貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第16話 未知と理解

 調査二日目。民宿で見慣れない天井を見て起床し、外の天気を確認した。外は快晴だ。嫌になるほどの暑さにうんざりするが、毎年のことだ。いや、去年よりも暑いか。なにしろ、環境問題は未だ改善されず、地球温暖化は進むばかり。年々夏の暑さはキツくなっていくのだ。

 

 未だ眠り続けている、寝癖でテンパが更に悪化している先輩を起こして、朝食を食べる。米や野菜の胡麻和え等の軽いものであったが、やはりこの集落で取れた野菜は美味しかった。

 

 そして身支度をして、加藤さんを交えて作戦会議。まぁ、やることは何ら変わりない。加藤さんは引き続き周辺探索。俺と先輩は集落内での情報収集だ。槍の入った袋を担ぎ、しっかりと水筒とタオルも持って外に出た。先輩もアタッシュケース片手に、眉をひそめながら隣を歩いている。

 

「情報収集とは言うものの、全く宛がないんだよなぁ。誰も何も喋らないし、本当に諜報員が来てないんじゃないかとすら思えてきたぞ」

 

 先輩は現状にうんざりしている様子。どうにも停滞した現状が好きじゃないようだ。まぁ、飄々とした人でもあるが、停滞を好まない人でもある。常に何かしらが発生し続けたりしないと面白くないのだろう。ゲームを好むのも、そこに理由がありそうだ。なにせ、プレイヤーが動けば動くほど物語は進むのだから。

 

「昨日の状況をふまえれば、今日情報収集をしても収穫は得られなさそうですね。何か、手がかりがあればいいんですけど」

 

「ゲームならなぁ、全員に話しかければ何かしらのヒントは得られるだろうけど、そんなこと現実じゃやってらんねぇよ」

 

「そりゃそうですよ。ゲームは何十人って数だとしても、この集落には少なくともその何倍もいるんですから」

 

 日照りが激しい。夏真っ盛りのこの季節、田舎というのは都会に比べれば涼しいのだろう。にしても暑いが。

 

 通り過ぎる人達に、話を伺いながら適当に散歩感覚で集落を歩き回る。子供が虫取り網片手に走っていくのを、半ば羨ましそうに見たりもした。本当、何も考えずに今を生きられるのなら、それはどれだけ楽なんだろう。

 

「歳をとればとるほど、子供が羨ましく思えるよ」

 

「何も考えなくても、前に進む時代ですからね。小学生までなら楽なもんです。中学生は流石に身の振り方考えますけどね」

 

「中学生なぁ……そういやぁ、氷兎の中学時代ってどんなもんだったんだ?」

 

「……いやぁ、つまらないもんですよ」

 

 何をやっても上手くなれない。何をやっても評価されない。何をやっても、俺はそこまでだった。周りが上手くなっていく中で、一人だけ残されるあの感覚は……なんとも子供心に来るものがある。今お前の心は大人かと聞かれれば、なんとも言えないが。あの頃よりは成長しているだろう。

 

 前向きな意味でも……嫌な意味でも。

 

 そんな俺の内心を知ってか知らずか……まぁ、内心なんて知る由もないわけだが、先輩は少しだけ笑って俺の話に返答した。

 

「バレーかぁ……。まぁ、置いてかれたとしても終わりまで続けたんだろ? そこまで努力したのなら、それは一種の勲章だろう。辛くてもやりきる能力って、中々ないもんだぜ?」

 

「……そんな大層なものじゃありませんよ」

 

 ただ諦めきれなかった、それだけだった。人の心を動かす原動力は、やはり目標や夢だろう。それらがなきゃ、頑張るに頑張れない。

 

 ……はて、今の俺の夢はなんだろうか。ほんの少し前までは、適当な職に就いて適当に暮らせればいいと思っていたが……今じゃそんなのんびりした暮らしはできないだろう。

 

「悲観的な奴だな、お前は。もっと前向いていこうぜ! 世界はこんなにも暑苦しいんだからな! 上向いて陽の光を浴びなきゃ、腐っちまうってもんよ」

 

「植物かなにかですか、俺は」

 

「植物だろうが人間だろうが、何も変わらんさ。今を生きて、今を楽しむ。人生はそんなもんでいい」

 

