貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

126 / 136
第126話 悪魔

 夜は恐ろしいものだ。周りは見えず、影も見えず。ただ音だけが増長して聞こえてくる。路地裏やビルの影に、何かがいるかもしれない。足早に去っていく人もいる。それは普通の反応だ。

 

 しかし西条は違う。彼、そして彼女は物怖じせず暗闇に足を踏み入れ、微かな呼吸音も逃すまいと耳を立て、制服に隠している刀の鍔を触る。まるで恐怖とは縁遠い二人の姿は、段々と夜の街に溶け込んでいく。

 

「……まるで変わらんな」

 

 隣を歩く薊に聞こえる程度の小さな声で、西条が呟く。暗闇があれば明かりがあるように、表通りは人が多い。キャッチをする男性、くたびれたキャリアウーマン。その姿こそ変わっているものの、やっていることは何一つ変わらない。

 

「馬鹿馬鹿しい。差異を探したところで、帰還方法が解明する訳でもない。無駄骨だな」

 

「如何せん、足で稼ぐしかないんでな。頭を抱えても、なかなか答えは出ん」

 

「答え、か。時に、物事には答えがない場合もある。今回のがそれじゃないのか」

 

「思考をやめれば、そこで終わりだ。帰るためなら悪魔の証明だろうとやり遂げるぞ、俺はな」

 

 悪魔の証明をする、と西条は言う。ひとつの例えとして、世界に白いカラスがいないことを証明せよと言われれば、それは悪魔の証明と呼ばれるものとなる。あることを証明するのは、ソレを提示すれば済むことだ。しかし、ないことを証明するのは難しい。世界中にいるカラスを全て、間違うことなく、調べなくてはならないのだから。一羽の見落としも許容できない。そんなのは無理だ。

 

 けれど西条は、ソレをすると言い切った。無理難題だろうとやり遂げる。そうまでして、帰らなくてはならない。

 

 オリジンの制服のフードを外し、顔を顕にする。同じように薊も顔を出した。その顔に違いこそあれど、雰囲気は似ている。鋭い目付き、整った顔。互いに睨み合っていなければ、それは正しく美男美女のカップルだと思われてしまうだろう。薊はサラシを巻いていて、胸もなるべく抑えつけている。そのせいで背格好や体型も大差ない。

 

「……男女の性別反転。VR空間。確実にコレが解明の手口になるはずだが」

 

「こちらとしては、信憑性に欠ける話だよ。逆ならどうだ? どうせ信じないだろう」

 

「疑いの目は持つだろうな。なにせ、人智の及ばぬ規格外のバケモノを相手にしてきた。今回のも、きっとそうなのだろう。人の神経ばかりすり減らしてきおって……忌々しい」

 

 眼鏡を外し、目頭を抑えて鬱陶しそうに言う。互いに明かりから遠ざかり、暗闇の道を進んで本部への道を歩いていく。夜間の見回りはここまでだ。

 

 付近に神話生物らしき気配もない。そして、その場にいるのは頭脳の優れた二人。同一人物とはいえ、思考回路までまるっきり同じとは言えないだろう。視点が少しでも違えば、得られる情報は増える。互いに小声で、自分の中の情報をポツポツと交せ合う。

 

 お互い、異世界の人物である。経歴に差はない。親に決められた結婚相手も同じ。親に向けた敵意も、きっと同じ。隣にいるのはきっと自分の真の理解者であろうに、仲良くなろうとはお互い思えなかった。けど、有能だということだけは知っているから、利用できるだけその能力を利用する。そんな関係だった。

 

「私にとっては普通のことでも、貴様にとっては普通ではない。それはなんだ?」

 

「藪から棒に、なぞかけか。答えは貴様の性別だ」

 

「貴様、議論する気はあるのか」

 

「ある……が、残念ながら答えが定まらん」

 

「……なら、考え方を変えてみたらどうだ」

 

「それができるのなら苦労はしないんだが……考え方、か。数学的に、逆か、裏か、対偶か」

 

「……アホか。そんなもの考えるだけ無駄だ」

 

 真面目にやれ、と薊に睨みつけられる。しかし西条は至って真面目だ。帰れないかもしれないという、少しばかりの焦りもある。帰れないのは困るのだ。帰れなければ……家族に復讐することも叶わないのだから。

 

 何か。何かないのか。そう何度も考えを巡らせる。ここまで来て、何日も過ごして、性別以外は何も変化がない。何もかも同じだ。そう、何もかも。

 

(……何もかも、同じ……同じ、だと?)

