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雷十太との一件から数日後、私の足の怪我は順調に回復し、激しい運動は禁じられていたが、普通に歩く分には問題がない程度には良くなっていた。
稽古はお休みし、仕事以外に特にすることもなく、ダラダラと過ごす日々。道場に通う以前は、近所を散歩してブラブラしたり、適当に買ってきた書物を読んだり、はたまた近所の神社の敷地で木刀を振って汗を流したりして暇をつぶしていたのだが、なんだか何もする気が起きない。
そんなわけで私は今、縁側で横になりながら地面を歩く蟻を眺めている。蝶の死骸を運ぶ様子を眺めながら、働き者で偉いなぁなんて感心していると、三角巾を巻いたたけさんに文句を言われる。
「はいはい掃除の邪魔だよ。やることが無いのはわかるんだけどね、もうちょっとなんとかならないかねぇ」
「んー、私もそう思うんですけどねぇ」
私はゆっくりと立ち上がり、両手をバンザイしながら伸びをする。思わず欠伸が出てしまう。家事を手伝わせてもらえればいいんだけれど、たけさんはそれを絶対に許してくれない。
「ちょっと散歩にいってきます。夕飯までには戻りますんで」
「はいよ、いってらっしゃい」
背後からたけさんの溜息が聞こえてくる。自分でも、もう少しシャキッとしなければいけないと思うんだけれどねぇ。思うのと実行するのは大違いなわけで。
心の中でたけさんに言い訳をしながら玄関に向かう。家を出ようと草履を履いていると、何やら外が騒がしい。ウチに誰かお客さんかな。
「ただいまー。あっ、竜さん、お客さんだよ」
玄関が開くと、さよが立っていた。赤べこから戻ってきたのだろう。
「私にお客さん?」
「うん、ほらっ」
そういうとさよの後ろから少年二人が飛び出てきた。弥彦と由太郎だ。
「よう、竜之介。邪魔するぜ」
「バカッ! 竜之介さんに失礼だろ。…お邪魔します」
「うるせーな猫目野郎。細けーことはいーんだよ!」
「はいはい、喧嘩しない、喧嘩しない。ふふっ、二人とも元気があって大変よろしい!」
いつものように喧嘩を始めようとする二人だが、さよに毒気を抜かれて喧嘩する気が失せたようだ。子供の扱いがうまいなぁなんて、感心してしまう。
「弥彦に由太郎君。遊びに来てくれたのかい? ちょうど良かった、暇してたんだよ。立ち話もなんだし中に入りなよ」
自室に通し、弥彦、由太郎と向きなおる。座布団の上で胡坐を掻く弥彦と正座をする由太郎。なんとも正反対な二人だ。
「竜之介さん。これ、お土産です」
持っていた風呂敷の中から、木箱を取り出し差し出す由太郎。弥彦がボソッと、ゴマすりやがってと文句を言っている。
「これはこれは、気を遣わせてしまって済まないね」
受け取った木箱には『貯古齢糖』の文字が書かれている。んっ?まさかこれは。
「失礼。中身を見せてくれ」
慌てて木箱を開けると、中には四角くて黒い塊が、木枠によって仕切られたマス目にきれいに収められている。チョコレートだ。
「これ、高かったんじゃないのかい? お持たせで悪いけれど、みんなで食べようか。そうすると、緑茶より
満面の笑みの由太郎と、渋い面をした弥彦に一言断り、私は台所へと向かう。台所にはお茶を入れるためのお湯を沸かしているさよがいた。由太郎にもらったお土産を一つ渡し食べてもらう。
「甘ぁーい! 何これ! すっごくおいしいよ!」
「西洋のお菓子だよ。たぶん、
ブンブンと首を縦に振るさよに後を任せ、私は部屋に戻っていった。
三人でチョコレートを頂きながら、
「竜之介、聞きてぇことがあるんだけど、いいか?」
話が少し途切れたところで、弥彦から質問が飛んできた。
「ん? なんだい? 私が答えられることならいいよ」
「『宿題』は終わらせたからよ。次の強くなる方法、教えてくれねーか?」
チラリと由太郎を見ながら、真剣な表情でこちらを見つめる弥彦。宿題とは、前に
弥彦なりに由太郎のことを認めている証拠なのだろう。弥彦がそのことを素直に口にすることはないのだろうけれど、少しうれしくなり頬が緩む。
「んー、そうだねぇ」
「竜之介さん、頼む! 俺にも教えて下さい!」
「わかった、わかった! 教えるから頭を上げてくれよ」
頭を下げる由太郎に、慌てて頭を上げるように言うと、由太郎は笑顔になる。そんな様子を落ち着いてみている弥彦。意外にも、私が由太郎に指導することを止めようとしない。
「弥彦もそれでいいかい?」
「おう、ズルして勝っても面白くねぇからな」
憮然として答える弥彦の姿がなんとも頼もしい。そんな弥彦を見て、ますます笑みがこぼれてしまう。
「よし、それじゃあちょっと散歩にいこっか」
「散歩って、どこに行くんだよ」
「んー、秘密。何か所か行くんところはあるんだけどさ」
