次の日、稽古は休みのため、私は家の自室で仕事をしていたのだが、昨日の出来事が頭にチラつきあまり進みが良くない。前川さんの怪我は、しばらく療養すれば治ると聞いているが、道場の方はしばらくお休みにするそうだ。
昔は道場破りだなんて珍しいものではなかったのだが、私はあまり好きではなかった。他流派を潰すというような発想がどうも合わない。潰したところで、自分が強くなれるわけではないと思うんだけど…。
いかんな。また思考が逸れてしまった。少し気分転換でもするかな。
筆を置き、部屋を出ようと襖を開くと、たけさんが立っていた。
「わっ!」
「なんだい、びっくりするね。それよりも旦那様、お客さんだよ」
私にお客さんとは珍しい。間が悪いことに、呼びに来てくれたたけさんが、部屋の前に来た瞬間に襖をあけてしまったようだ。こちらも驚いたよ。
しかし、私に会いに来るなんて誰だろう。たけさんに促されるまま玄関へと向かう。
私への客人は、小綺麗な身なりの初老の男性。使用人というには、いささか品が良すぎる印象を受ける。
「おお、あなたが浜口竜之介様ですか?」
「ええ、そうですが。…失礼ですがどちら様で?」
「私は石動雷十太様の使いでございまして…。これをどうぞ」
丁寧な物腰の彼に、頭をポリポリ掻きながら応対する。雷十太の使いと聞き、ますます混乱する。たぶん私は今、相当間抜けな面をしているに違いない。
差し出されたのは『招待状』と書かれた手紙。裏を見ると、差出人は確かに石動雷十太と書かれている。もし本人が書いたとすると、顔に似合わず丁寧な字だ。意外と繊細な人なのかもしれない。字は人を表すというしね。
「招待状…ですか。なんでまたこんなものを」
「さぁ私は伝令を言付かっただけですので…。表に馬車を用意してありますので。さぁどうぞ」
「いや、お断りします」
明らかに面倒ごとの匂いがする。罠にしては手が込んでいるが、私をどうしたいのかわからない。
そもそも、私の方に会う用事はないし、さぁどうぞで馬車に乗ると思っちゃ困りますよ。せめて事前に約束をしてから迎えに来て欲しいよね。
「しかしですね…」
「こう見えて私、結構忙しんですよ。その、仕事もありましてね…」
「既にお連れ様は馬車に乗られているのですが」
困ったように話す男性。今聞き捨てならないことを言ったな。
「おい! 浜口! チンタラしてっと置いてくぞー!」
家の外から左之助の声が聞こえる。えっ、なんで?
「その、こちらにお伺いする前に神谷道場様の方に寄らせて頂き、こちらまで案内して頂いたのですが、浜口様と御同行すると強く希望しておりまして…」
彼の言葉を聞くなり、急いで家の前に止めてあった馬車に駆け寄り扉を開け、左之助を睨みつけた。
「へっ! こんな面白そうなトコ俺抜きで行こーなんざ、そうは問屋が卸さねぇぜ!」
「直ぐに降りなさい」
「おいおい…」
「いいから、すぐに降りて」
ホントに、何してくれるんだよ、この男は。勝手に
「すいません。知り合いがご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございませんが、お引き取り下さい」
深々と頭を下げ、何を言われても相手の顔を見ないようにする。相手の困った顔が想像できるが、ここは押し通す。
「…わかりました。雷十太様にはお時間が取れないと伝えておきます。それでは」
「ちっ、つまんねーな」
男性はしばし逡巡すると、諦めてくれたようで帰っていった。頭を上げ左之助を再度睨みつける。
「おう、もしかして怒っているのか?」
「…、とりあえず左之助は一か月赤べこ出禁にしますんで。お金を払っても食べさせてあげないですからね」
私の言葉に、見るからに動揺した様子を見せる左之助。自業自得ですよね。
「悪かったよ浜口サン。なっ? だから機嫌治してくれって」
私は左之助を無視して家に入ると、玄関を締め溜息をつく。まっ、過ぎたことは仕方ないけど、気に食わないなぁ。外から左之助の声がまだ聞こえてくる気がするが、聞こえていないことにする。
「旦那様、お客さんはもういいのかい? まだ誰か外にいるみたいだけど」
「あぁ、お引き取り頂いたよ。外のは放っておけば帰るから」
