貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos- 作:柳野 守利
最早自分では抑えきれないくらいに高揚している。満月時の影響というのは思っていたよりも厄介だった。しかし、今この状況においてはこれ以上にないくらい頼もしいものだった。
駆ける。誰よりも早く駆ける。相手がスピードに驚き一瞬立ち止まったところに、槍を全力で振り抜く。手にかかる重さがどんどん増していき、そして一気に解放される。まるでボーリングのピンみたいに蛇人間達が飛んでいった。
「クソッ、ただの人間じゃねぇのかよ!!」
曲刀が目の前に迫り来る。それを槍で弾き、そのまま回転して回し蹴りを叩き込む。蹴りひとつでも奴らは面白いように飛んでいった。流石に七草さんよりも威力は出ていないが。そもそも満月時ですら俺は七草さんの身体能力に勝てないのか。少し悲しい。
「背後に回れ!! 囲んで一斉に掛かるんだ!!」
誰かの声が響き、その指示に従って奴らは俺を取り囲もうとする。なんとか背後に回った奴がいたが、俺はそれを無視した。
「がッ───」
相手にするまでもない。後ろには先輩がいるのだから。先輩の撃った弾丸が回り込もうとする奴を一人残さず撃ち殺していく。
流石だ、としか言いようがない。先輩の持ち武器は銃だけなのだ。確かに一発一発の威力は高いし、遠距離から攻撃出来る。しかし、その攻撃はいつか止まる。弾切れによって。
だから先輩は考え続けながら射撃している。どれを倒せばいいのか。あと弾丸は何発残っているのか。どこを狙えばいいのか。リロードのタイミングはいつなのか。全て、全て考えた上で行動し、無駄な弾を消費しない。
基本先輩の弾丸は外れないのだから。今だってそう。少し後ろを見てみれば、先輩が両手に持ったコルト・ガバメントで射撃を継続している。
「くぅ……たかが人間如きに……!!」
「人間舐めんなよ。繁殖力だけが取り柄か? いや違う。そういった人間ばかりではないことを、思い知って死んでいけ!!」
容赦はしない。目の前の蛇人間の頭めがけて槍を振り下ろし、横薙ぎに払って数体吹き飛ばし、距離が開けたら近くの奴目掛けて狙撃する。
「さっさと、死ねッ!!」
蛇人間が飛びかかってくる。しかし遅い。あまりに遅すぎる。その場から最小の動きで攻撃を躱し、着地の硬直を狙って背後に回り込んで後頭部を撃ち抜く。
視界の端の方で戦っている狩浦さんと対峙した蛇人間が恨みのこもった声で怒鳴った。
「我が種族の恥晒しがッ!!」
「恥晒し、か。あぁ、そう罵るといい。だが私は後悔しない。幸せだった。あぁ、幸せだったのだ!! これ以上となく私は幸福だった!! わかるまい、お前達にはわかるまい!!」
すぐ近くで戦っている狩浦さんの声が聞こえる。見れば側方の死角から狩浦さんを攻撃しようとしている蛇人間がいた。
そうはさせない。その場から全力で跳ぶように移動し、そのままの勢いで貫いた。嫌な感触が手に残るが、そんなものは今はどうでもいい。槍に蛇人間を突き刺したまま、相手の固まっている場所に向かってぶん投げた。また面白いように吹っ飛んでいく。
「人の暖かさを、お前達は知らない。人の優しさを、お前達は知らない。そして、人がどれほど苦しみの中で生きているのかを、お前達は知らない!! 我々はこんな苦しみを味わいながら生活をしない!! だからこそ、私は……人の美しさを見出した!!」
狩浦さんの剣が相手の剣を弾き、そのまま身体を斬りつける。緑色と赤色の混じったような体液を噴出させながらその蛇人間は倒れていった。俺も狩浦さんも、返り血に塗れている。
「私は『恋』をした!! 胸が裂けるほどの痛みを、心地よいと感じた!! だが……この痛みが、『愛』によって幸福へと変わったのだ!! 私は己の行いを後悔していない!! 何故ならば……絶対に、お前達よりも幸福を感じられたのだから!! この胸の暖かさこそが、私が人に寄り添い続ける理由だ!!」
それは蛇か。それは人か。それはもう問題ではない。ここにいるのは狩浦 染という名のひとりの生命体だ。俺はその意思を汲もう。彼の生き方と、その想いを尊重しよう。
彼は知ったのだ。『恋』と『愛』を。そしてそれは種族という垣根すらも凌駕してしまった。あぁ、全ての生命体がこうであったのならば、どれほど救われることか。
だがしかし……世界はそんなに綺麗じゃない。
