叩いた。
――大切なのは、外見じゃなくて心。
というハートフルな言葉に聞こえるが、そうではない。この御仁はそんな聖人君子ではないのだ。
彼の名前は棟方篤志。
その苗字にピンときた人は、もしかすると登山家かもしれない。
そう、彼は登山家アイドル――棟方熱海の親戚なのだ!
誰よりも真剣に〝お山〟を追い求める彼女のように、この男性もまた山登りに人生を捧げている。
そもそも、振り返れば面接の質問の時点でおかしかったのだ。巨乳アイドルならべて説明を求めるとか趣味全開すぎる! どんだけお山が好きなんだよ! 一生ついていきますよろしくお願いします!
住職であり社長である棟方篤志という男を伊華雌は尊敬している。
彼のお山に対するこだわりは本物だ。人生に迷った人に説法をとくように、今晩のおかずに迷った伊華雌に新世界を教えてくれた。
「行ってきますっ!」
見送る住職に手を振って、伊華雌は境内を歩く。足の裏に石畳の固い感触。竹林を風が抜けて葉のすれる音が聞こえる。どこかの田んぼでトラクターが土を掘り返して、砂っぽい風に目を閉じる。
伊華雌はスーツについた砂を手で払って、空を見上げる。
ペンキで塗ったみたいな青。
呆れるほどに良い天気。
今日こそは運命の担当アイドルに会えるような気がした。
伊華雌は胸ポケットを叩き、そこに名刺入れの感触を確認する。
そして、駅へ向かって歩き始めた。
* * *
伊華雌は電車を乗りついで原宿駅に到着した。
ゴールデンウィークの原宿はたくさんの若者でごったがえしている。
ここはオシャレに命かかけている人間の〝戦場〟だ。行き交う人の服装にかける気合いが違う。奇抜とオシャレの境界線を攻めている。自分のセンスの限界に挑戦しているようだ。
まさにファッションという文化の最先端を体現できる町にあって、スーツ姿の伊華雌は浮いている。しかもぴにゃこら太級の不細工であるから目立ってしまう。そんな男が名刺片手に言うのである。
「アイドルに興味、ありませんか?」
通報待ったなしである。
『不審者がアイドルのスカウトのふりをして女の子に声をかけてます。なんとかしてください』
善良な市民からの電話を受けてミニパトがやって来る。
しかし伊華雌は驚かない。むしろこちらから声をかける。
「おっす、たくみん」
その女性は、警察の制服こそ着ているものの警官に見えない。あーん? という言葉が聞こえてきそうなほどに強く眉根を寄せて、チッと舌を打って伊華雌を睨む。
「馴れ馴れしくすんなって言ってんだろ不細工! またおめーは仕事増やしやがって……」
婦警のコスプレをした特攻隊長。
それこそが彼女の肩書きにふさわしいと思うのは、伊華雌だけではないと思う。
向井拓海。
特攻隊長として
「ぴにゃちゃん、お疲れぽよー」
ミニパトの反対側のドアを開けて出てきたのは藤本里奈だ。
彼女はいかにも〝今どきのギャル〟って感じで、これまた警察の制服が似合わない。どちらかと言えば原宿や渋谷で婦警さんに補導される側だと思う。
どうして彼女が婦警をやっているのか?
これがまた謎である。
拓海を一人で放っておくのが心配だった。拓海が寂しがっているからついていった。
諸説あるけど真実は分からない。
二人ともあまり質問にこたえてくれないのだ。
だって、伊華雌が質問をされる側だから……。
さぁ、〝職務質問〟の時間だ!
「おめー、初めてあたしと会ってからどんだけ経ってるか、分かってんのかよ?」
ミニパトの天井に肘をついた拓海がためいきをつく。心底呆れている。そんな仕草で伊華雌にジト目を向けてくる。
「一か月ぐらいだけど、もっと昔から知ってるような気がする。これはもしかして、運命――的な!」
「おめーが毎日のように通報されてっから無駄にたくさん会ってんだよ!」
拓海がミニパトの天井を叩いて、里奈が楽しそうに笑う。その笑い声が伊華雌は嬉しい。どんな理由であっても女の子に笑ってもらえると嬉しくなる。例えそれが職務質問の受け答えであったとしても!
