貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第39話 犯人は誰だ

 昼過ぎ。俺達だけで湖の探索をするので何かあったら連絡をしてほしい、と紫暮さんを丸め込んで村に残すことに成功したので、三人で湖に向かって歩いていた。

 

「………」

 

 昼間に話に上がった、変化してしまった人は『人間』なのかという話だが……俺にはどうとも言えない。だが、予想が合っているのなら、変化した人は人を殺して仲間に引き入れる。要するに、殺人だ。例え死人が出なくても、人が人を殺していることには変わりない。

 

 話のスケールを大きくすれば……変化してしまった人が、この村から出ていった場合、最悪全世界の人々が変化してしまう。一度死ぬということを経験して。皆変わってしまえば、いつも通りに戻るではないかと思うかもしれないが……とてもじゃないが俺は……。

 

 ……例えば、だ。もしも菜沙や七草さんが殺されて変化したら……俺は、殺した人を許せないだろう。なら、俺は変化してしまった人を『人間』だと許容できないのか?

 

「……あまり煮詰めるなよ、氷兎。今は難しく考えても仕方が無い」

 

「……すいません。どうも、頭から離れなくて……」

 

 どうやら気を遣わせてしまったようだ。軽く頭を降って、これからの事を考えようと思考を切り替える。気分転換に周りをぐるっと見回したが、見えるのは木ばかり。時折草がガサガサと揺れて小動物が走っていくのが見える。

 

「氷兎君見て、ウサギがいたよ!!」

 

 七草さんの見ている方向では、ウサギが黒い目をパチパチとさせながら見つめていた。草を口の中に運び、必死に動かしている。可愛らしい。少しだけその光景で癒された気がする。

 

「……流石は田舎。山に入ればそりゃ獣も多いわな」

 

 先輩は今日は銃を取り出しやすいように、羽織っている上着の下に隠していた。下手に動き回らなければ銃が見えるということもないだろう。流石にサプレッサーくらいはつけてほしいものだ。

 

「槍、取り出しといた方がいいですかね」

 

「人もいないし、いいんじゃないか? 誰も近寄らんみたいだしな」

 

 先輩の許可を経た後、袋から槍を取り出して肩に背負った。一応神話生物がいるかもしれない危険な区域だ。用心するに越したことはない。七草さんも戦闘用の靴に手袋をつけ、準備万端である。

 

 しばらく舗装されていない道を歩いていくと、ようやく湖らしきものが見えてきた。遠目からでは何があるかわからないが、少なくとも水は綺麗なままだ。槍を持つ手に少しだけ力を入れて、いつ襲いかかられてもいいように心構えをしておく。

 

「ここが件の湖だな。紫暮さんの言ってた通り、色は普通だな。周りにも特に何もなさそうか?」

 

 軽く周りを見回したが、何も無い。手入れはあまりされていなく、背の高い草が所々に生えている。腰ぐらいはありそうだ。

 

「手分けしてみるか?」

 

「やめておいた方がいいんじゃないですかね。流石に危険区域で単独行動は怖いです」

 

「氷兎君は私が一緒にいるから大丈夫だよ、ちゃんと護るから!」

 

 男としてそれはなんとなく遠慮したいものだ。軽く苦笑いをしながら、頼りにしていると答えて三人で何かないかを探し始めた。槍を両手で持って、草をかき分けるようにして進んでいく。

 

「………?」

 

 前の方に、草がなくなっている部分がある。一面草だらけなのに、そこの部分だけ丸くポッカリと穴が空いていた。何かあるのだろうか。慎重にかき分けて進んでいくと、やがて何か鼻につく臭いがしてきた。

 

 ……腐敗臭か、これは。

 

 なんとなく嫌な予感を感じつつ、その開いた部分の草をかき分けた。

 

「うぇっ……」

 

「どうした氷兎、何かあった……って、あんだよこれ……」

 

 赤い水溜りの上に、何か赤とピンクの混じったモノが置かれている。それはグチャグチャで、何と表現はできない。ただ……それは見るからに肉塊であることは確かだ。腐敗が酷く、息を深く吸ったら戻してしまいそうになる。

 

「……なに、これ……気持ち悪いっ」

 

「あまり見るなよ、七草ちゃん。氷兎、何かわからないか?」

 

「わからないかって……わかりたくもないですよ、こんなの……」

 

