前話の変更した以降の箇所には目印を付けておりますので、お手数をおかけいたしますが、再度お読みいただけると幸いです。
赤べこに戻ると、私は妙さんに事の顛末を話した。警官が集まってきていた為、何かあったのではないかと心配していた様だが、長岡を含めた賊は全て逮捕され、三条さんも無事であったと伝えると安心してくれた。
妙さんにも安心してもらえたし、これ以上赤べこにいる理由もないため、私は家に帰った。
「この蔵の鍵も、変えた方がいいのかなぁ」
蔵の中に売上金をしまい鍵をかける。いつもと同じ、何も変わらない行動はずなのだが、狙われていたと思うとどことなく不安になってしまう。
オンボロとまではいかないが、それなりの年季を感じるこの蔵の中には、大切なものがたくさん仕舞ってある。今度さよに相談してみようかな。
「旦那様ぁ。お客さんですよぉ」
玄関の方からたけさんが呼ぶ声が聞こえる。たぶん、弥彦が来たのだな。
「はーい。今行きまーす」
蔵についての悩みを頭の外に追いやると、私は急ぎ足で玄関へと向かった。
…空気が重い。話があると神妙な面持ちの弥彦を客間に通し、二人向き合って座っているのだが、中々話が始まらない。
「その、楽にしてくれていいんだよ」
「おう」
胡坐をかいて楽にしている私に対して、弥彦は正座だ。話の切っ掛けにと話しかけてみるのだが、会話が続きそうにない。長岡との一件に手を出したことを怒っているのかとも考えたが、そのような雰囲気もない。
「入っていいかい」
「ああ、大丈夫だよ」
襖をあけ、さよが部屋に入ってくる。どうやら、お茶を持ってきてくれたようだ。場が持たなかったので、正直ありがたい。
そんな私の思いはどこ吹く風と、さよは湯飲みに注がれた熱いお茶と、お茶請けを弥彦の前に並べていく。
「はい、どうぞごゆっくり」
「おう。その…、お構いなく」
緊張してるのか、口調がなんだかおかしくなってる。
「はい、竜さんの分」
「ありがとう。おっ、あんパンか」
「そっ、竜さん新しいモノ好きだからね。銀座の方で買ってきたんだ」
お茶と一緒に渡された皿の上は、四等分に切られたあんパンのうち、二つが乗っている。弥彦の分も同様だ。二人の分を合わせると、ちょうど一個分。
「大人ぶっちゃって、かわいいね」
去り際に、私だけに聞こえる小さな声でそういうと、悪戯っぽく笑い、さよは部屋を出ていった。
「とりあえず、食べよっか」
「おぅ」
あんパンを素手で掴み口に放り込む。パンとあんこの組み合わせに、味の想像がつかなかったのだが、まんじゅうとはまた違ったうまさがある。まんじゅうがあんこを全面に押し出したお菓子だとすると、あんパンはパンとあんこの調和がポイントのお菓子だな。
確かこのあんぱんを考案した人は、元士族と聞いたことがある。維新が起きなければあんパンなんて作ってなかっただろうに。これも明治維新の恩恵か。
「うん、美味しい」
お茶を一口飲み、感想を述べる。弥彦も無言で食べているが、その食べる速度を見ていると気に入ってくれていることは間違いないようだ。
「気に入ってくれたみたいで何よりだよ」
弥彦を見ていて思わず微笑んでしまう。まだまだ子供だな。
「さて、それじゃあそろそろ本題を話してもらおうかな」
お互いにあんパンを食べ終わり、そろそろいい頃合いだろう。なるべく優しい声で話しかけてみる。
「竜之介。…いや、竜之介サン。俺にテンネンリシン流を教えてくれ!」
意を決して話し始めたと思ったら、弥彦は急に頭を下げた。
「ちょ、ちょっと待って。順を追って話してくれないかい。急にどうしたの?」
予想外の行動に慌ててしまう。らしくない弥彦を見ていると、彼なりに悩んだ末の行動であるとは思う。そしてその理由についてもなんとなく想像はつくのだが。
「俺は弱い。さっきみたいに誰かに守られるんじゃなくて、誰かを守れるようになりてぇんだ」
「そうか、うん、何となくわかった。でもどうして私何だい? 神谷活心流じゃあ駄目なのかい?」
こちらを見つめる弥彦の目を見つめ返しながら、疑問に思ったことを聞く。
「神谷活心流だけじゃ足らねぇ。それと、剣心のトコはさっき断られた」
弥彦の答えを聞き、しばらく考える。どうしたら、弥彦を強くしてあげられるか。できれば希望を叶えてあげたい。
「天然理心流は教えられない。まずは神谷活心流をきちんと学んでからだ」
「なんでだよ!」