「いーかげん諦めたらどうだ? アイドルのスカウトだっけ? おめーにゃ無理なんじゃねーか。人には向き不向きってもんがあるから、スパッと諦めて、他に向いてること探したほーがいーんじゃねーか」
拓海は優しい。一か月〝職質フレンド〟として過ごした伊華雌は、荒っぽい口調の中にちゃんと優しさがあるのを知っている。
確かに、正論だ。一か月もスカウトをして、まともに話を聞いてもらった回数はゼロ。通報された回数は数え切れない。
ここにきて〝ぴにゃこら太フェイス〟が足を引っ張っている。この不細工すぎる顔面によってスカウトの難易度が途方もなく跳ね上がっている。
でも――
「俺、諦めませんよ」
伊華雌は思い浮かべる。
どんなに辛いことがあっても。
どんなに落ち込むことがあっても。
あの時の背中を
言葉を。
そして約束を。
あの人の存在が心の中にある限り、足をとめるわけにはいかなない。
一人前のプロデューサーになるまで、足をとめるつもりはない!
「出会えてない、だけなんです。きっとどこかに、俺の担当アイドルがいるんですッ!」
伊華雌の声が原宿の喧騒を貫いた。
一瞬だけ、本当に一種だけ全ての音が消えて、無数の視線が伊華雌へ向けられる。
その瞬間に原宿を歩いていた人の視界に、スーツを着たぴにゃこら太の姿が映る。
――その少女も、伊華雌を見ていた。
「……そんなに言うなら好きにしろ。でも、あんまりめーわくかけんじゃねーぞ。こっちは忙しいんだよ」
拓海は大袈裟に肩をすくめて呆れてみせた。
彼女の本音を隠さない性格を伊華雌は嫌いではない。そして顔は文句なしの美人。どうやらスタイルも抜群で、きっと棟方社長も喜んでくれる。
――やるか……。
伊華雌の心境は、さながら犯行におよぶ強盗。ずっと頭の中で考えていたプロセスを一瞬でおさらいして、内ポケットへ手を伸ばす。
「なっ、なんだよ……」
伊華雌の必死すぎる表情に拓海は警戒してしまう。
しかし伊華雌はとまらない。
内ポケットから名刺入れを抜き出して、何度も練習したとおりに名刺を取り出して――
「アイドルに興味――」
「ねえよっ!」
即答だった。
あまりにも速くて、断られたのに気付かないくらいだった。剣の達人に斬られた町民が斬られたことに気付けないように、伊華雌はしばし呆気にとられた。
「……えっと、アイドルに――」
「だから興味ねえっつってんだろ! あたしがアイドルとか、有り得ねえだろ!」
「いやでも、たくみん美人だし」
「別に、美人じゃねーよ。あと、たくみんって呼ぶなっつってんだろ!」
二人のやりとりを見ていた藤本里奈が、ミニパトのボンネットを叩きながら楽しそうに笑う。笑われたのが悔しいのか、拓海は頬を赤くしながら伊華雌をキッと睨んだ。
そして長い黒髪をひるがえしてミニパトに乗る。窓を開けて、窓枠に肘を乗せる。とても男前な仕草だ。やだ、イケメン……。伊華雌は反射的にそんなことを思ってしまう。それほどまでに向井拓海の表情は凛々しい。凛々しすぎて婦警に見えない。
彼女はかつて向かうところ敵なしであった特攻隊長の顔つきで、鋭く伊華雌を睨んで言い放つ。
「アタシに生意気な口きいたんだ……。担当だか担任だかしらねーけど、とっとと見つけていなくなっちまえ!」
情熱的な言葉だった。荒っぽくて、ちょっと怖いけど、でも、気持ちが伝わってくる。激励してくれている。
「……ありがとう、たくみん」
「たくみんって言うなっつってんだろ不細工っ!」
拓海はガオっと吠えるライオンのように身を乗り出して伊華雌を睨む。
しかし伊華雌は怯まない。本当に噛み付くつもりのないライオンは怖くない。
拓海は〝ちょっとはビビれよ〟と言わんばかりにチッと舌を打つ。そして、つまらなさそーに前を向いて、ミニパトのハンドルを握った。
「じゃーねー、ぴにゃちゃーん!」
助手席で手を振る藤本里奈に、伊華雌も手を振り返す。
ミニパトが走り去って、伊華雌は原宿の雑踏の中に一人残される。
――さて、もうひと頑張りするかっ!
