貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-   作:柳野 守利

57 / 136
第57話 君と僕の物語

 町の外れにある小さな病院の一室。僕がその部屋の扉を開けると、彼女は窓の近くにあるベッドで身体を起こして外を見ていた。彼女は僕に気がついたようで、顔を向けると歯を見せるように笑った。

 

 昔の紗奈だ。男勝りな性格だった紗奈だ。その光景に懐かしさを覚えながら、僕は彼女のベッドへと近づいていく。

 

「扶持、今日も来てくれたのか?」

 

「……あぁ。今は特に仕事がないから、暇なんだ」

 

 あの夜から、もう数日は経った。彼女は起きた時に酷い頭痛に襲われて、そのまま緊急入院することとなった。今もどこか調子が悪いらしく、病院で寝泊まりしている。

 

 ……少しだけ痩せただろうか。数日前よりも腕が細くなっている気がした。彼女は少しだけ不安そうな顔で僕に尋ねてきた。

 

「なぁ扶持。私……何か、大事なものを忘れてしまった気がするんだ。お前何かわからないか?」

 

「……上品な仕草、とか」

 

「馬鹿言え。私にそんなもんがあるわけないだろ」

 

 彼女は笑った。僕は……笑えているのだろうか。今抱いている気持ちを漏らさないように、誤魔化すように彼女に笑いかける。

 

「……ずっと、隣に誰かいた気がするんだ。扶持がいない間、ずっと……」

 

「……そっか」

 

「どうして、思い出せないんだろうな。そもそも、私は本当に誰かと一緒にいたのか? なんだか、記憶が曖昧なんだ」

 

「……きっと、頭痛が起きた時に頭のどこかがイカれたんだ。気にする事はないよ」

 

「えぇー、それはそれで何か嫌なんだけど……」

 

 そう言って困ったように彼女は笑ってくれる。

 

 僕は……卑怯者だ。彼女に真実を伝えられないでいる。彼女の隣でずっと支えていた一人の男性のことを、僕は彼女に伝えられない。だって、伝えてしまったら……彼女の想いが戻ってしまうのではないか。それが堪らなく不安だった。

 

「そういえば、この前お前が持ってきてくれた小説読み終わったよ。『僕は愛を作れない』。読み終わって作者名見たら、お前の名前が書いてあってびっくりしたよ。そういや、お前小説家になったんだったなって思い出した!」

 

「……どうだった?」

 

「どうって……うーん、なんというか……嫌な気分になった」

 

 率直に伝えられたその感想に、僕の心臓がズキリと痛んだ。僕はこういった感想に慣れていないのだ。ましてやそれが彼女から伝えられたものだと尚更……。

 

 そんな僕の表情を見かねてか、彼女は両手を振って今の言葉を否定してきた。

 

「違う違う!! 私が言いたいのは、こう……なんて言うんだ……。主人公が、最後の最後まで『愛』がなんなのかわからなくて、ヒロインに想いを伝えられなかっただろ。それが嫌なんだ。私は……この二人に結ばれて欲しかった」

 

 口をへの字に曲げて彼女は不貞腐れた。その言葉に僕は少しだけ……ほんの少しだけ、心が踊ったような気持ちになった。そう思ってもらえて、嬉しかったんだ。それを察せられないように少しぶっきらぼうに返事をした。

 

「……それは悪かったな」

 

「話は良かったんだよ。でもさ……こうやって、しっかり相手の事を想っているのに伝えられないって、どっちも不幸にしかならないと思うんだ。この立場になったら、私は……嫌だな」

 

「………」

 

 何も、言えなかった。僕も彼女も、そうだったから。

 

 僕は結局、彼に会うまで『愛』が何なのかを求め続け、想いを伝えられなかった。

 

 彼女は、想いすぎるあまりに真っ直ぐに気持ちを伝えられなかった。

 

「なぁ扶持。ハッピーエンドって書かないのか?」

 

「……どう、だろうね」

 

 ……書けと言われたら、今なら書けるかもしれない。けれど言われて書くのは何となく嫌だ。僕は僕自身の想いで、ハッピーエンドを綴っていきたい。

 

「そういえば、『僕は愛を作れない』の続編の方なんだけどさ……」

 

「……は?」

 

 彼女は机の脇に置いてあった袋の中から背表紙も何もついていない一冊の本を取り出した。しかし、それはここに無いはずのものである。その本は僕の家においてあるはずの物だ。彼女がその本を手に持っていることに対し、僕の心は非常に動転していた。

 

「待って、その本は入れてないはずなのに……」

 

「そうなのか? なんか気がついたら入ってたから、お前が窓から袋の中に入れてったのかと思ったよ。トイレから帰ってきたら、窓が開いてたからさ」

 

 窓。ふと思い立った僕は窓の近くに寄って行き、そこから地面を見下ろした。近くにあるのは花壇、道、そして芝生があってその奥は森になっている。

 

「あっ……」

 

