貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第48話 心の中に溜まるモノ

 夜ご飯を終えて、それぞれが風呂に入ったあと僕は空いている部屋に女の子二人が寝る分の布団を敷いた。残っている鈴華さんと唯野さんはソファで寝させてもらえればいい、と言って二人で座り込んでいた。僕は一応毛布を彼らに渡すと、自室へと向かって行った。

 

 廊下を歩いていると、ギシギシと音が鳴った。流石に古くなってきている。掃除も録にしていないので尚更だ。一応、掃除だけはしてほしいと業者に頼んでおいたが、隅々まで掃除が行き届いていないように思える。まぁ、そんなに頻繁に帰ってくる訳でもない。僕は寝泊まりできるのなら、さほどそういったのは気にならない(たち)だ。

 

「……特に何も、変わってないな」

 

 自室の扉を開けると、昼間に見た時と何も変わっていない部屋の風景が目に飛び込んできた。当たり前だ。誰もこの部屋に入っていないのだから。しかし、昔は時折部屋が荒れることがあった。まるで嵐のように近寄っては遠ざかっていった人がいたからだ。

 

 普段仕事をする机も置いてあった。机には何冊か、昔書いた小説が隠すように置かれている。手に取られた形跡はない。その事実に少しだけ安堵し、ホッと胸を撫で下ろした。

 

 ふと、外を見た。窓に映っていたのは雲の合間に見える月だ。ほとんど満月のような月が煌々と輝いている。こんな夜は……なんとなく、昔を思い出す。天気の良い夜には、よく彼女が遊びに来ていた。

 

 今も尚響いている窓の音のように、コンッコンッと……。いや、この音はどうやら幻聴じゃない。本当に誰かが窓を叩いているようだ。やれやれ、といったように僕は立ち上がって窓の鍵を開ける。すると、懐かしい声と共に胸が締め付けられるような感覚があった。

 

「……よっ。あまりに暇だったから来ちまった」

 

 男勝りな話し方と共に、ひょこっと彼女は顔を出してきた。昔は本当に男の子みたいな格好だったが、今目の前にいる彼女はそうではない。髪の毛を伸ばし、可愛らしい洋服を着た変わり果てた幼馴染の姿がそこにはあった。

 

 あまりに変わっていたから、一瞬誰とわからずに唖然としてしまった。それを悟られないように、僕は努めて冷静に口を開く。

 

「……明日の昼頃に来るんじゃなかったのか?」

 

「言っただろ、暇だったって。上がらせてもらっていい?」

 

「どうぞ。言っても聞かないだろうしね」

 

 彼女はニヒヒっとイタズラっ子のように笑って窓から家の中に入ってきた。勿論、靴はちゃんと脱いでいる。僕は彼女が家の中に入りきると、窓を閉めた。その窓ガラスには、複雑そうな顔をしている僕が映っている。

 

「変わってないな~。もうちょっと男前になってるかと思った」

 

「お前は……変わったな。随分と女らしくなった」

 

「だろ? ちょっとまだ足元スースーすんのが気になるけど、結構似合ってるだろ? アイツも可愛いって褒めてくれるんだぜ」

 

 アイツ、と彼女は言った。その瞬間に胸がギュッと締め付けられるように苦しくなった。彼女が変わったのは、そのアイツのせい。それを喜ぶべきはずなのに……どうしても、僕はそれを手放しで喜ぶことは出来なかった。

 

 彼女は僕のベッドに座り込むと、部屋の中をグルグルと見回した。特に飾り気のない僕の部屋は、見て回っても何の面白味もない。無論、彼女の部屋もそうだった。僕の部屋と大差はなかったはずだ。そんな昔を思い出しながら、僕もベッドの隅に座り込んだ。

 

「相変わらず殺風景だな。もうちょっと飾ってみたら? 近くにデパートが出来てさ、品揃えもそこそこ良かったんだ。良かったら見に行ってやろうか? やっぱ男の子だし、もうちょっと黒とか青とか増やせばいいと思うんだ」

 

「……別にいいさ。どうせこの部屋もまた使わなくなる」

 

 そう言うと、彼女は眉をひそめて不機嫌そうな顔つきになった。少しだけたじろぐ。彼女は可愛らしいが、怒ると怖い。彼女の不機嫌な時の顔と態度は、田舎特有の不良でさえも怯えるくらいだ。

 

 彼女は人差し指でトンットンッと膝を突っつきながら不満そうな声で言ってきた。

 

「私まだ許してないからな。お前勝手にいなくなりやがって。帰ってきたと思ったら、また向こうに戻るのか? もうちょっとゆっくりしていけよ。お前がいない間に、結構変わったところあるんだぜ? あっ、でも扶持が気に入ってた喫茶店は潰れちまったな……」

 

 不満顔から、少し落ち込んだ顔に。彼女は話している時ころころと表情が変わる。その変化を眺めながら、僕は彼女の話に相槌を返していた。ふーん、とか、へー、とか。そんな適当な返事でも、彼女は満足しているようだ。しばらく会うことがなかったせいか、彼女の話は止まることを知らない。次々と湧いて出てくる話に、ふつふつと心の奥底で気持ち悪いものが溜まっていく。

 

「そういえばアイツさぁ、いつもはちゃん付けなのに、急に呼び捨てしてきて、ドキッとしちゃってさ。手慣れてるのかな? こう、女の子の扱いっていうの?」

 

「……そっか」

 

 気持ち悪い。できることならば吐いてしまいたい。けど、それはダメだ。彼女の文句を言う、あの幸せそうな顔と来たら……とてもじゃないが、この反吐の塊より汚いものを言葉にすることなんてできない。

 

『好きって、どんな感情なんでしょうか……?』

 

 ふと、昼間に聞かれたあの女の子の言葉が蘇ってくる。好きとは……男女間における恋と同義ではないか。であるならば、恋とは……こういうことなのだろうか。こんな薄汚いものが、恋? ドブ川よりも見た目も臭いも酷いものが、好きだという感情だと?

