貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第132話 真実を考究する男

 結局風俗嬢は救うことが出来ず、風俗店はバグが続いたまま。未だに何一つ解決していない事態だったが、彼らはひとまず生還したことに安堵し、眠りについた。

 

 別段大きな怪我もなく、こちらの世界の菜沙にも小言を言われるようなこともない。別働隊が風俗店の調査を進めているので、昼過ぎになってようやく目を覚ました彼らには仕事がなかった。

 

 唯野と鈴華の部屋にいつものメンバーが集う。テーブルを囲むように座って、各々差し出された珈琲や紅茶を口につけるものの、そこに明るい話題というものはない。確かに民間人に出る大きな被害を食い止めることはできたかもしれないが……任務は失敗だ。護衛対象は死んでしまったのだから。

 

「……いささか腑に落ちない部分もあるが、俺たちにできることは現状無い。あのデカい化け蜘蛛……アトラク=ナクア、だったか。アレについてはどうなんだ、唯野」

 

「どう、と言われましても……生きて帰れて良かったとしか言いようがないです。神性に喧嘩売ること自体、蛮勇ですよ。まぁ今回は相手が良かったと言いますか……奴は自分の作業以外気にすることがない、所謂仕事中毒(ワーカーホリック)です」

 

「ワーカーホリック? あんな蜘蛛が?」

 

「ただの蜘蛛じゃないですよ。アレにもきっと知性があります。多分俺たちよりも、ずっと高度な……いや、それとも差をつけることすら烏滸がましいのか、ジャンルが違うのか。例えようがありませんね」

 

「危険性についてはどうだ」

 

「……今後も、被害者は増えるでしょう。止める手立てがありません」

 

 西条の質問に答える氷兎の顔はいいものではない。アトラク=ナクアという神性は、自分の仕事以外に興味を示すことが少ないのだ。だからこそ自分の身の回りの世話をさせるために、女性に噛み付いたりすることで変異させるのだとか。そしてその(つがい)こども(落とし子)も、そうなる運命だという。

 

 ノーデンスが言っていたように、おおくの神性は既に封印されている。このアトラク=ナクアもそうで、幽閉されている最中はずっと巣を張り巡らせることに従事していて、邪魔すれば殺されることは間違いない。

 

 これから先もずっと、奴は誰かを攫い続けるだろう。そのことを氷兎が伝えると、全員眉間にシワを寄せることになった。どうにもならない相手がいることは知ってはいても、許容できるかはまた別だ。酷く傲慢ではあるが、人間というのは自分よりも強い生物がいることを拒む。霊長類が生物の頂点であると信じていたいのだ。

 

 だからこそ……いつ攫われるのか、死ぬかも分からない存在がいるのは本能的な忌避感を抱かせる。

 

「つまりそれって……私たちにできることはないってこと? 運良くあの蜘蛛が近くで出現したら、氷兎くんが穴を閉じるくらいしかできないと」

 

「その力が私に使えたらいいんですけど……生憎、私と彼とではいろいろと異なった部分があるんでしょう。起源の能力しかり、魔術しかり、ね」

 

 こちらの世界の唯野と氷兎の性能差。それは過去の経歴のせいだというのはまちがいない。ナイアに見初められたかどうか、なんて嫌な条件だ。むしろ氷兎は目の前の彼女が羨ましい。怯える必要が無い……が、そうなると桜華を救うことができないという欠点もある。お互いないものねだりだ。

 

 依然として空気は重苦しいまま、カップの中身を啜る音が時折響く。西条同士は異性側と話そうとはしないのだが、こちらの薊は気になったことがあったのか、渋々と氷兎に質問を投げかけてくる。

 

「先程、巣を張り巡らせ続けると言ったな。何故奴はそれを行い続ける? 幽閉から解き放たれたければ、別のことをするはずだろう。自分で外界に穴を開ける事も出来るのに、一体何に駆り立てられているんだ」

 

「……それに関しては……」

 

 言葉に詰まる。氷兎はその意味を知っていた。魔導書から無理やり植え付けられた知識ではあるが、果たしてそれを伝えるべきなのか。

 

 あぁ、それはまったく碌でもない事なのだ。説明するにも難しいが、それを理解するのもまた難しい。ただ聞くだけでわかるくらい、頭のイカれた結果になるというだけ。

 

 その巣が張り続けられ、やがて『完成』したとき。何が起こるのか。

 

 それを知っていても取り乱さないのは、現実味がないからだ。実際目の当たりにしないと、きっと体はなんの変化も起こさないだろう。それほどまでに常識外れで、人智の及ばぬ領域の話だ。人間というのは、あまりにも自分の思考からかけ離れたものを知っても、それを想像するに至れない。愚ゆえに助かったというべきか、それとも来るべき破滅を想像できない愚か者と称されるべきか。

 

 いずれにしても、氷兎を突き刺すように睨みつけてくる薊から逃れる術はないだろう。それが彼ら彼女らの思考の琴線に触れないことを願いながら、なるべくわかりやすいように、端的に、簡潔に話そうと心に決める。

 