 芝生に、白いロープのようなものがポツンと置かれていた。それは、よくよく見てみたら……とぐろを巻いた白い蛇だった。白い蛇は僕が見ていることに気がつくと、下をチロチロと出してから、スルスルと森の中へと入っていった。

 

さようなら(おめでとう)。そしてどうか忘れてください(どうか幸せに)

 

 突然吹いた風に乗って、誰かの声が聞こえた気がした。

 

「扶持、何かあったの?」

 

「……いや、何もないよ」

 

 外の風景から目を逸らし、僕は彼女のことを見た。彼女はさっきからずっと僕のことを見ていたようで、彼女の目と合ってしまった。不意に心臓が高鳴り、脈が早くなる。その現象を……なんとなく、心地よいと感じた。

 

「それで、この本題名も決まってないし途中からは白紙だしさ……。私この本の続きが読みたいんだ。だから、続きを書いてくれないかなって」

 

 僕の顔を覗き込むように彼女が見てくる。

 

 題名も何も決まっていないその本は、確かに以前書いた『僕は愛を作れない』の続編に当たるものだ。無論……ここ数日をかけて僕が書いていたものである。内容は決まっている。僕が『愛』とは何かと気が付き、彼女のことを追い求めるお話だ。

 

 あぁ、そうだ。これこそが僕の『愛』だ。この小説こそが、僕の『愛』なのだ。僕と彼女の全てが、これからここに記されていく。だから、僕は彼女にこう言った。

 

「……これからゆっくりと書いていくよ」

 

 きっとこれからだから。この本の続きはこれから始まるのだ。

 

 この本がいつ完結するのかわからない。君の為に作るたった一冊の本だから。僕が彼女に想いを伝えた時か。結婚出来た時か。それとも死ぬ直前か。

 

 ともあれきっと、明るい大作になるに違いない。その題名は、僕の中ではもう決まっていた。

 

 そんなことを考えていると、彼女の声が僕の耳に届いてきた。寂しそうとも不安そうとも取れるような、そんな声だった。

 

「……ねぇ扶持。なんだか、怖いんだ。隣に誰かいたはずなのに、誰もいないのが」

 

「……そうか」

 

「だから……だから、ね。扶持が隣にいてくれる?」

 

「……僕なんかが君の記憶の中にある誰かの代わりでいいのかい?」

 

「いいよ。だって……扶持だもん。扶持だから、いいんだよ」

 

 郎らかに笑う君の手に、僕は自分の手を重ね合わせた。

 

 久しく触れた君の手の温もりは、とても暖かかった。あぁ、そうだ。この本のタイトルは……。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 任務が終わって、俺達は無事に本部へと帰ってくることが出来た。流石にあれだけの大立ち回りをしたせいか、本当に疲れて動けなくなりそうだった。

 

 そんな疲労困憊な中、俺達は報告をするために司令室へと向かっていく。扉をコンコンッと叩き、中へ入っていくといつものスタイルで木原さんが待っていた。先輩、藪雨、俺、七草さんという順番で横一列に並び、今回の事件のあらましと結果について報告した。

 

 その報告を聞き終えた木原さんは満足気に頷いてから、いつだか俺達が聞いたものと似たような台詞を言ってきた。

 

「さて、任務が終わった訳だが……これで藪雨はお前達のチームから外れることとなる。藪雨について、お前達はどうするつもりだ?」

 

 先輩と顔を見合わせた。先輩もちゃんと答えが決まっているようで、悩む素振りはなかった。七草さんの方を見ると、俺と先輩の判断に任せるよっと笑いかけてきた。

 

「まぁ……答えは決まってますよね」

 

「そうだな」

 

「なら、聞かせてもらおうか。藪雨をチームに加えるのか?」

 

 藪雨が期待を込めた目で俺と先輩を交互に見てくる。タイミングを合わせることもなく、俺と先輩は同時にその問に答えた。

 

『チェンジで』

 

 ……当たり前だよなぁ。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 蛇人間騒動から数日が経った。先輩はいつものようにゲームをしていて、俺は珈琲をちょくちょく飲みながら洗濯物を畳んでいた。

 

 コンコンッココンッと扉がノックされた。この叩き方は藪雨だ。先輩をチラッと見ると、入れてもいいぞと頷いて返してきた。仕方が無いので、彼女を部屋に招き入れることにした。扉を開けると、どこか驚いたような顔の藪雨と、菜沙と七草さんが立っていた。

 

「およ、今回はすんなり入れてくれるんですねー。もしかして……私のこと好きになっちゃいました?」

 

「お前のことを好きになることがあるだろうか。いや、ない」

 

「反語使ってまで否定してくるのはやめてください」

 

 笑いながら部屋に入ってくる藪雨に、その後から続いて入ってくる菜沙と七草さん。とうとうこの部屋は普段から五人で使われるようになってしまった。珈琲の豆の在庫がマッハだ。金はあるからいいんだけど、買いに行くのが面倒だ。