「裏切り者めがァァァッ!!」
「ぐっ……何故だ、何故人間を拒むのだ!! 確かに相容れぬ仲ではあるのかもしれないが、一方的に拒むのは、おかしいではないかッ!!」
……それは違う。周りにいる連中を薙ぎ倒しながら、俺は思った。
きっと逆の立場なら。もしも人間が蛇人間を見つけたら。きっと話しかけるよりも前に殺すだろう。そういうものなのだ。俺達の日常にバケモノはいらない。理解できないものはいらない。だってそれが怖いから。今までの常識が崩れ去ってしまえば、人間はそれに耐えきれないかもしれないから。
だから、人間を攫って生贄にするのは許容できないが、相反し憎み合うというのは間違ったことではないのだ。
「……だが、だからといって容赦はしない。お前ら人間殺したんだろ。ならもう許す必要も無い。ここで、
満月のせいだからか。普段は言わないような口の悪い言葉が次々と出てくる。それでも抑えようとは思わない。この猛りに身を任せ、俺は迫り来る危険を避けるだけだ。
「ぐぅッ!?」
狩浦さんが力負けし、今にも武器が振り抜かれようとするが、その直前で武器が先輩の放った弾丸によって弾かれた。一瞬動きの止まったその蛇人間を、俺が槍で突き穿つ。
「あ、ありがとう……」
「気にしないでください。それよりも、今は目の前のことに集中して」
「……あぁ!!」
斬りかかろうとする敵に向かってそれよりも早く武器を振るう。リーチが長いおかげで周りの連中も巻き込んで吹き飛んでいく。今度は前方から一気に押しかかってくるのに加え、三体の蛇人間が飛びかかるように上空から襲いかかってくる。
だが、次の瞬間にはその三体の眉間に風穴が空いている。俺はそれらを気にすることなく目の前の敵を攻撃した。目に見えてどんどん少なくなっていく蛇人間達。無双ゲーかと疑いたくなってきた。
「うあぁぁぁぁぁッ!!」
しかし、油断も慢心もしない。俺は叫びながらも、決死の想いで突撃してくる蛇人間の武器を弾き、叩きつけ、そして貫いた。手に嫌な感触がある。しかし戦わねば死ぬ状態。そんなものに一々構っていられなかった。
流れ出る奴らの血液の匂いに、頭がくらくらとする。胃液がせり上がってきて思わず吐きたくなってしまう。しかし、今それをしてしまったら殺される。吐き気を我慢し、ただひたすらに目の前の障害をどうにかせん、と武器を振るう。
「氷兎出すぎだッ!! 少し下がれ!!」
先輩の声に我に返った。どうやら必死になるあまりどんどん相手の方へと突き進みすぎたらしい。狩浦さんの様子を見ながら少しだけ後退する。すると、相手の動きが少しだけ鈍くなった。奴らの後ろの方から命令を下す声が聞こえてくる。
「撤退しろッ!! 一時撤退だッ!!」
残りあと僅か。そんな時に奴らは皆舌打ちや暴言を吐きながらその場から逃げていく。それを追おうとする俺を、先輩が腕を引っ張ることで止めてきた。
「落ち着け氷兎。無闇に突っ込むのは危険だ」
「おそらく私達の儀式場へと向かったのかと。必要なら私が案内しますから、一旦落ち着きましょう」
「……そう、ですね……すいません、なんかもう思考がメチャクチャで……」
「月の影響か……。厄介なもんだな。どこぞの狂化みたいなもんか。思考能力を低下させる代わりにステータスを上げるって感じみたいだな」
深く息を吸って、そして全て吐き出した。周りの臭いにむせ返りそうになったが、何とか堪えた。少しだけ頭の中がスッキリした気がする。
とりあえずこの後どうするのかを考えなくては。まだ夜は長い。しかし今夜中に全て片付けなくてはいけない。何か作戦は思いつかないか、と俺が考えている間に先輩は本部に連絡を入れていた。大方この道路に横たわっている大量の死体の処理に関してだろう。流石にこれを放置したままではいけない。
「……よし、本部が死体の処理引き受けるってよ。俺達はこのまま奴らを叩くんだが……叩いちゃっていいのか、狩浦さん?」
電話を終えた先輩が狩浦さんに確認をとった。敵対しているとはいえ、奴らは狩浦さんと同種族。しかもきっと家族だって向こうにいるのだろう。そう考えると、全て皆殺しにする、というのもなんとなく後味が悪い。
しかし狩浦さんは首を振って、このまま殲滅しに行くべきだと提案してきた。
「私のことは心配しなくていい。今は……助けられる人を助けなくては。そうしないと、いつかきっと紗奈が生贄にされてしまう。そんなのは御免だ」