 晴れやかに笑う先輩のその言葉は、なんとも軽々しく聞こえる。けれども、先輩は本当にそれで良いと思っているのだろう。今を楽しめないなら、きっと明日も同じものだ、と。明日死ぬかもしれない俺たちだから、今日楽しむのだと。

 

 ギャンブルに金を使い切って破産しそうな考えが先輩の考えていることなのだろう。前向きなのはいい事だが、それを見習うべきではなさそうだ。まぁ、先輩はギャンブルに金を使いそうな人には見えないが。

 

「おっ、通りすがりの人発見伝! すいませーん!」

 

 笑顔は人を和ませ、緊張を解させる。そして警戒心すらも解いてしまう。先輩は自然に作られたその笑顔で通る人達に挨拶をしながら情報を集めていた。その横に俺も続いて話を伺っていく。

 

 そんな感じで、特になんの収穫もなく今日の情報収集も終わる事となった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 夕方、時刻にして六時過ぎ。先輩に花巫さんと話があると言って別れ、彼女のいる神社に向かって歩いている。夕暮れ時ではあるが、まだ遠くの空が橙色になってきた程度。夏は昼の時間が長いおかげでこの時間でも特に不自由なく行動できる。

 

「……さて、着いたわけだが……」

 

 色の褪せた鳥居の目の前まで辿り着いた。あとは、この目の前にある階段を上っていくだけなのだが……。

 

 昨日とは違い、隣に先輩はいない。そしてこの上にどんな景色が広がっているのかという高揚感もない。つまり……言ってしまえば面倒くさい。階段は横に広く、真ん中に分けるように手すりのようなものが存在する。そして老人の多い集落のためか、階段の段差が小さいのだ。むしろ若者には上りにくい。

 

 しかし、約束を破るわけにもいかない。仕方がない、と心の中で呟いて階段を上っていく。虫の鳴き声が響く中を、ただ黙々と上っていくと、箒で掃除をする音が聞こえた。どうやらまだ作業をしていたらしい。この暑い中、よくやるものだ。

 

「……..あっ」

 

 階段を上りきると、昨日と同じく紅白の巫女服に身を包んだ花巫さんが竹箒で境内を掃除していた。彼女は階段を上りきった俺を見て驚いたようで、小さな声を上げていた。そしてゆっくりと歩み寄ってきて、こんにちはっと軽く頭を下げて挨拶をしてくる。俺も軽く頭を下げて挨拶を返す。

 

「どうも、花巫さん。まだ仕事の最中でしたか」

 

「すいません……すぐ終わらせますから、待っていてください」

 

 申し訳なさそうに言う彼女に、謝るのはこちらの方だと言った。早く来すぎたのはこちらの責任だ。花巫さんが謝ることではない。そう伝えると、彼女は困ったように笑った。

 

「……手伝いましょうか?」

 

「えっ……さ、流石に悪いですよ……」

 

「いえ、見てるのもなんですから。それに、手伝った方が早く終わりそうですしね」

 

 そう言って彼女から竹箒を借りて、一緒に掃除を始めた。彼女は一度俺の心臓辺りを見たあと、嬉しそうに笑って、ありがとうと言った。

 

 ……昨日もあったが、彼女は心臓付近に何を見ているのだろうか。後で聞ければ聞いてみようか。本人の込み入った話になるかもしれないけど、ここまで露骨だとむしろ気になってしまう。

 

「ふぅ……ありがとうございます。おかげでいつもよりずっと早く終わっちゃいました!」

 

 額から垂れる汗を軽く拭いながら、彼女はお礼を言った。借りた竹箒を返し、湧き出た汗をタオルで拭いてしっかりと水分を補給する。この程度の作業はなんともない。近頃はそこそこ重量のある槍を持ち運んでいるわけだし。

 

 片付けも終わり、掃除が完全に終わった頃になると流石に空が暮れてきた。階段の付近に立つと、そこからは木で邪魔をされていない部分だけ集落が見渡せる。田圃だらけの閑散とした風景だ。

 

「……どうですか? やっぱり、都会の人からすると色々と不便ですよね」

 

