貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第四章 愛とは何か、恋とは何か
第47話 僕という個人


 愛とは何か、君は説明出来る?

 

 胸の高鳴り? 相手を想う心? 相手に貢いだ時間とお金?

 

 正解なんてないのかもしれないね。けど、君はそれでいいのかい? 君は証明できないことは嫌いだったはずだ。

 

 さぁ、証明してみてよ。『愛』とは一体なんなんだい?

 

 

 

───────────────────

 

 

 

 誰かは言った。初恋は実らないものなのだと。また別の人は言った。幼馴染との恋は実らぬものなのだと。それを踏まえると、幼馴染に初恋をしたのなら実らないのは絶対とでも言えるのではないだろうか。

 

「………」

 

 鏡を見て、自分の風貌に嫌気が差した。整わない顔立ち、少しボサっとした髪の毛、薄らと出来た隈。とてもじゃないが格好いいとは言えない。久々に仕事が終わり、生まれ育った場所へ帰ってきたと思ったら、羽を休めるどころかむしろ要らない心労まで増えてしまった。

 

「………?」

 

 鏡を見て憂鬱な気分に浸っていると、誰かが玄関のチャイムを押した。今日は特に届けてもらうものもない。まさか編集長がここまでやってきたのだろうか。流石にないとは思いつつも、僕は玄関の扉を開けて誰が来たのかを見た。

 

 ……それから起きた事は、まるで本の世界のようだった。ホラーか、ライトノベルか、いずれにしろ自分の好みにあったものでは無かったが……あぁ、それでも、この出来事は僕にとって重要なもので、全てを文字に表せば仕事がひとつ終わってしまうくらい濃い物語だったのだ。

 

 

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

 

 

「いや、すいません本当に……。まさか宿が取れないとは思えなくてですね……」

 

「気にしなくても大丈夫ですよ。この家にいるのは僕だけですし、部屋も空いていますから。この時期に宿が満室になるというのも中々珍しいものですけどね」

 

 机を挟んで向かい側に座っている落ち着いた雰囲気の男の子は、深々と頭を下げてきた。年下に頭を下げられても……いや、誰にでも頭を下げられても僕は恐縮してしまうだけだ。僕にそんな敬意を払う必要は無いのだ。大それた人物な訳では無いのだから。

 

「有難い話ですが、本当にいいんですか? こんな素性もわからない連中を家に泊めても」

 

「この家には何も無いからね。盗られて困るものもないんだ。それに、困ってる時はさ……なるべく助け合いたいものだからね」

 

 僕よりもボサッとした髪型の男の子が申し訳なさそうに言ってくる。別に、僕はなんとも思っていない。事実僕は色々な人に助けられて生きてきたのだから。仕事だってそう。日常生活だってそう。だから僕も同じようにするだけだ。困ってる人がいるのなら、少しでも手を差し出そうと思っている。

 

 僕の家に彼らが寝泊まりすることが決まると、華の髪飾りをつけた女の子が両手を上げて嬉しそうに笑いながらはしゃぎ始めた。

 

「やったぁ!! これでお風呂に入れる!!」

 

「藪雨、頼むから黙っててくれ……」

 

「常識を知れ。七草ちゃんを見習って行儀良くして口を開かないようにしろ」

 

「先輩、こいつにゃ無理です。バカは死なんと治らんし、七草さんのような美少女にはなれません。微妙な少女、略して微少女にしかなれません」

 

「歳いってそうな呼び方しないでくれます!?」

 

「美少女……えへへ」

 

 席に座っている彼らは楽しそうに笑っていた。各々の自己紹介を纏めると、年長者である鈴華さん、その後輩の唯野さん。その更に後輩の藪雨さんに、仕事仲間だという七草さん。彼らはここでの生活を体験し、不便な点や利便性を確かめて報告するという土地開発の仕事をしているらしい。僕は詳しくは知らないけど。

 

 そして、皆僕から見れば顔が整っていて羨ましかった。特に鈴華さん。僕よりもボサッとした髪型なのに顔がいいから、本当に羨ましい。

 

「自己紹介が遅れたね。僕の名前は林田(はやしだ) 扶持(ふじ)。しがない小説家だよ」

 