「……ですが、貴方にも家族がいるでしょう」
「確かに。産まれた限り親がいるのは当然のことです。しかし、我々蛇人間にとって親というのはそれほど重要ではないのです。元より我々は産まれた時に同い年の集団で集められ、子供達を一纏めとして一緒に生活させられていた。だから、私は私を産んだ親の事を良く覚えていない。それ故に……私を心配なさるな。先も言ったはずです。私は、私自身の判断でここにいるのだと」
「……すいません、では力をお借りします。それでは、ここからどうするのかですが……」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
森の奥の方に、地面に不思議な模様が描かれたスペースがあった。そこに生き残った蛇人間達が集まっているようだ。数にして十体程度。最初はあれだけ多かったのに今ではこれだけだ。一応木の裏に隠れているが、どうしたものか。
「不意打ちを仕掛けますか」
「いや、待ってほしい。私に彼らと話をさせてくれないか」
狩浦さんの言葉に俺は頷いた。無抵抗の敵を殺すというのはあまり精神的に良くない。これ以上悪さをしないというのなら、俺はもう別にいいのだから。狩浦さんは武器をしまってから、ゆっくりと奴等のいる場所へと向かっていった。
狩浦さんの接近に気がついた蛇人間が武器を構えながら狩浦さんに怒鳴り散らした。
「何をしに来た裏切り者めッ!!」
「お前達と会話をしに来たのだ。頼むから武器を収めてくれないか。彼らはこれ以上人間を殺めぬのなら特に手出しはしないと言っている。どうかもう戦うのをやめてくれないか」
「巫山戯るなッ!! 人間の味方をした奴の言葉なんて聞くかってんだよ!! ここで死んで、あの世で俺達に詫び続けるんだなぁ!!」
怒鳴っていた蛇人間が狩浦さんに襲いかかる。しかし武器が届く前に先輩の弾丸が額を貫いていた。突然倒れた蛇人間に、残っていた奴らも動揺が広がり始める。
俺と先輩も木の裏から奴らに姿が見える位置に出てきた。最後の警告をするために俺は奴らに話しかける。
「これ以上無駄な抵抗はよせ。今剣を収め、もう人間を襲わないというのなら俺達はアンタらに危害は加えない」
「誰がテメェなんかの話を聞くかよ!!」
聞く耳持たずだ。残った蛇人間達は次々に決意を改めるために口を開いていく。
「皆死んじまったんだ、このままノコノコと生きていられるかよ!!」
「殺す。殺してやる、人間如きに俺達が負けるわけねぇんだァ!!」
「殺せ、人間を殺せッ!! 我らが偉大なる父イグ様、どうか我らに力を与え給え!!」
奴らが武器を持って突貫してくる。最早言葉は不要。話し合いではどうにもならないのなら……やるしかない。これが最後だと自分を奮い立たせて、俺は槍を両手で握り締めて振り回す。
槍の穂先が喉元を切り裂く。弾丸が胴体や額を撃ち抜く。剣が身体を斬り裂いていく。問答無用、致し方なし。俺達は心を殺し、その場にいた蛇人間を殺し尽くした。
もうきっと、誰も残っていないだろう。鼻につく臭いがする中、俺は緊張から解き放たれたせいか武器を落としてしまった。そして、自分の身体を見た。
「………」
返り血で真っ赤になった身体。敵を貫いた時にかかった血塗れの手。少しだけ視界がぐらついてきた。どうやら、精神的にやられてしまったらしい。
「……先輩、七草さん達の所へッ───」
帰ろうとした矢先、空間が張り詰める感じがした。何かに見られている。何かとてつもなくでかいものが近くにいる。身体が固まって、指先ひとつ動かせなかった。意識しなくては呼吸すらもできないほどに、酷い状態だった。
「な、ぁッ……!?」
地面に描かれている模様が光だし、粒子となってその場から舞い上がって一箇所に集まっていく。やがてそれは大きな何かを形どっていき、何かを構成していく。
「な、なんだ……?」
「これは……まさか……」
「………」
少しだけ後ずさりする先輩。そしてこれが何なのかを知っているような狩浦さん。ただ俺はその緊迫のあまり動けずにじっとその光景を眺めているだけだった。
遂に、その光の粒子が一つの形へと変化した。
「──────」
それは、とてつもなく大きな蛇だった。大きさは五メートルはあるだろう。しかし蛇人間と同じように、人型で茶色のローブのようなものを着ていた。あぁ、それだけならまだ良かったのかもしれない。