 隣まで歩いて近づいてきた花巫さんはそう尋ねてきた。まだ来て二日目だが……まぁ、長くいれば恐らく不便な点も見つかるだろう。しかし、案外環境的には良い場所だ。住めば都と言う言葉があるように、住んでみたら結構いい場所だと思えるのかもしれない。

 

 もっとも、今自分達はこの集落の人達に歓迎されていないわけなんだが。

 

「夜は星が綺麗に見えますし、ゴミが散乱してたりもしない。随分といい所のように思えますね。不便か、と聞かれたらそれは不便だとしか答えられませんが」

 

「やっぱり、そうですよね。電車なんてほとんど来ないし、バスも走らないし。移動が車とか自転車なんですよね」

 

 こちらは自転車も何も持ってきていないおかげで中々に足にくる距離を歩いているが……。そんなものも慣れてしまえばなんてことはないのだろう。利便性に溢れた生活をしていると、こういった不便さに苛立つ人も増える。俺は特になんとも思わないが。

 

 そういった話をしていると流石にお互い立ちながら話すというのも疲れて来た。俺と花巫さんは神社の床に腰を下ろして話の続きをしていく。

 

「……唯野さんは、今まで生きてきてコミュニケーションをとるのに苦労したことはありますか?」

 

「苦労ですか。いや……あぁ、ありますね」

 

 ないと言おうと思ったが、この集落に来てからコミュニケーション能力について悩むことはあった。まぁ、話し合いに困ったとかではない。単純に、相手の嘘を見抜けるかどうかという話だ。

 

「……私もあるんです。ほら、私ってこんななりじゃないですか」

 

 彼女は眼帯を指差しながら、自嘲するように笑う。笑うことではないだろうと思い、俺は黙って彼女の話の続きを聞くことにした。

 

「……皆、変に思うんです。もう慣れましたけど、最初の頃はそれを指摘されるのが嫌だったんです」

 

「……それはそうでしょう。俺だって、指さされて笑われたら嫌に思いますよ」

 

 俺の言葉に、彼女は口を噤んだ。俺はただ、彼女の言葉の先を待つだけだ。俺を呼んだ理由は、きっと彼女にとって大切なことなのかもしれない。そう思わせるだけの、彼女の雰囲気の変わりようがあったのだ。昨日の明るい女の子ではない。どこか哀愁を漂わせているのが今の彼女だ。

 

 日照りは優しくなり、吹く風が夏の暑さを奪い去っていく。それでも、彼女の頬や首筋に浮かんでいる汗は止まらなかった。眼帯をつけていない方の瞳が揺れている。酷い発汗と焦点の定まらない目。具合が悪いとか、その類ではない。心的な要因だ。

 

 鞄の中から、保冷剤と共に包んでおいたタオルを取り出して彼女の頬に当てる。ひゃっ、と可愛らしい悲鳴をあげて驚いた彼女は、そのタオルを自分に渡してくれているのだとわかると、お礼を言って汗を拭き始めた。冷たいタオルが気持ち良いようで、少しだけ頬が緩んでいる。どうにか精神的に立ち直らせることができたらしい。

 

「……落ち着きましたか?」

 

「……はい。おかげさまで」

 

 未だ彼女の哀愁感は消えないが、それでもさっきの思い悩んだような状態ではなかった。幾分かマシになったのなら、俺の行動は間違っていなかったようだ。

 

 ……彼女は目線を俺に向けず、遠くの方を見たまま話し始める。

 

「……唯野さんは、話してる相手が何を考えているのか、わかりたいなって思いますか?」

 

「……思う時はありますね」

 

「やっぱり、そう思いますよね。相手が何を考えているのかわかったら、受け答えも簡単です。相手の欲しい言葉を言って、自分が欲しい情報を相手が話さなくても入手することが出来る。人生、円滑にいきそうですよね」

 

 寂しそうに笑いながら彼女は話し続けた。それが、どうにも見ていられない。見ているだけで痛々しく、悲しくなるような笑い方だ。今まで思い悩んできた、彼女の想いがそのまま浮き出たかのようだった。

 

「……でも、そんなこと、ないんですよ。わかるって、とっても苦しいことなんです。善意も、悪意も、何もかもがわかってしまう。わかりたくなくても、わかってしまうんです」