 

 同じ。性別以外、まったく、何一つ変わることなく、同じ。氷兎の経歴と桜華のことは例外として、世界は全く同じだった。店の並び、道筋、人の数。そして、部屋の位置も。自分の歩く道も。

 

「……そうか、道理で。逆だ。違和感がないのが問題だ」

 

「とうとう、頭が狂ったのか?」

 

「いいや、正常だ。だからこそ気づかなかった。いつもと同じ光景だったからな。部屋を出て、外に行く道。それらは全て同じだ。俺たちがいるのは……女性棟だというのに」

 

 それは西条にとっては日常のような景色。男性棟と女性棟が分けて作られるのは普通のことだ。だからこそ、おかしい。入る場所も出る場所も同じ。西条の世界で男性棟だった場所が、女性棟になっている。

 

 仮に同じ世界なのだとしたら、本来は逆の位置に立地していなければおかしいはずだ。だというのに、同じ立地で、男性棟と女性棟が入れ替わっている。これではまるで、性別が反転したのではなく、男性と女性のパラメーターが反転したようなものではないか。

 

 思い返してみれば、本部の共用部にあるトイレは男女逆になっていた気もしてくる。本当に些細な違和感だが、それこそが致命的な見落としであったかのように、西条はその場で立ち止まって、近くの建物に背中を預けて思考に陥った。

 

「仕事は同じ。人間も同じ。男女という概念が反転。考え方……逆、裏……」

 

 薊も立ち止まり、ブツブツと独り言を呟く西条を見る。もう少し。あとそこまで出かかっている。ひと押し。そのもどかしさは彼女もよくわかる。だからこそ下手な言葉はかけられない。

 

 考えて、考えて、これではないと投げ捨てる。何度も何度も、思考を投げ捨てた。

 

「マズイもの……いや、反転して、困るもの……」

 

 思考はより深く。そして方向性は変わる。世界の差異を見つけるのではなく、西条は世界の間違いとも呼べるものを探し出そうとしていた。それも、ほぼ無意識に。考えるうちにその方向に思考が変わっていった。そして、ある疑問を口にする。

 

「仕事も人間も同じで……反転して困るもの……?」

 

 やってる人間は同じ。内容も同じ。けれど逆になることで致命的なミスが出てしまうもの。その考えに至ると、悩んで皺の寄っていた眉間が元に戻る。積年の悩みがなくなったように、一気に開放感が押し寄せてくるのを西条は感じていた。

 

「そうか……性別が逆で困るもの。確かに疑問に思えることだ」

 

「……一体どういうことだ?」

 

「口で説明しても、きっと貴様には理解出来ん。これは、こっちの世界に来たからこそ到達できる思考だ」

 

 西条がそう言い切ると、今度は薊が眉間に皺を寄せた。自分ならそうなる、と西条もわかっているので、仕方ないと心の中で割り切る。それよりも彼女に聞かなければならないことがあった。直球に、濁すことなく、彼女に問いかける。

 

「貴様にとって、風俗店とはどのようなものだ。あぁ、もちろんパチンコなどではなく……いかがわしいものだ」

 

「何をいきなり……基本的なイメージでいえば、男性が女性に奉仕したり、か……いや、待て……?」

 

「そこだ。男性が女性に奉仕するのは、ホストがある。その逆はキャバクラ。なら、それではなく……性的なサービスを提供する仕事内容だとしたら。男女が逆になれば問題が生じると思わないか。基本的に、風俗とは女性が男性に奉仕するというものだ。しかも店が同じ、業務内容もだ。デリヘルも、かなり問題になる。それがこの世界の当たり前なのか?」

 

「いや……わかる。それは、わかる。だが、なぜ……いや、変だ。どうなってる。それは当たり前なのに、なぜ変だと思う。クソッ、なんだこれは……頭がッ……」

 

 薊が頭を抑えて座り込む。それを黙って見下ろしていた西条は、別に彼女のことをどうでもいいと思っていた訳ではない。ただ、まだ考えなくてはならないことがあり、彼女にそこまで構っていられないからだ。

