さよの気遣いのおかげで仕事も捗ったのだと、心の中でさよに感謝しつつ饅頭を頬張る。うん、美味い。
日は沈み始めているが、夕方というにはまだ少々早い時間。持て余した時間をどうしたものかとしばし思案した後、私は散歩に出かけることとした。
草履をひっかけ外に出る。着の身着のまま気の向くまま、目的も行く当ても無い散歩。気分はまさに流浪人といったところであろうか。家を出てとりあえず大通りへと出ると何やら少し騒がしい。
大通りに出たところで、号外が配られていることに気付いた。珍しいこともあるものだと、私は軽い気持ちで道端に落ちている号外を拾い目を見開く。
内務卿大久保利通暗殺。私が拾った号外には、大きな文字でそう書かれていたのだ。
「みなさん警視庁に集まっているようですけれど、あなたはいかなくてもいいんですか?」
振り返ると、小柄な青年が微笑みながらこちらを見つめている。突然の質問に、思わずうろたえてしまう。この男はどこの誰だろう。また、先ほどの質問は? 警視庁に集まっている? 大久保さんの暗殺の件だろうか。一度にいろいろな事が起き、思考が追い付かない。
「……ええ、私には関係のないことのようで」
なんとか絞り出した私の答えに、彼は満足そうに頷く。
「それはよかった。志々雄さんにもいい報告ができそうです」
彼は確かに、『志々雄』と言った。そうすると、彼は大久保さんや川路さんが言っていた、志々雄率いる国家転覆を狙う一派の構成員なのだろうか。
「志々雄さんにもよろしくお伝え下さい。私はあなた方と関わるつもりはありませんので」
そう返すと、青年は一瞬キョトンとした表情を見せ、次いでケタケタと小さく笑った。はて、なにかおかしなところでもあったのであろうか。
「これは失礼しました。変人とは聞いてましたが、あなたが想像以上に変わっていたので」
「私ぐらいの変人なぞ、そこらへんに掃いて捨てる程いるでしょうに」
悪びれることもなく言い訳をする彼に、少しムッとしてしまう。こう見えても、自分では平凡な人間として生きているつもりではあるのだけれど。
「それでは僕も急ぎますので、ここらへんで失礼させてもらいます」
そう言い残すと青年は、素早い動きで人ごみの中に紛れて行ってしまった。あの歩法、間違いなく武術を嗜んだ者の動きだ。外見から元服を済ませて数年程度の若さに見えたのだが、達人といっても差し支えないだけの力量と見える。血の匂いは感じなかったが、もしかすると彼が大久保さんを殺めた下手人なのかもしれない。
人ごみに紛れ要人を暗殺するような手合いには、成程。軍よりは腕の立つ剣客の方が必要なのかもしれないな。妙に納得しつつ、手元の号外に再び目を落とすのであった。
その日の夜、夕餉を終えた後に縁側で空を見上げたまま少々考え事をしていた。斎藤さんとのこと、大久保さんからの依頼と暗殺のこと、昼に会った青年のこと。全て忘れて、このままの生活を続けるにしてはあまりにもいろいろなことがありすぎた。自分の中でどう受け止めればよいのかと、空に浮かぶ半月を見つめて考える。
「夜分遅くに済まない。浜口殿、いや竜之介殿はいないか」
不意に玄関の方から、聞き覚えのある声がする。この声は剣心さんだな。
「はーい、今いきますんでちょっと待っていてください」
その場から大きな声で返事をすると、私は立ち上がり急ぎ足で玄関へと向かう。
鍵を外し玄関を開けると、剣心さんが立っていた。左之助や弥彦も一緒かも知れないと思っていたのだが、どうやら一人でいらっしゃったようだ。
「夜分遅くにすまない」
「いえ。……大久保さんの件ですね」
「ああ」
「わかりました。こんなところで立ち話もなんですので、中にお入りください」
客間に剣心さんを通し対面に座る。お互いに部屋に入ってから無言で少し気まずい。剣心さんを見つめて話を促すと、淡々と語り出した。
剣心さんが話した内容を要約すると、大久保さんを暗殺した真犯人は号外に記載されていた石川県の若い士族ではなく志々雄一派であり、志々雄をこのまま放っておけないためにこれから京へ向かうということであった。大久保さんの死になにか思うところがあったのか、剣心さんの決意は固く、今更京に行くことを止めても無駄であるように見える。
「浜口殿には拙者が京に言っている間、薫殿達のことを頼みたいでござる」
志々雄にちょっかいを出すことで、自分と関わりのある神谷さん達に危害が加わらぬよう守って欲しいと、剣心さんは京に旅立つ前に私に頼みたいそうだ。