「二兎を追う者は一兎をも得ず、だよ。弥彦君は器用じゃなさそうだから特にね。神谷活心流を極めた後であれば、喜んで伝授しよう」
見るからに残念がる弥彦に言葉を続ける。
「但し、強くなりたいというのであれば、協力するよ。私は弥彦君の兄弟子だからね」
「本当か!」
ニヤリと笑うと、先ほどとは打って変わって喜ぶ弥彦。
「あぁ。その代わり宿題を出す。やれるかい」
「おう! なんだってやる!」
「いい返事だ。それじゃあ宿題だけど、その前に一つ、強くなるために、弥彦君に足りないものがある。それは…」
こちらを見つめる弥彦の喉から、ごくりと唾を呑む音が聞こえてきそうだ。
「ズバリ、競争相手だよ。同じくらいの実力の相手。弥彦君にはそれが必要だ」
「なんだよそれ…」
私の言葉に見るからに落胆して溜息をつく。
「いやいや真面目な話だよ。競う相手がいるとそれだけで上達が早くなる。勝とうとするから努力できるし、勝ちたいからこそ工夫する。私や神谷先生とじゃ、自分でいうのもなんだけど実力が離れすぎているしね。だからさ、競う相手を見つけてきて、できれば神谷道場に入門させるんだ。そうすれば強くなれるし、神谷道場の経営も助かるし、みんな幸せになれるよ」
人差し指をピンと立てて説明するのだが、いまいち納得していないご様子。
「そもそも、私が強くなれたのだって勝ちたい相手がいたからだ」
「へぇ、そいつ竜之介よりも強いのかよ」
おっ、話に食いついてくれたな。少し、昔話でもするか。
「654回中、私が勝てたのは212回だ。それも数え始めてからの回数だから、本当はもっと負けが多い」
「ずっ、随分細けぇんだな…」
ちょっとそこ、引くところじゃないよ。残ってぬるくなったお茶を口に含み、喉を濡らしてから言葉を続ける。
「当たり前だよ、勝ち越すことが目的だったんだから。勝つ方法を見つけたと思っても、すぐに対策されるからなかなか連勝できなくてねぇ」
「へぇ、よっぽど強ぇんだな。ソイツ」
「ああ強いとも、でたらめに強かった。…でも、だからこそ剣術が楽しくてね。私が強くなりたかった理由はそんなところだよ。弥彦君みたいに立派な理由じゃなくて申し訳ないけど」
思い出すだけで笑みが零れてしまう。こちらが新しい戦法や技を考えてくるたびに、面白そうな顔をして早く見せてくださいなんて言ってくるアイツ。必死で考えてきているこちらの気持ちを少しは考えて欲しいと、良く思ったものだ。
「ソイツとはもう戦わねーのか?」
「ん? ああ、勝ち逃げされちゃったからね。もう戦えないんだ」
何かを察したのか、弥彦は沈黙してしまった。こういう話は湿っぽくなっていけないな。
「まぁ、そういうわけで弥彦君にも競争相手を見つけて欲しいって話だね。どうだい、納得できたかな?」
「…ああ、何となくわかった」
まぁ、いきなり探せと言われても難しいかもしれないけれど、しばらくは出稽古先で探してもらうしかないかな。一番はやはり神谷道場の門下生で、ちょうど良い相手ができればいいのだけれど。
それからしばらく他愛のない話をしていたのだが、そろそろ日が沈みだす時刻。玄関まで弥彦を連れていきお見送りだ。
「おや、帰るのかい?」
「夕飯までに帰んねーと、薫がうるせーからな」
「またいつでも遊びにおいでよ」
「おう」
玄関に向かう私達に気付いたさよが、弥彦に声をかける。弥彦はさよが苦手というか、少しやりづらそうだな。普段の口の悪さとか勢いといったものが、鳴りを潜めている。
「じゃあな、竜之介」
「ああ、また明日ね」
弥彦の元気な表情に一安心して見送りを終えると、私は客間に後片付けに戻る。
「弥彦君、元気ないい子じゃないか」
「ああ、あれで中々優しいところもあってね」
座布団を押し入れにしまっていると、湯飲みとあんパンを乗せていた皿を片付けに、さよが客間にやってきた。
「また遊びに来てくれるかな」
「さぁ、どうだろうね」
さよの質問に気のない返事をし、先に部屋を出ていく。外はすっかり暗くなってしまった。溜息を一息つくと、夕飯の準備をしているたけさんの邪魔をしに、私は台所へと向かうのであった。
次回より石動雷十太編です。
長岡編は原作からかけ離れてしまいました。違和感がありましたらごめんなさい。私の力不足です。
特に弥彦の口調について少し違和感があるかもしれません。
次話との関係を考えると、当初考えた内容より好きな感じにできましたが。