 

「ひーくん、もう疲れ取れたの? マッサージとかしてあげようか?」

 

「俺は平気だ。しかし先輩がなぁ……」

 

 全員で先輩を見やった。先輩はただ黙々とゲームに勤しんでおり、その目の下には隈が出来ていた。ひでぇツラだ。そろそろ寝かせなければ。

 

「泊まりがけのせいでそこまでゲームが出来なかったから反動が来ててなぁ。あぁやって徹夜でゲームやり続けてんの」

 

「うわっ、典型的なダメ人間だ。鈴華せんぱいって唯野せんぱいがいなかったら生きていけなさそうですよねー」

 

「……ひーくん、ダメだよ」

 

「何が。俺と先輩がくっつくことが? いやねぇよ。俺ホモじゃないから」

 

 菜沙が俺の手を引っ張ってその道に進もうとするのを止めてくる。いやそもそも、その道に走ろうとすら思っていないんだけど。そんな目で俺のことを見てくるのはやめてほしい。

 

「でも、氷兎君確か翔平さんと一緒に星見てたんでしょ? 二人っきりで横になって」

 

「ひーくん?」

 

「待って誤解だ。俺はそんなことは……したけどまたそれは別の理由があってだな……」

 

「せんぱいは私と二人っきりで月が綺麗な夜に話しましたもんねー」

 

「ひーくん……!!」

 

「だからなんでお前らは……あぁもう!!」

 

 腕を引っ張るどころか俺のことを押し倒さんとばかりにのしかかろうとしてくる菜沙を必死に食い止めた。それを見て七草さんと藪雨が笑っている。

 

 七草さんが俺のことを笑うのはいい。だが藪雨、お前はダメだ。後でデスソースの刑に処さなければ。

 

「……あれ、唯野せんぱいまた本買ってきたんですかぁ? しかもこれ林田さんが書いた奴ですよね」

 

「ん……あぁ、それあんまり触るなよ。林田さんが愛読者である俺のために作ってくれた世界に一冊だけの本なんだから」

 

 林田さんから送られてきた本。それは『僕は愛を作れない』の続編である物語だった。それを完結させて俺に送り届けてくれたらしい。一緒に送られてきた紙には、お礼の言葉と共に、その本はレプリカ……所謂試作品だと書かれていた。

 

 読んでみたらまぁ、本当にしっかりと完結させられていた心温まる恋愛小説だったわけだけどね。

 

「へぇ……ひーくん、私も読ませてもらっていい?」

 

「あっ……私も読んでみたい、かな」

 

「いいよ、二人なら。藪雨はダメだけど」

 

「だからなんで私だけダメなんですかぁ!!」

 

 藪雨がポカポカと殴ってくるのをデコピンで反撃する。痛かったのか、彼女はその場でうずくまってしまった。ざまぁみろと上から見下ろすように笑っておく。

 

「……まぁ、林田さんも前に進めたみたいで良かったよ」

 

 誰に言うわけでもなく俺は呟いた。

 

 林田さんの書いた物語の、たった一冊しかない続編。

 

 そのタイトルは、『愛の作り方(ラヴクラフト) 著・林田(Hayasida) 扶持(Phuji)

 

 『愛』を知った主人公が、幼馴染を取り戻すために奔走する物語である。

 

 

 

To be continued……




 最初の頃は、このお話バッドエンドにしようと思ってたんですよ。

 死んでしまった狩浦さん。それでもなお慕い続ける月見さん。墓石の前で、ずっと泣いている彼女を見て完結した本を片手に持ったまま立ち続ける林田さん。

「どうか貴方の愛した人を忘れないで。そしてどうか、貴方を愛してやまない僕のことなんて、忘れてしまっていいのです」

 そう言って彼は氷兎にその本を送り届ける。一緒に紙も送って。

 僕は愛を作れた。愛がどういうものなのかもわかった。ただ、あとは……あぁ、この愛の渡し方さえわかればよかったのに。


 そんな感じの終わり方にする予定だったんですがね、ハッピーエンド、書きたくなったんですよ。

 ……ハッピーエンド、ですよね?

 そもそもこの物語、どうして書こうかと思ったのが、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの想い人への手紙に書かれた一文で、「あなたがたが幸せになれますように。そして、あなたのことを永遠に忘れられない誰かの事はどうか忘れてください」という文章があるんですけどね……。

 いや、これがもう本当に書きたくなった理由なんですよね。だからバッドエンドにして、最後にこの一文でも載っけようと思ってたんですよ。しかし、書けなかった、と。

 まぁどうか皆さんもね、想いを伝える時は真っ直ぐに。

 嫉妬させようだなんて、思わない方がいいですよ。


 月見 紗奈 ツキミソウ
 花言葉 打ち明けられない恋

 狩浦 染は、仮初→狩染って感じです。

 そして林田 扶持は……わかりますよね?
 Hayasida Phuji→H.P
 そして彼が書いた本の題名は……

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。