 少しずつ後ずさる。なんだか、蠢いているような気がしてきた。とてもじゃないが、長く見ていようとは思えない。来た道を戻ろうとしたその時だ。突然、肉塊が動き出した。

 

「……なっ!?」

 

 その肉塊はプルプルと震えた後、凄まじい勢いで俺に向かって飛びかかってきた。突然の事で身体が反応しきれていない。槍で弾こうにも、間に合わない。もう少しで身体にぶつかる、そう思った時に横から気合の入った声と共に勢いよく蹴りが飛んできた。

 

「やぁっ!!」

 

 その蹴りは見事に肉塊に命中し、赤いものを撒き散らしながら遠くにあった木にまで飛んでいって激突。弾けるように散っていった。蹴りを放った張本人である七草さんは、足についた赤色のものを見て顔を顰めた。

 

「うぇ、なんか赤いのついた……気持ち悪いよ……」

 

「なんつー反射神経だ……」

 

「ごめん、七草さん。助かったよ……」

 

 お礼を言いながら、彼女の靴や足についたモノをウェットティッシュで拭いていく。もちろん、ちゃんと捨てずに持ち帰る。何かしら得られるかもしれない。別に七草さんの足を拭いたから持ち帰るわけではない。断じて。

 

 ……しかし、先輩の言った通り本当に凄まじい反射神経だった。一番近くにいた俺が反応できず、少し後ろにいた彼女が一気に近くに来るのと同時に、その勢いであの肉塊を蹴り飛ばしたのだから、威力も凄まじいことになっていた。哀れ、肉塊は爆発四散。近づいて確認しようと思えない。

 

「……なんだったんだ、今の。あのグチャグチャしたの動いたよな? ホラゲーかよ……」

 

「魔術的なものでしょうか……犯人がやった実験の残りとか?」

 

「訳が分からん。というか、そろそろ俺の常識的なものが削れてきてやばい。モウナニモカンガエタクナイ」

 

 先輩の目が少しだけ暗くなった気がした。流石に気が滅入るだろう。俺もそうだ。だというのに、七草さんは相変わらず明るいままだ。今はその度胸が羨ましい。

 

 まぁ、流石に確認しないわけには行かない。さっきよりも念入りに警戒しつつ、先程肉塊が四散したところまで近づいていく。先輩も片手で銃を構えながら、周りを警戒していた。アレと同じものが他にもないとは限らない。

 

「……物の見事にぶちまけてますね。これじゃ何もわかりませんよ」

 

「ちょっと槍でツンツンしてみろ」

 

「嫌です」

 

 肉塊だったものは、最早なんなのかわからないゲル状の何かに変貌してしまった。動く兆しは見えない。コレをこのまま放置しておくのも流石にまずい気がしてきた。先輩にビニール袋を渡して、水を汲んできてもらい、その間に俺は槍の穂先で元肉塊の周りの草を適当に刈り取った。そして鞄の中からオイルライターを取り出して中身をぶちまけ、マッチに火を点けて投げ込んだ。

 

「……嫌な臭いだ」

 

 煙と共に嫌な臭いが立ち込める。幸いにも湖の近くだったおかげで土壌の水分が多く、周りの木や草に燃え移ることは無かった。アレが燃え尽きたことを確認すると、先輩がビニール袋の水をぶちまけた。ジュッと音がして火は完全に鎮火した。後には炭のようなものが少し残っているだけだった。

 

「……なんにも、わからなかったですね」

 

「来て損だったってことはない。きっと、コレは犯人が残したものなんだろうな。魔術的なものだったってことも確認できた」

 

 先輩は顎に手を添えながら、考える素振りをしつつ周りを見回した。他になにか怪しそうな場所はない。

 

「……湖、か。これが沼だったとしたら、完全にアレだな」

 

「何か引っかかることでも?」

 

「氷兎は、沼男(スワンプマン)って知ってるか?」

 

「……少しは。アレって心理学でしたっけ」

 

「心理学というより、哲学か。誰だかは忘れたが、人間のアイデンティティーについての問題だったはずだ」

 

 先輩の言葉に、少しだけ昔の記憶を掘り起こした。確か……ドナルド・デイヴィッドソン、じゃなかったか。同一性やアイデンティティーに関する問題として、『私とはなにか』ということを考える思考実験だったはずだ。

