貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos- 作:柳野 守利
僕は夜の町を駆け抜け、彼女のいる家へと向かった。狩浦さんが蛇のようなバケモノに変化したのを見てしまった僕は、家にいる彼らに助けを求めた。けれど……
『何を言っているんですか、林田さん。流石にそれは妄想の行き過ぎですよ。小説の内容を考えるのはいいですが……現実に反映させてはダメです』
唯野さんは、信じてくれなかった。いや、当たり前だ。こんな荒唐無稽な話を信じてもらえるものか。唯でさえ、狩浦さんは僕の恋敵のような存在だ。いくら邪魔だからとて、そんなふうに扱ってしまってはダメだろう。そんな感じで言われてしまった。
『もし仮にそれが本当だとするのなら、貴方が自分で助ければいいではないですか。そうでしょう、林田さん』
彼は薄く笑ってから僕とすれ違うように荷物を持って玄関へと向かった。すれ違う際に、僕の鞄に何かを入れていった気がする。
『先輩、七草さん、藪雨。荷物持って行きますよ……仕事、そろそろやらなきゃマズイです』
こんな夜に仕事を始める気なのだろうか。しかし誰もその言葉に反論せず、各々の荷物を持った彼らは外に出ていってしまった。残された僕は、半ば呆然としながら自分の鞄の中を見た。そして……中に入れられていた物を見て、驚愕のあまりそれを床に落としてしまった。それは重たく、偽物と呼ぶにはあまりに精巧すぎた。
けど……これが、もし本物ならば……コケ脅しくらいには、なるのかもしれない。彼がなぜこんなものを持っているのか分からないけど……唯野さんの言っていたように、僕が僕自身の手で、彼女を助けなくては。
「……狩浦さんの、車か?」
彼女の家に着いた時、車が二台あることに気がついた。片方は確実に紗奈の物だ。ならば、もうひとつの方は必然的に、狩浦さんの物だろう。なにせ、車のルームミラーには蛇を彷彿とさせる飾りがつけられていたからだ。
「……鍵、開いてる?」
ここで彼女を呼んでしまっては、確実に狩浦さんも一緒に来るだろう。それではダメだ。彼の動揺を誘わなければならないのだから。だからこっそり侵入しようとしたのだが……ドアノブはすんなりと回り、扉がゆっくりと開いた。
玄関には男物の靴が置かれており、もう狩浦さんがいることは確定的に明らかだった。そのまま、ゆっくりと家の中に上がり込んだ。リビングには誰もおらず、彼女の両親もいなかった。ならば、寝室だろうか。彼女の寝室は二階だ。そしてこの時間帯に二人きりで、親もいないということは……。
「────ッ」
想像するだけで、吐き気がする。最早僕の頭の中では、狩浦さんは人間の形をしていない。人間のような形をとった蛇にしか見えていないのだ。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
部屋の中にいるのは、二人の男女。月見 紗奈と狩浦 染だ。二人はベッドに腰掛けて、最近の出来事について話に花を咲かせていた。
二人とも笑顔で、相槌を打つ際に軽く身体を押したり、頭をグシャグシャと撫でるなどのスキンシップをとっていた。
「ねぇ、染。月が綺麗ですね」
彼女は窓から見える満月を見て、恍惚とした表情を浮かべながら言った。頬は緩みきり、幸せここにありといった様子だった。対する彼は一瞬顔を歪ませたが、すぐにスッと笑顔になって答えた。
「俺は君となら死んでもいいよ」
「染……」
昔から伝わる愛を伝える言葉。それは直球的な言葉でなくとも、相手に伝わる日本に馴染み深い言葉だった。互いに言い終わったあと、二人の目線が交差する。
月見の綺麗な瞳が潤む。狩浦の力強い眼差しが刺さる。言葉を交わす必要もなく、互いに身体を近づけていき、そのまま互いの唇を……。
「……紗奈から離れろ」
合わすことなく、終わってしまった。急に扉が勢いよく開かれ、寝室に入ってきたのは林田だった。片手に持った黒い銃を狩浦に向け、苦々しい表情を浮かべながらゆっくりと二人に近づいて行った。
「聞こえなかったのか。紗奈から、離れろ」
ようやく状況を飲み込めた二人。月見は幼馴染の狂行に驚きながらも、掠れた声で彼に話しかけた。
「ふ、扶持……? なんで、どうしたの……?」
「いいから。紗奈は離れていて」
銃口は狩浦に向けられたまま、彼は少しずつ距離を詰めていく。狩浦は額に少し冷や汗を浮かべながら、紗奈を守るように身体を移動させた。そして林田に問うた。