 

 彼女は着けられていた眼帯を、そっと外してこちらを見てくる。そこには、あるはずの物がなかった。瞼はある、瞳もある。が、ソレは生きていなかった。人工的な輝きを放つそれは、人生で今まで一度も見たことはなかったが……義眼、というものなのだろう。

 

「生まれた時から、片目が見えなかったようなんです。それで、義眼にして生活してきました。でも、それが嫌だったんです。鏡で見ると、左右の瞳が違う。私は、人と違う。まるで私の人としての存在を否定されたんじゃないかって、幼かった私には思えてしまったんです」

 

 眼帯を着け直して、また彼女はこちらを見ないで遠くの空を見るように顔を逸らした。

 

「私は、左目が見えないんです。けど何故か、いつからだったんでしょう……。気がついたら、見えないはずのものが見えるようになってしまったんです」

 

 自分の手を透かしてみるように、空に手を向けながら彼女は段々と小さくなる声量のまま話を続けていく。

 

「皆が何を考えているのか、細かくはわからないんです。けど、大まかにはわかってしまえたんです。人の心臓付近に、色が見えるんです。赤色、水色、桃色、黄色……それらがどんな意味を持っているのか最初はわからなかった。けど、生きているに連れてわかってしまった。敵意、悲しみ、色欲、警戒心……。それらがわかってしまってから、私は人と話すのが嫌になりました」

 

 彼女は言った。仲が良かったと思っていた友達が、笑顔のまま敵意を向けているのだと。いつも笑顔で話しかけてくれる男の子が、本当は何を考えていたのかを。周りの人達が、自分に対して色々な想いを抱いている。それらは良い事ばかりではない。むしろ……悪いことの方が多かったのだと。

 

「……けど、貴方は違った。貴方の、ここには……」

 

 そう言って彼女は恐る恐るといった様子で、まるで壊れそうなガラス製品を触るかのように俺の胸付近を触った。何度もその部分をホコリを払うかのように撫でて、そして少しだけ微笑んだ。

 

「……見えないんです。貴方の色が、『真っ黒に染まって』見えないんです。最初は、驚きました。なにせ、初めて見る色だったから。腹黒い人なのかなって、思いました。けど違った。貴方がどんな話をしても、貴方の色は変わらなかった。貴方が何を考えているのか、私にはわからなかったんです」

 

 彼女は、もう心臓付近を見るのをやめて、ゆっくりと顔を上げた。彼女の右目から、涙がゆっくりと落ちていく。しかし、その泣き顔とは逆に、彼女は嬉しそうだった。

 

「貴方が何を考えているのかわからない。それが……どうしようもなく、嬉しかったんです。わからないって、こんなにも嬉しいことだったんだって、思って……」

 

 ひっく、と彼女は泣き始めてしまった。彼女の嗚咽を止める方法を、俺は知らない。ただ指で彼女の涙を拭ってやり、ゆっくりと彼女の背中を撫でた。

 

 辛かったね、なんて言葉はかけない。俺には彼女の辛さがわからないからだ。だって、それは彼女だけにわかることだから。

 

 『わかる恐怖』と『わからない恐怖』

 

 一般人なら、未知を嫌うだろう。わからない、というのはとても恐ろしいことだから。子供がお伽噺の鬼や幽霊を怖がるように、俺達は見えないものや、わからないものを怖がる。

 

 しかし、彼女はわかってしまった。わかってしまったが故に、それがどれほど恐ろしいものだったのかを理解してしまった。理解しなければ恐れるだけのものを、理解したが故にもっと恐ろしくなってしまった。

 

 あぁ、先輩の言葉を借りる訳では無いが……。

 

 ……それでも、彼女は『生きてきた』

 

 生を終えることをしなかった。それはきっと……とても苦しくて、辛いことだっただろうに。それでも彼女は生きた。生き続けるのが、苦しくても……生き続けた。それは最早、一種の勲章だろう。

 

 日が落ちて、辺りに夜の静けさが満ちてきた。暗くなってきた神社には彼女の泣き声だけが響く。俺はただ、彼女の隣でその苦しみを理解出来なくとも、共有だけはしようと思って隣にい続けたのだ。

 

 

To be continued……


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