 

「沼の近くで男は休んでいた。突然雷が落ちて男は死んでしまう。すぐさま二つ目の雷が、今度は沼に落ちた。雷のせいで沼が変異し、男の遺伝子情報などを丸々コピーし、男と原子レベルで瓜二つの存在を創り出した。創り出された男はそのまま男の記憶を引き継ぎ、社会に溶け込んでいく。果たしてその男は本人なのか、別人なのか……って話でしたよね」

 

「大体そんな感じだ。今回の任務……これに酷似していないか?」

 

「酷似しているとは思えませんが……似ている節はありますね」

 

「……ここからは、俺の予想なんだがいいか?」

 

 先輩が今回は何か閃いたようだった。先輩の言葉の先を待つように、俺と七草さんはじっと先輩を見つめる。やがて言葉が纏まったのか、先輩は口を開いて予想したことを話し始めた。

 

「子供が一人、湖の側で発見された話があったな。もし、その時その男の子がさっき話した沼男になったと仮定すると……どうなる?」

 

「……雷が落ちたという話はありませんよ」

 

「馬鹿言え。雷で湖は変化しねぇよ……いや知らんけど。まぁともかく……男の子は、ここで犯人に会ったんだ。犯人は何かしらの魔術を使って怪しい実験を行っていた。それに男の子は使われてしまった。その男の子の成れの果てが……」

 

「……あの肉塊ってことですか? いや、そんな馬鹿な話が……」

 

 ……完全には否定出来なかった。俺達の常識は通用しないのだ。魔術も奇跡もある。バケモノもいる。俺達の日常は最早日常にはなり得ない。俺達が過ごしているのは、どうしようもない非日常だ。常識では戦えない。非常識でなくては歯が立たない。

 

 先輩のその予想を否定する言葉は、これ以上続かなかった。

 

「男の子は村に戻って仲間を増やした。何のために? それはまだわからない。もしかすると、実験は失敗だったのかもしれない。あの肉塊の腐敗の状況的に、数週間は経過している。そして……その数週間の内に、もっとも怪しい人物が訪れていた。何の為にここに来たのかも話さず、何の調査のためにここに来たのかもわからず、ただ訪れて暫くして立ち去った人物がいるはずだ。お前ならわかるだろ、氷兎」

 

 ……ここ数週間で訪れて。何の理由もなく、何の調査なのかも分からず。『起源』のようなものが使える人物。

 

「……紫暮さん?」

 

「いや違うな。もう一度良く考えろ。それに、紫暮さんは被害者だ」

 

 先輩は首を振って俺の言葉を否定した。もう一度、頭の中にある情報を掘り返す。そもそも、村の人ではないのなら外の人だ。外から来たのは、紫暮さんと俺達オリジンメンバー。その他には……

 

『一ヶ月程前にはひとりの学者さんが泊まっていましたが……おそらく関係はないと思います』

 

 ……まさか。

 

「ひと月前に訪れた、学者?」

 

 俺のその答えに、先輩はニヤリと笑って正解だ、と答えた。確かに、こんな山奥に学者が一人で訪れる理由もない。家族がここにいるという訳でもない。何の理由できたのか、何の調査できたのかもわからない、最も怪しい人物。だが、その人は……

 

「そうだ。学者は一ヶ月も前にここを発っている。その学者を犯人だと仮定する場合……実験は失敗だった。だからここから出ていった。巻き込まれないように、な」

 

「っ……なんてことを……!!」

 

 頭を抑えて、浮かんできた学者像の人物に向かって悪態をついた。その学者を捕まえることが出来ればいいが、どこにいるのかも分からない。最悪、この事態の収拾方法を知らない可能性がある。でなければこんな危険なものを野放しにはしないだろう。

 

「民宿に戻って学者が泊まっていた部屋とかを調べるぞ。何か残ってるかもしれん。時間は少ない、急ぐぞ!」

 

「了解です!」

 

「あ、はいっ!!」

 

 三人で湖から離れ、民宿へと走って向かうことにした。

 

 ……俺達に、この事態を穏便に終わらせることが出来るのだろうか。不安が心の奥底で渦を巻いて主張していた。

 

 本当にこの予測は合っているのだろうか。いや、合っていても合っていなくても、今の俺達にはこうする他道はなかったのだ。

 

 

 

 

To be continued……


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