「林田さん……なんで、こんなことを……?」
林田は、色々な感情が入り交じった複雑な目で彼を見ながら、低い声で答えた。
「知ってるんだよ。お前が……お前が、人間じゃないってこと」
「ッ……何を馬鹿なことを言ってるんですか?」
「恍けるなッ!!」
怒声が響く。林田は怒りに顔を歪めながら、狩浦を強く睨みつけた。狩浦もベッドから腰を上げて、いつでも動けるような体勢で対峙した。
「今日あの後、お前のこと着けていたら見ちまったんだよ。お前の化けの皮が剥がれて、その下にある緑色の皮膚を露出させたところを。まるで、蛇みたいな顔だった!」
「ねぇ扶持ッ、お願いだからやめて!!」
「うるさいッ!!」
はぁ、はぁ、っと肩で息をする林田。銃を突きつけられたままの狩浦は、少しだけ悲しそうな表情を浮かべながら林田に言った。
「俺を殺す気ですか? 殺した後……どうするつもりなんですか」
「そんなの……知るかよ。ただ僕は、紗奈を助けるために……!!」
「貴方は小説家でしょう。自衛隊なんかじゃない。そんなエアガンで、俺が怯むと思っているんですか?」
「ッ………!!」
銃口を向けたまま、腕先が震えてしまった。林田はただただ狩浦を睨みつけるだけだった。その様子を見た狩浦は、不敵に微笑むと前に向かって少しだけ移動した。その圧に押されるように、林田の足が数歩下がる。
「ッ、僕は……僕はッ……」
彼はグッと歯を食いしばった。そして、震える手を抑えるように片方の手で腕を抑えながら狙いを定めた。その様子の変わりように、狩浦が一瞬たじろいだ。
「紗奈を助けるためなら……」
「ッ、ま、待て! 待つんだ林田さん!!」
静止する狩浦の声に耳も貸さず、ただ睨みつけた林田は、ゆっくりと引き金を引く指に力を込めていく。そして……
「お前を殺してでも、僕が紗奈を助けるんだッ!!」
引き金が引かれた。
「………えっ」
ただ、カチンと音が鳴るだけで、弾は出なかった。何度も引き金を引くが、弾が出る気配はない。それを見た狩浦は安堵に表情を和らげて林田に言った。
「……林田さん。帰ってください。今ならまだ、今日のことは誰にも言いませんから」
「ち、違う……違う違う違うッ! お前は、お前はッ……」
ゆっくりと林田に歩み寄っていく狩浦。彼が林田の腕に手を伸ばそうとしたその時だ。
「そこまでだ」
狩浦の首元に、槍の穂先が置かれた。槍の持ち主は氷兎で、そのすぐそばには藪雨もいた。どこから入ってきたんだと彼らが周りを見回すと、何故か窓ガラスが開いていた。氷兎の後ろでニヤリと笑っている藪雨は、さも当然のことのように言った。
「あの手の窓って、上下にガタガタ揺らすと鍵開いちゃうんですよねー」
「今回ばかりは助かった」
「ふんっ、もっと褒めてもいいんですよー?」
氷兎が軽く藪雨を睨みつけたが、すぐさま視線を狩浦に戻した。オリジンで支給される武器には発信機が取り付けられているため、武器がどこに行ったのかはすぐに分かるようになっている。
それを利用して、彼らは月見の家を突き止めて決定的な瞬間を伺っていたのだ。二階の窓から侵入するのは、夜間の氷兎なら藪雨を連れた状態でも簡単に出来ることだった。
「……君は、何者なんだい?」
狩浦から掠れたような声が聞こえてくる。氷兎は槍を置いたままその問に答えた。
「バケモノ退治の専門家だ」
「……なるほど、道理で……あの時、君から違和感を感じた訳だ」
「えっ……染? なに、言ってるの……?」
立ち上がって狩浦に尋ねた月見。しかしその問に答えずに、狩浦は両手を上げて、降参だ、と言った。狩浦を壁際にまで移動させた氷兎は、林田から銃を返してもらった。林田は氷兎に、何故弾を入れていなかったのかと尋ねた。
「……貴方が手を汚す必要は無い。ヒーローってのは、自分の手を汚しちゃダメなんですよ。アメコミのヒーローとか、そうでしょう? 悪役は決まって、転落死するんですよ。ヒーローの手を汚さないために」
そう言って氷兎は槍を握る手を強く握り直し、後悔や悲壮感と言った負の感情のこもった声で続けた。
「手を汚すのは、俺達みたいな奴らだけで十分だ。俺達はヒーローじゃない。人間の味方をする犯罪者だからな」
最早正義の味方とは言うまい。唯の人間の味方とも言うまい。そこにあるのは例え自らが悪であろうと、人を助けるということを一番に考える、必要悪であると。