 

(……この世界は、本当に異世界なのか。仮に、そうではなかったとして。あぁ、俺の想像通りだとして。どうすればそんなことができる? 生きてる人間、生活習慣、街並み。ニュースや事件。それらをまったく同じで、普通に回せている。適当に作られたものではない。明らかに現実的で、しかもこの世界に来た日付は、元の世界と同じ。つまり、今は未来に生きている)

 

 段々と自分でも訳が分からなくなってきそうになり、また眼鏡を外して目頭を抑える。そして深く息を吸い、吐く。蹲っている薊は、呻き声は止まったが、そのまま座り込んでいる。その様子を鑑みても……西条は、自分の考えが間違っていないのではと思えて仕方がなかった。

 

 あぁ、でも、だとしたら。そう、間違っていなかったとしたら。

 

(過去、未来。世界、瓜二つ。そんな馬鹿げたスケールのことを、神話生物ができるのか……?)

 

 仮に、正しかったら。その仮説がまかり通ってしまうのならば。それを成し遂げる存在が、いてしまう。いることになってしまう。

 

 そこまで考えて、気づく。いないことの証明は難しい。けど……あぁ、いることを証明するのは、簡単なことだ。そう、たった一例あげるだけでいい。そのたった一例を、知っているのだから。

 

 過去も。未来も。何もかも。それは、知っている。介入することができる。下手をすれば改ざんすることもできる。できてしまう。

 

 そんなことができる存在。忌々しい、アレを。

 

(アカシックレコード……ニャルラトテップ……ッ!!)

 

 その結論に、辿り着いてしまった。

 

 過去から未来。全ての情報がそこにある。それこそがアカシックレコード。それを利用できる、ニャルラトテップ。

 

 あぁ、あぁ、なんてことだ。そんな馬鹿な。いくら取り繕っても、その結論は揺るがない。

 

「ッ……クソッ」

 

 額に手を当てて、顔を隠すようにしながら西条は崩れ落ちる。その真実に、辿り着きたくはなかった。いや、辿り着かなければならなかった。そんな矛盾した答えに、辟易とする。

 

 崩れ落ちて、顔を青くした西条を見て、薊はようやく意識が正常に戻った。彼女には彼の考えは分からない。その結論に辿り着けない。彼女は、アレを知らないから。

 

 互いに何も言わないまま、路地裏の暗闇に二人の身体がポツンッと取り残される。まるで世界から乖離してしまったように。けれどもそんな二人を現実に引き戻したのは、音だった。着信のバイブ音。薊に誰からか電話がかかってきた。

 

 傍から見れば顔が青く見える西条も、朦朧とした吐き気を覚えつつ、彼女を見る。薊は携帯を取り出すと、電話の向こうにいる相手と話し始めた。その言葉は、あまり西条の耳には残らない。今は何も考えたくはない。そんな気分だったからだ。

 

「……えぇ。いや、こちらもちょうど気になることがあった。準備が出来次第、そちらに向かう」

 

 そう言って、彼女は電話を切った。そして立ち上がり、険しい表情のまま西条に告げる。

 

「……比嘉(ひが)刑事からだ。風俗店で厄介事があったらしい。私たち向けの、な」

 

「……そうか」

 

 比嘉とは誰だ、と聞く余裕もない。その言葉に生返事をして、西条はゆっくりと立ち上がる。そして足並みをそろえることなく、本部へと歩いて帰っていった。

 

 なんとか、気を持ち直さなくては。そう考える西条の耳には……どうしてか、誰かの嘲笑(わら)い声が聞こえた気がした。本当に、すぐ隣にいて、囁くかのように。隣には、彼女しかいないのに。

 

 舌打ちをして、硬いビルの壁を殴りつけた。痛い。けれど……少しだけ、気分はマシになった気はしていた。

 

 

 

 

To be continued……




西条くんもうまそうやなほんま……()

ナイ神父に誘われて組織入った段階で、目はつけられてんだよなぁ。

さて、そろそろまた大学が始まりますね。徹夜の日々、再びです。
発狂しないように頑張ります。
日間ランキング14位になったりしていました。本当にありがとうございます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。