積極的に危険な場所に飛び込む気はないが、自分や親しい人に降りかかる火の粉を払うことをためらう理由はない。剣心さんからの頼みは責任を持って引き受けようと思う。ただ、その前に……。
「そのまえに教えてくれませんか。剣心さんが何故、京に向かわれる決意をされたのか」
大久保さんから話を聞いた際には、彼はあまり京に行くことに乗り気ではなかったように思う。何が彼を心変わりさせたのか。目をまっすぐに見つめて問う。
「……多くの犠牲を払って成し得た平和な世を守りたい。大久保卿もそれを望んでいた」
「神谷さんや弥彦が悲しむようなことになるかもしれませんよ」
「それでも拙者は、行くべきだと思うでござる」
しばしお互いに見つめ合い沈黙する。耳には外で鳴く虫のジー、ジーという音だけが聴こえてくる。
「分りました。私程度の腕ではどこまでやれるかわかりませんが、
剣心さんが頷いたことを確認した私は、客間を出て居間に向かう。茶を飲みながらお喋りをしているさよとたけさんを尻目に目的の物を神棚から取ると、剣心さんがいる客間へ私は戻った。
「お待たせしてすみません。これを剣心さんに預かってもらいたくて」
元居た場所に座り、剣心さんへボロボロのお守りを差し出す。
「これは?」
「私が京に行く際に、父に渡されたお守りです。見た目はボロボロですけれど、ご利益はありました。なんせ私は無事に帰ってこれましたからね」
京に旅立ってから肌身離さず持ち歩き無事に持ち帰ることができた、私にとって大切なお守りだ。お守りの中には、父の書いた蜻蛉の絵が入っていたりする。徳川贔屓の父が、徳川十二神将の本多忠勝の愛槍『蜻蛉切』にあやかり、私に怪我をせず帰ってきて欲しいとの
「成すべきことを成されましたら、これを返しに来てください。大切なものですので確実にお願いしますよ」
「……ああ、かたじけないでござる」
私がニヤリと笑うと、剣心さんも笑顔で応じてくれた。できればこちらに戻る理由の一つにでもなればと思い渡したのであるが、さてどうなることやら。
「どうかご無事でまた戻ってきてください」
懐にお守りをしまう剣心さんに、最後の言葉をかけた。
玄関で剣心さんを見送り、暗闇に消えてゆくその背を見つめながら先ほどまでのやり取りを思い出す。
私が新選組に参加したのは幕府のためでも世のためでもなく、親しい人の力になりたいとか、少々の侍に対する憧れ。それだけの理由だった。剣心さんが維新志士として戦った理由は、きっと先ほどと同じでこの世を憂い平和な世を目指したからなのであろうなと、ふと思った。
「剣心さん、なんの用だったの?」
ふと後ろから、さよに声をかけられた。また何かに巻き込まれたのではないかと心配してくれているようだ。
「ああ、これから京に行くそうだよ。その間に道場の方をよろしくってさ」
「いまから京に? どうしてだい?」
眉をひそめるさよに苦笑してしまう。些か説明不足だったかもしれないが、まぁいいか。
「さぁ、流浪人だからね。行きたいときに行きたい場所にいくんじゃないのかな」
「ふーん、変なの」
「……ああ、そうだね。私にはとても真似できないよ」
そのとき季節外れの春一番のような強い風が吹き、私はあわてて玄関を締めた。自由で孤独な流浪人など、きっと私には耐えられないだろうと思いながら。
警視庁に剣心さん、斎藤さん、川路さんが集合しているのですが、竜之介は声をかけられていないし、大久保さんに会いに行っていないため別行動でした。
今回の件に巻き込みたくない斎藤さんにより、竜之介を警視庁に呼び出したり大久保さん暗殺の情報展開も行われていないとの設定です。
剣心が京に向かう理由について、原作と変えています。ちょっとご都合主義かもしれません。
作中のお守りは亀戸にある香取神社の『勝守』です。香取神社は、現在はスポーツのお守りで有名のようですね。
また、本田忠勝と言えば、生涯50を超える戦に参加し怪我を一つもしなかった逸話があります。作中で省きましたが、竜之介の父はそれにあやかりたかったということでございます。
次回登校日は未定ですが、目標がないとずるずるしてしまいそうなので、今月中の投稿を目指します。
次回から京都編ですが、竜之介がいないところで起きた出来事は今まで通り頻繁にスキップいたします。ですので京都編以降は原作巻数の割に話数が少ないことが見込まれます。