呆れたような顔をしながら文句を垂れる弥彦。対して由太郎の方は、何やらブツブツ呟いている。何か考えているようだ。
「こういうことはね、最初に答えを教わるんじゃなくて気づくことが大事なんだよ」
弁明するように弥彦に言うのだが、納得してくれたのかは分からない。少し回りくどいやり方かもしれないが、まっ、なんとかなるだろう。歩く速度を少し速めながら、私は楽天的に考えていた。
「いったいどこまで歩くんだよ…」
「ん? ああ、目当てはこのお店だよ。亀千ってお店なんだけどさ、どら焼きが美味しんだよねぇ。あっ、おばちゃん、どら焼き十個頂戴!」
「あいよ! 竜ちゃん久しぶりだねぇ、子供連れだなんて珍しい」
「まぁね、最近忙しくてさぁ。はい、お金」
「まいどあり、またおいでよ」
お土産用に包んでもらったどら焼きを二人に渡し、足早に次の場所へ向かう。戸惑う二人はあわてて付いてくるが、歩く速度を緩めずに次の場所へ向かう。
「ここの佃煮美味しんだよねぇ。おじさん三つ包んで!」
「おう! 浜口ンとこの倅か! 持ってけ持ってけ!」
「雷おこしってね、『家をおこす』とか『名をおこす』ってことにかけられて縁起物なんだよ。そういうわけで大将、十個ほど包んでもらっていいかい?」
「あいよ浜ちゃん。一個おまけしとくからまた顔出してくれよ!」
長い長い散歩から戻ってくる頃には、すっかり夕方になってしまった。もともと歩く予定の散歩道を少し足早に歩いただけなのだが、二人ともバテバテだ。
二人を縁側に座らせ、台所から水を入れた湯飲みを持ってきて二人に渡す。受け取るなり一気に飲み干してしまった。
「さて、一息ついたかい? なかなかいい店ばかりだったろ?」
ニコニコ笑いながら二人に答えを教える。私の問いかけに返事をする元気はまだ無いようだ。
「…なんでそんなに元気なんだよ」
「そりゃあ、鍛え方が違いますからね」
「鍛え方…」
由太郎がボソリと呟く。
「そう、まずは稽古をいっぱいできる様に、君達は体を鍛える必要があるってこと。今日散歩してみてよくわかっただろ? それが強くなるための第一歩だ。とりあえず、怪我人の散歩についてこれるくらいには、足腰を鍛えたほうがいいかな。」
「ちっ…」
弥彦が悔しそうに舌打ちをするのだが、文句を言うほどの元気はなさそうだ。子供相手にちょっと大人げなかったかな。
「まっ、竹刀を振るだけが稽古じゃないからね。若いんだから、焦らなくても勝手に体力はつくだろうけど。無理して怪我だけはするんじゃないよ」
「はい!」
由太郎が目を輝かせて元気に返事をする。
「おっ、いい返事だね。由太郎君」
「竜之介さんは、俺が強くなるためにいろいろ教えてくれるから…。嬉しいんだ」
はにかむ由太郎に、少し気恥しくなる。素直に好意を向けられるのは、その、何となく苦手だ。
「そろそろ疲れも取れただろう。さっ、遅くなる前に帰りなさい。あっ、お土産はちゃんと持って帰ってね、全部美味しいから」
むず痒い気持ちにいたたまれなくなり、私は急かすように二人を帰らせてしまった。
「ねぇ、今日は三人でどこに行ってきたのさ」
「ちょっと散歩にね。浅草のあたりまで」
「ふーん、あたしも連れてって欲しかったなぁ」
二人を家に帰した後、湯飲みを片付けているとさよが話しかけてきた。さよに声をかけず出かけていたので、ちょっと拗ねているのだろう。
「子供二人の面倒を見るなんて、大変だよ。元気な年ごろだからねぇ」
「嘘ばっか。竜さん、家ではずっと楽しそうにしてたよ」
頬を膨らますさよと見つめ合い、しばし黙ってしまう。
「まっ、次は誘うから、今日のところは許してくれないかい?」
「ん、約束だからね」
日が沈み暗くなる外を見つめながら、私は小さくため息を吐いたのであった。
弥彦&由太郎と竜之介を会話させるのが楽しくて書きました。後は、きちんと竜之介が町に馴染んでる様子をちょっと知って欲しいなぁとかそんな感じです。
多少原作より由太郎の口調が柔らかくしてみましたが違和感ありますかね?竜之介の影響とか、関係性、感情の変化からこんな感じになるかなぁと思いました。
赤べこに一人できた方治に酔った竜之介が絡んで意気投合するような閑話も書いていたんですけど、あまりにも違和感があるため難航しています。
我儘な同僚に対する方治の愚痴とか、上司の自慢(竜之介の場合過去のですが)とかをお互いしながら、話をボカシているからお互い勘違いして終わる感じ。
二人とも、立場が同じであればとっても仲良くできそうな雰囲気があるので、妄想したいのですが、無理やりすぎる感じがしております。
数日考えていい案が思い浮かばなければ、断念してこのまま次回は斎藤編を投稿予定です。
今週は出張続きのため、次回更新は日曜日になりそうです。日曜日に一話、次の月曜日に一話がいいところかもしれません。