ミニパトを見送った伊華雌は道路に背を向ける。
振り返った瞬間、その少女と目が合った。
「わっ、すっ、あっ……」
動揺している。
もしくは、おびえている。
不意に自分と遭遇した女の子の反応として珍しくない。ホラー映画で殺人鬼に出くわした女優の演技を想像してもらいたい。それが初対面の女の子のリアクションだから……、うん。
「えとっ……、そのっ……」
それにしてもその女の子はオロオロしている。そんなにショックだったのだろうか? そんなに怖がらなくてもいいんだよ。不細工なだけで人畜無害だから! 安全・安心の只野伊華雌だよっ!
そんな台詞を口にしたら、きっと状況が悪化してしまう。『あっ、怪しいものじゃないんです!』と自分で言う奴の怪しさは人一倍だ。かといって『そうです、私が怪しいものです』とかいったら通報されてしまう。つまり疑われた時点で何をやっても駄目なのだ。何も言わずに去るのが正解……。
伊華雌はその女の子から離れようとして、気付いた。
リアクションが、ちょっと違う。
普通、自分と接近遭遇してしまった女の子は、オドオドしながら嫌そうな顔をする。クモとかゴキブリとか、女の子が嫌いなものを見た瞬間の表情を浮かべる。〝クモ・ゴキブリ・伊華雌〟みたいな感じに害虫諸兄と同じカテゴリーに属しているのだろうと伊華雌は思っている。
しかし――
この女の子は、全然嫌そうな顔をしていない。
むしろ、遊園地で大好きなキグルミのマスコットを目撃した子供みたいに目をキラキラさせている。さぁおいで! と言って手を開いたら、胸に飛び込んできてくれそうだ。
っていうか、本当に遊園地帰りっぽい。頭にそれっぽい帽子をかぶっている。ってか、この帽子は――
――ぴにゃこら太の帽子……だとッ!
帽子だけじゃない。その女の子はぴにゃこら太のプリントTシャツを着ている。ネットで見かけるたびに、罰ゲーム以外の用途が見当たらないんですがそれは……、と伊華雌がつぶやいているTシャツを着て、それどころかバックもぴにゃこら太仕様で、紐でくくりつけられたぴにゃこら太ヌイグルミが揺れている!
――まさかとは思うけど……。
伊華雌は必死に情報を整理する。
ぴにゃこら太コーデに身を包み、ぴにゃこら太にそっくりな自分に熱いまなざしを向けてくるこの子はつまり、そういうことなのか?
――ぴにゃこら太が大好きな女の子?
世の中にはいろんなマニアがいる。どんなマイナーな分野にも専門家はいるのだ。ネットの海を泳いでみればその多様性に驚かされる。
だからまあ、不思議ではない。
ぴにゃこら太を好きな女の子がいてもおかしくない。
その女の子と、ぴにゃこら太フェイスの自分が出会ってしまう可能性もゼロではない。
――これはもしかすると、最初で最後のチャンスかもしれない。
今まで自分を苦しめてきた〝ぴにゃこら太フェイス〟がむしろプラスに作用する。
そんなことは生まれて初めての経験だ。
しかも――
この女の子、すごく可愛い。
顔立ちはもちろん、その立ち姿に品がある。ダンスとかバレエとか、何か習っているのかもしれない。
ずっとアイドルを追い掛けて、そして実際にアイドルのプロデュースを間近に見てきた伊華雌は断言することができる。
――この子は、トップアイドルの原石だ!
もしかしたら島村卯月をしのぐ逸材かもしれない。今自分は、とんでもない幸運に恵まれている。こんなすごい女の子が、ぴにゃこら太を好きで、好意を満ちた視線を向けてくれて――
「穂乃香ー! 行くよーっ!」
女の子の友達と思われる三人組が女の子に声をかけた。彼女はそれに反応して伊華雌に背を向ける。
逃すな。
絶対に逃すな!
