貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

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第49話 明るい場所

『おやすみ、紗奈』

 

 その言葉を聞き終えると、俺と先輩は一旦目を合わせて互いに頷き、足音を立てないようにして扉の前から移動し始めた。寝る場所であるリビングまで戻ってくると、二人でソファーに座り込んで沈黙した。

 

 なんとなく聞いてはいけないものを聞いていた気がする。その罪悪感が今になって身体を蝕んできた。林田さんに聞こえないように、先輩が小さな声で話しかけてくる。

 

「……なんで、俺達聞き耳たてちまったんだろうな」

 

「それに関しちゃ俺のせいなんですけどね。満月近いせいでどうも聴覚が強化されて、あんだけ離れてても聞こえちまうんですよ。それに、この村に神話生物がいるかもって話ですし、用心するに越したことはないでしょう」

 

「いやまぁそうなんだけど。でも、なぁ……甘酸っぱいようでとてつもなく苦いお話を聞いてしまったよ、俺達は」

 

 先輩が頭を抑えて項垂れた。確かに、林田さんと、確か紗奈さんと言ったか。二人の間には特有の雰囲気が存在し、あの二人が幼馴染なのであろうことは予想ができた。そして、紗奈さんには彼氏がいるのであろうということも。

 

 林田さんの小説を読む限り、彼の書く小説の主人公は紛れもなく林田さん本人の筈だ。ならば、林田さんは確実に紗奈さんを好いており、反応を見るからに紗奈さんも悪くは思っていない。ただ、彼氏というどうにもならない現実的な壁があると言うだけで……。

 

「……まぁ、今俺達が悩む問題でもないでしょう。目下の目的は神話生物の捜索なんですから」

 

「おっ、そうだな。という訳で、さっさと夜廻りに行くか。女子陣は……寝かせといていいか」

 

「藪雨は『忍者』の癖して情報収集に手を貸さないとか、何しに来たのやら……」

 

「アイツの特技ピッキング以外しらないんだけど。むしろあの子何が出来るの? 俺達の疲労感を貯めるくらい?」

 

「クレームつけて返品しましょう。そんで、他の人探しましょう。多分俺の予想だと、アイツ大分引っ掻き回しますよ」

 

 軽くため息をついて、俺は予想される未来についての気苦労のせいで発生した頭痛を押さえつけるように手を頭に押し付けた。先輩も両腕を組んで、うんうんと頷いている。まぁ昼間も酷かった。宿が取れなくて最悪車で寝泊まりしようとしたら、風呂に入りたいだの車じゃ快適に眠れないだの、遠足気分かと説教してやりたかったくらいだ。先輩は呆れた顔で藪雨の文句を言いながら身支度を整えていった。

 

「あの媚びた笑いと仕草さえなければ唯の女の子なんだけどなぁ……」

 

「そりゃもう藪雨じゃなくて女の子Aとかいうカテゴリになると思うんですが」

 

 黒の外套を身に纏い、互いに自分の得物を持ってバレないように外に出る。外は暗く、さほど田舎ではないせいか虫のさざめきもあまり聞こえない。空には雲の間から見える満月に近い月が浮かんでいた。ソレを見ていると、どうにも気分が昂って仕方が無い。あまり見ないように目を逸らし、先輩と共に夜の村を駆け回った。

 

 

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

 

 

 疲れでぶっ倒れそうな身体を動かして、朝食を食卓に並べていく。流石に帰ってきて寝る時間も短く、朝食も作らねばならぬとなると身体的にも精神的にもキツい。ソファーで寝っ転がってスヤスヤと寝息を立てている先輩を見ていると無性にデスソースをぶっかけたくなる衝動に駆られる。

 

 ふぁぁっと大きな欠伸が出た。まだ少しうつらうつらとしていると、寝ぼけ眼の藪雨と一緒に七草さんがリビングにやってきた。藪雨は並んでいる朝食に、眠たそうな眼を見開いた。嘘だろお前みたいな目で俺のことを見てくる。

 

「……せんぱいなんなんですか。女子力高すぎです」

 

「開口一番がそれか。まぁいい、顔洗って飯食っちまえよ。七草さんもね」

 

「ありがと、氷兎君っ」

 

 七草さんはいつものように笑って、洗面台の方へと向かっていった。藪雨は渋々と言った感じだが……。明日の朝飯はアイツだけ抜きにしてやろうかと本気で思った。他に何かやることはないかと探そうとしていると、のそのそと今度は林田さんがやってきた。寝癖で頭のてっぺんがぴょこんと跳ねている。

 

「……朝ごはんまで作ってくれたのかい?」

 

「泊まらせてもらってますからね。これぐらいはやりますよ」

 

「悪いね……。君みたいのに憧れるよ。僕は料理とか、からっきしダメなんだ」

 

「人それぞれですよ。貴方は文を書く力がある。しかし、それは俺にはないことです。ないものねだりなんてのは贅沢ですよ。まぁ……料理くらいなら簡単に覚えられると思いますけどね」

 

 そう言って俺は眠っている先輩の近くにまで歩いていくと、ポケットの中から赤色の液体が入った容器を取り出して、蓋を開けて先輩の口の中へと注ぎ込んだ。ドロドロとした液状と言っていいのかわからないものが口の中を満たしていく……。

 

「ッ、ごぼっ、あ、がうぁぁぁぁぁッ!?」

 

 突然目をカッと見開いて口を抑えながら身悶えする先輩。煩い叫び声が部屋の中に響く。近所迷惑だからやめてください、と言うと先輩は俺の事を恨ましげに睨んできた。やがて口の中が落ち着いたのか、肩で息をしながら俺の両肩を掴んで迫ってきた。