「林田 扶持って……まさか、『僕は愛を作れない』の作者さんですか!?」

 

「あぁ、うん……そうだけど……」

 

 唯野さんが少しだけ目を煌めかせて詰め寄ってきた。まさかこんなに若い読者がいるとは思わなかった。年齢層的にもう少し社会人的な人達が読むと思っていたけど……。今の子達はこんな小説でも読むのか。ラノベにしか興味がないと思っていた自分を少しだけ諌めた。

 

 彼は物語の内容を話し、どこが良かったとか、どこの描写で心を打たれた、なんて事細かに説明してくれた。

 

 ……どうにも恥ずかしい。自分の作った作品を、こうも褒めたり色々言われたりすると、歯痒さで口元が歪んでしまいそうだった。年上の威厳として、なるべく醜態を晒したくなかったので堪えたが。

 

「読んでいて心臓が高鳴る作品でした。けど……最後、やっぱり幼馴染と結ばれないっていうのが心に来ましたね。主人公は、愛を理解出来なければ愛を伝えられないだろうとやめてしまったのが……。最初からハッピーエンドは書こうと思っていなかったんですか?」

 

「……いや、ね。そもそも僕にはハッピーエンドが書けないんだ」

 

 彼は首を傾げて、ハッピーエンドが書けないって……と呟いていた。唐突に言われても何もわからないだろう。何しろ、これは元は誰かに読んでもらうための作品ではなかったのだから。偶然が重なって作品となったものだった。僕は珈琲で喉を潤し、その苦さで心を落ち着かせながら話を続けた。

 

「あの作品、途中までは僕の人生を綴った日記のようなものなんだ。だから、ハッピーエンドは書けなかった。自分の幸せを想像するなんてのは、それはもう苦痛に感じてしまうんだ。どうせそうは上手くいかないものだろうってね。考えたことない? 例えば、不良に絡まれた女の子を助けて目出度く結ばれるだとか。けど考えて妄想したはいいものの、実際目の当たりにすると身体は動かないだろう? そういうものだよ」

 

「難しくてよくわかんないですけど、私も暇な時にその本読んだんですよ。人生を綴ったってことは、もしかして林田さんって幼馴染がいて、恋心を抱いちゃってる感じですか?」

 

「お前はそういった話に首を突っ込むなって……」

 

「ははっ、まぁ本当のことだからねぇ……。うん、話してしまった僕が悪いさ」

 

 うちのバカがすいません、と頭を下げてくる男の子二人に対して僕は、気にしていないからいいよと伝えた。流石に気にもなるだろう。仕方がないことだ。僕も逆の立場なら疑問に思うさ。それを口にするかはわからないけど。

 

 鈴華さんが肘でツンツンと唯野さんを突っついた。話を聞いてみたらどうだ、と話していた。何の話かを聞いてみると、鈴華さんは少しだけ笑いながら話し始めた。

 

「いやぁ、こいつも幼馴染がいましてね。さっさとくっつけと思うくらいに仲が良くて……」

 

「ちょ、勝手に言わないでくださいよ。しかも、俺は菜沙とはそんなんじゃないって何度も言ってるじゃないですか」

 

 ……不思議な子だ。唯野さんを見ていてそう思った。唯野さんが言ったセリフは、基本的に男の子が使う言い逃れや言い訳のセリフに近いものだ。そういった場合、恥ずかしそうにしたりするもんだけど、彼に限っては一切それがない。なら、本当になんとも思っていないのかと言うとそういう訳でもない。何かしら強い感情を、無意識のうちに抱いている。僕は彼の慌てなさから、そんなことを感じ取った。

 

 簡単に言うのならば、無意識に刷り込まれたものだろうか。幼馴染とは昔からずっと関わりのある人物のことだ。様々な影響を受けやすい子供の時に、自己が確立していない段階で刷り込まれたものは、そのまま変わらずに成長してしまうと自己として確立されてしまう。アイデンティティーと言うものだ。恐らく、彼はその類いなのかもしれない。

 

「なるほどね……。人生の先輩として、言うことがあるとするならば……後悔はないようにね。あの時こうしておけば、なんていくらでも考えられる。なら、あとに引きずらないように伝えてしまうというのも一つの手だ。僕には……とても出来ないけどね」