しかし、目の前の存在が放つ威圧感というのは今まで感じたことのないものだった。それがあまりに非現実的過ぎて、脳が考えるのをやめようとする。少しでも気を抜いたら、その場で膝をついてしまうくらいに強烈なプレッシャーを放っていた。
ギョロリッとその瞳で睨まれた。これが蛇に睨まれた蛙の気持ちなのだろうか。
それは別次元の存在であった。一目見ただけでもわかるくらい、自分とは格が違うのだと思い知らされた。まさか……この蛇が、奴らの言っていた『イグ』なのだろうか。
『──そこな人間よ』
「────ぁ」
厳かで低い声がその蛇から発せられた。どうやら、俺のことを言っているらしい。しかし返事をしようにも声がうまく出せなかった。それを知ってか知らずか、蛇はその目を細めて俺を見てきた。
『汝、自らの内に宿りしものを自覚しているのか』
その言葉を首を振って否定した。蛇は少し驚いたように目を見開いた。そしてまた言葉を投げかけてくる。
『不思議な者だ。彼に魅入られているのにも関わらず、未だ自分の意思を持ち生きているとは』
「……彼、とは?」
必死に絞り出した掠れ声で蛇に聞き返した。しかし蛇は首を振るばかりで質問には答えてくれなかった。
『我があまり口を開きすぎても彼に怒られるだけだ。我とて流石に彼奴を敵に回したくはない。よって、我が汝に言えることは極少ないものだ』
彼、とは誰だ。しかもこんなヤバそうな奴相手に敵に回したくないって……一体、俺に力を渡した奴はどんな存在なんだ? けど、あの声は女の人の声だったような……。どういう事だ……?
一人悩んでいると、狩浦さんが隣まで寄ってきて、膝をついて頭を下げた。
「我らが偉大なる蛇の父イグ様。私はカリウラと申す者です。こうしてお目にかかることが出来、大変喜ばしく思います。しかし、どうしてこのような場所に……」
『今となっては我を信仰する場が少ない。今日とてこうして儀式が行われたから来たものを、何やら大変なことになってしまったらしいではないか』
目の前に転がっている蛇人間の死体を見ながら、蛇……イグと呼ばれた存在はそう言った。そして、ここに召喚という形でやってきたのは、そこで死んだ蛇人間が生贄としての意義を果たしたからだ、とも言っていた。なるほど、ならば俺達がイグを呼び込んでしまったということだろう。
ならば対処しなくてはならないのだが……どうしようもないことなのだとわかっていた。俺と先輩が仮に全力で戦っても傷一つつけることなく殺されてしまうだろう。
「……イグ様。どうか、どうかこの彼らを許してはいただけませんか。私の命の引き換えでいいのです。どうか、どうかお願いします」
「……狩浦、さん」
狩浦さんは地面に頭を擦り付けるくらいの勢いで頭をもう一度下げた。そして、命と引き換えに俺達が蛇人間を殺したことを許して欲しい、と懇願した。そんなことを、命を張ってまでしなくてもいいはずなのに……。
「……狩浦さん、ダメです。そしたら月見さんが……」
「いえ……いいのです。これで、いいのですよ。同胞は皆死に、残されたのは私だけ。それに、言っていなかったのですけどね……私も、人を殺したことがあるんですよ」
狩浦さんのその告白に、俺と先輩は目を見開いた。狩浦さんは俺達に顔を見せず、ただポツポツと話し始めていく。
「まず、我々が使う《似姿の利用》という魔術は……化ける相手を喰わねばならないのです」
似姿の利用……つまり、狩浦さんのあの人間としての姿は、元々誰かのものであって、その人を狩浦さんは喰ってしまったと。そして、話はそれだけではなかった。
「私は、林田さんの家族も喰らったのです。そして生贄にした。その時に……私は、彼女を見つけたんです。まだ幼かった、紗奈を。彼女が愛らしく、そしてそれが林田さんが近くにいる時より輝くものだから……私は、林田さんを殺せなかった」
「……狩浦さん、アンタ……」
「だから……良いのです。私は生きていてはいけない。それに……もう、紗奈には会わない方がいいのでしょう。それがきっと、お互いの為なんです」
彼が俺達に振り向いた。その顔は蛇だというのに、とても満ち足りた顔をしているのだというのがわかった。俺達は何も言えず、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
『……我は汝らを罰するためにここに来た訳では無い』
イグの声が響く。その声はとても穏やかで、張り詰めるような空気が少しだけ軽くなった気がした。