「……おそらく、それこそが奴にとっての脱出手段なんだと思います。俺たちが行ったあの場所は、現実世界ではありません。現実世界と、現夢境(ドリームランド)の狭間と言うべきでしょうか」

 

 厳密に言えば、アメリカの地下の更に地下。人では決して近づくことのできない暗黒空間。ン・カイと呼ばれる場所。そことドリームランドが繋がっているらしいが、それは説明する必要はないだろう。

 

「奴が巣を張っていた崖……厳密には深淵の穴と呼ばれる場所ですが、それこそが現実とドリームランドを分けています。つまり、まぁ……奴がそこに巣を張るということは、その繋がりを強固にするということ、らしいです」

 

「まさか完成すると、こちらと向こう側が繋がって、化け物が好き勝手に出てくるということか?」

 

「……それなら多分、まだマシなんですが……おそらくそうではありません。もっと最悪です。伝承によれば、あの巣が完成すると世界に破滅が訪れる、とか」

 

「……気は確かか?」

 

「さぁ……狂ってるのは俺なのか、それともあの化け物どもか」

 

 まぁどう考えたって手に負えない向こう側だろう。諦めにも似た境地に達しつつあった氷兎は、手元の珈琲で心を休ませる。

 

 わかりやすく端的に言ったが、世界の破滅だなんて言われても、まったくなんのことだかといった話だろう。氷兎にも何がどうなるのかまったく想像がつかない。

 

「どうも、現実と夢が完全に混ざり合うとか……いや、まったくさっぱりですね」

 

「夢が現実になるってことか? 空飛べたりとか?」

 

「アホか。現実と夢が混ざり合うということは、区別がつかなくなるということだろう。目の前に道が続いているように見えて、実はそうではなかったり、想像し難い化け物がいたり、これは現実じゃないと錯乱した人間による奇怪な行動、あるいは殺人まで起きるかもしれん」

 

「……わからん! お前の説明聞いてもさっぱりだわ!」

 

「あくまで憶測だ。当てにするな」

 

 魔導書から知識を得た氷兎ですら理解できないのだから、他の人が理解できないのも当然だ。夢の世界と繋がるなんて、まったく意味がわからない。

 

 しかし繋がった結果どうなるかといえば……現実世界に姿を現せない神話生物が出現することだろう。封印からも解き放たれ、自在に世界に姿を現す。それこそ神と呼ばれるソレも、未だどこかで眠り続ける神性も。そうなれば人間は為す術なく狂っていくしかない。

 

「今の話聞く限りだと、ここでこうして待ってるってのもねぇ……どうする西条?」

 

「……風俗店の調査を木原に申し出たらどうだ」

 

「あぁ……いや、顔だしずらいよ……。店長には説明いってるけど、親御さんも今頃大騒ぎしてるだろうし、死体のある広場も封鎖。あんまり関係者に会いたくないなぁ……」

 

 鈴華の言葉に、氷兎は苦々しく顔を歪める。殺したのは自分だからだ。それ以外に手段がなかったとしても、仮に自分が殺らずとも他の誰かに殺されていたとしても。あの穴の生活がどれほど人間性を欠如させるのかわからないが、まだその方が幸せだっただろうか。

 

「……やる事がないなら、俺たちは帰るための調査をするとしよう。ちょうど気になることもあったからな。すぐに出るぞ、二人とも」

 

「今からですか……男だけで?」

 

「俺たちの問題だからな、これは。なに、別に俺たちだけでも問題ない。武器は一応携帯しておけ。あの蜘蛛が腹いせに仕返ししに来るとも限らん」

 

 西条の言葉に頷いて、壁に立てかけてあった武器を各々手に取る。それを持ち運ぶために隠し、彼らは部屋を出ていった。

 

 部屋に残された女性陣は何をする訳でもなく、唯野と鈴華は今後のことを話し始める。

 

「………」

 

 そんな二人とは違い、薊は眉間に皺を寄せて腕を組んだまま扉を睨みつけていた。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 彼らがオリジンの制服に身を包んでやってきたのは、未だに付近に立ち入ることを禁止されている風俗店だった。真昼間から黒服を着て外を出歩くのは中々に視線が厳しいが、現場の張りつめた雰囲気に当てられてそんなことも気にならなくなる。

 

 比嘉刑事が現場を取り仕切っており、西条が声をかけると現場の立ち入りを許可してくれた。

 

 未だに風俗店はバグっていて、アナログテレビの砂嵐のようにジガジガとブレている。辺りは封鎖と監視のための警官が何名かいる程度。店の中には誰もいない。調査は一通り終わっているらしい。原因はまったく掴めなかったようだが。

 

 そんな入る気の起きない建物を前にして、翔平は頭を掻いてため息混じりに話し出す。

 

「そんで、どーすんだ? まさか中に入るのか? 出れなくなったら嫌だぞ、俺」

 

「仕方あるまい。恐らくだが……俺の推測が正しいものなら、この店の中にいるべきだ」

 

「どういうことです?」

 

「黙ってついてこい。話は中でしてやる」

 