 

「な、何をする氷兎……」

 

「モーニングコールです」

 

「コールの意味を調べ直せ!! お前のやったことと90度くらい違う意味が書いてあるぞ!!」

 

「優しめの辛さにしたんで安心してください」

 

 俺に一体なんの恨みが……なんて言いながら先輩は洗面台に向かっていく。日頃の行いと日常的な家事を全部丸投げしてくることを、これで少しは省みて欲しいものだ。

 

 既に食卓に座ってご飯を食べ始めている七草さん達と一緒に俺も朝食を食べ始める。そして昨晩の捜査の内容について考えを巡らせていた。

 

 まぁ、収穫はゼロに近い。だが神話生物がいるだろうということはなんとなく掴めていた。例えば、木の影から何かが俺達を見ていたり、明らかに人のものでは無い足跡のようなものがついていたり。この村にいる神話生物は、上手く溶け込んでいるようだった。今のところ、村人に被害があったという話は聞かないが……この村では月一、もしくは二くらいの頻度で一家揃って引越しするという不思議な現象が起きている。しかも決まって新月と満月の次の日くらいに。それが現地での諜報員から得られた情報だった。

 

「………」

 

 今回は……いや今後も、諜報員は俺達と一緒に行動しないという方針で行こうという結論になった。俺達が神話生物と表立って交戦し、諜報員はバレないように日常的な部分から情報を集めるという分担作業の為だ。そっちの方が効率的にも、諜報員の安全面的な意味でも良いと判断した。

 

「氷兎君、どうかしたの?」

 

 七草さんの声で、俺はだいぶ思考に耽っていたのだと自覚した。ハッとなった俺は、彼女に大丈夫と伝えると残っていた朝食を掻き込んだ。そんな様子を見ていた藪雨がため息混じりに会話を始める。

 

「はぁ……唯野せんぱいって本当に男の子なんですか?」

 

「男だよコイツは。前に一緒に大浴場行った時に確かめたから」

 

 何食わぬ顔でリビングに帰ってきた先輩の言葉に少しだけムッとした。そんなに俺は男だと思われていないのか。先輩にもそう思われていたことが少しだけショックだった。言葉にせず、先輩を睨みつけることで俺が不機嫌であると伝えるが、先輩はそれを無視して朝食を食べ始めた。

 

「氷兎が女の子だったらなぁという個人的な願望を抱いていたんだが、そんなことはなかった」

 

「そもそも前に海行ったじゃないですか。俺海パンだけだったでしょう」

 

「いや胸が絶望的にない女の子の可能性を俺は捨ててなかった」

 

「こんな女の子がいてたまるか」

 

 片手を額に当てて、はぁっとため息をつく。こんな男らしい顔つきの女の子がいても流石に困る。俺は顔面偏差値なら校内でも高い方だったのだ。先輩と比べれば見劣りするが、それはそれだ。そう考えていると、藪雨がなんとなくわかります、と言ってきた。

 

「唯野せんぱいって、格好いいというより中性的な整い方してるんですよね。確かに顔はまぁまぁなんですけど……」

 

「格好いいと可愛らしいの中間位置に存在しているな。ちなみに俺は?」

 

「鈴華せんぱいはぁ……天パ?」

 

「それ顔じゃなくて頭だから! しかもそれ評価じゃないじゃん!」

 

 何やら喚いている先輩。うるさいですよ、と注意しようとした時に先程の先輩の言葉が頭をよぎった。氷兎が女の子だったらなぁ、と言うことは……もし仮に俺が女の子だったら先輩に襲われていた可能性が……?

 

 今後先輩との関係性を改めるべきかと悩み始めた時に、林田さんの堪えるような笑い声が聞こえてきた。その笑い声に、食卓が一瞬静まり返る。林田さんは少しだけ申し訳なさそうな顔で言ってきた。

 

「ハハッ……いやごめんよ。なんとなく君達を見てると、楽しそうだなって思えてね」

 

「えぇまぁ、仲は良いっすよ。俺達三人はズッ友です」

 

「天パせんぱい、その中に私入ってますよね?」

 

「申し訳ないが、魅力を感じない女の子はNG。背を高くするか、胸を大きくするか、もっと包容力のある行動を取れるようになってから出直してこい。お前は完全に俺のストライクゾーンからかけ離れている」

 

「頭にきました」

 

 椅子から笑顔のまま立ち上がって先輩の元へと向かう藪雨。仕方が無いので藪雨に向かって声をかけると、ポケットから赤色の例のアレが入った容器を取り出して投げ渡した。先輩が焦った顔で俺のことを見てくる。

 

「ちょ、氷兎なんでお前そっちにつくんだよ!?」

 

「申し訳ないが、唐突な変態発言は七草さんの前ではNG。†悔い改めて†」

 

「じゃあせんぱい、可愛い後輩があーんしてあげますねー。ほら、お口開けてください♪」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい! 待って! 助けて! 待って下さい! お願いします! あ゛ぁ゛ぁぁぁぁッ!?」

 

「仕方ないね」

 

 なんという語録密度だろうか。悲鳴をあげて椅子から転げ落ちてのたうち回る先輩を見て、林田さんを含めて皆で笑っていた。デスソースをあーんした藪雨は、やったぜと少しだけドヤ顔のまま達成感に浸っている様子。

 

 流石に可哀想なので、水を先輩に渡すと一息で全て飲み干し、もうダメかと思ったよ……とその場で動かなくなった。どうやら疲れてしまったらしい。代わりに俺の疲労感は少し取れた。やったぜ、と俺も机の下でわからないようにサムズアップした。

 

 

To be continued……


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