『そも、汝らの争いは唯の生存競争である。死にたくないから争ったのであり、虐殺ではない。ならば我は何も言うことは無い。例えるのなら、猪と狩人だ。いつしも狩人が勝つわけではなかろう。猪が狩人に手傷を追わせることもある。汝らの争いというのは、すなわちこの猪と狩人のようなものだ』
「………」
『だが、カリウラといったか。汝の想いは聞き届けた。故に、汝の命と引き換えに今眠りについている者達の記憶の改竄をしてやろう。それでどうだ、魅入られし者よ』
「……それは」
……答えられなかった。狩浦さんは確かに人殺しなんだろう。だが、だからといってこうして一緒に戦ったのに、彼に対して死んでくれなんて言えるわけがない。
「……それでお願いします、イグ様。私は彼らの力になれるのならば、それでいいのです。そして……それで紗奈が幸せになれるのならば、悔いはない」
『……だ、そうだ。こ奴の意思を汲むか、それとも捨てるか』
イグの目に射抜かれ、逃げるように視線を逸らした。そして今度は狩浦さんと目が合った。彼はただ真っ直ぐな瞳を俺に向けたまま、ゆっくりと頷いた。
ポンッと肩に誰かの手が置かれた。振り返ってみれば、先輩が少し悲しそうな顔で俺に言ってきた。
「氷兎、狩浦さんの言う通りにしよう。このままだと、民家に紛れ込んでた蛇人間がいなくなったせいで家計が回らなくなる可能性がある。夫や妻がいきなりいなくなったら大騒ぎだ。だから……」
「……それでいいのです。私は……そうだ。自分の罪を贖うためにするのです。決して貴方が気負う必要は無いのです。ただ、頷いてくれるだけでいいんですよ」
二人の言葉に、俺は……ゆっくりと、頷いた。視界の中では、狩浦さんが満足気に笑っているのが見える。俺の答えを聞いたイグは、微かに笑った。
『他者の死を悼み、気遣うその心。
彼は確かな足取りでイグの目の前まで歩いていき、跪いた。イグがその頭の上に掌を翳すと、緑色の光が手から溢れ出して狩浦さんを包んでいった。
その光が全身を包むと、少しずつ小さくなっていき……やがて小さな光の塊となった。
ブワァッと一斉に光の粒子が飛ぶように消えていく。その後に残っていたのは……一匹の白い蛇だった。
『お行きなさい』
イグのその言葉に、蛇は一瞬俺達の方を見てから森の中へと消えていった。イグは不思議そうにしている俺達を見て口を開いた。
『カリウラという蛇人間の命は終わりました。彼はこれから白蛇として生きていくのですよ』
「……ありがとうございます」
イグに頭を下げた。先輩も倣って頭を下げる。その様子を見て満足したのか、イグの足元が次第に光の粒子となって透明になっていくのが見えた。
『魅入られし者よ。どうか、人の心を捨てぬように。汝の力は周りに影響を及ぼす。人との関わりを絶つな。そして……例え絶望に苛まれようとも、諦めずどうするべきなのかを考えるのだ。では……さらばだ、魅入られし者よ。汝の行く末が光に満ちた未来であることを祈っている』
イグの足先から徐々に光の粒子となって消えていく。やがて身体も消えていき、最後には頭も消え去った。その頭が消え去る直前、イグが俺のことを哀れみのような目で見ていたような気がする。
「………」
なんにせよ、もうダメだ。立っていられない。
緊張がとけ、足に力が入らなくなってしまった。先輩も同じようでその場にへたれこんでいた。俺はなんとか先輩の元へと這っていくと、すぐ横に寝っ転がった。
「……帰りましょうか、先輩」
「……あぁ、帰ろう」
二人で夜空を見上げながらそう言い合った。帰ろうと言う割に、互いに力が入らずに動けなかったので、再度動けるようになるまでジッと空を見つめていた。
「……なぁ氷兎。結局のところ、蛇も人間も、大して変わんなかったと思うんだ。俺達があぁいった連中と仲良くやれる日は……来るんだろうか」
「……どうでしょうね。それこそ……その両者間に『愛』があるとするならば、現実をものともせずに、その理想を叶えられるんでしょうね」
愛とは現実を破るものである。恋は現実に敗れるものである。あぁ、本当に……この世界が愛で溢れていたとするならば、きっともっと世界は平和だったんだろう。
───誰かの
To be continued……
『イグ』
全ての蛇の父であると言われる神様。
信仰者にはしっかりと恩恵を与える、話せる神である。
新月と満月の夜に生きた動物を生贄に捧げる必要がある。