こんなチャンス、もう二度とないかもしれないッ!
「あっ、あのっ!」
伊華雌は声をあげた。
女の子が、振り向いた。
――落ち着け、俺。落ち着け……ッ!
伊華雌はまさに、長年待ち続けた獲物を見つけた猟師のように。震える手をゆっくりと内ポケットに入れながら。ドクンドクンとうるさい心臓の音を耳に聞きながら。
名刺を、差し出した。
ぴにゃこら太大好き少女――綾瀬穂乃香は、無様にぷるぷると震える名刺を受け取ってくれた。
そして伊華雌は、彼女に最初の言葉を捧げる。
どんなアイドルも、この一言から始まる。
アイドルとプロデューサー。
絆を結ぶための最初の儀式。
それはまるで魔法の呪文。
彼女を笑顔にすると誓いながら。
絶対にいい笑顔にしてみせると、心の中で叫びながら――
「アイドルに興味、ありませんかっ!」
― あとがき ―
ここまで読んでくださいましたプロデューサーの皆様へ、まずは最大限の感謝の気持ちを捧げさせていただきます。
長い物語にお付き合いいただき、まことにありがとうございますっ!
アイドルのマイクに転生したオリ主の話とか、もしかすると誰もやってないんじゃ……!?
そんなふうに考えて書き始めた〝出オチ〟感の強い作品です。まさかこんなに長い話になるとは思っていませんでしたw
武内Pと伊華雌の熱いやりとり。病みにのまれるまゆ。元気で可愛い仁奈ちゃんに、仲良く喧嘩するみくと李衣菜。
デレマスのキャラクターを書くのは本当に楽しくて、油断すると筆が止まらなくなってしまいます。
実のところ、もう一つエピソードを書く予定があったのですが……。
武内Pが〝新人スカウト〟を命じられて街頭スカウトに挑戦。卒業暴走を楽しんでいた向井拓海とばったり。彼女に無限の可能性を見いだした武内Pがスカウトするも無残に失敗。
しかし、武内Pは諦めない。
彼女の気を引くために
――なんて過激なプロットもあったのですが、さすがに展開が間延びしすぎるという理由でお蔵入りになりました。エピローグにたくみん&りなぽよコンビが出てくるのはその名残です。出番がなくなってしまったことに対する謝罪です。ごめんよたくみんっ!
物語を終わらせるタイミングについても悩みました。フリスク編をやって伊華雌と武内Pの再会まで書くべきじゃないか? そして幸せなキ――いやいや、それはさすがにまずい! そのキスは誰も幸せにならない!w
そうではなくて……
人間に戻った伊華雌の話は、さわりだけでいいかなと思いました。そもそも〝マイクな俺と武内P〟ですからね。人間に戻った時点でお話はたたむべきかなと。
ということで、あとがきらしく作品についてお話しさせていただきました。
あらためて、拙作にお付き合いいただき、ありがとうございますっ!
プロデューサー様方にお読みいただき、感想や評価を頂いて、それがとても励みになったのは言うまでもありません。おかげさまで完結させることができました。
プロデューサー様に、最大の感謝を!
今、この文章を読んでいる全ての方に、SSRが当たりますようにっ!
そして、アイドルマスターというコンテンツに祝福をっ!
アイマス最高ッ!
――次回作について。
いろいろと落ち着いたら、ウサミンのオリ主ラブコメ(ラブ薄め)とか書きたいですね。もしくはポンコツアンドロイドがたくさん出てくる近未来SM――じゃなくてSF! 近未来SMってなんだよ予測変換いい加減にしろっ!w そんなの時子様がヒロインで決まりだよ! むしろ書きたくなってきたよ近未来SM!w
……先のことはどうなるか分かりませんが、忘れたころにぬるっと何かを投稿すると思います。さながら、忘れたころにやってくる担当ガチャのように!w
――商業活動。
小学館ガガガ文庫様にて『魔法少女さんだいめっ☆』という作品を執筆させていただきました。こちらもよろしくお願いいただけると嬉しいですっ!