 

「気持ちを、伝える……」

 

 あまり話さなかった七草さんが、思案顔のまま少しだけ俯いて、ポツポツ呟いたあとに僕に顔を向けて聞いてきた。

 

「『好き』って、どんな感情なんでしょうか」

 

 言葉に詰まった。彼女も一人の女性であるからには、そういった感情を得てしまうのも仕方の無い事だ。だがしかし、それを言葉や文字に表すというのは不可能だ。なにせ、僕にはそれが出来ないのだから。

 

「……難しい話だね。僕には説明はできないけど……考える限り、『好き』というものは様々な種類がある。それこそ、十人十色だ。人それぞれにとって違うものだ。一般的な考えで言うと……相手を思う気持ちが強い状態の事じゃないかな。もしくは、独占欲が強くなった状態とも言える。自分を見てほしい。自分を特別なものとして他者とは違った扱いをしてほしい。……もしかしたら、『好き』というのは自分に存在意義を持たせるために作られたものなのかもしれないね。誰だって、自分は他人とは違った特別なものなんだと思いたいものがある。それは、自分の存在を自分自身で持つために必要なことだと思うんだ」

 

「え、えぇっと……?」

 

 七草さんは首を傾げてしまった。しまったな。どうやら分かりにくかったらしい。どうにもいけないな。自分の小説を面と向かって褒められたせいか、口が回ってしまっているらしい。少し気分を落ち着かせた方がいい。僕は本来こんなに話すような人ではないのだから。

 

「流石と言いますか、考え方がまた深いと言いますか。作っている小説が、『愛』とは何かを考えるものだったので林田さんも色々と考えているんですね」

 

「……まぁ、小説家なんてそんなものだよ。妄想を文字に書き表す。自分の世界を文字として作って、他者を引き込まなければ小説にはなりえない。読む人がいなければ、それは唯の落書きに過ぎないからね」

 

「恋愛小説は好きですけど、バトル物って好きじゃないんですよね~。ラノベとかモロそうです。だって女の子があんなに沢山出てきて一人の男の子に寄ってたかるとか、ありえないじゃないですかぁ」

 

 辟易とした感じで、藪雨さんは言った。確かにライトノベルだとそういった傾向がある。主人公は特別で、周りはその主人公を主軸に回っていく。女の子は助け、男の子とは友情を深めたり。多少は変なことをしても、主人公だからと見逃される世界。それは現実ではない。僕は彼女に対して思っていることを話そうと、口を開いた。

 

「確かにね。ライトノベルは、僕が思うに作者の欲望より産まれた……いいや、違うな。小説とは元より誰かの欲望から産まれたものだ。考えたことを伝えるため。自分では出来ないことを小説の主人公に当てはめて欲望を晴らすため。単にお金が欲しいため。有名になりたいため。そうやって、薄汚れた感情の果てに作られたのが、小説というものだ。少なくとも……僕の作品は、そうだね」

 

「けど、林田さんって結ばれるエンドを書かなかったんですよね? それって言ってることと違くないですか?」

 

「……自分自身で嫌になったんだよ。そんな事実に気がついてしまったから」

 

「お前は口を慎め、本当に」

 

「ハハ、気にしなくてもいいとも。僕としては君達みたいな子が読んでくれたことが嬉しいからね。作者にとって、作品を読んでもらって得られた情報や疑問を、言葉や文字として送られるというのはとても光栄で嬉しいものなんだ」

 

「何かを作る人ならではの感性でしょうね。作ったからには褒められたい、というのは恐らく子供も思うことでしょう。図工の時間に作った作品で親に褒められれば、嬉しいでしょうしね」

 

 藪雨さんの頭を軽く小突いていた唯野さんはそう返してきた。作品を作る人というのは、そういうものだ。作ったからには褒められたいと思うのは、悪くはないだろう。それは自信に繋がり、やがて技術にも反映される。結局は、小説を書くのに必要なのは技術じゃない。想いと自信、そして時間なのだから。

 