「……参った。ここまでされたら、俺には何も出来ない。けれど信じてほしい。俺は人に危害を加えたりしない。本当だ」
「染……?」
狩浦の周囲の空気がざわめき立つ。不穏な空気に、氷兎は警戒を解かないまま物事の行く末を待った。やがて、狩浦の身体の一部が溶けるようになくなっていき、その下から緑色の甲殻のような皮膚が浮き出てきた。
その顔は、完全に蛇であった。そのギョロリとした目に睨まれると、少しだけ寒気がした。
蛇になってしまった狩浦を見た月見の身体が小刻みに震え始める。泣きそうな顔で、震えた声で狩浦に縋るように尋ねた。
「嘘……染、嘘だよね……?」
「……ごめん、紗奈」
「ぁ……あぁ………」
「紗奈ッ!?」
日常に存在しえない生物を見たせいか、それとも愛していた彼氏がバケモノだったせいか。それらのショックで月見は崩れるように気絶してしまった。その身体を支えるために、林田が急いで駆け寄って抱きかかえた。
「……せんぱい……これって……」
「藪雨、俺達が相手するのはこういう連中だ。慣れろとは言わない。だが、気をしっかり持っておけよ」
「っ……はい」
藪雨も月見同様に、僅かにその非日常的光景を見て気が動転していた。氷兎はもう慣れたものだった。人がバケモノになるなんて、もう見たことだ。藪雨を庇うように少しだけ移動しつつ、槍はまだ向けたままにしておいた。
槍を向けられている狩浦は、両手を上げたまま懇願するように頭を下げてきた。
「どうか、槍を下ろしてくれないか。私が君達に危害を加えないのは、本当のことなんだ」
「信用出来る証拠がない。悪いけど、このまま質問させてもらう。正直に答えろ、いいな?」
仕方がない、といったように狩浦は頷いた。氷兎は彼にいくつか質問を投げかけていく。
「お前達は何者だ?」
「見てわからないかい? 私は見ての通り、蛇人間だ。こうして人に擬態して生活している種族だよ」
「……仲間はどこにいる? 確実に、複数人いるはずだ」
「……何人かは私と同じように人間に擬態している。残りは森の中だ」
「お前達の目的は?」
「私はただ、平穏に暮らしたいだけだ。好きな人と一緒に過ごしたい。それだけなんだ」
狩浦のその言葉に、氷兎は槍の穂先を少し突きつけるようにして脅した。氷兎の低い声が部屋に響く。
「お前のじゃない。お前達蛇人間の目的はなんだと聞いている」
「………」
一瞬沈黙が流れるが、その沈黙はすぐに狩浦が破った。狩浦は、軽くため息をついてからその目的について話し始めた。
「我らが偉大なる父、イグ様を信仰するためだ」
「……イグ? 誰だ、それは。お前達の親玉か?」
「いいや、違う。我らだけでなく、全ての蛇の父である神だ」
蛇の神、イグ。自分達人間で考えれば唯一神やキリストといったものなのだろう、と氷兎は考えた。しかしだ。狩浦は信仰するためと言った。何故人のすぐ近くで信仰する必要があるのか。もしやそれは……人に何か関係があるのではないか。
「……お前達の信仰とは───」
尋ねようとしたところで、氷兎のインカムに通信が入った。声の主は翔平で、その声は焦りが入り交じっているように聞こえた。
『やべぇぞ氷兎ッ!! いろんな所から人型の蛇が集まってきてるッ!! どういうことだ!?』
「なっ……狩浦さん、アンタ何をした!!」
槍を首筋であろう場所に突きつけた。狩浦は、ただ悲哀の感情を顔に浮かべながら、これから何が起ころうとしているのかを話し始めた。
「儀式だよ。我らが偉大なる父に、捧げ物をするのだ。新月、もしくは満月の夜に生きた生物を生贄に捧げる。それこそが、我らが儀式だ」
「……その生贄は、まさか人間だと抜かすわけじゃないだろうな」
「………」
「ッ、クソがッ!!」
槍を勢いよく突いた。しかし槍は狩浦には当たらず、その隣の壁に突き刺さる。氷兎は狩浦を睨みつけながら、怒りを孕んだ声で威圧的に言った。
「儀式をやめさせろ。今すぐにッ!!」
「無理だ……。私一人の力では、どうすることも出来ない」
狩浦は俯きながらそう答えた。その答えに氷兎はイラつきながら舌打ちをし、槍を壁から引き抜いてこれからどうするべきかを考え始めた。猶予は残されていない。なんとかして、この状況を打開しなければならないのだ。
「……なぁ、頼みがあるんだ」
俯いていた狩浦が氷兎に聞いた。彼は真っ直ぐに氷兎を見つめ、それから深く頭を下げて頼み込んできた。
「どうか……私に力を貸してほしい。儀式を止めるために」
To be continued……