 

 そんなことは無いはずだ。僕は心の中に浮き上がってくる様々な言葉を消し去るように、浅く溜め息をついた。これは恋じゃない。これは嫉妬だ。そうだ、これは醜い嫉妬なのだ。以前からずっと一緒だった彼女が、誰か別の人と一緒になってしまったという、至って普通の感情のはずだ。

 

 こんなに汚いものを、僕は恋だと認めたくない。

 

「扶持……?」

 

 彼女の声にハッとなる。俯いていた顔を上げると、すぐ近くに彼女の顔があった。彼女の呼吸が明確なまでにわかる距離。少しでも顔を前に動かせば、衝突してしまいそうな距離。

 

 今まで心の奥底で燻っていた汚いものが、一気に崩れ去っていった。代わりに、心拍数が普段の何倍にも上がっていった。

 

「どうかした? あ、もしかして眠い?」

 

 僕が気がついたのを確認した彼女はそっと元の位置に戻っていった。その動きや仕草が、彼女が女性であることを彷彿とさせるものだった。昔はもっと荒っぽかった彼女が、ここまで変化してしまった。最早、別人みたいだ。

 

「……そうだね、疲れてるみたいだ」

 

 嘘だ。目なんて冴え渡っているし、身体に疲労は溜まっていない。けど、僕がこうして彼女と二人でいるのは、どうしてもはばかられた。

 

「そっか。じゃあ私帰るよ。また明日来る。アイツ、仕事だって言ってたし」

 

 そう言って彼女はまた窓に向かって歩いていく。窓を開けて、よっと掛け声を出してから窓枠に座り込む。

 

 まだ話していたい気もする。けど、話していてはいけない気もする。嫌な板挟みだ。彼女のことを想うのなら、僕はこうしていてはいけないはずなのに。

 

「……紗奈(さな)、もう僕のところに遊びに来るのはやめなよ」

 

「えっ……?」

 

 僕の言葉にハッとなって彼女は顔を上げた。そんなことを言われるだなんて思ってもいなかったというような顔だ。

 

 落ち着かせるように、早まらないように。ズボンの上から自分の足をつねる。その痛みで自分の決意を揺るがせないようにして、僕は彼女に言った。

 

「こういうの、ダメだと思うんだ。君は付き合ってる彼がいる。僕は、もし彼女が出来たなら、知らないところで男と二人っきりになってるなんて嫌だと思う。きっと、彼もそう思ってるよ」

 

 言えた。言い切った。先程よりもドクドクと速く波打つ心臓に、うるさいと訴えながら彼女の言葉を待つ。彼女は、少しだけ俯いて悲しそうな顔をした。けどすぐに顔を上げて、女の子らしく、可愛らしく微笑んだ。

 

「そっか。そうだよね。うん……わかった」

 

 彼女は窓枠から外に出て、靴を履いてから僕に向き直った。外は暗く、部屋から零れた明かりでしか彼女の顔はわからないが、それでも彼女がきっと笑っているんだろうということくらいはわかった。

 

「ねぇ、聞きたいことがあったんだけどさ」

 

 彼女の言葉に僕は口を閉ざしたまま、次の言葉を待った。数秒だろうか、数十秒だろうか。沈黙の間が流れ、外で鳴いている虫の音色だけが僕と彼女の間に響いていた。

 

 そして、ようやく彼女は口を開いた。聞き間違えでなければ、それはすこし潤んだ声だったようにも思える。

 

「私と扶持って、幼馴染で、親友だよね?」

 

 いつもの彼女の声よりも小さなその言葉は、静かな夜だったからしっかりと聞こえてきた。何を迷うことがある。何を不安に思うことがある。そう、僕と彼女は幼馴染だ。互いに互いを思うようで、けど素の自分で接することの出来る数少ない間柄。相手に不満を抱かせないかを考える必要もなく、言いたいことを、話したいことを話せる人。

 

 僕はその言葉にゆっくりと頷いて返した。その返事に満足したのか、彼女はまた笑った。

 

「だよね。それじゃ……おやすみ、扶持」

 

「おやすみ、紗奈」

 

 暗闇の中を、彼女は走り去っていった。家の距離はそう離れていない。送っていかなくても、きっと大丈夫だろう。僕はそう決めつけ、窓をゆっくりと閉めた。

 

 静かな部屋で、ポツンと取り残される。なんだか変な孤独感が湧き出てきて、少しだけ寒気がした。ふと、頭の中に言葉が浮かんできた。窓の外を見ながら、僕は誰に言うでもなくポツリと呟いた。

 

「……男女の間には友情は成立しない、か」

 

 僕と彼女の間に友情がないとするならば、この嫉妬はどこから湧いてきたのだろう。こんな感情いらなかったのに。僕の中で勝手に湧いてきたのだろうか。それとも、彼女が僕にこの感情を運んできたのだろうか。

 

 答えなんて出なかった。ただ僕は、窓に映った月を見上げて昔の出来事に想いを馳せていた。

 

 

 

To be continued……




幼馴染ではあるが、親友であるとは明言していない

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