 そうして自分達の身の上話等をしながら時間を過ごしていると、外が暗くなってきていた。そろそろ夕飯の時間だろう。支度をしようと思ったが、人数が多いので食材が足りないかもしれない。作るのも面倒だ。外にでも食べに行こうかと提案したところ、唯野さんが外に停めてあった車からスーパーの袋を沢山運んできて、少しだけ得意気に笑った。

 

「泊めてもらうのに何もしないのはあれですから。料理は自分が作りますよ」

 

「えっ、せんぱい料理出来たんですか!?」

 

「当たり前だ、お前みたいなのと一緒にするんじゃない。そんじょそこらの男とは違うのだよ」

 

「安心してください、コイツの飯本当に美味いですから。いつも食わせてもらってるんですけどね、飽きないしレパートリーも多いしで、本当凄いんすよ」

 

 鈴華さんのその言葉に、それほどでも……と照れくさそうに頭を掻きながら笑った唯野さん。彼らは本当に仲が良いらしい。

 

 羨ましいものだ。これで仕事を一緒にこなしているというのだから、尚そうだ。残念だが、仕事でプライベートを過ごすほど仲の良い人はいない。むしろ、仕事仲間の人とプライベートを多く過ごす人は中々少ないんじゃないか。しかも男女で。歳が近いというのもあるのだろうけど、彼らは特に壁を作ることなく笑い合っている。

 

「えー、本当ですかぁ? 確かに珈琲は美味しかったですけど、料理まで出来るとかありえないですよ絶対」

 

 ……彼女を除けば、かな。なんとなく彼女はまだ壁があるように感じる。けど、それも些細なことだろう。僕が何か言うべきというわけでもない。むしろ、これは彼らの間で何とかしなければならないものだろう。

 

「………?」

 

 ポケットの中に突っ込んでいた携帯が震えた。どうやらメールが届いたらしい。彼らにその事を伝え、携帯を開いて届いたメールを見た。

 

「………」

 

 途端に、胸が締め付けられた。ただその名前が表示されていただけなのに。会社の人や仕事関係の人達の名前が連なる中、一番上に表示されていた名前。

 

 当たり前な物なのだと思っていた人。生きる活力をくれた人。僕という個人を形成するにあたって、大部分を占めていた人。そして……あの日から、連絡を取りたくなくなった人。

 

 忘れたかった。だから連絡もせずに帰ってきたのに。誰かお節介な人が僕が帰ってきたことを伝えたんだろう。嬉しさのせいか、はたまた困惑のせいかはわからないけど、その感情のせいで少しだけ震える手をゆっくりと動かして、その届いたメールの中身を見た。

 

 そこには慣れ親しんだ者同士の飾らない短絡的な文章が書かれていた。

 

『おかえり。帰ってきたんだって? 何か言ってくれればよかったのに。明日暇でしょ。そっちに行くから』

 

 ……懐かしい。けど、それでいて怖い。会いたくないと言えば嘘になる。けど、君はもう誰かの特別な人だ。僕が君の隣にいていい時間は、きっと終わってしまったのだ。

 

 だから……来なくてもいい。そう文字を打とうとしたのに、指は意思に反して別の文字を入力していく。飾らないまま、何の感情も抱いていませんよ、と思わせるような。まるで自分に言い聞かせているみたいな感じがした。

 

『ただいま。勝手に暇と決めつけないでほしい。朝は眠いから、昼からなら良いよ』

 

 当たり障りのない文章が羅列している。少しだけ迷って、僕は送信の文字を押した。最早取り消しはできない。どうせ彼女のことだ。昼に来いと言っても、早くに来ることだろう。

 

 心のどこかで、歓喜している自分がいた。それを押さえつけるように、僕は唯野さんが作ってくれたご飯を口の中に運んでいく。味は美味しかった。きっと料理としての質で言えば、彼女の料理よりも美味しいはずだ。

 

 けど……それでも、僕は君の料理の方が美味しいと感じる。変だろうか。味だけならきっと彼の方が上なのに。『好き』とはこういうことなのだろうか。

 

 わからない。わかりたい。けどわかりたくない。

 

 わかってしまったら、きっと僕はここには二度と帰って来れないような気がしたから。

 

 

 

To be continued……


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