「風俗かぁ……いやでもさぁ、なんかこう拒否感がさぁ……」

 

「黙って、ついてこい。体と離れたくはないだろう」

 

「ひぇっ……物騒だなぁお前……」

 

 先に店の中へと入っていく西条を見て、仕方ねぇ、と呟いて翔平も続いていく。氷兎も中へと入っていくと、そこは受付と待合所になっていた。ただ、壁も床も、椅子も何もかもバグったように時々白や赤、緑のピクセルのようなものに化けてしまう。

 

 そんな床を踏まないように進んでいく西条に続いて、二人も後を追う。幸いにも電気は点いているようだった。そのまま通路を進んでいくかと思いきや、他よりもバグの少ない場所で立ち止まって、西条は壁に背中を預けるように立ち止まった。同じように、二人もポケットに手を突っ込みながら背中を預ける。

 

「お前ら、この世界はなんだと思う?」

 

 腕組みをして尋ねてくる彼に対して、二人の返答は同じようなものだった。

 

「なんだって言っても、異世界だろ? パラレルワールド的なやつ」

 

「なら……これはなんだ? 俺たちの世界はこんなバグにまみれたものだったか?」

 

「神話生物の仕業じゃねぇの?」

 

「でも違和感はないんですよね……いや見た目バリバリ違和感あるんですけど、いつもの変な感じはないです。魔術でも神話生物の仕業でもないと思います」

 

「だろうな。おそらくこれは、本当に文字通り『バグ』なんだ」

 

 西条が壁のジガジガとした部分を拳で数回叩く。コンッコンッと硬い音が響いた。元の情報はあるが、テクスチャだけが変に乱れているように思える。少なくとも氷兎はそう感じていた。

 

 翔平は未だに納得していない様子だが、西条の眼鏡の奥から覗いてくる鋭い眼光に言葉を失ってしまう。そのまま彼の言葉の続きを待った。

 

「そもそも、俺たちはここに来る前どうしていた? VR訓練をしていただろう。そしてなんらかの動作不良で、ここに飛ばされた。だとしたらここは、この世界は……仮想世界なんだろう。なまじVR装置が五感を感じさせる高性能なもののせいで、気づくのに遅れてしまったがな」

 

「待て待て。ウチのVRは確かにすげぇけど、こんな大規模なのは設定上できねぇだろ。どんだけデータ処理すればいいんだよ」

 

「いいや、データならある……はずなんだが、変な箇所がひとつある。唯野、この世界のお前の経歴差だ」

 

「……まぁ確かに、俺だけはこの世界と辿った道が違いますね」

 

「その部分だけ考えなければ、仮説が通ったんだがな……」

 

「まぁ一応聞かせてくれよ。氷兎のは抜きにしてさ」

 

 元よりそのつもりだったと、西条は話を続けてくる。

 

 まずここが異世界ではなく、電子情報で作られた仮想世界であること。男子棟と女子棟の位置が逆になっていたり、トイレも男女位置が逆になっていることから、男子と女子の性別が逆になったのではなく、データ上の性別項目が反転していて、この世界ではあらゆる男女の項目が逆になっていること。

 

「そして、男女が逆になることで成り立たなくなる稼業。それが風俗だ。その致命的な不具合を修正できず、こうして『俺たちがこの世界に来た途端』バグが発生したんだ」

 

「うーん……言いたいことはわかるんだけどさぁ、やっぱ世界丸々電子情報で作るのは無理だろ。だってその通りなら外国まで作られてる上に、未来予測までしてるんだぜ? 演算機こわれる」

 

「だがデータがある。過去も未来も全て記録したデータがな」

 

「……まさか、アカシックレコードですか」

 

 告げられた言葉にハッとなる。データがいじれるのならば、氷兎の経歴も変えることはできるだろう。そして、そんな芸当が出来るやつがいるのかという問題だが……いるのだ。それが出来るバケモノを知っている。

 

 アカシックレコードを扱うことのできる、アザトースの息子。何かと彼らに事件を運んでくる、厄介者。

 

 西条はゆっくりと頷いて、その名を口にする。

 

「この事件の首謀者は、ニャルラトテップで間違いない」

 

「その通り。だーいせいかーい」

 

 通路のさらに奥から声が響く。咄嗟に臨戦体制をとって、声のする方を見据えた。

 

 誰もいなかったはずの店の中。曲がり角の暗がりから、ゆらりと揺れて彼女は現れる。まるで元からそこにいたかのように。

 

 明かりに照らされて映し出される顔は、まったく美しい(醜い)顔だ。氷兎の目には……真っ暗な黒の顔が映し出されるだけであったが。

 

 嘲笑(わら)う声が通路に響き渡る。背中にある槍を、懐に隠した銃を、腰に隠した剣を、それぞれ手に握りしめる。数ある修羅場を潜り抜けてきたが、彼らの背筋に伝う嫌な寒気は今までで最も酷いものだった。

 

 

 

 

To be continued……




『何もない』にI love youと囁かれて喰われたので初投稿です

やっぱ……公式チート西条くんを……最高やな!

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