「はいよ。それにしても旦那様が怒るなんて珍しいね」
「…、別に怒ってなんかいませんよ」
「はいはい、じゃ、そういうことにしとくよ」
去っていくたけさんの背中を見つめ、もう一度溜息をつくと、私は残った仕事を片付けるために部屋へと戻っていった。
「いただきます」
夕飯を食べながら、私はまだ不機嫌でいた。左之助に、というよりはあの程度の出来事で怒りを持ってしまった自分に対してだ。
「なんだか今日の竜さん、機嫌悪いね」
「お昼にお客さんが来てね、それからあの調子なんだよ」
さよとたけさんの話を聞きながらご飯を食べる。今日はメザシか。
「そんなことないよ。別にいつも通りです」
「ふーん。ところでお昼のお客さんは誰だったんだい」
「うーん、何だったのかわからないけれど、道場破りの使用人?」
さよに改めて質問されて考えてみたのだが、あの男は一体何だったのか、よくわからないままだな。
説明が難しいので、私は二人に前川道場での出来事と、昼過ぎにきた使用人の話を掻い摘んで説明した。一通り話終え、もしゃもしゃとメザシを食べる。
「成程ねぇ。竜さん、面倒な事嫌いだもんねぇ」
私の機嫌の悪さに合点がいったのか、納得顔のさよ。別に面倒なことが嫌いってわけではないこともないというか、実際嫌いなのだけれど。
いや、語弊があるな。面倒ごとでもやらなければいけないことや必要なことは進んでやっていると思うんだけどなぁ。
「それにしても馬車を寄越すだなんて、その道場破りさん随分金持ちなんだね」
「そうですねぇ。どっかのボンボン息子の道楽ですかねぇ。そんな話、あたしゃ聞いたことないですけど」
「見た目も雰囲気も、金持ちって感じじゃなかったですけどね。それに道楽で道場破りだなんて、迷惑極まりない」
怪我をした前川先生を思い出し、ついつい鼻息が荒くなってしまう。
それから三人で、雷十太の人となりについて、ああでもないこうでもないと予想を話し合った。結局どんな人物か想像がつかないのだが、あれこれ考えるのは妙に楽しかった。
「ご馳走様。さて、仕事が残っているから、私は部屋で仕事してくるよ」
蝋燭の灯りだけだと、字が見づらくて目が悪くなりそうだけれど、明日の稽古に行くために終わらせなければならない。
「竜さん」
「ん?」
「機嫌、治ったみたいだね」
笑顔のさよに苦笑を返し、居間を出ていく。まったく、敵わないなぁ。
「ごめんなさいね、浜口さん。あのバカ、招待状を見るなり馬車に飛び乗って…。大丈夫だった?」
次の日道場にいくと、開口一番神谷さんに謝罪された。
「えぇ、結局招待はお断りして、左之助にも帰ってもらいましたよ」
「それは左之助に聞いているんだけれど、浜口さん、すっごく怒ってたって聞いていたから…」
「あぁ、そのことですか。あとで左之助に謝っておかないと…」
遠慮がちに聞いてくる神谷さんに、ばつが悪い思いをしながら答える。昨日は少し、感情的になりすぎたしなぁ。
「まっ、そんなことより稽古を始めましょうよ。弥彦も気合十分みたいですし」
先ほどから道場の真ん中で素振りをしている弥彦に視線を向ける。汗をかき、息が上がっている様子から、それなりの時間竹刀を振っていたのだろう。稽古の途中でバテないか心配だ。
「朝からうるさいのよ。ホントもう、どうしちゃったのかしら」
困ったような口ぶりだが、どこかうれしそうな表情の神谷さん。弥彦が剣術に打ち込むことが、やはりうれしいのだろう。指導者なんだし、当たり前なのだろうが。
「いつまで油売ってんだよ。さっさと稽古始めるぜ」
弥彦の言葉に、額に青筋を浮かべる神谷さんであったが、その様子に思わず吹き出してしまう。
「なによ! 浜口さんまで…」
ジトッとした目をこちらに向けられて、慌てて視線を逸らす。視界の端に映る剣心さんが、洗濯物を干しながら微笑んでいる。きっと会話をずっと聞いていたのだな。
神谷さんに抗議を受けながら、人数が少なくても前川さんの道場に負けず劣らずいい道場だなと、改めて思うのであった。
ここら辺の話は、なるべくさらっと進めようと思っていたのですが、あまり話が進められないです。雑に書くつもりはないですが、もうちょっと何とかしたいと思いつつ、次回に続きます。
次話はたぶん、今夜か明日の午前中に投稿します。